
【原文】
御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言ひとこと、神の如しと人思へり。
さて、「如何いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極て桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。
さて、「如何いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極て桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。
【現代語訳】
秦重躬は、上皇のセキュリティ・ポリスだった。御所の警備員、下野入道信願に「落馬の相が出ています。充分に用心なさい」と言った。信願は、「どうせ当たりもしない占いだろう」と内心バカにしていたら、本当に馬から落ちて死んでしまった。人々は、この道何十年の専門家が言うことは神懸かっていると感心した。
そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。
そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。