【まくら】
明治中期まで「お釜さま」と呼ばれていたが、後述の理由から「鼠の懸賞」と改題され、その後金馬師匠が手を加えて「薮入り」と名づけた。
日本でねずみの駆除が義務づけられたのは、一九〇五年の伝染病予防法からである。
つまりこの咄の背景は明治以降の生活、ということになる。
理由はペストの流行防止であった。
駆除を促進するために買い取り制度を作っていた。ねずみをみつけたら警察に持って行く。警察でのねずみ買い上げ価格は次第に高騰し、一頭五銭くらいだったようだ。
挙句の果て、噺の中に出てくるように懸賞金までつくことになった。
確かにそうでもしなければ、ねずみの旺盛な繁殖力には勝てない。
江戸時代からある「ねずみ算」によると、正月にひとつがいのねずみが十二匹の子を産み、二月にはその親子がいずれも十二匹の子を生み、三月、四月……十二月までには何と二七六億八二五七万四四〇二匹という数字になる。
さぞかし奉公人たちにとっては、いい小遣い稼ぎになったことだろう。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
奉公に出て3年目の初めての藪入りの日、男親は朝からソワソワしています。
いえ、前の晩からです。男親は女房に奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。
刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。
ほうらい豆にカステラも買ってやれ。
「うるさいんだから、もう寝なさいよ」
「で、今何時だ」、「2時ですよ」
「昨日は今頃夜が明けたよな」。
湯に行ったら近所を連れて歩きたい。
赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。
ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな~。
そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。
そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。
明日一日で。
「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」
「で、今何時だ」
「3時少し回ったよ」
「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
「な、おっかぁ」
で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。
普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。
抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の”亀ちゃん”が帰ってきた。
父親の”熊さん”に言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。
それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」、「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」、「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」。
「あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」
「それはお前さんだろ」。
落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履き物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」
「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」
「子供のサイフを開けてみるなよ」
「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」
「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。
「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」
「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」
「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。
今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。
「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくよ。主人を大事にしなよ。”チュー”(忠)のお陰だから
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
ぶっつけ落ち(意味の取り違えがオチになるもの )
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『藪入りや何にも言わず泣き笑い』
『可愛い子には旅をさせろ』
『斯くばかり偽り多き世の中に 子のかわいさは誠なりけり』
『七つ八つは憎まれざかり かわいいざかり二つ三つ四つ』
【語句豆辞典】
【年季奉公】
江戸時代には子供は十歳前後になると、将来商人になる男の子はその目的の商家へ、職人になるものは適当な親方のもとへ年季奉公に出た。但し、時には口減らしのためとか、職業によっては数え年七歳ぐらいから出ることもあった。
当時の年季奉公は、普通十年としてあり、それを勤め上げると、さらにお礼奉公といって一、二年無給で働いてから独立するか、あるいは給金をもらってその店に勤務して、ゆくゆくは番頭になるのである。
年季奉公は、衣類とか身の回り品は、主人が一切面倒をみてくれるが、五、六年間は小遣いをもらえす、正月と盆の薮入りの時に小遣いをもらうだけであった。
【薮入り】
「宿入り」が転訛したもの、奉公人が正月および盆の16日前後に、主家から休暇を一日または数日もらって親もとなどに帰ること。また、その日。盆の休暇は「後の藪入り」ともいった。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・四代目 春風亭柳好
