阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月04日(水)のブログ]

2023年06月07日 | 東日本大震災ブログ
 
どっちがいい悪いではないけど・・。日本人と外国人の働く、生きるベースの違いは明確
 

☆普段は違和感を持ちつつも、カネのやりとりの下で表に出ることはない来日して働いている外国人ワーカーの就業姿勢や家族観。

沢山しかも長く居住していた外国人の社員やパートタイマーやアルバイト学生が急に消えて、商売や事業が成り立たないという中小企業や農家が出てきているらしい。

 一方、日本の若い衆は親の年金にしがみついていれば、40年前には普通だった住込みの丁稚奉公的な仕事につかなくても生きていける。

雇いたい主人は日本中にいても、自分探しの若い衆はそんな汗をかく仕事は「自分探しの職場ではありえない」らしく、目もくれない。

日本に下男下女や住込みの女中さんというあり方がなくなってもう久しい。

  我が爺さんは若いころ信州の山の中から東京へ出て、東京の街のテーラー店に住み込んで洋服仕立て職人の修行をさせてもらい、

故郷に戻って洋服仕立ての店を開き、夫婦でせっせと夜中まで働きとおした。

 そして4人の男の子を上級学校に上げた・・その男の子の一人がお前さんの父親だよという一族の物語を聞いて私は育った。

そんな風にわが手に職をつけるまでは低賃金で住込みでも・・という時代はもう日本ではとっくに過ぎたようだ。 

また雇い主も雇用人を消耗品扱いすれば、相手の振る舞いもそれに見合うものになるのは当然だ。

 大震災で脱出した外国人は裏切り者なのか、「あり得ない」のは日本人か外国人か

一部引用・・

中国人だけではない。アジアの他の国から日本に働きに来ていた労働者も引き揚げた。東京のある零細企業の経営者から悲鳴が上がった。

 「この忙しいさなかに、あいつらは一体何を考えているんだ!」

 同社の臨時工であるバングラデシュ人が、原発事故に怯えきって帰国してしまったという。

 「仕事を残して逃げるつもりか! 残された我々はどうなるんだ」「いきなり帰国なんて、あまりにも無責任じゃないか」と、

日本人社員は臨時で雇ったバングラデシュ人を取り囲んだという。年度末の繁忙期に「それはないだろう」というのが日本人社員の言い分だ。

 しかし、バングラデシュ人にとってここは祖国ではない。

単なる出稼ぎ先の1つにすぎないのである。しかも、年金、医療保険などの保障もなく、福利厚生すら対象外の臨時工だ。お互いに利用し合ってきた関係に「義理」は求め難い。

全文はこちら

 
 
色川武大(阿佐田哲也)を伊集院静が書いた


☆色川武大が還暦の年に亡くなって20年になるという。

麻雀週刊誌で阿佐田哲也で知り、そのうちに雑誌「話の特集」で小説家、色川武大の小説を読んだ。『怪しい来客簿』『麻雀放浪記』など。

彼に助けてもらったという伊集院静が「いねむり先生」という小説を書いたそうだ。そのインタビューが面白い。

一部引用・・

修羅場をくぐり抜けてきた人間の「すごみ」

── 色川さんと一緒にいると「限りない優しさ」や「安堵」を感じる一方で、「まったく違う面」を感じることもあった、と書かれています。

ある種の「すごみ」を感じる時もあったようですね。

伊集院 なぜかというと、私が踏み込んだことのない世界を持っている人だからです。そのことがちらほら出るんでしょうね。

 兵士になったことのある人が戦争の話をしない、という感じでしょうか。イギリスでは、「塹壕の中で見たことは人に話すな」という言葉がある。

なぜなら、戦争中に起きることは、人間がやることではないから。

 そういう部分を持った人は、いろいろなものの結論をすぐに出しません。あと、いろいろなことが起きた時に、「たぶん大丈夫だ」と動じることなく切り抜けることができる。  

 昔は、そういう人がたくさんいましたよね。今の日本の大人は、そうではなくなってしまった。本当は探してみると今もいるんだろうと僕は信じているんだけどね。

全文はこちら

 
 
