阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

日本橋の三井ホールでいままでにないかたちの美術鑑賞を経験した。   その二  モネ&フレンズ アライブ

2024年09月21日 | 音楽・絵画・映画・文芸

会場には11時入場のチケットで入ったが かなりの混雑だった。入場者を男女の比で言えば女性95人に男性5人という感じだった。

ウイークデイの午前中とは言え、あまりの男女差数に何となく侘しい心持になった。

240919日本橋三井ホールの催し モネ&フレンズ アライブ

日本初上陸【モネ&フレンズアライブ】世界を魅了した没入型展覧会 イマーシブ体験 印象派の世界 クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌ、エドガード・ドガ

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【農を語るシリーズ】(藤井聡✖️内田樹)    小泉進次郎氏から読み解く日本政治の腐敗~アメリカ支配への対抗策とは?:前編後編

2024年09月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

小泉進次郎氏から読み解く日本政治の腐敗~アメリカ支配への対抗策とは?:前編【農を語るシリーズ】(藤井聡✖️内田樹) 

能登半島は復興せず捨てるべき?~地方切り捨てを良しとする政治家の腐敗:後編【農を語るシリーズ】(藤井聡氏✖️内田樹氏)

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09月20日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年09月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年08月21日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年09月21日 | 東日本大震災ブログ
2012年08月21日(火)
 
政府は言葉で誤魔化している。住民に誠意持って向かいあえ
 

【東京新聞社説】
福島・中間貯蔵 なぜ不信を募らせる

2012年8月21日

 原発、次に放射能、そして今度は汚染土壌。住民はいつも唐突に押しつけられてきたのだろう。汚染土の保管場所は大事だが、

その前に、住民の不信と不安を除く根拠と誠意を示すべきである。

 住民は、さぞかし困惑しているだろう。中間貯蔵施設の候補に挙がった双葉、大熊両町は福島第一原発が、楢葉町は福島第二原発がある町だ。

原発周辺に点在する十二カ所すべてに、設置される場合もあるという。

 中間貯蔵とは、復興を円滑に進めるために、除染の際にはぎ取られた土などを一時保管することだ。地下にコンクリートの仕切りをつくり、

廃棄物を詰めた容器を地中に密閉するという。三十年以内に県外で最終処分を図る計画だ。

 しかし、住民の多くは、中間貯蔵というあいまいな言葉自体に政府の欺瞞(ぎまん)を感じ取り、結局原発周辺に捨てるしかないのだと、不安を感じているのではないか。

 汚染土などを焼却処理した燃えかすだけで、東京ドーム二十三杯分にもなるという試算がある。

 これだけ膨大な廃棄物を埋設し、また掘り出して、あらためて最終処分するというのは容易なことではない。そもそも、最終処分の手段も場所も白紙の状態だ。

 町内で仮置き場を探すことさえ難しいのが現状だ。県外への持ち出しが、簡単にできるわけはない。ましてや放射性廃棄物は、

どこにでも埋め立てられるものではない。地震国日本で埋設の適地を探すのも、極めて困難だ。

 福島第一原発の事故処理一つをとっても、現政権への信頼は地に落ちた。三十年先の約束を信じろという方が間違いだ。

汚染土など放射性廃棄物の処理を進める上で、今政府に最も足りないものは、誠意ではないのだろうか。

 「仮の町」という呼称にも欺瞞はないか。中間とか、仮とかいうあいまいな呼び方に、先送りの姿勢がにじみ出ているようだ。

 住民は、毎日を真剣に生きている。新たに家や仕事を探すにも、田畑を再生させるにも、政府の中長期的かつ、

明確な考え方が示されないと、身動きがとれない状態にある。科学的説明も、住民参加の議論もないままで、

被災者にずるずると最長三十年もの“仮暮らし”を強いるなど、許されることではない。

 政府に求められるのは、十分な説明と対話である。汚染土以上にやっかいな廃炉解体ごみや高レベル廃棄物の最終処分など、課題はめじろ押しなのだ。

 
 
枝野経済産業相 東電は未公開ビデオを公開することになると。
 

「未公開部分も公開を」と枝野氏 東電の会議映像で
2012年8月21日 12時37分 東京新聞(共同通信)

 東京電力が公開している福島第1原発事故直後の社内テレビ会議の映像をめぐり、枝野幸男経済産業相は21日、

現在公開の対象となっていない昨年3月16日以降の映像についても「必要な部分は今のやり方に準じて(東電が)公開すると思う」と述べ、東電が今後公開するとの認識を示した。

 東電は事故発生直後の昨年3月11日から15日までの映像を公開しているが、16日以降の映像については公開するか決めていない。

 東電が4月初旬、施設などにたまった低レベル汚染水を海に放出した経緯などについては関心が高く、

公開されれば東電の事故対応をめぐる意思決定の過程がさらに明らかになる。

☆今のまま推移するなら、強制力のある国会調査権という宝刀を抜くよという含みだろう。

 枝野さんは一切口に出していないが、腹の中では東電が流した情報を自分が官房長官という役割で素直に発表し、

結果として国民をだましたことで、東電に対して腹に据えかねる思いをしているはずだ。

彼は間違いなく「オレをコケにしやがって」と思っている。

 
 