・五代目 古今亭今輔
・十代目 柳家小三治
【落語豆知識】
【音曲噺 (おんぎょくばなし)】三味線などの鳴り物が核になる噺。
明治中期まで「お釜さま」と呼ばれていたが、後述の理由から「鼠の懸賞」と改題され、その後金馬師匠が手を加えて「薮入り」と名づけた。
日本でねずみの駆除が義務づけられたのは、一九〇五年の伝染病予防法からである。
つまりこの咄の背景は明治以降の生活、ということになる。
理由はペストの流行防止であった。
駆除を促進するために買い取り制度を作っていた。ねずみをみつけたら警察に持って行く。警察でのねずみ買い上げ価格は次第に高騰し、一頭五銭くらいだったようだ。
挙句の果て、噺の中に出てくるように懸賞金までつくことになった。
確かにそうでもしなければ、ねずみの旺盛な繁殖力には勝てない。
江戸時代からある「ねずみ算」によると、正月にひとつがいのねずみが十二匹の子を産み、二月にはその親子がいずれも十二匹の子を生み、三月、四月……十二月までには何と二七六億八二五七万四四〇二匹という数字になる。
さぞかし奉公人たちにとっては、いい小遣い稼ぎになったことだろう。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
奉公に出て3年目の初めての藪入りの日、男親は朝からソワソワしています。
いえ、前の晩からです。男親は女房に奉公に出た一人息子が帰ってきたら、ああしてあげたい、こうしてあげたいと、言って寝かせません。
暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。
刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。
ほうらい豆にカステラも買ってやれ。
「うるさいんだから、もう寝なさいよ」
「で、今何時だ」、「2時ですよ」
「昨日は今頃夜が明けたよな」。
湯に行ったら近所を連れて歩きたい。
赤坂の宮本さんから梅島によって本所から浅草に行って、品川の松本さんに挨拶したい。
ついでに品川の海を見せて、羽田の穴守さんにお参りして、川崎の大師さんによって、横浜の野毛、伊勢佐木町の通りを見て、横須賀に行って、江ノ島、鎌倉もいいな~。
そこまで行ったのなら、静岡、豊橋、名古屋のしゃちほこ見せて、伊勢の大神宮にお参りしたい。
そこから四国の金比羅さん、京大阪回ったら喜ぶだろうな。
明日一日で。
「おっかぁ、おっかぁ、って、うるさいんだから」
「で、今何時だ」
「3時少し回ったよ」
「時間が経つのが遅くないか。時計の針を回してみろよ」。
「な、おっかぁ」
で5時過ぎに起き出して、家の回りを掃除し始めた。
普段そんなことした事がないので、いぶかしそうに近所の人達が声を掛けても上の空。
抱きついてくるかと思ったら、丁重な挨拶をして息子の”亀ちゃん”が帰ってきた。
父親の”熊さん”に言葉がないので、聞くと喉が詰まって声が出ない。
病気になった時、お前からもらった手紙を見たら、字も文もイイので治療はしていたが、それで治ってしまった。
それからは何か病気しても、その手紙を見ると治ってしまう。
「おっかぁ、やろう、大きくなったろうな」、「あんたの前に座っているだろ。ご覧よ」、「見ようと思って目を開けると、後から後から涙が出て、それに水っぱなも出て、見えないんだよ」。
「あっ、動いている。よく来たなぁ。おっかぁは昨日夜っぴて寝てないんだよ」
「それはお前さんだろ」。
落ち着いた所で、亀ちゃんはお湯に出掛けた。
「おっかぁ。立派になったな。手を付いて挨拶も出来るし、体も大きくなって、手紙も立派に書けるし、着物も帯も履き物もイイ物だ。奥様に可愛がられて居るんだろうな」
「お前さん、サイフの中に小さく折り畳んだ5円札が3枚有るよ」
「子供のサイフを開けてみるなよ」
「15円は多すぎるだろ、なにか悪い了見でも・・・」
「俺の子供だ、そんな事はない。が、初めての宿りで持てるような金ではないな。帰ってきたら、どやしつけてやる」。
そこに亀ちゃんが湯から気持ちよさそうに帰ってきた。
「そこに座れ。おれは卑しい事はこれっぽっちもした事はねぇ。それなのに、この15円は何だ」
「やだな~。財布なんか開けて。やる事がげすで、これだから貧乏人はヤダ」
「なんだ、このやろう」と喧嘩になってしまった。
亀ちゃんが言うには、ペストが流行、店で鼠が出るので、捕まえて警察に持っていくと、銭が貰える。そのうえ、ネズミの懸賞に当たって15円もらった。
今日までご主人が預かっていたが、宿りだからと持って帰って喜ばせてやれと、持たせてくれた。その15円だという。
「おっかぁが変な事を言うものだから、変な気持ちになったのだ。懸賞に当たってよかったな~。許してくよ。主人を大事にしなよ。”チュー”(忠)のお陰だから
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
ぶっつけ落ち(意味の取り違えがオチになるもの )
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『藪入りや何にも言わず泣き笑い』
『可愛い子には旅をさせろ』
『斯くばかり偽り多き世の中に 子のかわいさは誠なりけり』
『七つ八つは憎まれざかり かわいいざかり二つ三つ四つ』
【語句豆辞典】
【年季奉公】
江戸時代には子供は十歳前後になると、将来商人になる男の子はその目的の商家へ、職人になるものは適当な親方のもとへ年季奉公に出た。但し、時には口減らしのためとか、職業によっては数え年七歳ぐらいから出ることもあった。
当時の年季奉公は、普通十年としてあり、それを勤め上げると、さらにお礼奉公といって一、二年無給で働いてから独立するか、あるいは給金をもらってその店に勤務して、ゆくゆくは番頭になるのである。
年季奉公は、衣類とか身の回り品は、主人が一切面倒をみてくれるが、五、六年間は小遣いをもらえす、正月と盆の薮入りの時に小遣いをもらうだけであった。
【薮入り】
「宿入り」が転訛したもの、奉公人が正月および盆の16日前後に、主家から休暇を一日または数日もらって親もとなどに帰ること。また、その日。盆の休暇は「後の藪入り」ともいった。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・四代目 春風亭柳好
・五代目 古今亭今輔
・十代目 柳家小三治
【落語豆知識】
【音曲噺 (おんぎょくばなし)】三味線などの鳴り物が核になる噺。