京都府立大学の教授をされていた中井和子先生は、15年の歳月をかけて源氏物語を100年ほど前の京ことばに翻訳されました。
その源氏物語の作中人物が本来の京ことばで話すのを朗読で聴かせる人がいます。確かに「谷崎源氏」のように光源氏や紫の上が現代共通語を喋っては、
紫式部の世界は表現できないかも知れません。
ちなみに明治天皇の少年時代から、亡くなられるまでお傍に仕えた侍従の手記によると、明治天皇は生涯、京言葉でお話になられたそうです。
青年時代まで京都でお過ごしになられたのですから当然と言えば当然ですが、亰ことばのご発言がやさしく響くため、薩長の元勲たちの意向で、
公式の場では極力お言葉を発することを控えられたとその侍従は書き残しています。最近のテレビドラマでは史実に沿って明治天皇役の俳優は亰ことばを使いますが
子供のころ観た「明治天皇と日露大戦争」の映画では、明治天皇役の嵐寛寿郎は東京弁を喋っていました。京都木屋町生まれのアラカンは本来は京都弁の方が良かったはずですが・・。
中井和子先生は家人の恩師でもあり、彼女は中井先生の京ことば源氏物語の第一回の原稿を見せて頂いたことがあるそうです。
その源氏物語の作中人物が本来の京ことばで話すのを朗読で聴かせる人がいます。確かに「谷崎源氏」のように光源氏や紫の上が現代共通語を喋っては、
紫式部の世界は表現できないかも知れません。
ちなみに明治天皇の少年時代から、亡くなられるまでお傍に仕えた侍従の手記によると、明治天皇は生涯、京言葉でお話になられたそうです。
青年時代まで京都でお過ごしになられたのですから当然と言えば当然ですが、亰ことばのご発言がやさしく響くため、薩長の元勲たちの意向で、
公式の場では極力お言葉を発することを控えられたとその侍従は書き残しています。最近のテレビドラマでは史実に沿って明治天皇役の俳優は亰ことばを使いますが
子供のころ観た「明治天皇と日露大戦争」の映画では、明治天皇役の嵐寛寿郎は東京弁を喋っていました。京都木屋町生まれのアラカンは本来は京都弁の方が良かったはずですが・・。
中井和子先生は家人の恩師でもあり、彼女は中井先生の京ことば源氏物語の第一回の原稿を見せて頂いたことがあるそうです。