花隈に行く用事が出来て久しぶりに[花隈駅]あたりを歩きました。モダン寺と呼ばれる西本願寺神戸別院の横を歩きました。ここから少し浜側へ歩いて「元町商店街」を少しぶらぶらしましたが、マスクをしている人はざっと100人に1人。あの騒ぎはもうこんな感じにと、ちょっとびっくりしました。自分は「カラス天狗」姿で歩きましたが・・

昔ながらの洋食屋「朝日食堂」は木曜日で定休日、残念。ここのオムレツやビフカツ、日替わり定食はなかなかなんですが。


明治時代から大正、昭和の花街「花隈」は昭和50年代にはもう寂びれはじめ、今は面影を偲ぶのも難しい。

webから引用:
花隈は明治のはじめ、初代兵庫県知事伊藤博文の肝いりで花街となった。料亭、お茶屋、仕出屋…。戦前は百二十軒を超える店があり、千人近い芸者を抱えた。
しかし、海運や造船業が勢いを失うにつれて、優雅な“お座敷遊び”は次第に影を潜める。三宮に社用族が流れ、今や店は十八軒。代わってマンションが建ち、花街の面影はない。 2003年.01.24 神戸新聞

昔ながらの洋食屋「朝日食堂」は木曜日で定休日、残念。ここのオムレツやビフカツ、日替わり定食はなかなかなんですが。


明治時代から大正、昭和の花街「花隈」は昭和50年代にはもう寂びれはじめ、今は面影を偲ぶのも難しい。

webから引用:
花隈は明治のはじめ、初代兵庫県知事伊藤博文の肝いりで花街となった。料亭、お茶屋、仕出屋…。戦前は百二十軒を超える店があり、千人近い芸者を抱えた。
しかし、海運や造船業が勢いを失うにつれて、優雅な“お座敷遊び”は次第に影を潜める。三宮に社用族が流れ、今や店は十八軒。代わってマンションが建ち、花街の面影はない。 2003年.01.24 神戸新聞