阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

日本のテレビドラマを創ってきた男 倉本聰のインタビュー本 「ドラマへの遺言」は創造者のドラマだ

2019年05月31日 | 乱読は楽しい

聞き語りをまとめた本のせいか読み易く、図書館から借りてきた日に4時間ほどで読み終えた。
この本は倉本聰の伝記でもあるが日本のテレビドラマ史でもある。
 ドラマ制作の過程で起きた数々の事象で、ここまで実名を挙げて具体的に書いていいのかという箇所も多く
迷惑を感じる関係者も多いだろう。

読んで思ったが自分は本当にテレビドラマには疎い人間だった。「北の国から」だけはたまに見てドラマの存在は
知っていたが、かれが描いたドラマがTVで放映された時期は、自分はその時間帯には居酒屋か麻雀屋にいた。

好きな沢村貞子さんや八千草薫さんの名などがたびたび登場する。笠智衆さんの名も大竹しのぶさん、桃井かおりさん、いしだあゆみさんの名も。

彼は俳優をイメージしてドラマを書く人だったのだ。

彼は言う「最近のテレビドラマには奥行も幅もなくなって表面的なものが多くなった」。自分が感じることを他にも多々述べている。

周囲への、また視聴率への忖度はあまりなく、局側と戦ってつぶされずに わが人生を創ってきた人。倉本聰は生涯戦う男でもある。

かれは人間好きでまわりに仲間を作っていった。そして卒業した麻布中高の人脈も彼の人生に大いに資しているのが現実的で面白い。

タレントと役者の違いなど目からウロコの発言も多く、登場する俳優やタレントもまた多彩で、この本は日本のラジオテレビ映画の歴史に欠かせない書物になるだろう。

同業脚本家の山田太一さんの名は登場するが、私の敬愛する向田邦子さんが登場しないのはちと寂しく、何故だろうと思った。


内容説明
『やすらぎの郷』、『北の国から』、『前略おふくろ様』…テレビドラマ界に数々の金字塔を打ち立てた巨人、脚本家・倉本聰が83歳で書き上げた最新作『やすらぎの刻~道』まで
すべてを語り尽くす。大河ドラマ降板の真相は?あの大物俳優たちとの関係は?テレビ局内の生々しいエピソード、骨太なドラマ論、人生観―愛弟子だからこそ聞き出せた破天荒な15の「遺言」。
目次
常に怒りのパッションを持っていないと
原点から学ぶってことが必要
10年ぐらいの修業を経ないと絶対続かない
歴史というのは地続きだ
利害関係のあるやつばっかりと付き合うな
頭の上がらない存在はいた方がいい
都会で競ってる知識なんてなんの役にも立たない
「棄民の時代」から目を背けない
何かを創造するというのは命懸け
夢の鍵を忘れるな
店に入ったら壁を背にして座る
あえて重いテーマをずばりと掘り下げる
美は利害関係があってはならない
“これが最後”という覚悟がいい仕事を生む
神さまが書かせてくれている間は書き続ける
著者等紹介
倉本聰[クラモトソウ]
1935(昭和10)年東京都生まれ。麻布高校卒、東京大学文学部美学科卒。脚本家。劇作家。主な作品に『前略おふくろ様』、『北の国から』シリーズ、『やすらぎの郷』など

碓井広義[ウスイヒロヨシ]
1955(昭和30)年長野県生まれ。上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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闇市から観光スポットへ 沖縄の食文化伝えた牧志公設市場69年の歴史に幕   BLOGOS

2019年05月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・青や緑、黄色とカラフルな魚や、頭から足まで各部位が余すことなく並べられた豚肉――。沖縄県の珍しい食材がその場で味わえ、レトロ感漂う南国情緒を満喫できる場所として、長く親しまれてきた第一牧志公設市場(那覇市松尾)が建て替えのため、6月16日を最後に現在の場所での営業を終える。

市場の始まりは終戦から間もない1950年。「県民の台所」から近年は一大観光スポットへとその役割を変えつつ、本土復帰(72年)など沖縄の戦後とともに歩んできた。市場には連日、国内外から多くの観光客が訪れ、沖縄の独自の食文化に触れている。営業休止まで半月余りと迫る中、沖縄を訪れる機会があれば、立ち寄ってみるのもおすすめだ。【岸慶太】

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