阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

念願の姫路城拝観。天守閣へも40分待ちで登れた。     姫路城と書寫山圓教寺シリーズ①

2015年11月18日 | 神弓会

JR姫路駅を出ると広い大手前通りの向こうに姫路城が真正面に見える。平成の大改修が3月に終わったので一度観に行きたいと思っていた。
弓道部OB有志が年に一度一泊旅行しているが、今年は姫路城を観て塩田温泉に泊まり、翌日書写山円教寺を拝観するツアーだった。






M幹事が前もってガイドさん(ボランテイア)を依頼してくれていたので、城のヒストリーや細部の説明、面白いエピソード
などなどほぼ2時間にわたり楽しい時間を味わうことが出来た。最近は美術館や博物館に行くと、以前は頼まなかった音声ガイドを
借りるようになったが、読めば書いてあることでも人ごみに押されて見逃すこともあるので、音声ガイドのおかげで展示のキモや
見どころを外さなくなった。今回もガイドさんのお蔭で多くの知見を得ることが出来た。









天守閣へ登る何段も何段もある階段は急で、前後に沢山の善男善女が張り付いている中を気を付けながら登った。
 姫路城の特徴は西国の強力外様大名に対する徳川幕府の最前線軍事基地であったことだ。城の内部には敵兵が内部まで侵入した場合を想定した武者隠しや、
侵入した敵に発砲する内部に向けた狭間(さま)が作られていることを今回初めて知った。






姫路城は幕府の大政奉還後、これも日本人の手のひら返しの表れの一つだろうが、昨日まで尊重していた大切だったはずのものも、
お上が言えば、一夜明ければそれらを弊履の如く捨て去り「古いのんは打ち壊してまえ」ということで二足三文の値で売りに出された。
しかし、これを買った人も「ぶち壊すには費用が掛かりすぎる」と放置していたらしい。
⇒(明治6年(1873)、明治政府は全国にあった144城に廃棄を通達し、ほとんどが売却・破壊され、姫路城は市内の神戸某にわずか23円50銭(現在の貨幣価値で約10万円)で落札されたがですが、解体費用が捻出できないとかで、時間は流れ、いつのも間にやら陸軍所有となっちょったそうです。
そんな時、芸術的価値が高い美しい城を後世に残したいと明治11年(1878)陸軍省第四局長代理・中村重遠大佐が、陸軍卿・山県有朋に「名古屋城および姫路城の保存を太政官(太政大臣・三条実美)に上申してもらいたい」という内容の意見書を提出し、意見書を本部内で検討した結果、保存される事になるがです。(引用先








今回もまた、この大規模な軍事施設を完成するためにどれだけの期間、近隣の大量の百姓連中が動員されたのだろうか?
とか、あの巨大な多数の主柱のなどの材木や瓦や石垣の石などどう輸送し、建てていったのだろかとか、またまたこれから
知りたいことが城の石垣のように高くなってしまった。築城は今でいう一大プロジェクトだから、そこに総指揮をとるプロジェクトリーダーがいたはずだ。
彼の配下には土木や建築や輸送のサブプロマネがついて、分担かつ総合して設計と工事施工をやりとげるマネージメントがあった。
 プロジェクトリーダーの使命は最短納期で城郭を完成させ、しかも実戦に耐える軍事施設の完成だった。今から400年前にも既に
わが民族には凄腕のプロマネと各分野のすぐれたエンジニア群がいた。このところ偶然ながら一か月以内に熊本城、島原城、姫路城の三城を観て
そんなことを思った。世界史的に見ても、城壁都市はアジア欧州に多々あるが、このような軍事施設としての城郭を作った民族は日本と欧州だけかもしれない。

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ある日のランチは「蕪と蕪の葉入りのシーフードカレー」

2015年11月18日 | ある日のランチ
カレーの香りが良く立つので聞くと、いつものルーにカレーウドン用のカレー粉をブレンドしてみたそうだ。
大阪のノモトファーム産の蕪と蕪の葉もカレー全体によく馴染んで旨し!
 楽屋ネタ。テレビドラマのロケによく利用される飯田橋の「カナル カフェ」だそうだ。





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