阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

最近の居酒屋“e”で

2009年05月19日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
Hさんに送ってもらった国東半島で採れたグリーンピーズを、居酒屋“e”の女将にもお裾分けしました。二晩続けて店に行ったら、ちゃんと大きくて甘いグリーンピーズを使った品を出してくれました。豆は肉じゃがにもよく合います。ビールは最初の一口でいいくらいなので、缶ビールを置いてもらって、後は芋焼酎にします。

 好物のカシワと高野豆腐の煮物にも豆が。「かますの一夜干し」は、ぱさぱさでなくふっくらとしておいしく焼きあがっていました。漬物はこの季節限りの加賀の太きゅうり。粗塩でざっと揉んだだけらしい。いくらでも食べられました。

ちょっと前ですが、「赤霧島」が入ったとのことで切子のチョコでストレートで飲みました。
皿はカシワのレバー煮。

 かますの一夜干しの焼き方を聞きました。ガスで焼くとどうしても水分が飛びすぎるので、ふぐの一夜干しを焼くときと同じく、鉄のフライパンにクッキングシート(硫酸紙)を敷いて、干物の背の方を下に置いてから着火するのだそうです。
 使っているのが、テフロン加工ではなく鉄のフライパンなので、蓋をして少し強火で焼き、焼けたらフライ返しでひっくり返し、腹側に焦げ目がつくまで焼いて出来上がりと。
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木瓜の実が大きくなりました。

2009年05月19日 | 花・草・木・生き物
あじさいの花芽が出てきました。

ゆすらうめの実が赤く色づきだしました。

「5月の花アルバム」全22枚はこちらです。スライドショーでどうぞ。
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自動車運搬船の進水式@神戸  リバイバル

2009年05月19日 | 神戸あちこち
2008年3月5日の満潮に合わせて、午前8時50分から和田岬にあるM重工神戸造船所で6万トンの船が進水しました。このあたり一帯は、奈良時代から大輪田の泊と言われ、平清盛の時代には宋の国との大型交易船が何艘も何艘も、もやっていたところです。
船の後部を真横のアングルから見ると「機関車トーマス」ではないけど、「運搬船ロザンヌ?」とでも言いたいような美しい横顔が見えていました。
船名と諸元は、
船名:“AMETHYST ACE”
全長:200m
全幅:32.26m
全高:34.52m
喫水:9.7m
自重:18,690t
G.ton:60,200t
輸送車数:6,400台
高さ34mはビルで言えば15階建てくらいでしょうか。傍に居ると真っ直ぐに切り立った城壁を見上げているように見えました。“TUG”と書いてある箇所はタグボートが押すポジションを示します。


平成20年3月6日掲載の記事(クリック)をYouTubeを使って再掲載。

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名護屋城址は玄界灘の風の中にあった  肥前の旅その5

2009年05月19日 | 友人との九州旅行
憧れの生造りのイカ定食の昼食を食べおえて、2台の車は“名護屋城址”を目指しました。広大な城跡はよく整備されていました。ほぼ400年ほど前に、秀吉の命を受けて全国の戦国大名がこの城の城下に、朝鮮を攻撃するための陣屋を展開していました。

 前田利家や伊達政宗の部隊駐屯地など、全ての大名の陣屋スポットが特定されていて、はるばる仙台からこの唐津の地まで動員された伊達兵たちのうち、どれくらいの人数が再び故郷の地を踏むことが出来たのだろうかと、一瞬そんな思いも湧きました。
 名護屋城址(クリック)





斜長橋の向こうがイカの昼食を取った呼子町の加部島です。













内務省と書かれた石碑があちこちにありました。

佐賀県立名護屋城博物館は力の入った中身の濃い博物館でした。韓国との交流史を研究する相互の学術拠点の位置づけにあるそうです。無料でした。
 展示物を見て歩くと、地理的条件からしても、古代の北九州と朝鮮半島南部に住んでいた人たちは同族であって、「クニ」の意識がないまま往来していたのだろうと思えました。
 最近のDNAの研究で明らかになっていますが、このことは大陸の近くにある島国英国と、その近くの欧州大陸国の民族の共通性と同じことでしょう。


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