湘南国際村のちょっと寂しいつつじを見た後、逗子駅近くの町の中華店でいつもの長時間の昼食会をして本日の解散になった。時刻は15時半過ぎだったと思う。
阿智胡地亭は思い立って横須賀に行くことにした。次はいつこちら方面に来るかわからないからだ。 ☝レンタサイクルの観光パンフレットから。
横須賀は日本海軍の軍港の歴史とアメリカ海軍の基地という今も続く現代史を持ち、山口百恵さんが育った故郷
として(笑)一度は訪ねたかった都市だ。
横須賀駅に着いた
海上自衛艦が駅を出るとすぐ見える
JRの駅前は特に何もなくバスターミナルになっていたの適当なバスに乗り、カンで繁華街の入り口らしいバス停名で降りて歩き出した。
いつの間にか、何となく神戸の元町のような感じがする通りを歩いていた。
横須賀にも諏訪神社があって驚いたが、帰ってから調べると1380年に諏訪から勧請されたとある。
境内掲示による諏訪大神社の由緒
諏訪大神社
神社の伝承によると、康暦二年(一三八〇)にこの地の領主であった三浦貞宗(横須賀貞宗とも言う)が、信濃国(現在の長野県)諏訪から上下諏訪明神の霊を迎えて建てたとあります。また、徳川家康が、江戸に幕府を開いた三年後の慶長十一年(一六〇六)二月二十七日、代官長谷川三郎兵衛の発起で、社殿と境内地の大改修が行われたことも伝えられています。
祭神は、健御名方命と事代主命の二柱です。健御名方命は、武勇に勝れた神で、東国の守り神と言われています。事代主命は、えびすさまとも言われ、開運の神として広く信仰されています。
神社前の坂道は、横須賀村と言われた頃まで、浦賀に通じる主要道路でした。八幡山の名で親しまれている裏山は、古谷山がもとの名称です。明治初期、大津にあった佐倉藩の陣屋を解体して横須賀製鉄所(後の海軍工廠)に移したとき、陣屋内にあった八幡宮を横須賀製鉄所の鎮守として古谷山に祭ったところから八幡山と呼ばれるようになりました。
頂上近くから神社の裏手に接する区域は、諏訪公園になっています。明治三十三年、当時皇太子であった大正天皇の御成婚を祝って公園化事業がすすめられ、明治四十五年に完成しました。かつては、熊や猿などの小動物が飼われていたほか、小栗上野介忠順とレオンス・ヴェルニーの胸像や海軍工廠殉職職工の招魂塔が建っていました。
明治四十年の市制施工直後には、山頂に八幡山小学校が、聖ヨゼフ病院のところに諏訪小学校と市役所があり、まさに文教地区の観がありました。(境内掲示より)
OMAKE