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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

雨の深川不動     2014年1月東京ぶらぶら その5

2014年02月04日 | 東京あちこち
清澄公園を出て、深川丼の昼食を済ませる頃に雨がぽつぽつ落ちてきました。
平日の昼過ぎでしたが深川不動さんに善男善女がお参りしていました。藤沢周平の江戸下町の香りを少し感じました。







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鬼は外、福は内、ごもっともごもっとも!!

2014年02月04日 | 身辺あれこれ
ウチの恵方巻きの具はキュウリと焼穴子と決まっています。イワシはフライパンで焼いてジェノベーゼソースで。
焼いたイワシは翌日の夕食に出ます。今年も「鬼は外、福は内、ごもっともごもっとも!!」と大声を上げて家中の窓から邪鬼を追い出しました。




 

 「ごもっとも、ごもっとも 」
 今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、大声で「鬼は外福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。

酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶとそれに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で囃やさないといけないのだが友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。
そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも~」をやってきた。
もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。
そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が「ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)

今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何いうてるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。

震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の「ごもっとも」の発声回数が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。

亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、北小路地区では江戸時代以前の昔から、こういう風に言っていたのではないかと思う。
先祖は(秀吉の命を受けた武将の)日根野氏が高島城を築城する時に、(諏訪湖の高島という島から)立ち退きを命じられ、近くに集団移転させられた島民の一族だと言っていたから、もともと古くから住みついていた住民だと思う。

今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスではとっくに廃れた習慣がアメリカで残っているのと同じように諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。

(本文は2002年に「神戸新聞文芸欄・エッセイ部門」に投稿し、幸い入選して5月27日の朝刊に掲載されました。)

 
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船だまりにボラの大群 大洗町の涸沼川 茨城新聞

2014年02月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事



2014年2月1日(土)
ボラ大群住民驚き 大洗の旧磯浜漁港、涸沼川に遡上

【写真説明】ボラの大群が押し寄せた船だまり=31日午前、大洗町磯浜町

大洗町の涸沼川最下流部の船だまりに数万匹とみられるボラの大群が遡上(そじょう)し、地元の話題になっている。年明けごろから目立ち始め、餌を求めてカワウやサギなどの水鳥が集まり、周辺住民は思わぬふん害などに悩まされている。近くに50年以上住む漁業経験のある男性は「(船だまりに)ボラの大群は初めて」と驚いている。

ボラの大群が遡上しているのは、同町磯浜町の旧磯浜漁港の船だまり(幅約50メートル、奥行き約150メートル)で、通称「堀割」と呼ばれる。ここ数日は、水面から1メートルほどの深さまで層ができるほど集まり、上から見ると黒い塊のようになって船だまり全体を埋め尽くしている。動きが速い魚で、普段は簡単には取れないとされるが、網で簡単にすくえるほどという。

度々観察に訪れているアクアワールド県大洗水族館の職員によると、稚魚の大群は天気や時間帯などでばらつきがあるものの、数万匹に上るとみられる。

ボラは全世界の海に広く分布し、日本では北海道以南で見られる。出世魚で、大群は体長15センチ前後の関東地方ではオボコと呼ばれる稚魚。

また、稚魚を餌にするカワウやサギ、カモメなど大小の水鳥も増えている。稚魚を目がけて水面に突進する姿があちこちで見られ、その度に稚魚の塊がうごめいて水面が波立つ。係留している小型船や周辺の住宅は思わぬふん害や、水鳥の鳴き声に悩まされている。

船だまり近くに住む木村義雄さん(66)は「日の出前にボラを狙うカワウの鳴き声で目が覚めることがある」と複雑な表情だった。
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