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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ホームセンターの島忠から蔵前橋通りを亀戸まで歩いたら、途中で弁護士の「故正木ひろし」さんのお墓があるお寺があった。お参りした。

2019年11月27日 | 身辺あれこれ

幼稚園に送ったあと、ホームセンターまで足を延ばした。ここの2階には110円で珈琲を出している食堂がある

食堂の窓から小岩市川方面を望む。

 

Wikipediaから部分引用:蔵前橋通り(くらまえばしどおり)は東京都文京区サッカーミュージアム入口交差点から、千代田区台東区墨田区江東区葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号千葉街道)との交差点にわたる道路の通称。

路線名としては、国道4号昭和通り)との交差点を境に東側は東京都道315号御徒町小岩線西小岩二丁目、東京都道60号市川四ツ木線交点から東側は同路線である。都心から千葉街道に直通し、千葉県方面に通ずる重要な交通拠点であり、総武線にほぼ近いルートを通っている。京葉道路靖国通り)・春日通りなどと区間を平行することから、重要なハブとしての機能も果たす。

           どこまで歩こうかと迷いながら初めてのルートを歩き出した。歩き出すと旧中川にかかる大きな橋がある。橋から見た風景。

川の向こうは江東区になる。

橋は大掛かりな塗装工事を長期にわたってやっているようだった。

東武亀戸線のレールを陸橋の上から見て丸八通りルートをとるか少し迷ったがそのまま蔵前橋通りを歩くことにしたら、

こんな説明版がかかるお寺の前にさしかかった。

庫裡に案内を乞うてお墓の場所を聞いたら、若い僧が墓地のその場所まで連れて行ってくれた。

そのままどこまで行こうかと逡巡しながら歩を進めると亀戸の駅から伸びる亀戸天神さんにいく見慣れた交差点に出た。

帰りはJR亀戸駅から総武線に乗って帰った。この日の歩数計:7363歩。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正木ひろし
まさきひろし
(1896―1975)

 
弁護士、戦闘的ヒューマニスト。東京生まれ。戸籍上は昊(ひろし)だが、本人はひろしを常用した。東京府立三中卒業後、第八高等学校理科に進むが落第し退学。このときエマソンの『セルフ・リライアンス』(自己信頼)を読み共鳴する。第七高等学校文科を経て東京帝国大学法学部入学。1923年(大正12)卒業。東大在学中から千葉県佐倉中学、ついで長野県飯田(いいだ)中学で英語教師をし、24年中学を辞めて帰京。25年以降、売文業や受験生向きの私塾を開くなどして生計をたてるが疲れ、弁護士業を始めた。この間絵画の研鑽(けんさん)だけは欠かさなかった。32、33年(昭和7、8)ごろから腕利きの民事弁護士として知られるようになり、中堅弁護士として世俗的には成功を収めたが、その生活に飽き足らず、37年4月には「公共心と社交性」を満足させるべく個人雑誌『近きより』を創刊、3000余名の知人に呼びかけた。当初の社交雑誌はしだいに社会批評の度合いを強め、誌上、正木は東条英機(ひでき)首相を激しく弾劾するなど戦時下において不屈の思想的抵抗を貫いた。また44年には警察の拷問(ごうもん)による殺害事件を告発し権力犯罪に対決した(首なし事件)。この戦争末期に正木はキリスト教をもっとも身近なもの、真理と感じたという。戦後は食糧メーデーの際のプラカード事件弁護団に加わり、天皇制を痛烈に批判した。その後、三鷹(みたか)事件、八海(やかい)事件、菅生(すごう)事件、丸正(まるしょう)事件などの冤罪(えんざい)事件に取り組み、チャタレイ裁判では人類永遠のヒューマニズムの観点から弁護を行った。自然を愛し、作画を好み、卓越した自然科学的観察力と結合したヒューマニズムに基づいて権力悪に対決した自由主義的思想家・弁護士であった。[北河賢三]
『『近きより』全5冊(旺文社文庫) ▽『正木ひろし著作集』(1983・三省堂) ▽家永三郎著『正木ひろし』(1981・三省堂)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

まさきひろし【正木ひろし】

 
1896‐1975(明治29‐昭和50)
弁護士。本名は旲と書く。東京生れ。1923年東大法科卒。中学教員,画家,雑誌記者を経て,27年弁護士を開業。37年から個人雑誌《近きより》を刊行し,キリスト教的ヒューマニズムを基礎に,時代の狂信を批判した。44年警官による殺人事件(いわゆる〈首なし事件〉)で警察当局を弾劾。戦後はプラカード事件,三鷹事件,八海事件菅生事件,白鳥事件などを弁護したが,〈人道主義〉をみずからの立場として,共産党とは一線を画した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報masaki

白鳥警部事件:

白鳥事件は縁者が鑑定に関わったので子供心にも記憶に残った。

 

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