阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

干物の炭火焼のチエーン店「しんぱち食堂」が亀戸駅そばに開店したので行ってみた。

2024年09月16日 | 食べる飲む

旧中川の遊歩道で定点地撮影をしたあと暑い日中を歩いて最寄りのJRの駅に向かった。

8月30日に「しんぱち食堂」が隣の駅の亀戸に開店したことを知っていたのでしんぱち食堂で午後三時半の遅い昼食にした

 今回ネットで大阪の十三や天神橋筋商店街にまで店があるのを知ったが 東京の東部の区への出店は亀戸が初めてのようだ。

食堂業種営業でのこの価格帯は東京東部では確かに亀戸が限界の出店立地だろうと思う。

あかうお粕漬定食と納豆とビールを頼んだ。旨かった。

これからは焼き魚を食べたくなったら飯田橋の「越後屋亀丸」clickまで行かなくても隣の駅の亀戸でいつでも食べられる。

 

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トップの座

2024年09月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

東京新聞2024年9月15日朝刊

 どこかの国の諜報機関がどこかの党に命じて野田さんという「トロイの木馬」を野党内に送り込んでいることを視覚化したのかな?

トランプさんらしき姿があるのもホント可笑しい!

 作者の佐藤正明という人は 横山泰三や清水崑などの一コマ政治漫画家の伝統を今に継ぐ貴重な存在だ。

 

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09月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年09月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年08月16日(木)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年09月16日 | 東日本大震災ブログ
2012年08月16日(木)
 
「原発事故での死者はいない」と言う人は意図的に現実を見ない人だ
 

「原発事故で死んでない論」は許されない
(東京新聞「こちら特報部」8月12日)

 将来のエネルギー政策を決める政府の意見聴取会で先月、中部電力の社員が「(福島原発事故で)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。

この場に限らない。最近、ちまたでよく耳にする「原発事故で死んだ人はいない」論。そこでは避難を強いられた地域住民の苦しみは置き去りだ。どうか思い出してほしい。

原発事故がなかったら、死なずにすんだ人たちがいる。(中山洋子)

「原発事故で誰も死んでないなんて、まるでうそ。姉の死は間違いなく原発事故のせいだ」
 福島県南相馬市鹿島区の仮設住宅。江井富美さん(71)が声を震わせた。

 同市小高区で独り暮らしをしていた姉=享年(75)=は、震災発生から二週間後に自宅で病死しているのが見つかった。

 福島第一原発から約十五キロ。昨年三月十二日に避難指示が出され、この日には親戚が電話で姉の無事を確認していた。

 「市内のあちこちで断水していたが、近所でお水をもらっているようだった。偶然電話がつながったのはその日だけ。その後は連絡が取れなくなった。

どこかに避難してくれていたらと願っていたのに…」

 心配した親族が市に問い合わせ、二十五日に警察や市職員とともに自宅を訪ねると、玄関近くに倒れて死亡していた。

 「近くに『水をください』というメモがあったと聞いた。立ち会った親族によると、発見の数日前の日付だった」

 同じ小高区に住んでいた江井さんも、震災直後に心臓発作を起こしてしばらく動けなかった。

 「同居の娘に『私を置いて逃げて』と本気で頼んだ」。十四日になんとか家族で避難した。混乱の中、連絡が取れない親族や友人については無事を祈るしかなかった。

 江井さんは「姉を助けられなかったことを親族も親しい知人もずっと悔やんでいる」と話す。

 今年四月まで警戒区域だった小高区では、上下水道の復旧が進んでいない。江井さんの自宅もまだ水が使えず、一時帰宅する際にペットボトルは欠かせない。

姉の墓所は小高区にあり、納骨もまだできていない。

 江井さんは生前の姉の姿をよく思い出す。「健康に気をつけていて、私よりずっと元気だった。詩吟が好きでピアノも始めていた。その姉がなぜ死ななければならなかったんでしょうか」

 同県本宮市の仮設住宅に避難している浪江町の橘柳子さん(72)も、中部電力社員の発言を伝えるテレビに向かって、「何を分かってるっていうの」と思わず怒鳴った。

 津波に襲われた浪江町の沿岸部で、本格的な行方不明者の捜索が始まったのは震災発生から約一カ月後の四月十四日。

しかし、原発から十キロ圏内では、住民が立ち入ることはできなかった。

 「避難する直前、ガレキの山から『助けて』という声を聞いた住民もいる。子どもや親と連絡が取れていなかったのに逃げるしかなかった住民もいる。

津波だけなら、救助できたかもしれない。それが本当に悔しい」

 原発事故発生に伴う避難の指示内容はくるくる変わった。


 昨年三月十一日に「三キロ圏内」だった政府の避難指示は、翌十二日に「十キロ」「二十キロ」と順次拡大した。

二十五日には三十キロ圏内の自主避難も促された。そのたびに住民たちは避難場所の移動を強いられた。四月二十二日からは、二十キロ圏は「警戒区域」として立ち入りが制限された。