違憲状態が続くのに直そうとしない国会
 

1票の格差 是正の見通し立たず
8月21日 7時22分 NHKニュース

 早期の実現が求められている、衆議院選挙の「1票の格差」の是正について、民主党は、定数削減などとともに実現したいとして、

先に国会に提出した法案を、22日、衆議院の特別委員会で審議入りさせる方針を示していますが、自民党は強引な国会運営だと反発を強めていて、

今国会中に実現する見通しは立っていません。

衆議院選挙の「1票の格差」を巡っては、格差が最大で2倍を超える現状を、最高裁判所が違憲状態と指摘したのを受けて、早急に是正することが求められていますが、

各党の利害が錯そうして合意に至っていません。

今の国会の会期末まで3週間を切るなか、民主党は、定数削減などとともに格差の是正を実現したいとして、小選挙区を5つ減らす「0増5減」を行うとともに、

比例代表の定数を40削減し、一部に「小選挙区比例代表連用制」を導入することなどを盛り込んだ法案について、自民党などの理解が得られなくても、

22日に衆議院の特別委員会で審議入りさせる方針を示しました。

これに対し、「0増5減」を先行して行う対案を提出している自民党は、「民主主義の土俵である選挙制度を巡る法案を強引に審議入りさせるのは認められない」と

反発を強めていて、民主党案の審議には応じない方針です。

公明党も、自民党と足並みをそろえて審議に応じない見通しですが、民主党としては、消費税率引き上げ法を成立させながら、国会議員の定数削減など、

身を切る改革を進めなければ党内からも強い反発が出るとして、民主党案の衆議院通過を目指す構えです。

このように民主・自民両党の溝は深く、「1票の格差」の是正が今国会中に実現する見通しは立っていません。

☆憲法を国民の代表である国会議員が守らない。

一票の格差の是正は、今の日本の最優先課題だと思うが。

日本は「法治国家」のはずだが現実は『放置国家』だ。

 
 
茨城のシラス漁再開 築地に出荷
 

茨城のシラス漁再開 築地で取り引き
8月20日 8時11分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、操業を中止してきた茨城県北部沖のシラス漁が試験的に再開され、東京・築地市場で初めての取り引きが行われました。

20日朝、取り引きが行われたのは茨城県北茨城市と日立市の3つの漁協が水揚げしたシラスです。3つの漁協は去年、同じ海域で取れたコウナゴから

、国の基準を超す放射性物質が検出されたことからシラス漁を中止してきましたが、全国的にシラスが不漁なことなどもあり、今月6日から試験的に操業を再開しました。

築地市場に加工された「しらす干」や「ちりめん」などおよそ1トンが入荷され、原発事故以来初めての取り引きが行われました。

シラスは加工される前と後に放射性物質の検査が行われて安全性が確認されていて、仲卸業者の人たちは検査結果に目を通し、品質を確かめながら買い求めていました

。仲卸業者の男性は「安全確認が大前提になりますが、味や見た目を重視して選びます」と話していました。

関係者によりますと「しらす干」はほかの産地より多少値が下がり、1キロ当たり800円前後で取り引きされ、都内のスーパーなどに並べられるということです。

茨城県北部の3つの漁協は、今後、売れ行きなどを見たうえで、シラス漁の本格的な再開の時期を検討することにしています。
.

 
 
電通がJOCから請け負った『銀座メダリストパレード』
 
上杉隆の東京脱力メールマガジン          

         『 メダリストパレード批判 』       

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きのう、ロンドンオリンピックのメダリストパレードが行われた。暑い中、銀座の沿道には約50万人(主催者発表)の観衆が集まったという。

