阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

今日4月15日は信濃国一之宮「諏訪大社」の御頭祭がある日です。

2019年04月15日 | 諏訪便り

2017年諏訪大社 御頭祭

日本の宗教の中で、唯一獣肉を食することを許す御札を出していた諏訪大社にはこういう祭りがあります。
やはり狩猟と採集で生きた縄文系民族の神が諏訪大社のルーツの一つなんだろうと思います。

御頭祭(上社例大祭)4月15日(諏訪大社の公式サイトから部分引用)

本宮で例大祭の神事執行後神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に依る祭典が行われます。古くは三月酉の日に行われたため酉の祭りとも言われ、農作 物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回するに際して行われたお祭りで大御立座神事とも言います。特殊神饌として鹿の頭を始め鳥獣魚類等が供え られるため一部では狩猟に関係したお祭りの如く言われています。唯今は鹿肉とともに剥製の鹿頭をお供えしますが、昔は七十五頭献じられたこともあり、中に必ず耳の裂け た鹿があって高野の耳裂鹿と言い七不思議の一つに挙げられています。



「御頭祭」の詳細はこちら
画像はいずれもネットから借用






諏訪大社の鹿食免(かじきめん)

久しぶりに、上諏訪に立ち寄った。一杯やりながら、鹿肉の串焼きを食べたが、店主がいろいろな話を聞かせてくれた。
日本中、鹿や猪が増えてしまって、困っているようだが、食ってしまうのが解決策となるという。冷凍ではないから、美味いでしょう、という。以前にも何度か食べたことがあるが、ほとんどが冷凍であったと記憶している。
諏訪では、諏訪大社に伝わる食文化を現代に生かすため、鹿食免(かじきめん)振興会を設立し、諏訪産鹿肉料理の普及に取り組んでいる。諏訪湖温泉旅館組合の協力で、ホテルでは一般向けの食事会「鹿食免昼会席」を実施したり、鹿肉料理の可能性を探り、飲食店や宿泊施設向けの調理技術講習や試食会を行って、新しい肉材としてアピールしようとしているそうである。

諏訪大社の分社は一万有余社を数え、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、全国に分布する。筆者が諏訪に住んでいたころ、どなたか言ったか覚えていないが、日本中に多くの分社がある理由を、「仏教の伝来に伴って、肉食をタブーとする考えが出てきて、肉食を禁止するおふれが出された。しかし、シカ・イノシシなどの獣肉を堂々と食べることができた。それには、諏訪大社が狩猟の神であり、神に捧げる狩猟は許され、お下がりを食することができた。肉を口にしてしまえば、そのおいしさに、たびたび食べたくなる。そこで各地の領主や武将はこぞって、自分の国に分社してもらい、肉を食べることができた。」と説明してくれた。肉食に偏った見方であるが面白い。確かに、日本書記の天武4年次(675年)に、「・・・牛・馬・犬・猿・鶏の宍(しし、肉)を食らうこと莫(まな、禁止を表す、食ってはいけない)。・・・若し犯すこと有らば罪せむ」と記されている。

米国が、牛肉を日本に大量輸出しようとした時の話とまるで同じである。「牛肉を一度食べさせてしまえば、そのうまさに病みつきになる。」といったとか。

諏訪大社の分社に対する説明は、少し違う。
「御射山祭という神事がある。鎌倉幕府は全国の武将をこの神事に参列せしめ、八島高原や霧ケ峯一帯で武芸を競わせたりして祭事を賑わしめ、参加した武将は諏訪大神の御分霊を拝戴して任地に赴き、御分社を奉齋した。」
祭神は武家の守護神と尊ばれた。それ以外にも、雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰を有する。また水の信仰が海の守り神となるなど幅広い信仰と結びついていることが、日本各地に広がった理由としている。

鹿食神事
本来の祭神は出雲系の建御名方ではなく、ミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。なお、上記の神々は現在では神性が習合・混同されているが、神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
鹿食神事は、神楽殿において宮司、神職たちによって執り行われる。周囲の灯火が消され、殿内のわずかな明かりの中で祭事が進行する。神饌として、かつては鹿の頭が供えられていたが、現在では茄子を鹿の頭に見立てて供えられる。国家安泰、五穀豊穣を祈る神事である。

鹿食免とは
仏教の教えが肉食を禁じていた時代(江戸時代)に、諏訪大社が肉食の免罪符として「鹿食免」というお札を発行していた。このお札を持っていると、シカ・イノシシなどを獲って食べても罰せられなかった。免罪符のようなものである。
信濃毎日新聞の記事によると、現代版のお札は、「鹿食免」の文字を記し、諏訪大社の焼き印が押されている。また、神職からは、鹿食免の札などを収めた「神棚」を調理場に祭ってほしいとの提案もあったそうだ。

追記(2010.3.1)
近くまで来たので、諏訪大社に寄ってみた。上記の記事通りに、「鹿食免」のお札を売っていた。お札には次の勘文(諏訪のはらえ)が記されている。
諏訪の勘文
業儘(人遍なし)有情(ごうじんのうじょう)
雖放不生(はなつといえどもいきず)
故宿人身(ゆえにじんしんにやどりて)
同証仏果(おなじくぶっかをしょうせよ)
諏訪の勘文の意味
前世の因縁で宿業の尽きた生物は
放ってやっても長くは生きられない定めにある
従って、人間の身に入って死んでこそ
人と同化して成仏することができる。

引用元

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吉野の山の雄大な桜景色、ドローンで見る日本の絶景

2019年04月15日 | びっくり画像・映像

吉野といえば、日本一の桜の名所として古くから有名です。奈良県のほぼ中央に位置する吉野山は、馬の背のような南北に連なる山岳地帯。約6キロに渡る山々には、3万本あまりの「シロヤマザクラ」が自生しています。4月の初旬、標高が低い「下千本」から桜が順に咲き始め、徐々に標高の高い「中千本」、「上千本」、「奥千本」と咲き進み、山全体を淡い桜色が埋め尽くしていきます。

 映像の冒頭は、中千本にある櫻本坊(さくらもとぼう)という寺院。歴史は古く、672年から始まった壬申の乱の頃に、のちの天武天皇、即位前の大海人皇子が天皇即位を予見させる桜の夢を見たことに感謝して、「夢見の桜」があった場所である現在の櫻本坊に寺を建立されたというのが起源です。

 

 その先の映像は主に上千本と呼ばれるエリアになります。上千本は標高約370mから600mの地区。急峻な山々から眺めおろす大パノラマの桜景色を堪能することができます。山肌に幾重にも桜の木々が連なるあたりは「滝桜」と呼ばれる桜の群生地で、吉野山の中でも特に桜の多いエリアと言われています。この溢れるような桜景色の絶景をドローンで捉えることができました。

 これほど雄大な花景色は、世界に類を見ない規模と言われています。是非一度、息も詰まるほどの桜を見に吉野を訪れてはいかがでしょうか。

(撮影・文/クレセントエルデザイン)引用元

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これが米大企業のほとんどを所有し牛耳るビッグ・スリー|ニューズウィーク日本版

2019年04月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄(毎日新聞)

2019年04月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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