 前出の橘さんは今年七月、母の大井トシノさん=享年(92)=を亡くした。ただ、震災死扱いはされてはいない


 認知症のトシノさんは震災当時、約百三十人の入院患者と院長が取り残された双葉病院(同県大熊町)の系列の介護施設に入所していた。


 避難は混乱を極め、十時間以上に及ぶ移動中や到着後にお年寄りが次々に死亡。昨年三月中だけで、入院患者と施設入所者を合わせて五十人が亡くなっている。

 トシノさんの行方を捜していた家族は、しばらくして会津若松市の病院にいるのを見つけた。それまでしゃんと背筋を伸ばしていた母は

、橘さんが再会したときは別人のようにやせ細り、ふらついていた。


橘さん夫婦も、避難先を十カ所も転々とした。「母は説明できなかったが、どんなつらい目にあったのか。もっと長生きできたはず」。

双葉病院のお年寄りたちも、原発事故がなければ死なずにすんだ人たちだ。

 避難した住民たちを苦しめる「原発事故で死んだ人はいない」論には二重のごまかしがある。

 低線量被ばくの健康リスクがある。その実態はまだ明らかではない。そして、事故により避難を強いられ、そのために亡くなった人々を無視していること

被害を軽んじる議論がその風化をあおっている。

 どれだけの人が犠牲になったのか。明確な統計はないが、復興庁のまとめ(今年三月末)によると、事故避難を含む避難生活などで病状が悪化したり、

自殺に追い込まれた震災関連死は福島県で七百六十一人だった。

 同庁による原因分析のサンプル調査では、福島県に限ると、避難所などへの移動中の疲労による死亡が56%。原発事故に伴う死者が「一人もいない」とはいえない。

 ちなみに、今月十日時点での南相馬市の関連死は三百十五人、浪江町は百六十三人、双葉町六十人、大熊町三十八人、富岡町七十七人、楢葉町三十六人と続く。

 この中には自殺も含まれる。警察庁のデータを基にした内閣府の統計(今年六月末現在)では、福島県は十六人が命を絶っており、明確に原発事故が原因と遺書を残したケースもある。

 このうち六人が今年に入ってからの自殺者で、五月には浪江町の自宅に一時帰宅した六十代の自営業男性が町内で首をつって自殺した。

 このほかに震災発生後もしばらく生存していた可能性のある死がある。双葉町によると、震災で亡くなったことが明確な直接死の中に、

溺死や圧迫死だけではなく、避難区域内での衰弱死が一例含まれている。富岡町も衰弱死のケースがあったことを認めている。

 犠牲を生む回路はまだ絶たれていない。仮設住宅には疲弊が蓄積している。前出の橘さんはその心象風景をこう語った。

 「帰れない、と泣く人も増えてきた。ささやかな幸せや何げない日常を奪われた喪失感が心に穴をあけている。これが放射能汚染のせいでなければ何なのか」

<デスクメモ> 「八月ジャーナリズム」という業界用語がある。平和、反戦というテーマがいまごろになると強調されることを指す。やや自嘲的な響きもある。

というのは、この時期以外はこのテーマに疎遠だからだ。福島原発事故から十七カ月。

「三月ジャーナリズム」を生んではいけない。厳しくいさめたいと思う。(牧)

 
 
国家公務員法違反で原子力委員会委員を告発  東京地検受理
 

原子力委員長ら27人への告発受理
2012年8月15日 共同通信

 国の原子力委員会が正式会合の前に、電力会社関係者らに機密性の高い資料を見せたのは国家公務員法(守秘義務)違反容疑などに当たるとして、

弁護士有志が提出した近藤駿介委員長ら27人に対する告発状を、東京地検が15日、受理したことが分かった。告発した望月賢司弁護士が明らかにした。

 告発状によると、近藤委員長らは昨年12月から今年4月、使用済み核燃料の処理・処分の在り方を議論する小委員会で配布する予定だった議案などを、

事前に開いた勉強会で電気事業連合会の幹部らに見せたとしている。(共同)

 
 
