阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

港区白金台の東京都庭園美術館と国立科学博物館付属自然教育園を歩いた。  その2/全3 国立科学博物館付属自然教育園篇

2018年10月24日 | 東京あちこち

都内にこんな自然空間が残されているのに驚きました。Wikipediaから一部引用⇒「もともと江戸時代以前より屋敷などに使われた土地ではあるが、あまり人の手を入れていない状態が長く保たれたことで、人口密集地となる以前の東京都区内の自然の姿をうかがい知る貴重な場所となっている。その意味で同じ屋敷地をルーツとする隣地の東京都庭園美術館の手入れの行き届いた庭園としての姿とは好対照をなしている。」





















































◎歴史 Wikipediaから引用。⇒有史以来この地に人が住んでいたことが、園内より貝塚や縄文土器が発見されたことで確認できる。室町時代の頃、この地には白金長者と呼ばれる豪族が館を構えていたと考えられ、その名残の土塁が園内にみられる[1]。その後、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷として用いられた。明治時代に入ると陸海軍の火薬庫として使用され、一般人の立ち入りが禁止された。1917年(大正6年)に陸軍から宮内省帝室林野局に委譲され、白金御料地となった[1]。戦時中は田畑にされる、防空壕が掘られるなど荒廃が進んだ。戦後、以前から隣接する国立教育研修所が演習林として利用していた経緯などから文部省に移管される[1]。1949年(昭和24年)に全域が「旧白金御料地」として天然記念物および史跡に指定され、同時に「国立自然教育園」として一般公開された。1962年(昭和37年)に国立科学博物館附属自然教育園となった。
大正時代の文献によれば、かつてはモミ、スギ、マツといった針葉樹が林を形成していた。しかし、明治神宮造営のための大規模な移植や、近接道路からの大気汚染などから針葉樹は激減してしまい、現在は落葉広葉樹が主体の森となっている。


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