阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

甲南病院が建て替え工事をスタートした。

2017年06月22日 | 神戸あちこち

「涼宮ハルヒの消失」の舞台、神戸・甲南病院が建て替え工事へ【写真で見る近代建築】(クリック)
バスの中から ガードはJR神戸線。

甲南病院。ガードは阪急神戸線。

 阪神御影から久しぶりに甲南病院ルートのバスに乗って帰りました。病院の工事が始まっていました。



















完成予想図

甲南病院
グループ概要
人類愛の精神に基づき、あらゆる点において病人を本位とした
「悩める病人のための病院たらん」
創立者 平生釟三郎
昭和9年に平生釟三郎氏により開設された財団法人甲南病院は、第二次世界大戦や阪神大水害など幾多の危機を乗り越えてきました。当初118床であった病院は、昭和62年には400床の病院になり、その後も発展が続き、平成4年に六甲アイランド病院が、平成12年には国立加古川病院の移譲を受け加古川病院が、そして引き続いて六甲アイランドに介護老人保健施設ならびに訪問看護ステーションが開設されました。人類愛の精神に基づき、あらゆる点において病人を本位とした「悩める病人のための病院たらん」という創立者の思いを基本理念として、質の高い医療を提供できる病院、そして皆様に開かれた信頼される病院として在り続けたいと願っております。

平生釟三郎の言葉

創設者 平生 釟三郎
人類の生存を脅かし、幸福を覆すものの一つに病気があります。病気は何人も避けることのできないものであるだけに、病みて十分の治療を受けられる病院が必要であります。
ここに我々は、人類愛の精神に基づき、共存共栄に助け合って行きたいものと考え、あらゆる点において病人を本位とした「悩める病人のための病院たらん」ことを切望し、甲南病院を設立したものであります。
(昭和9年6月17日)

平生 釟三郎(ひらお はちさぶろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和20年(1945年)11月27日)は、日本の実業家、教育者(甲南学園創立者)、政治家(廣田内閣で文部大臣、貴族院勅選議員、枢密顧問官)。Wikipediaから部分引用。

明治、大正、及び昭和初期に活躍し、移民制限を始めたブラジルに対し経済的貢献により移住を確保しようと海外移住組合連合会長だった平生が訪伯経済使節団長としてブラジルに渡るなどした。その功績により、1935年ブラジルコメンダトール勲章。灘購買組合(日本初の生協)の設立、大阪ロータリークラブの設立にも尽力。政治家の床次竹二郎を後援し、献金をした。甲南大学の創立者でもある。 東京外国語学校露語科の同級生に二葉亭四迷がいる。二人は首席を争った。


国際留学生協会のHPから部分引用
ブラジル移民支援
  平生釟三郎が、ブラジルと関わりを持ち始めたのは、海外移住組合連合会の2代目会長に就任してからである。当時の日本は満州事変(1931年)後、侵略国家の烙印を押され国際的孤立状態に陥っていた。その中で唯一ブラジルだけが日本からの移民に好意的だった。そのブラジルが移民を制限しようとする動きに出たので、政府としては民間の経済外交で事態を打開しようとしたのであった。政府はブラジルへ経済使節団の派遣を決定し、釟三郎に団長就任を依頼してきた。大いに迷いながらも、ブラジル移民問題は「より高い奉仕である」という結論に至り、最終的に受託した。この時も無報酬を貫いたのである。
  釟三郎の基本的考えは、移民問題は時間をかけて解決するもので、まずは両国が共存共栄のパートナーになることが先決だというもの。ブラジルの綿花を輸入し、貿易により経済に貢献することで、移民の道が閉ざされないようにしようと考えた。使節団の滞在期間は、実に7ヶ月に及び、民間外交は大成功をおさめた。両国の貿易額は、一気にそれまでの10倍を越し、両国の親善友好関係は確実に深まった。ブラジルで盛り上がりかけていた排日気運を一挙に押し返すことに成功したのである。この功績で、帰国した釟三郎は天皇陛下に御前講演を進講する栄誉を担い、ブラジル政府から勲章を贈られた。
  釟三郎のブラジルとの関わりはこれで終わらなかった。ブラジル拓殖組合(ブラ拓)の理事長に就任し、移民支援事業に本格的に取り組み始めるのである。そして、拾芳会の第一期生であり、平生家に寄宿していた宮坂国人(クリック)をブラ拓の専務理事(最高責任者)として送り込み、全面的な支援体制を築き上げていく。彼がこうまでして移民支援に乗り出したのは、共存共栄の国策を進めることで、戦争回避を目指していたからでもあった。それが国家への奉公と確信していたのである。
  しかし戦争回避の願いむなしく、日本は太平洋戦争へと突入してしまった。日本が敗戦したその年(1945年)の12月、焦土と化した日本の再生を祈りつつ、80歳の生涯を終えた。「人は如何に生きるべきか」。社会奉仕に身を捧げた平生釟三郎の生涯は、この問いに一つの解答を残してくれた。