フィリピンで太平洋戦争のために日本人50万人が死んだ
 

フィリピン 日本人戦没者の慰霊祭
8月15日 17時0分 NHKニュース

終戦から67年の15日、太平洋戦争の激戦地フィリピンでは、50万人に上る日本人戦没者の慰霊祭が行われ、

旧日本軍の兵士として現地で従軍した日本人男性2人も参列して犠牲となった人たちに黙とうをささげました。

フィリピンでは、太平洋戦争の末期、日本本土を目指すアメリカ軍と押しとどめようとする旧日本軍との間で激しい戦闘となり、日本の民間人と兵士合わせて50万人が死亡しました。

慰霊祭は、日本政府が首都マニラの郊外に建設した「カリラヤ慰霊園」で行われ、現地在留の日本人や日本大使館、

それにフィリピン政府の関係者などおよそ200人が参列して、戦争の犠牲となった人たちに黙とうをささげました。

ことしの慰霊祭には、旧日本軍の兵士として現地で従軍した山口県防府市の石崎幸男さん(90)と兵庫県川西市の柿原豁さん(88)の2人も参列しました。

このうち旧日本海軍の特攻艇「震洋」の乗組員としてマニラ湾のコレヒドール島にいた石崎さんは、今回、戦後初めてフィリピンを訪れました。

慰霊碑に花を手向けたあと、じっと手を合わせていた石崎さんは「亡くなったすべての人に、いままでここに来られなかったことを心の中でおわびし、

安らかに眠ってくださいと祈りました」と話していました。

 
 
沖縄の民間人が旧日本軍の不法行為で国に訴訟
 

旧軍不法行為で国提訴 沖縄戦民間人被害者ら

沖縄戦当時の状況を語る比嘉千代子さん(左)と山川幸子さん=那覇市内の比嘉さん宅

2012年8月15日 09時44分 沖縄タイムス

 沖縄戦の民間人被害者ら40人が国に対して謝罪と損害賠償を求め、15日に那覇地裁へ「沖縄戦被害・国家賠償訴訟」を提起する。訴訟では、

旧日本軍による「集団自決(強制集団死)」の強制や壕の追い出しで死傷したケースも旧軍の不法行為として責任を求める。原告に加わった那覇市の比嘉千代子さん(79)と、

めいの山川幸子さん(71)も、日本兵に集落壕から強制的に追い出され、肉親を失った遺族だ。(伊集竜太郎)

 沖縄戦当時、比嘉さんは12歳、山川さんは3歳。豊見城村長堂に住んでいた。戦況が激しくなり集落壕に避難した際、刀を抜いた日本兵に「貴様らの首は1銭5厘だ。ここは兵隊の壕だ」と脅され、翌日までに壕を出るよう伝えられた。

 生き残った家族から追い出しの様子を聞かされており、比嘉さんは「軍は国を守るため。みんな従うしかなかった」と振り返る。

 その後、2人は家族や親戚の親子と共に北へ向かったが、首里で日本兵に引き返すように言われ、艦砲射撃の最中、旧真壁村新垣の壕にたどり着き、9人で米軍の砲撃をしのいだ。

 しかし、近くに落ちた米軍の砲弾の破片で、比嘉さんは右太もものほか全身11カ所を負傷。米軍が投げ込んだ手りゅう弾で比嘉さんは父を、山川さんは両親と妹を失った。

 比嘉さんは今も「集落の壕から追い出されなければ、みんな生き残っていたかもしれない」と悔しさが込み上げる。「軍人は住民を守らなかった」。憤りも消えない。

 イラク戦争などで対外的に経済支援する日本政府が、沖縄戦で被害を受けた全ての県民に補償しないことが許せない。比嘉さんの胸や腕にはまだ砲弾の破片が残っている。

「すべて戦争のせいだ。しっかり補償を」と訴える。

 山川さんには当時の記憶はない。十数年前まで存在していた妹の戸籍が、理由は分からないが現在消えており、「裁判で妹が生きていた証しがほしい」という思いで訴訟に臨む。

 顔すら覚えていない肉親を戦争で奪われ、きょうだいがいたかどうかも分からない。国に対し、この悔しさや怒りを「あなたたちが私たちの立場ならどう思うのか」と問いただすつもりだ。

[ことば]

 沖縄戦被害・国家賠償訴訟 「集団自決(強制集団死)」強制や旧日本軍による壕追い出し後の負傷、十・十空襲被害者の遺族ら60~90歳代の40人が、

1人当たり1100万円の損害賠償と謝罪を国に求める訴訟。戦時中の政府や旧軍などの行為について責任を問う初の集団訴訟となる。

沖縄・民間戦争被害者の会の推計では、援護法が適用されず無補償の死没者数は約6万7千人に上るという。

 
 