幸い筆者はパレード前には銀座を抜けて、北海道に向かっていた。

反原発デモの取材はあまりしない日本のメディアだが、この不思議なパレードには大挙して押し寄せていたようだ。

私が不思議に思うのはなぜか。オリンピック期間中、そのテレビや新聞は盛んに「メダルラッシュ」を喧伝していた。

実際、過去最高のメダル獲得数らしい。だが、それが今回のパレードに結びつくのはどうにも理解しがたい。

もちろんメダリストをくさしているわけではない。彼らの歓喜はアスリートとして当然だし、4年間の、想像を絶する苦労を思えば当然に受ける報酬だろう。

ただ、問題はメディアと今回のメダリストパレードを決めたJOCなどの関係団体の方だ。メダルに熱狂するさまは、筆者をして、発展途上国にでもいるような錯覚に陥らせた。

メダルがすべてか。スポーツはそんなに単純なものなのか。

仮に8位入賞でもメダル級に値する競技はあるし、逆に力を出し切れずに不本意な銅メダルを獲得することもある。
 
競技の数だけ、そして選手の数だけ、それぞれの「メダル」があるのではないか。

「メダル、メダルというよりも、もっと日本独自の『メダル』があってもいいのでは? たとえば、自己新を出した選手を褒めてあげるような……」

自身もメダリストである元水泳選手の田中雅美さんのこの言葉を聞いて、私自身も感じていたことが思い返された。

それは、今回のロンドンオリンピック中に出演した「U型テレビ」(北海道文化放送)で、司会の大村正樹さんに
 
「もっとも印象に残った競技はなんですか?」と尋ねられたときのことだった。

朝から晩まで日本人選手のメダルの数ばかりを報じているテレビ・新聞の「五輪報道」に、いいかげんうんざりしていた私は、
 
少しばかりそうした報道への皮肉を込めて、次のように答えたのだった。

「日本人選手は出ていませんが、陸上800メートル男子決勝は本当に素晴らしかった。世界記録が出たということもあるが、
 
出場した8人の選手が、それぞれ最高の力を出し切った姿に感動した。競技としても最高に面白かった」

番組ではここまでしかコメントしなかった私だが、この発言についての具体的な理由はもちろんあった。

それは田中さんの言葉を聞いて、改めて思い出され、実際にその後、大村さんと田中さんと会い、次のような会話になったことで考えを確認できた。

「雅美さんの言う通りだよな。オリンピックという難しくも、最高の舞台での記録は自分のためにあっていいものだ。
 
僕があの800メートル決勝に感動したのは、一位のデービッド・ルビシャ(ケニア)の世界新は当然だけど、出場した8人すべてが
 
それぞれの国の『国内新』か、もしくは『自己ベスト』などの『記録』を出したこと。あの大舞台で自らに克った選手はみな
 
その人自身にとっての『メダル』を獲得したことに等しいのではないか」

大村さんも田中さんも「U型テレビ」の中で、それぞれ、別の言葉ではあるが、同じような発言をしていたようだ。

だいたいアスリートの価値がメダルだけで測られていいはずはない。スポーツはそんなに単純であっていいはずはない。

とくに4年に一回の五輪に向かうアスリートたちの「緊張」と「苦悩」と「歓喜」を、メダルという物質の有無だけで評価していいものなのか。

私が日本の「メダル報道」にまったく賛成できない理由はここにある。

そう考えると、今回の「メダリストパレード」というのはさらに奇妙であり、またそれを批判するマスコミが皆無であることも
現在の日本のスポーツ環境を顕著に示していてまた残念すぎるのである。

最後にもう一つ。

百歩譲って今回のメダルパレードを行うならば、せめて来週から開かれるパラリンピックの終わった後に、
 
同じメダリストたちと一緒にやるぐらいの配慮を見せてくれてもよかったのではないか、心からそう思うのである。
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日本が戦前から繰り返していること 日本と言う国の統治
 

だから日本はまた暴走する

一部引用・・

それはなぜなのか。片山氏は日本の政治機構のあり方に決定的な特徴、いや欠陥と言うべきかもしれない問題があり、とかく日本人は権力の集中を嫌がる傾向があるのだと言う。

普段は権力が分散しているため、なかなか意思決定ができない。

誰か強いリーダーが出てくると、先を争うようにそのリーダーの足を引っ張り始める。

そのため内輪もめが絶えない。だから政策の継続性を保つことも難しいし、誰が主導するともないままに間違った政策が選択され、

それがそのまま実行に移されることも多い。

 日米開戦時に陸軍大将の東条英機が首相と陸軍大臣と参謀総長を兼任したことが、軍部専政の証のように言われることがあるが、

片山氏は逆にこのことが、日本の政治制度が戦争という有事にあっても分散した権力がお互いを牽制し合うようになっていたことの証左であると指摘する。

 この一連のエピソードを現在の政治状況に当てはめると、何が見えてくるだろうか。エネルギー資源を「持たざる国」の日本が、

明らかに地理的条件の不向きな原発を維持・推進しようとしてきた。

そして、あれだけの事故を目の当たりにしながら、「ああでもないこうでもない」論争が続く。

政府は当初、夏中に決定する予定だった次代のエネルギー政策の策定を、年末まで延ばす方針だと言う。

原発を継続できれば経済大国としての地位が維持できる。「持たざる国」を何とかして「持てる国」に変えていこうとする試みという意味では、

これは石原莞爾的なアプローチということになるのだろうか。

しかし、石原莞爾は満州の資源開発によって日本を「持てる国」にした先に、「世界最終戦争」と法華経の説くユートピアの実現を夢見ていたという。

 片山氏自身は「背伸びはやめて、静かに着地して静かに生きる」という選択肢を薦めるが、皆さんはどう思われるだろうか。

全文はこちら

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