伝記が好きな子は今も多いが、子供のころあまりよく読んだ記憶がない。長じて福沢諭吉の「福翁自伝」を読んで伝記の面白さに気が付いた。
伝記には最後まで読み通せる伝記と読んで1ページで読むのをやめる伝記と極端に二つに分かれる。安倍能成が書いた「岩波茂雄伝」は
本人にほれ込んだ著者の気持ちが伝わってくるが中立的ないい伝記だ。つまり伝記の主によいしょがあるとその本を読む気は失せるのだ。
今回500ページを超える小林一三の伝記を読む気になったのは、一には著者が「鹿島茂」であることだ。彼がかってある雑誌に連載したパリ日本館の館長
「薩摩治郎八」の伝記は細部にまで調査が行き届き、それをもとに良く書き込み、こんな日本人が当時生きていたことを眼前に彷彿とさせる
素晴らしい読み物だった。
次いで伝記の主が小林一三であることが読もうとした当然の理由だ。自分のルーツの地信州長野県の隣県である甲州山梨県出でありながら
関西に宝塚歌劇や電鉄を含む阪急王国を創設した男として昔から関心を持ってきた人だ。なぜ関西弁を喋れない彼が京阪神に阪急王国を築けたのか?そもそもは
そういう単純な理由で興味を持ったのだが、「鹿島茂」は彼の持つ地道な調査力をベースにこれまで多数出ている「小林一三伝」をはるかに超える書物を書き上げた。
その一つに小島直記というある時期に筆名をあげていた経済小説家の書いた伝記の、憶測と孫引きによる書を、事実を持って一つ一つその誤りを正している国政篇の
個所は胸のすくような思いがした。やはり忖度より事実だ(笑)。この後半の部分は小林一三という人のこれまで一部にあった評価をも変えうる内容を持っている。
余談だがサントリー一族のゴッドマザーだった人が小林一三の次女であることをこの本で初めて知った。
また通算36年ほど阪急沿線で暮らした自分には阪急が阪急になる過程をつぶさに描き切っているこの書は、
まことにもって貴重な阪神間と阪急文化のバイブルでもあると思った。
小林一三! 本当の意味で日本に民主主義・自由主義をおいもとめ、実現を目指した稀有な愛国者。この本を措いたときそう思った。
ちなみに映画の東宝が阪急グループなのは知っていたが、このところよく行くようになった錦糸町の江東楽天地が元は小林一三の肝いりで作られたのは初めて知った。
510ページにわたり日本の明治大正昭和に生きた一人の実業家を描き切ったこの伝記は、ある意味「日本の生きた近現代史」である。
◎著者鹿島茂さんのレビュー
◎◆希代の実業家の生きる極意 東京新聞 2019年3月17日
[評]小松成美(ノンフィクション作家)
月刊『中央公論』での三十九回の連載が一冊になり、五百ページを超える本になって、そこで出会った小林一三は、これまでとは随分違った表情を持っていた。もちろん、阪急電鉄の創業者であり、沿線の分譲地を造り、宝塚少女歌劇の生みの親であり、大臣であり、さらには阪急百貨店、東宝、プロ野球「阪急ブレーブス」を造ったという希代の実業家である過去のプロフィルは歴然と存在するのだが、著者はそこに上書き保存をするように、これまでの評伝では取り立てて描かれなかった「詳細」をつづり上げていく。「へぇー」と声を上げて読んだ箇所は十や二十ではない。
例えば、実は本気の小説家志望で、都新聞入りを目論(もくろ)み、田山花袋(かたい)や岡本綺堂(きどう)のような新進作家を目指していたこと、若き日、渋沢栄一の演説にいたく感激していたこと、生命保険から学んだであろう人口学的視点を持って超過密状態の大阪市内の人口を鑑みたからこそ、箕面有馬(みのおありま)電気軌道沿線の分譲地開発を決めたこと。
さらに利益率の高い欧米のデパート商法を否定し、理想とする商業を「多売」→「薄利」としていたこと、歌舞伎の松竹が金銭も人も要る「玄人集団」なら、東宝は大衆に応えるエンターテインメントを提供する「素人集団」として対置すると決めたことなど。
数え上げたら切りのない一三の、人のやらないことをやったり、考えることで道を切り開いたりという人生の極意が披露されていく。そこに同時期を過ごした歴史の証人たち(岩下清周、松永安左ヱ門、郷誠之助、鳥井信治郎)がひもづいて登場するものだから、好奇心は募る一方だ。
古書や古い資料を読み解くことが愉楽だという著者のファナティックともいうべき探求心による作業の果てに生まれた発見であり、読者はただその恩恵を受ければいい。
小林一三の凜(りん)たる姿の中心にあるのは、社会がどのように変革していくか、その未来を見定める力だ。先が見えない今だからこそ、本書は、平成の次の元号を生きる者の羅針盤になるはずである。
(中央公論新社・2160円)
阿智胡地亭の本感想文がAmazonのカスタマーレビューに掲載された。⇒こちら。