阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

寺島実郎と佐高信の対談集「戦後日本を生きた世代は何を残すべきか: われらのもつべき視界と覚悟」を読んだ

2020年02月08日 | 乱読は楽しい

藤沢に住む友人のHMさんからこの本が友人の間を順番に回って私の所にきた。読み始めは寺島実郎の名より佐高信は割合知っているなと思って読み始めた。

 途中まで読んで、この本は当たり前のことを当たり前に言っているだけだが、今の世の風潮では現状を批判的に記述することを避けるメディアが多いから

この本の書評はないだろうと思った。ネットで調べた限りでは大手新聞や週刊誌で取り上げられた形跡はやはりなかった。

寺島実郎は商社の情報部門の仕事を外国でやってきた人だから、個別の人名で各国に知り合いがいる。つまり実際に生活した外国をそこの人間を知って語っている。

だから普通の「アメリカでは・・」というような一般論ではなく現実的な具体的な提言が多い。しかしこの現実論を聞きたくない勢力が今の日本では大半のように思える。

 

読んでいって面白かったのは「微笑み鬱病」というタームと「誰も責任を取らない社会」というタームが出てきた事だ。

この言葉を今の日本で使うのはまっとうな人間だ。

本全体に通奏低音として流れるのは日本は今もアメリカの占領下状態にあり、53番目の州みたいな状態にあることを表現をあれこれかえて言っている。

その状態から脱し、真の日本の独立をとり戻そうと言うのがこの本で二人が言いたいことだと受け取った。

まずその占領下状態である事実を知ろうと訴えている。でも今の半植民地状態の方が自分達には有利でありがたいと言う勢力ががっちり日本を押さえている。

  明治開国から昭和20年までの年数は78年、昭和20年の敗戦の年から今日までの年数が74年、間もなくその同じ年月の期間になる

明治維新いらい日本は多くの先人たちが死に物狂いで不平等条約の是正のために努力してきた。

(Wikipediaから部分引用・・1911年(明治44年)2月21日、ワシントンD.C.において、駐米日本大使内田康哉とアメリカ合衆国国務長官フィランダー・C・ノックス(en)との間に、関税自主権回復を規定した改正条項を含む日米通商航海条約が調印され、4月4日に発効した[171]。1894年に結ばれた旧通商航海条約では、アメリカ政府は日本移民の入国・旅行・居住について差別的な法律を定めることができるとされていたが、その規定は改正条約では撤廃された。ただし、改正条約調印に際して日本側は、アメリカに対し、日本人労働者のアメリカ移住について過去3年間実施してきた自主規制を今後も継続することを確約し、新条約にはその旨の覚書を添付している。 
イギリスとは相互関税協定を結び、4月3日に外務大臣エドワード・グレーと加藤高明駐英日本大使との間で改正通商航海条約が結ばれ、7月17日に発効した[172]。ドイツとは6月24日に日独通商航海条約を、フランスとは8月19日に日仏通商航海条約を調印したが、英・独・仏・伊との間には34品目において双務的な協定率を残すこととなった[173]。 
ともあれ、ここに日本は名実ともに独立国家となって列強と完全に対等な国際関係に入ることとなった[144]。この時、マシュー・ペリーの黒船来航によって日本が開国してから、実に56年余の歳月が経過していた)

こうしてみると明治開国以来今日まで日本が真に独立国として各国と平等で対等だったのはわずか22年間である。 

 しかし現在の日本では、今の不平等な関係状態を固定化したままにしようとする勢力は圧倒的に強い。

 

 寺島実郎さんはたまに書いたものを読むだけでよく知らなかったが団塊世代で、今の日本が何故このような状態になったのか、

ではどうしたら良いのかについて、戦後日本を生きた世代としての当事者の視界と覚悟を述べている。このような本の類書は近ごろあまり見なかったので良書を紹介してもらった。

 またこの本を読むと昭和平成の戦後日本の現代史のポイントを読むことにもなる。

  ところでお二人の著作の中では佐高信さんが1989年に書いた「逆命利君」を読んで面白かったのを思い出した。
(「命に逆らいて君を利する,之を忠と謂う」
 住友商事初代総理事,広瀬宰平が好んで使った言葉という.
 住友商事常務・業務本部長鈴木朗夫(あきお)の葬儀が,1987年10月6日杉並区和田堀廟所で挙行された.住商の社葬申し出を断り,鈴木家葬として営まれた.享年56歳,胃がんで逝った鈴木は,ジャン・コクトーに心酔した教養人であり,ワーカホリックの日本人を軽蔑しながら,仕事は抜群にできた.弔辞を読んだのは,社長伊藤正である.
 伊藤は,「上からの命令に逆らっても,あえて正しいと思うことを言う.そして君に利することこそ忠なんだということでしょう.大体,下のものが上のものに,あなた間違っていますよと,面白半分にいえるものじゃないんですよ」と,鈴木を評している.「伊藤さんは教養が足りない」といわれながら,鈴木を引き上げていった伊藤,この本は二人の確執を軸に日本の企業社会を描く.
 「国際化」は本来「内を開く」ことであり,社畜の生活から脱却することである.佐高さんは,このムッシュウと自分を呼ばせたキザな男に辟易しながら,屈従と非合理が支配する日本企業への果敢なチャレンジャーとしての一面を評価して,面白い物語をつくりあげた.佐高人物評伝の代表作  WEDGE 2006年1月号.) 

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「ついにその日が・・」    2006年08月07日(月)のブログ「阿智胡地亭の非日乗」から

2020年02月08日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2002.8.10メール発信。

8月7日、東京から新大阪に着いて姫路行きの新快速に乗換えました。結構込んでいたので大阪で降りる人のあとに座るべく電車の奥の方に進み、床にバッグを降ろして汗を拭いていました。そのとき真横の席の27、8くらいの女性が立ち上がり、「お席を代わりましょうか」と言った、ように聞こえました。一瞬自分以外の誰かに言っているのかと思いましたが、彼女は真っ直ぐ私の目を見て、笑みを浮かべています。(あア、わたしに言ってるんだ)と理解するしかありませんでした。

「いいんですか」「ハイ、どうぞ」「すみません」という言葉を交わして、譲られた席に座りました。
(あア、席を譲られてしまった・・・声をかけられてしまう歳になってしまった・・・いやあの女性のお父さんに似ていたからだろう、そんな歳に見えるはずはない・・・などなど)思いがけない展開に、頭は大混乱です。

いずれその日は来るだろうと思っていたけれど、今日は物すごくショックなことがあったと、家に帰って相方にこの話をしました。彼女から返ってきた最初の言葉は「有難うと言ってすぐ譲ってもらって座ったでしょうね」でした。「電車やバスの中でムッとした顔で言った人を睨み付け、しらん顔をするオジサンをよくみかけるけど、言った人が赤い顔をして困っている。代わりましょうかと言われるということは、そう見えるということだから仕方ないじゃない」というものでした。

すぐ座ったと言ったらそれはえらかったねと褒めてくれました。
「ほんとに、この頃のある年配の一見紳士風は思いやりが無い人が多いんだから」とも。
長年暮らしているパートナーへのひとかけの同情や慰めの言葉もなく、逆に私と同世代の男達へのきつい批判のお言葉。

帰ってきた娘は違うだろう、少しは慰めてくれるかもと思い、「今日・・・」と勢い込んで話したら、返ってきたその第一声は「お父さん、有難うと言って素直に座ったでしょうね」でした。
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亀はホントにのろいか?

2020年02月08日 | びっくり画像・映像
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