 
神戸市議会の議員報酬削減にずっと反対・民主自民公明。

☆神戸市の市長さんは戦後66年間ずっと助役から市長になっている。

 神戸市の市会議員団はずっと助役の候補を一枚板で応援してきた。

新しく選ばれた市会議員が、庶民感覚からすると議員報酬年間2千数百万円は高額すぎると思い、削減案を出すと(横浜市に次いで政令都市では2番目の高額報酬)、

「市会議員がどんなに重要な仕事をしとるかも知らんのに、新人が何を言うか」と全党挙げてつぶしてきた。

「みんなの党」か「渡辺私党」かは別にして、新しい血が市議会に注がれるというのは変化のきっかけになりそうでありがたい。

この神戸新聞の記事に「当局(市役所のエライさん達のことだが)側も警戒感を強めている」とあるのは面白い。

神戸新聞が地元紙のしがらみの中でさりげなく実情を報道するとはあっぱれだ。

 
八軒家南斉さんの最新記事がUPされた
☆お会いしたこともお話を伺ったこともないのに、この人は掛け値なしのホンマモンだと思って私淑している人が何人かいる。

そのうちのお一人である“八軒家南斉”さんは、有難いことに頻度は低いがご自分のブログを時々更新される。

 つい最近も新しく書かれた記事がUPされた。

元々は長年、実務の修羅場を渡ってきた人だけに、本質をぐっと掴んでそれをわかりやすい言葉で書き下ろしてくれる。

今回の東日本大震災に関するコンテンツはいつになく長文ですがぜひ通読されんことを!

一部引用・・

・・、お涙ちょうだいばらまき工事がつぎつぎに大手を振って企画されるのが心配である。

復興の美名のもとに、二度と大津波に流されない、超巨大防波堤などだ。万里の長城や,戦艦大和はもうたくさんだ。

納税者のぼくの立場からいえば、破綻に瀕している財政から、税金や国債で吸い上げたカネをそんな風に使ってほしくない。

ある専門家は、津波のエネルギーに抵抗できる人工の構築物はないと言いきっているのだ。無理はあかん。無理は負けるで。

 つぎに人口が減り、高齢者が増えるという冷厳な現実が日本にせまってくる。

好むと好まざるにかかわらず。人口の80%が都市に集まると予測されている。

いくら勢いよくグランドデザインとか、ビジョンを作文してうたいあげても、それが現実を踏まえなければ、冷厳なグローバルな市場原理の流れには勝てないような気がする。

残念ながら、東北は、その少子高齢化社会の未来のサンプルにほかならない。

2010年に一一六八万人が、2050年には七二二万人に減るという政府予測だ。その半分は、高齢者だ。

長い年月を経ると、いかに故郷が恋しかろうと、市場原理のままに、人々は、移動する。集落も、工場も。なにも、日本に限ったことではない。

若いひとが、ふるさとを出てゆく。残るのは老人たちばかり。

先祖は、傾斜のきつい山ぎわの田んぼを段々に耕したが、機械のはいらないまは、耕作放棄地にせざるを得ない。

地元に、若い人のやりたい仕事がなく、食えないからだ。

三陸海岸の水産物か工場は、研修生という名の中国人労働者がいなければ操業できない。

茨城県のイチゴハウスも、収穫する中国人労働者が帰国したため、ハウス内で枯れてしまった。

労働力不足の東北は、五十年後、百年後にはどうなるだろう。

 このまま、研修生という名の低賃金の外国人労働力によって、支えられる「特区」地域となるほかないのだろうか。

それでは、市場原理にさからわない東北再生をどのように計画するか。地域のだけでなく、日本の叡智が試されるだろう。

政治家がグランドプランをどれほど提示しようとも、口当たりの良い元気のいいアイデアは、よく吟味せねばならぬ。

日本列島改造論を思い起こしてほしい。バブル後の町おこし、村おこしは、全数絶滅した。

死屍累々、また夕張のような事例が、選挙の公約で、また出現しないとも限らない。

膨大な負債を残し、子や孫に引き継がれる。あやまちは、忘れられ繰り返される。リアス海岸の津波対策のように。・・

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