宮坂國人
 20世紀日本人名事典から引用。
昭和期の移民事業家 南米銀行創始者。 ブラジル移民事業の先駆者。
国籍ブラジル
生年明治23(1890)年7月15日
没年昭和52(1977)年3月21日
出生地長野県諏訪市
学歴〔年〕神戸高商(現神戸大学)〔大正2年〕卒
主な受賞名〔年〕ブラジル南十字星勲章,勲三等旭日中綬章,サンパウロ市名誉市民
経歴東洋移民に入社、ペルーに渡り移民事業に従事、大正8年帰国。11年太田工業に転じフィリピンに渡航。昭和4年ブラジル柘植組合(のちの海外移住連合会)設立に参加、同連合会専務としてブラジルに渡り、サンパウロ州、パラナ州に4つの日本人移住地を経営。11年パラグアイに最初の日本人移民を導入、コルメナ移住地を創設。15年南米銀行設立に参加、のち社長、会長を務め、日系企業育成、日語普及会会長、日本文化協会長として日系社会発展に尽力した。死後宮坂国人記念育英基金が設けられた。

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第10回 「資生堂 女性研究者サイエンスグラント」受賞者10名決定。   資生堂がこんなことをしている。

2017年06月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

ニュースリリース

News Release

リリース日: 2017/5/22

発行: (株)資生堂

技術・研究開発

第10回 「資生堂 女性研究者サイエンスグラント」受賞者10名決定

未来のリーダーとなる女性研究者を支援し、次世代への裾野を広げる

次世代の指導的役割を担う女性研究者を支援する、第10回「資生堂 女性研究者サイエンスグラント※1」の受賞者10名を選出しました(応募総数193名)。授賞式は7月7日(金)に開催し、受賞者には資生堂から各100万円の研究助成金を贈呈します。資生堂は今後も継続的に優秀な女性研究者の研究活動を支援することにより、指導的女性研究者の育成に貢献してまいります。
※1:グラントとは「研究助成金」の意味

資生堂 女性研究者サイエンスグラント設立の背景

日本における研究者に占める女性の割合は15.3%と過去最高を更新したものの、主要国(例: 1位 ロシア40.3%、2位 イギリス37.4%)と比べて大きく下回っています※2。また、助教・准教授・教授と職位が上がるにつれてさらに女性の割合が低くなる傾向があります※3。この背景には、女性は男性に比べて出産・育児・介護などの影響を受けやすい一方で、サポートする環境が十分ではないことが要因として挙げられます。資生堂はこうした状況を踏まえ、指導的立場を目指す意欲があり、科学技術発展への貢献が期待できる女性研究者を支援することを目的に、2007年度に本グラントを設立しました。
※2:総務省 平成28年科学技術研究調査より  ※3:内閣府 男女共同参画ハンドブックより

未来のリーダーとなる女性研究者を支援

本グラントは応募者の年齢制限を設けず、研究分野も自然科学全般を対象にしています。女性研究者が出産・育児・介護などに左右されずに研究を続けられるよう、出張時のベビーシッター代や研究を補助するアシスタントの雇用費など、助成金を柔軟に幅広く使用して頂けるのが特長です。本グラントの受賞は大学内外でのキャリアアップにも寄与し、歴代受賞者89名のうち5割近くが、受賞後に助教から准教授、准教授から教授へと昇格・栄転されました。
本グラント審査委員長である執行役員常務の島谷庸一のコメント:「資生堂女性研究者サイエンスグラントを活用いただいた研究者の方々がご自身の研究を推進・発展させ、指導的な立場としても活躍されていることを大変うれしく思います。この活動の継続が、まだまだ日本では少ない女性研究者が増える一助となり、また、研究者の方々の新しい交流・繋がりのチャンスとなり、多様な研究を育む機会となることを望みます。」

