575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

月光が裸身となって立っている   遅足

2012年11月16日 | Weblog
小牧市のメナード美術館の展覧会。
「舟越桂・永遠を見る人」を見てきました。
一番、こころ惹かれたのは「月の降る森」。

教会の屋根の上に裸身の女性が立っている。
楠に彫った裸身には、微妙な彩色。
不思議な美しさが立っている。

「月の降る森」について舟越さんは
「あるときイメージがやってきたんです。
月夜の森の奥に廃屋のような教会があって、
人間が生えてるというイメージ。
それをどこかに急いでスケッチして。
何を意味しているかはつかみきれないままでしたが、
どうしても形にしてみたいと思って制作しました、と。

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牧水の生家の縁に栴檀の巨木のつくる影のやさしさ    遅足

2012年11月15日 | Weblog
幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

若山牧水の生家は、宮崎県の日向市東郷町の坪谷。
国道10号線から分かれて耳川に沿って国道327号線へ、
さらに国道446号線へ、車で30分ほど走った静かな山間にありました。

古い木造二階建ての家は、牧水の祖父・健海が160年前に建築したもの。
牧水が生まれた縁側など、昔の姿をそのまま伝えています。
牧水の本名は、繁。雅号の牧水は、母である牧(マキ)と、
家の前を流れる坪谷川の水を合わせたものだそうです。

時の刻み込まれた縁板に座って、しばらく秋の日を浴びていると
牧水の歌を生み出したのは、この故郷なのだと感ずるものがありました。

  若き母赤子を抱きて牧水の生家の前を行きて帰りぬ

(写真は生家の前を流れる坪谷川です。)


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11月句会ちかづく      遅足

2012年11月14日 | Weblog
今月の句会が近づいてきました。今回の題詠は「冬帽子」です。
父は若い頃から、帽子を被っていました。
ゴルフを始めてからは、シャレた帽子で出かけていました。
私は父にて頭が薄くなっていますが、無帽主義です。

  労咳の頬美しや冬帽子      龍之介

美人薄命を絵に描いたような句。小説家らしいですね。

  父が来てくらがりへ置く冬帽子  星野昌彦

現代のような明るい部屋ではなく、電燈だけで暗がりのある部屋。
そんな時代の父のことを思い出します。
昔の父は陰翳が深いですね。
母の冬帽子を詠んだ句はあるのでしょうか?

  曲学し阿世し下痢し冬帽子    高山れおな

思わず笑ってしまいました。
大昔の日本人は、成人に達すると烏帽子を被る慣わしだったんですね。
寝室でも被っていたそうです。
無帽は裸と同じ感覚だったんでしょうか?

今回の句会では、どんな冬帽子が登場するのか?楽しみです。

  きらきらと子供駆け出す雪帽子   遅足



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電線に雀並んで冬日の出     朱露

2012年11月14日 | Weblog
      二階の南から外を眺めて暮す。
      団地・プレハブ・我が家の順。
      電線が東西南北に十本は走る。
      雀が覗くので死んだふりする。



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落葉松は哀しからずや  鳥野

2012年11月13日 | Weblog
夏に暑い日が続き、急に温度が下がって秋、という年は紅葉が美しい、と聞きました。
ならば、と信州へ。

予想に違わず、見事な紅葉は木曾谷から始まり、あらゆる落葉の木が、それぞれの色を競っています。

翌日は三才山側から美ガ原高原へ。
フットワークのいい車と大胆なドライバーが高度を稼ぐ裏道。
紅葉、黄葉の真っ只中です。

ひときわ風情を見せるのは、落葉松。道も山肌も空までも黄金の色。
心に響く色です。

春の芽吹き、秋の黄葉、と親しまれているこの樹は別の呼び名が
時代遅れの樹。
戦後、造林の主役と持てはやされ、大規模な植林が行われたのに、
今では、電柱にも、坑木にも、製紙にも御呼びなし。
高原を覆い、只々、寂しく耀やいています。

北原白秋の詩こそ、相応うのかも。

 からまつはさびしかりけり
 たびゆくはさびしかりけり

 ほそぼそと通う道なり
 さびさびといそぐ道なり
 また細く道はつづけり



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山眠る団地プレハブ音もせず     朱露

2012年11月12日 | Weblog
   白犬を連れる散歩の老人が眼の下を行く。 
   「グリーン・スリーヴズ」を聴いている。
   定年十七年になるが飽きる筈が全然ない。
   働くのが嫌いだったのがよく分かる毎日。



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木犀の句     遅足

2012年11月12日 | Weblog
自由題で、木犀の句が2句。とても良い句です。
 
 木犀や誰かと夢で会えそうな   立雄

あえかな香りに誘われての眠り。羨ましい景、と鳥野さん。
遠くから匂ってくる香。夢で昔の人に出会えそうです。

 木犀の香りも乗せるエレベーター  能登

ふっと気づいたら木犀の香りは、いいですね。
実は過日の飛鳥行きで、歩いていてふと角を曲がったら
金木犀の香り、ああと、暫し立ち止まりました。
飛鳥人、奈良人は親切でした、と結宇さん。
木犀の木が近くにある。
木犀の香の人が乗ってきたのでしょうか。
やさしいエレベーターですね。

宮崎の飫肥で銀木犀に出会いました。
金木犀とは違った趣があって好きになりました。

                   遅足

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足元の木の実気になる仁王かな   狗子

2012年11月11日 | Weblog
ころころと転がってきた木の実。
山門の仁王様が見つめています。
きょろきょろする木の実に、仁王様の声。
「お前、こんなところまで転がって、大丈夫か?怪我ないか?」
二人の対話が始まりそうな・・・
ユーモアで暖かみのある句ですね。     遅足
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古墳(ふるつか)や木の実落ち来るつづら折り     結宇

