2日目は武雄温泉に泊まりました。泊まった「京都屋」という旅館は“大正浪漫”をウリにしているとかで、建物も従業員もけっこう古いというかベテラン揃いでした。「京都屋」の名前の由来は、4代前の女性創業者が京都で旅館の女中勤めをして、武雄に戻って旅館を開業したところから“京都屋”と名付けたんだそうです。
夜の食事は通り一遍の旅館のサシミや天麩羅類ではなく、ヌーベル・クイジーヌ風の懐石で、品ごとの量が多くなく、どの料理も丁寧に作られていておいしかったです。板さんに旨かったよと伝えてと、サーブしてくれた仲居さんに言うと、「はい、うちの板前やんは年に何回か東京、大阪へ出かけて、いつでんかんでん料理ば勉強しておる」と誇らしそうにまた嬉しそうに答えました。 酒は佐賀の地酒を4種類頼みました。いずれも旨い酒でした。

翌朝、宿の温泉にまたつかって、70歳を越えたこの宿屋の宝物のような女中さんに給仕してもらって(佐賀弁の語りを楽しく聞きながら)、旨い朝飯を済ませました。女中さんに高速道路土日千円の効用を聞くと、「お陰さんで、連休中はお客やんに沢山きてもろてありがたかったばい」とのことでした。そのあと今回のツアーをアレンジしてくれたNくんの勧めで、武雄温泉の源泉を見に行きました。

この門と建物は、東京駅を設計した佐賀出身の建築家「辰野金吾」が設計した貴重な建物です。辰野の設計した建築物はしっかりしたものばかりだったので、彼は「辰野堅固」と呼ばれていたとか。この源泉からは40度以上の何種類かの湯が365日こんこんと湧いていて、中でゆっくり半日ほど楽しめそうでした。

温泉街を歩いていたら、使用済みのペットボトルを利用した、こんな花架けがあちこちに見られました。大川内山の街でもそうでしたが、ヨーロッパの町のように花が沢山あるのは気持ちのいいものです。

京都屋専属らしいボンネットバスが駐車場にありました。

ちなみに初日に泊まった若木のロッジは静かな環境の中、ゆっくり出来ました。一泊3150円とはありがたいお値段でした。

夜の食事は通り一遍の旅館のサシミや天麩羅類ではなく、ヌーベル・クイジーヌ風の懐石で、品ごとの量が多くなく、どの料理も丁寧に作られていておいしかったです。板さんに旨かったよと伝えてと、サーブしてくれた仲居さんに言うと、「はい、うちの板前やんは年に何回か東京、大阪へ出かけて、いつでんかんでん料理ば勉強しておる」と誇らしそうにまた嬉しそうに答えました。 酒は佐賀の地酒を4種類頼みました。いずれも旨い酒でした。

翌朝、宿の温泉にまたつかって、70歳を越えたこの宿屋の宝物のような女中さんに給仕してもらって(佐賀弁の語りを楽しく聞きながら)、旨い朝飯を済ませました。女中さんに高速道路土日千円の効用を聞くと、「お陰さんで、連休中はお客やんに沢山きてもろてありがたかったばい」とのことでした。そのあと今回のツアーをアレンジしてくれたNくんの勧めで、武雄温泉の源泉を見に行きました。

この門と建物は、東京駅を設計した佐賀出身の建築家「辰野金吾」が設計した貴重な建物です。辰野の設計した建築物はしっかりしたものばかりだったので、彼は「辰野堅固」と呼ばれていたとか。この源泉からは40度以上の何種類かの湯が365日こんこんと湧いていて、中でゆっくり半日ほど楽しめそうでした。

温泉街を歩いていたら、使用済みのペットボトルを利用した、こんな花架けがあちこちに見られました。大川内山の街でもそうでしたが、ヨーロッパの町のように花が沢山あるのは気持ちのいいものです。

京都屋専属らしいボンネットバスが駐車場にありました。

ちなみに初日に泊まった若木のロッジは静かな環境の中、ゆっくり出来ました。一泊3150円とはありがたいお値段でした。
