阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年10月07日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年11月09日 | 東日本大震災ブログ
2012年10月07日(日)
 
日常こそ、実は冒険の連続
日常こそ、

実は冒険の

連続だと

思うんです。

 今日生きて、生活している。

それだけのことが

本当はとても大変なことで

みな、努力して勝ち取っている・・

普通に生きてるって、

スゴイことだと思います。

  こうの 史代  漫画家

【夕凪の街 桜の国】で第八回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、
第九回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。

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2007年8月9日掲載

映画【夕凪の街 桜の国】

相方に誘われて「夕凪の街 桜の国」を見ました。

遠い昔の出来事ではなく、いまこの同じ時間を生きている人にも
原爆のことはつながっている・・・そのことをこんなに自然に教えてくれる。

黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」で印象が残る「うちは幸せになってはいけんのじゃ」という言葉がこの映画にも出てきてドキッとしました。

真の被害者が我が身を責め、ケロイドの残る身を人から異形の人と差別され、人の目の立たない裏通りで生をつなぎ、やがてこの世から姿を消していく。生きた証もなく。

それらのことを加害国に気を遣ってか、見てみない振りしてきた62年間。

映画が終わって、本屋で原作の漫画を買いました。
自分が知らないだけで世にスグレモノは仰山おられる・・
とまたまた思いました。

嬉しい?

十年たったけど
原爆を落とした人は私を見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?
こんな言葉を考えつく作者の[こうの史代]さんとはどんな人でしょうか。
名前を見てふと、代々歴史を語り継ぐということからつけたペンネームかと思いました。
広島という所は凄い漫画家を生んだものですね。

前段と後段のそれぞれのヒロインを演じた麻生久美子、田中麗奈さん、それ以外の出演者も肩に力をいれず、淡々とありのままに映画の中で生きていました。

 10数年前、わずか3年間とはいえ自分が住んだことがある広島の街の言葉がスクリーンに流れ、戦争当時と現代の広島の街並みが映る。

漫画が原作の映画かと軽く見ていましたが、今や小説では描けないものを漫画家が表現してくれることがあると知りました。

誘ってくれなかったら見なかったかも知れないけど、今年これまでに見た映画の中ではBESTの映画でした。

8月6日が、今日9日が、それぞれ広島と長崎に62年前米国という国が、人類の上に史上初めて核兵器という大量無差別殺戮爆弾を落とした日です。

この映画は62年が経過したからこそ出来た映画だと思いました。
次の62年やそれ以上をこれから生きるであろう、今年地球上に生を受けた人類の赤ん坊を守るのは自分たちしかいない。映画を見終わった時そう思いました。
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今日の一言 |
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復興予算届かない 被災地中小企業の申請 6割却下 東京新聞
2012年10月7日 07時06分

東日本大震災で被災した中小企業の復旧を支援する今年八月の「第五次中小企業グループ補助事業」をめぐり、復興予算からの補助金交付を求めたグループの約63%が「国の予算が足りない」などといった理由で申請を却下されたことが分かった。

却下されたグループ数は二百三十一、申請額は千五百億円超。被災地と無関係な地域の工場への設備投資や、核融合エネルギー研究など復興予算になじまない使途に多くのお金が使われ、被災地への予算が圧迫されている。

 中小企業グループ補助事業は津波で被災したり、原発事故で避難を余儀なくされたりした商店街や漁港などのグループに、施設や設備の修理などにかかる費用の四分の三を国と県が補助する制度。

 国は二〇一一年度の当初予算でこの事業に二百五十五億円を計上。一次募集を昨年六月に始めたが、申請額は予算を大幅に上回った。このため募集は今年八月に発表した第五次まで続き、その予算額は約千九百億円に増えた。

 補助金交付の是非は各県が申請の内容を審査し決める。第五次募集には岩手、宮城、福島、茨城、千葉五県の計三百六十五のグループ(事業者数は六千六十八)が計二千二百四十五億円分を申請。

一~四次の募集では県によって八~九割に達した「却下率」はやや改善したものの、今回も六割超の申し出が退けられた。「計画の中身が補助の要件を満たさない」「国の予算が足りない」などが主な理由という。

 野田佳彦首相は九月十二日の民主党代表選の討論会で「グループ補助金などは需要がある」と話した。各県の担当者も「復興のため国には少しでも多くの予算を割いてもらいたい」と訴える。

 だが、政府は復興財源で「日本再生」に取り組む方針を決め、対象事業が膨張。予算獲得術にたけた各省庁の部署が、復興予算に不適切な事業を潜り込ませ財源を獲得していった。これによって結果的に被災地に必要なお金が回らない状況となっている。

