広々した場内を歩きました。再建された歴史的建造物とはいえ、明治維新まで長く町民風情の自分らは、とば口までも入れなかったお武家さまの聖域だと思いながら歩きました。場内は若い韓国人家族が子供連れでいたり、老親を連れた韓国人一族や団体旅行らしい韓国の若い男女が数え切れないほど城見物でいたりして、なるほど韓国人にとって九州は海外観光旅行の一番近い外国なんだと実感しました。韓国の新聞テレビが反日嫌日記事を毎日報道していても、現実の民間韓国人は「我(われ)関せず焉(えん)」のごとありました。しかし熊本城を築城した加藤清正公は文禄・慶長の役で当時の朝鮮を侵略した武将の一人。そのあたりの機微はどげんなっととやろね?























