JR両国駅の西口を出て300m、両国国技館の前を通って5分ほどのところにある日本庭園。旧安田財閥の主の屋敷跡が公園になっている。
サイトから引用→「もと常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資により元禄年間(1688〜1703)に築造されたと伝えられる。
かつては隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園として整備される。
明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸となり、次いで安田善次郎氏の所有となりました。氏の没後大正11年東京市に寄附されました。
関東大震災後、太平洋戦争を経て東京都から墨田区に移管され、全面的改修を行い、復元、開園しています。現在は、ポンプにて人工的に潮入が再現されている」 引用終わり。
広くはないがゆったりと落ち着いたいい空間だ。この日は北斎通り側から入門した。
串カツと泡盛に満足して店から 3分ほど歩いて錦糸公園に向かった。
老若男女・善男善女が引きも切らずぞろぞろぞろぞろ歩いていて、恐れをなして公園には入らず駅に向かった。
日曜日の午後とはいえ 東京の異常な人口集積の凄さを実感し それに引き換え地方の中心街シャッター通りの寂寥を思い
日本国が産業と人口配分のアンバランスで壊れつつあるのを肌で感じる気分だった。
錦糸公園と周辺を見る
旧中川の定点観測ポイント&ボラの群れ
この日地区のコミュニティ会館であった健康麻雀会で朝9時から午後2時まで半荘四回を楽しんだ後、旧中川の遊歩道の定点観測ポイントへ向かった。
この日も何故か水鳥を一羽も見ることが出来なかった。
ただ水面が波立っている箇所があったので目を凝らすと ボラの魚体が水中で白く踊っている姿が多くあった。魚体は結構大きかった。
ちなみに麻雀の成績は四位・二位・三位・一位となって合計ポイントは、わずかながらもプラスになった。
今日のメンバーには強豪にして老練な女性メンバーお二人がいて ぐんぐん押されながらも我ながらよく健闘したと思う(笑)。卓は八卓がたった。
この日は健康麻雀の日で近くのコミュニティ会館の一室で6時間の闘牌を楽しんだ。暑い日だったが30人ほどの会員が参加した。
80歳を越えた自分より年上の一人の女性会員と当たった回は 剛腕雀士に男女の差はないことを思い知らされコテンパンにやられて面白かった。
240912旧中川遊歩道定点観測地点
麻雀が終わってから いつもの場所まで5分ほど歩いてみたが 人の影も水鳥の姿も一切何も木の葉以外動くものはなかった。
3か月に一回の口腔定期検診と口腔クリーニングを歯医者で済ませてからJRの隣の駅にある商店街へ向かった。
会期終了三日前とは言いながら 入場券を買うまでに30分も並ばされるとは想像もしていなかった。
東京国立博物館がインバウンドの必須訪問先になったのかとビックリするほどの数の老若男女の外国人も汗を噴き出しながら並んでいた。
館内も都内だけでなく関東一円らしきからのあらゆる年齢層の善男善女で溢れていて 空海ゆかりの事物を見たいと思っている人がこんなに今の日本には
いるんだと再認識した。
0906東京国立博物館に神護寺展を観に行く
空海の真筆に人間が書いたとは思えない「全きうつくしさ」を感じた。
目の前に薬師如来像や十二神像立像など1200年を越えて残った人間の生成物があるだけでしばらく身体が動かない。
創建当時にはこれらの書や仏像を直接読んだりおがんだりすることは全く出来なかった階層民の子孫としては、今はいい時代に生きているなアという思いと
本来は信仰の拠り所だった品々が年を経て美術品になってしまったその「何故」という二つの思いを感じながら退館した。
解説!「神護寺展」国宝作品―薬師如来立像から山水屏風まで
【弘法大師】空海を解説します 生涯と功績【生誕1250年】
上野駅の公園口を出て「神護寺展」を見るため 東京国立博物館へ向かったが外国人を含くめて 人の多さに驚いた。
240906上野公園 暑いのに外国人を含め人出は驚くほどでした。
ちょうど東京芸術大学の大学祭のお神輿コンクールをやっているのに出会った。
秋祭りの幟がプラットホームから何本も見えた。
鎌倉時代に信州の諏訪大社から勧請された諏訪神社が街の中心にある三重県の四日市市が自分の出生地であり
六年前 後期高齢者になってから神戸市から引っ越してきた 江戸時代に諏訪から勧請された諏訪神社がある
東京都区の最東部にある当地が 終の棲家になるだろう自分には「諏訪神社」という四文字はいつも独特の感慨を呼び起こす。
両親ともに信州諏訪大社の氏子の家で育ったとしても、この二つの地の「諏訪神社」との自分の端緒と終局の縁はたまたまの偶然に過ぎないが
やはり❝シンクロニシティ❞「意味のある偶然の一致」を感じてしまう。
神田の雀荘に全員定刻前に集まり 11時開始18時終了という7時間の長い半荘六回のゲームを楽しんだ。
次回10月の例会も齢80歳代の四人が元気で揃って楽しめることを願っている。