第10回 資生堂 女性研究者サイエンスグラント授賞式概要

名 称 第10回 資生堂 女性研究者サイエンスグラント 授賞式
日 時 2017年7月7日(金) 10:00~12:20
会 場 スペースFS汐留 (東京都港区東新橋1-1-16汐留FSビル3F)
授賞式次第
・主催者挨拶 [本グラント審査委員長、株式会社資生堂執行役員常務 島谷庸一]
・記念楯贈呈/第10回受賞者挨拶/第9回受賞者挨拶
・社外審査委員祝辞 [本グラント審査委員、東京大学 教授 近藤高志先生]
・基調講演「受賞者へのエール」
         [神奈川大学 准教授 岩倉いずみ先生 (本グラント第5回受賞者)]
         [東京農工大学 特任准教授 柳澤実穂先生 (本グラント第5回受賞者)]

第10回 資生堂 女性研究者サイエンスグラント 受賞者一覧

助成期間:2017年6月~2018年5月

氏名
所属・職位
研究分野・受賞研究テーマ
(ひとこと説明)

上田(石原)奈津実(あげた(いしはら)なつみ)
名古屋大学 理学研究科生命理学専攻 講師
【神経科学】
空間認知能力の基盤となるメカニズムの探索
(既知空間と未知空間を認識する脳内メカニズムを解明する研究)

織田 ゆか里(おだゆかり)
九州大学 大学院工学研究院応用化学部門 助教
【高分子科学】
潤滑界面の創製に向けた高分子グラフト層の新設計
(水溶性高分子を材料表面に固定化し、水中で潤滑性を示す界面を構築する研究)

坂田 綾香(さかたあやか)
情報・システム研究機構 統計数理研究所 モデリング研究系 助教
【統計学/統計物理学】
大自由度不規則系の物理学的手法を用いた高次元データに対する統計的モデリング理論の開発
(複雑なデータに潜む法則を見つけるための数学的理論に関する研究)

庄子 晶子(しょうじあきこ)
北海道大学 大学院水産科学研究院 資源生態学領域資源生態学講座 日本学術振興会特別研究員
【動物行動生態学】
長距離移動する海鳥を汚染トレーサーとする物質輸送の解明
(海鳥が環境汚染物質をどのように運び、広げていくのかの研究)

鈴木 登代子(すずきとよこ)
神戸大学 大学院工学研究科応用化学専攻 助教
【界面化学/有機高分子化学】
シリカ偏在カプセル粒子の作製とその応用
(真球状の高分子カプセルの片側半分にだけ無機物質を存在させることで、常に同じ方向を向く微粒子を作ることとその応用に関する研究)

建石 寿枝(たていしひさえ)
甲南大学 先端生命工学研究所 講師
【生命化学/生体機能科学】
細胞のがん化に伴うDNA四重螺旋の構造変化が転写変異に及ぼす影響を解析する
(特殊なカタチのDNA(四重螺旋構造)によって制御される細胞のがん化機構を解明する研究)

朴 昭映(ぱくそやん)
京都大学 理学研究科化学専攻 助教
【生物化学】
DNAの螺旋構造に基づく金属酵素の開発と不斉合成への応用
(DNAの二重螺旋構造に基づく触媒を開発し、それを用いて化合物を合成する研究)

坂東 麻衣(ばんどうまい)
九州大学 大学院工学研究院 航空宇宙工学部門 准教授
【軌道工学/制御工学】
惑星間を自由に行き来できる惑星間ハイウェイの研究
(天体の作る重力と人工的な推進力を利用することで惑星間を結ぶ”ハイウェイ“を作る研究)

日出間 るり(ひでまるり) 
神戸大学 大学院工学研究科 応用化学専攻 助教
【化学工学/ソフトマターのレオロジー】
Flow Focusingによるダブルエマルションの安定的創成とその力学評価
(ミクロな流れをコントロールして柔らかい粒子を作り調べる研究)

溝尻 瑞枝(みぞしりみずえ)
名古屋大学 大学院工学研究科 マイクロ・ナノ機械理工学専攻 助教
【レーザ微細加工】
金属酸化物ナノ粒子のフェムト秒レーザ還元焼結を用いた3次元金属-半導体複合微細構造の直接描画
(特殊なレーザを用いて,金属の小さな3次元構造を作る(描く)研究)

敬称略、氏名五十音順

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元文科大臣夫人の下村今日子さん、たまたま 加計学園 パンフレットに登場

2017年06月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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自分のブログに加計孝太郎さんとの交歓写真を載せていても平然と「加計さんのことよく知らない」と言う萩生田氏         

2017年06月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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