急きょ「専門家会議」設置 原発比率政治決断先延ばし
 

報道ステーション 2012.8.13。政府は将来の原発の比率を決めるために意見の公募を行っていた。 これまでに8万件を超える声が届いている。

これらを受けて、政府は今月中としていた期限を先延ばしすることになりそうだ。今日の午前、古川国家戦略大臣は、突如新たな専門家会議を設置すると発表した。

政府が2030年の原発比率を決めるための会議だという。 メンバーはこれから集める。これまでの意見聴取会では、原発ゼロを支持する声が大勢を占めてきた。

もともとは意見聴取会やパブコメをもとに8月中に原発比率を決定するとしていた。ところが今日になって専門家会議を設置した。

世論調査の専門家などが、寄せられた意見の割合を分析するという。 そのため政府の決断も9月以降にずれ込む見通しだ。突如つくられた会議に、こういう憶測もある。

経産省幹部「原発ゼロがいいという意見が多いが、実際の世論と乖離していないか調べるのが目的ではないか」 今や2030年という議論の前提さえもぶれはじめている

。コメンテーターの寺島氏は原発推進のスタンスですが、福島の原発事故の責任問題(GE社製のマーク1沸騰水型原発の欠陥問題)も含めて

アメリカときちんと対話していかないといけないという今日の話はそれなりに納得できます。

急きょ「専門家会議」設置 原発比率政治決断先延ばし 投稿者 tvpickup
 

 
 
森林の除染は不要に福島地元が大いに反発
 
森林なぜ除染しない 国方針に反発広がる
2012年8月15日 福島民友ニュース

 林業存続の危機、住民帰還に影響する―。森林面積が県土の7割を占め、山間地域での林業従事者が多い本県。本県林業にとって除染の成否が死活問題となる。

これまで政府は森林除染を「国の責任」としてきたが、環境省が7月末に「森林全体の除染は不要」と方針を転換。県内の林業従事者や森林組合、避難自治体などに反発が広がる。
県、関係団体などは15日、細野豪志環境相に「除染不要」方針の撤回を強く求める。

 政府の委託で森林除染の実証実験を南相馬市で実施した日本原子力研究開発機構(JAEA)は、実験結果を踏まえ、森林の奥行き約10メートルまで除染すれば、
生活圏の線量低減の効果は十分との認識を示す。

 担当者は「生活圏の放射線量の早期低減に向け労力、費用の面から10メートルまでを除染するのが効果的」とする。
しかし森林全体を除染する必要性が乏しいとする環境省の見解には「林業など森林で働く人たちにとっては死活問題になる。
働く人が多い場所は優先的に除染するなど柔軟な対応が必要だ」と提言した。

☆国は森林の除染には限りがあることを明確に住民に伝え、その上で次善の策を合議すべきだ。
チエルノイブリの森林汚染対策(やりようがないので手つかず)の事実に学ぶと、原子力ムラの一員である東京に本社がある大手ゼネコンの意に反することになる細野環境相。
そろそろ彼は個人としては一般の日本人のために腹を固める時期に来ている。それが福島県民と広く国民のためにある政治家の職責を果たすということだ。
 
 
 
40年以上前に出来たベルギーの原子炉にひびの可能性
 

ベルギー 原子炉にひびの可能性
8月14日 4時45分 NHKニュース

 電力供給の半分以上を原子力に依存しているベルギーで、原子力発電所の原子炉1基にひびが入っている可能性があることが明らかとなり、

規制当局では、この原発の稼働を当面の間、見合わせ、安全確認を行うことになりました。

問題が指摘されているのは、ベルギー北部の都市アントワープからおよそ20キロ離れたドゥル原発の3号機で、ことし6月から行われた定期検査の結果、

原子炉に複数のひびが入っている可能性があることが明らかとなりました。

これを受けてベルギーの原子力規制庁は、少なくとも今月末までは、この原発の稼働を見合わせ、新たな検査を実施するなど安全確認を行うことになりました。

現地の報道などによりますと、この原子炉は、すでに事業から撤退したオランダの会社が40年以上前に製造したもので、

同じタイプの原子炉がベルギー国内にもう1基あるほか、アメリカやドイツ、それに、スペインなどにもあるということです。

このため、ベルギーの原子力規制庁では、急きょ今月16日に関係国の専門家を集めて情報を共有するとともに、今後の対応を検討することにしています。

ヨーロッパでは、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発の安全性に対する不安が広がっており、

電力供給の半分以上を原子力に依存するベルギーでも2025年までに、すべての原発を廃止する方針を決めています

 
 
2010年よりも電力需要が13%少ない今夏 関電管内
 

猛暑の10年より13%低く 関電管内 節電要請6週間 最大需要
2012年8月15日 東京新聞

 政府が七月二日に始めた節電要請から六週間の八月十二日までの間、関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、

猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった。

 最大需要を記録した日の最高気温は今夏も一〇年夏もほぼ同じだが、今夏は東京電力福島第一原発事故を背景に企業や家庭の節電が需要を押し下げた。

 政府や関電は「一〇年並みの暑さになれば電力が大幅に不足する」として大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町、いずれも出力百十八万キロワット)を再稼働する根拠にしていた。

関電広報室の担当者は「節電協力のおかげ。今後は気温上昇による需要増加や発電所のトラブルも想定され、需給が厳しくなる可能性もある」と説明した。

 これまでの最大需要は、大阪市の最高気温が三六・七度に達した八月三日午後二時台。一〇年夏は八月十九日に最大需要を記録したが、その時の気温は三六・六度だった。

 関電管内は大飯3、4号機が七月二十五日までにフル稼働した。直前の需要予測に基づいた電力供給量に対し実際どれだけの電力が使われたのかを示す

電力使用率は最大需要を記録した八月三日でさえ、89%で10%以上の余裕があった。

 今夏は企業や家庭の節電が定着し、気温が三五度を超える平日の猛暑日でも最大需要は二千五百万~二千六百万キロワット台で推移した。

 本紙が今夏の発電実績を参考に原発を除く関電の発電設備能力を調べたところ、火力、水力、揚水、地熱・太陽で計二千八万キロワット。

これに中部電力など他社からの融通電力など七百四十二万キロワットを加えると、計二千七百五十万キロワットで、これまでのところ

大飯3、4号機のフル稼働がなくてもカバーできた計算になる。

 

なでしこキャプテン『宮間あや』 語録と人物
 

語録

* 「朝、目が覚めた時、もしその日一番やりたいことがサッカーじゃなかったら、私はその日に引退する」… ジャーナリストの江橋よしのりに語った言葉

* 「私が今あるのは、岡山の皆さんのおかげです。それに、早く温泉につかりたいから」… 2011年のW杯優勝後、番組出演のオファーをすべて断り岡山に帰った時の言葉

* 「得たのは “最高の仲間” で、それ以外は自分の中では特に変わってないです」2012年の年頭番組でW杯優勝の感想を聞かれた時の言葉。

* 「下手な選手がいるなら、巧くなれるように助けてあげればいい。私は、試合には勝ちたいけれど、ただ強いだけのチームに入ってチャンピオンになりたいとは思わない。

『一緒に戦いたい』と思える仲間がいるチームで、日本一を目指したい」『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月号。

* 「私は、『辛かった』と、ひとことも言ったことはないんです。だって、サッカーは仕事なんですよ。『仕事が辛い』って言っているのは、ダサいじゃないですか?」 真田明「宮間あや」、『RONSPO』2011年10月増刊号、23頁。>

* 「私には私の夢があるように、夢や目標は一人ひとり違うもの。ですから、いまやりたいことが見つからなくても焦らなくていいんじゃないかな。

深く考え込まず に、まずは自分が笑顔で過ごすにはどうすればいいのか、何をしていると笑顔になれるかを考えてみて欲しい。その中からふと答えが見つかるかも知れません 」

「[自分らしく]『進路新聞』2011年10月10日付。

人物

「彼女は小学5年生の時から『世界一になる』って言っていたんですが、それが冗談に聞こえませんでした。

そして、一緒に生活するうちに、『この子は、とんでもないことをやっちゃう子なんじゃないか』と思うようになったんです」[ … 恩師である本田美登里の言葉。

「これまでもサッカーは楽しいと思ってきたが、宮間とのコンビはさらに楽しい。自分のプレーを分かってくれていることが大きい」 … なでしこジャパンの元主将・澤穂希の言葉。

「私は同点でいい、と思っていた。あの一言で、最後まで諦めない気持ちになれた」 … 2011年W杯で同点打を決めた後、宮間に「澤さん、あと1点で勝てるよ」と声を掛けられた澤穂希の言葉。

「試合後、彼女が歩み寄ってきた時、彼女は喜びをあらわにしていなかった。彼女はアメリカに敬意を表したかったのでしょう。なぜなら、私たちが負けてどれほど傷ついたか分かっていたから」[… 2011年のW杯で米国が日本に敗れた際のアメリカのGKホープ・ソロの言葉。

「有名になりたいわけでも、お金持ちになりたいわけでもない。人を蹴落としてまで、自分が自分がってガツガツする部分は、昔からないんですね」… コラムニストの渥美志保の取材に宮間が答えた言葉。

以上いずれもWikipediaから引用。

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