◆地元で工場再建 なぜかなわない

 うっそうとした雑草の土地に、建設会社社長田中一雄さん(四十代、仮名)の住宅部品の加工工場がポツンと立つ。以前は住宅などが立ち並んだ宮城県沿岸の地は、工場の従業員らが行き交うだけで閑散としている。

 震災直後、自宅と工場は津波で流された。家財道具は一切見つからず、結婚式と家族の写真一枚、数枚のジャージーだけが見つかった。しかし、家族や親戚は皆助かり「命に感謝する」日々だ。

 「もう一度、地元で工場を再開したい」。一月、日本政策金融公庫からの借金や全壊した住宅の保険金を充てるなど二千五百万円を自己負担し、消失したトラックや工作機械などを購入した。知人からグループ補助事業の話を聞いたのはその直後だ。

 取引先の建設業者などに声をかけてメンバーを募り、賛同したグループの従業員数は百人を超えた。何度も話し合い計画書を県に出したが、選考からは、あっさり落ちた。皆、津波に流され、家も仕事場も失った事業者ばかりで、多額の借金を抱えながら仕事を再開させようとしている。「一体、何が足りないというのか」

 宮城県の担当者は「グループ補助事業は共同事業に重きを置いている。共同での除塩作業や太陽光発電など、地域の復興に貢献する事業があるかがポイント」と説明した。

 田中さんは「書類を書く技術で補助金の是非が決まっているのでは」と審査方法や基準の曖昧さに疑問を持った。「商店街など多くの事業者が深刻な状況を理解されず、認可を得られていないと聞く。国や県は事業者の現状を、実際に目で見て判断してほしい」と訴える。 (望月衣塑子)
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新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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原子力村の論理と心理は日本社会が持つ持病
原子力村の論理と心理

けさの「朝まで生テレビ」は、去年3月に出たときのどなり合いに比べれば格段に論点が整理されたと思うが、必ずしも議論がつくせなかったので、ちょっと補足しておく。

大きな成果は、民主党政権の「2030年代に原発ゼロ」が致命的な矛盾を抱えていることを福山哲朗氏が認めたことだ。端的にいって、2018年に運転開始予定の大間原発は「40年ルール」に従っても2058年まで運転するのだから、2030年代に運転を止めることはできない。

福山氏が「大間が政府の方針と矛盾することは事実だが、その建設を止める法的根拠がない」というと、野村修也氏が「そんなことを言ったら再稼働を止めてるのだって法的根拠はない」と批判した。

その通り。JBpressにも書いたように、保安院は電力会社に一度も「止めろ」とは言っていない。では、なぜ電力会社は再稼働しないのだろうか。それは役所が「空気」で止めているからだ。

電力会社がスイッチを入れれば今すぐでも原発は運転できるが、そんなことをしたら役所は今後いろんな形で意地悪してくるだろう。朝日新聞を初めとするマスコミが激しく電力会社をたたくだろう。彼らにとっては法律より重い「空気」を破る者は、「日本教」の重大な背教者だからである。

反原発派の指弾する「原子力村」の構造も同じだ。野村氏も指摘していたように、福島事故の原因になった全電源喪失について、安全委員会は「想定する必要なし」とした。その根拠は電力会社の出した事故想定だったが、それは安全委員会が彼らに書かせたものだった。

これは古典的なregulatory captureとは違う。それは業者が情報の非対称性を利用して規制当局を丸め込むモラルハザードの一種だが、日本では役所が業者に規制を丸投げし、問題が起きたときは「業者のやったこと」として逃げるのだ。

このような構造を丸山眞男は、有名な論文「超国家主義の論理と心理」で次のように書いた:

ナチスの指導者は今時の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識をもっているに違いない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。

何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか。(強調は原文)

この問いへの答として、丸山は東條英機の国会答弁を引用する:
東条といふものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変りはない。ただ私は総理大臣といふ職責を与えられてゐる。

ここで違う、これは陛下の御光を受けてはじめて光る。陛下の御光がなかったら石ころにも等しいものだ。

このように責任の所在は究極的には天皇ということになるのだが、もちろん天皇は実質的な責任主体たりえないので、責任は誰にもないことになる。今回の原発再稼働も同じだ。

電力会社は「当局の意向」を忖度して止めているが、当局は「事業者の判断で止めているだけ」といい、原発停止によって生じる損害の賠償責任を逃れる。丸山の指摘した「無責任の構造」である。

このような構造がかつて戦争を起こし、原子力村を生み出し、そして今、誰も止めろと命じたことのない原発が止まって毎日85億円の国富が失われる。その背景にある「空気」の構造は同じである。

来週からのアゴラ読書塾では、丸山をテキストにして、こうした日本の深層構造を考え、それをただす道をさぐりたい。

全文引用先
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東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
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 「えん罪や、検察のねつ造が生まれるカラクリ」  元裁判官が語る
41年間にわたり裁判官を務め、現在は慶応義塾大学大学院法務研究科で教鞭を執っている原田國男氏の著書『逆転無罪の事実認定』(勁草書房)が話題になっている。


