このブログのネーミングは永井荷風さんの日記名「断腸亭日乗」clickに負っているが、その文豪 永井荷風さんが戦前の当地を歩いていたことを知った。
それは昭和13年12月7日のことだった。いまやその時から83年の月日を閲していても、「東京のはずれ で 場末の街」であるという当地の風情の中で
外国人も含めて多くの人が入れ替わり立ち代わり住んでいる。
今も歩いて10分以内の範囲に銭湯2軒、畳屋2軒、自転車屋2店がある街はそう多くはないだろうし、
内科眼科歯科医院は10数医院を下らず、商店街やスーパーマーケットは言うに及ばず コンビニとなれば周囲に5店もあるとなれば
自転車にも乗らない後期高齢者にはありがたい棲みどころではある。
ところで あるとき浅草からの帰り 一本で乗り換えなしに終点の最寄り駅まで帰れるのをたまたま知って、雷門のすぐ傍から乗った都営バスの路線が
(それから時々利用しているが、時間が一時間ほどかかる)永井荷風がその路線に乗ったという記述で、昭和13年当時には既にあったこともわかり、
そのような歴史的歳月を有するバス路線なんだと知ったのも嬉しい驚きだった。
新潮社「波」2021年3月号 川本三郎 「荷風の昭和 第34回」から引用。
注 哺下: 夕暮れ
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参考:
「東京23区格差」のウラ側〜足立・葛飾・江戸川「下町三兄弟」⇒こちら。click
葛飾・足立・江戸川区はブランド化されずにひっそり残った「等身大の解放区」だ【連載】東京下町ベースキャンプ(1)⇒こちら。click