旧中川沿いに浅間神社がある。
先日の散歩の折に気が付いたのだが、隣に駐車場があって「白髭神社駐車場」と看板にあった。そこで知人のSさんから伺っていたSさんの地区の氏神様である
白髭神社がすぐ近くにあるんだと気がついた。Sさんは引っ越してから神戸の学生時代の友人に紹介してもらったのだが、その紹介受け以前に既に孫同士は幼稚園と小学校で
親しくしていたという不思議なご縁がある。白髭神社は昭和20年3月に米空軍の東京空襲民間人10万人大虐殺の空爆で焼失し昭和45年に再建されたとのことだ。
わがムコ殿も神社の先日のお祭りの時は神輿かつぎの応援に参加した。
創立の由緒は不詳であるが、旧逆井草創の鎮守で、建治年間(一二七五-八)の勧請と伝えられる。昭和二十年三月の戦災で社殿を焼失した。
(東京都神社名鑑より)
Wikipediaから一部引用
白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。別称は「白鬚大明神」「比良明神」。神紋は「左三ツ巴」[1]。
全国にある白鬚神社の総本社とされる[2]。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。
社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるという(一説に再建)[1]。また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える[1]。
後述の国史に見える神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説がある[3]。一方で白鬚信仰の多く分布する武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もある[3]。
当社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っている[3]。