原田氏は、裁判官時代、主に刑事裁判を手がけ、東京高等裁判所部総括判事時代の8年間で、20件以上の逆転無罪判決を出したことで有名である。1審で有罪判決が下された事件の控訴審で、無罪判決が出ている割合はわずか0.3%。

全国の裁判所の全事件をかき集めても、せいぜい年間20件くらいしか出ていないというのが、日本の刑事裁判の現状だ。

その原田氏に、

「知られざる裁判、法廷、そして裁判官の実態」
「えん罪や、検察による調書ねつ造が生まれる理由」
「判決を出すということの難しさと重さ」
などについて聞いた。

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今日の気になるネット情報 / 可視化・検察・警察 |
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中国現地での対日制裁にも怯まない日本の中小企業
背水の陣で進出、オンリーワン商品に強み――
現地での対日制裁にも怯まない日本の中小企業

一部引用・・

「何をされようとも、中国人のように過剰に反応はしない。それが日本人のいいところ。ひどいことするよな、と思いつつ、それはそれで中国人の価値観だと受け止めることができる。我々にとって向き合うのはむしろ“その人個人”。政治、外交がギクシャクしても、互いに取引が成立すればそれで十分なのです」

 緊張感を高める中国に対し、その一挙手一投足に怯えるどころか、むしろ動じない一面すら覗かせる日本の中小企業もある。筆者は尖閣諸島の国有化騒動をめぐり、日本と中国の反応の間にある相当な温度差には驚いたが、「何があっても、話せばわかる」という平和志向は、日本人の天性の“図太さ”でもある。

「経済制裁は持久戦」と中国は国民に呼びかける。だが、中小企業を中心とした民間ビジネスは平時と変わらず脈打っている。むしろ中小企業間の取引においては、日本人が「お互いに民間だ、政治はいいじゃないか」という前向きさで、押し切っていきそうな気配すら感じられる。

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最高裁判所に裏金疑惑 その裁判があった
大手メディアが決して報じない最高裁裏金疑惑裁判

  こんな裁判が行われていたのだ。10月3日の日刊ゲンダイで初めて知った。

去る9月27日に東京地裁で最高裁の裏金疑惑裁判が行われていたのだ。警察の裏金問題があれほどメディアにとりあげられ騒がれたのに、なぜ最高裁の裏金疑惑をメディアは一切報じないのか。司法の最後の砦である最高裁が犯罪を犯している疑いがあるということは究極の矛盾であるというのに。

しかも日刊ゲンダイが報じたのは単なる裏金裁判が開かれていたという事実だけではない。

日刊ゲンダイのその記事は傍聴者の証言を引用してこう書いている。

普通は誰でも出入り自由の法廷であるがこの日は警備員約40人が開廷1時間ほど前から鉄柵とロープを張り、歩行者の動きに目を光らせていたと。

裁判所職員が携帯で「現在、原告者側何名、報道関係者何名」などと報告する姿が目撃されていたと。傍聴者は入廷前にカメラや携帯、録音機持ち込みなど厳しくチェックされていたと。

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「技術が起こす権力層の移行」という革命
革命=支配層の逆転

一部引用・・

 IT革命というからには、「今まで権力をもっていた層が崩壊し、反対に、抑圧されていた層が権力を握るはず」なのですが、「何から何に権力が移るのか」という点が上手く言葉にできずもやもやしていました。

でも最近それがようやく明確になってきました。ITもやはり「IT革命」と呼ばれる条件を備えています。それは確かに「権力の移行」を起こそうとしています。今まで権力を持っていた層が崩れて、今まで抑圧されていた層に権力を移すことになるでしょう。これはまさに「IT革命」と呼ぶべきなのです。

具体的に「何」から「何」に権力が移行するのか、という点については、それぞれの人が自分の言葉で表現してみてください。

興味深いのは、今は、自分はどちら側にいるのかさえ、わかりにくい時代だということです。チャタレイ夫人の時代なら、自分が貴族なのか、そうでないのかは明確でした。しかし今はこの革命で没落する人と、新たな支配層につく人は見た目では区別さえつきません。

当時の貴族達は、庶民が暴力をもって貴族制を打倒する革命については怖れていましたが、まさか新しい技術や産業の勃興が、権力を貴族層から奪っていくとは思っていなかったでしょう。

しかし現在は、権力側にある人の中にも「IT技術によって権力の移行(剥奪)が起るかもしれない」と恐れる人は少なくありません。だからこそ彼らは抵抗しています。私たちは今まだこの革命の渦中におり、IT革命はまだ完遂していないのです。

全文はこちら
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今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
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