575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

つわぶきの黄に帰り来し遺骨かな   遠藤政恵

2012年11月07日 | Weblog
今朝の中日新聞の「中部の文芸」欄に紹介されていた句集「野遊び」。
そのなかの一句です。
母を詠んだ句が多く、私も数年前に母を亡くしたため、心惹かれました。

 湯上りの母ももいろに蓼の花   

 骨のはは地に還さむと冬椿

 白上布手熨斗してははあるごとし

遠藤さんは、昭和14年の名古屋生まれ。
句集の題にもなった句。

 野遊びの筵にははを置きしまま

老いた母のことを気遣うのですが、置いたままにして、あちこち歩き回る。
のこされた母は、どんな思いで子供の後姿を追っていたのでしょうか。
老いのなかにあることと、老いをまだ知らぬことの違いが美しく詠まれています。
こんな句も好きです。

 芥子菜(からしな)に薹(とう)たちてみな過ぎしこと

 緑陰の木椅子に風の昏るるまで

作者は後書きに、こんな風に書いています。
仲間との吟行とは別に、一人で野山に出かける。
好きなところに好きなだけ坐る。
自然のなかで繊細な光と翳、色、風、匂いに浸って、また歩く。
そんな中から、自分の心身を通過したものを言語化する、と。
まことに羨ましい作り方です。

戦争のない平和で安定した生活のうえに咲く美しい俳句の花の数々です。

                         遅足






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