2012年11月10日 | Weblog
景の良く見える句をつくる結宇さん。
奈良に旅した時の句だそうです。

自由題にも奈良の句が。

  潜り戸の冷気見下ろす伎芸天   

本堂の片隅の、華やぎと哀愁の佇まい。
御仏も観察して在すらしい、と鳥野さん。

両方とも、一枚の絵として楽しめる句ですね。

                   遅足

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シャラシャラとポケット鳴らす木の実かな   能登

2012年11月09日 | Weblog
この句の木の実、椎の実です。少年の日の思い出です。
ポケットいっぱいの椎の実は、じつにいい音がして、
子ども心を豊かな気分にさせてくれました。
「木の実」についての実感の一番濃いものは、この音でした、と作者。

椎のなかでもツブラジイの実は、炒って食べると美味。
子供のころに一、二度食べたことがあります。
そんな椎の実をポケット一杯にもっていたら・・・
楽しいでしょうね。

暦のうえでは7日が立冬。
我が家の小さな庭にも、菊、乙女椿、サフランが咲きました。
蜜柑も黄色く色づいて、季節はちゃんと廻っているようです。

                         遅足
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ふらふらと木の実踏ん張るやじろべい    すみ

2012年11月08日 | Weblog
指の上でふらふらしているヤジロベイ。
木の実が踏ん張っています。

東海道中膝栗毛に登場する弥次郎兵衛が
荷物を棒の先に吊るして肩に担いで運ぶ姿を表しているとか。

なぜ、ヤジロベイは安定しているのか?
全体の重心が支点(=地面との設置点)よりも下にあるため。
重心と支点が一致すると安定しなくなり、立てなくなります。
力学の基本をシンプルな形状の上に実現しているため、
教材としても利用されているそうです。

英語では balance toy と呼ばれるヤジロベイ。
踏ん張っているから、ふらふらしても安定している。
なにか奥深いものを感じます。

                      遅足
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つわぶきの黄に帰り来し遺骨かな   遠藤政恵

2012年11月07日 | Weblog
今朝の中日新聞の「中部の文芸」欄に紹介されていた句集「野遊び」。
そのなかの一句です。
母を詠んだ句が多く、私も数年前に母を亡くしたため、心惹かれました。

 湯上りの母ももいろに蓼の花   

 骨のはは地に還さむと冬椿

 白上布手熨斗してははあるごとし

遠藤さんは、昭和14年の名古屋生まれ。
句集の題にもなった句。

 野遊びの筵にははを置きしまま

老いた母のことを気遣うのですが、置いたままにして、あちこち歩き回る。
のこされた母は、どんな思いで子供の後姿を追っていたのでしょうか。
老いのなかにあることと、老いをまだ知らぬことの違いが美しく詠まれています。
こんな句も好きです。

 芥子菜(からしな)に薹(とう)たちてみな過ぎしこと

 緑陰の木椅子に風の昏るるまで

作者は後書きに、こんな風に書いています。
仲間との吟行とは別に、一人で野山に出かける。
好きなところに好きなだけ坐る。
自然のなかで繊細な光と翳、色、風、匂いに浸って、また歩く。
そんな中から、自分の心身を通過したものを言語化する、と。
まことに羨ましい作り方です。

戦争のない平和で安定した生活のうえに咲く美しい俳句の花の数々です。

                         遅足






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父よチチよと秋に泣く   鳥野

2012年11月06日 | Weblog
公園の木立ちの間を歩いても、このところ蓑虫を見かけなくなりました。
外来種のヤドリバエの寄生によって、その数が激減。自治体では絶滅危惧種に指定していると聞きます。

蓑虫の命の継承は極めて厳しい。
微少なフェロモンをたよりに交わり、オスはそこで死。メスは独りで1000コ以上の卵を産み、
孵化させて懸命に育て続けます。
やがて蓑の底にアナを開けて、メスはそこから地上に落ちて死。

幼虫はアナから這い出し、風に乗って四散し、場を求めて蓑を作りはじめます。

蓑虫はその姿から鬼の子と蔑まれ、父親にも捨てられて哀れ、と書いたのは清少納言。
秋には迎えにくるから、の言葉を信じて、蓑虫は「父よ、チチよ」と泣いているそうな。

か細い糸の先の蓑の中、父を待つ風情は秋にこそ。 
ゆっくりと、今一度捜しに出かけましょうか。

 ・ 父よと泣き母よとは泣かぬ蓑の虫

 ・ 枯れ葉綴りの蓑着て密かな蓑の虫 あえかな銀糸を縁(えにし)と頼み

                        鳥野
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木の実落つ終の支度のはじめ時    晴代

2012年11月05日 | Weblog
「終のすみか」と連動しそうで・・・。
秋はそう思わせるし、実りの成果が果つる時は
そのようなものでしょうか、と結宇さん。

夏物を仕舞い、冬の支度を始める頃。
この服はもう着ないから処分しようかしら?
行く末のことを様々に考える。「終活」というそうです。

木の実が地に落ちるのは、次世代としてのサバイバル作戦。
沢山の木の実のなかで、芽を吹きますが、
親と同じ大樹にまで成長する確率は本当に小さいそうです。

                      遅足
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冬を待つ多米の私と血圧と     朱露

2012年11月04日 | Weblog
    高血圧でなければ血圧に無関心。 
    自分の血圧のことしか考えない。
    職業病であることは間違いない。
    話をするのが嫌な男の筈なのに。


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