神戸文学館の対面に山手幹線をはさんで、『兵庫県立横尾忠則現代美術館』が11月3日にオープンしました。
神戸文学館で田辺聖子展を見た後、横尾忠則展にも足を伸ばしました。4階からは目の前に、
当地に創立された時に関西学院大学のチャペルだった神戸文学館の建物を俯瞰することが出来ました。

兵庫県西脇市で生まれ育ち、高校卒業後、神戸新聞に入社という経歴もあり、彼は自分の作品を兵庫県に寄贈しました。
それを受けて、王子動物園近くにあった県立美術館が、浜側のHATに新設された後の旧館のうち西館が改装されて、
彼の美術館に生まれ変わりました。

昭和40年前後から、雑誌「話の特集」の表紙やグラビヤに毎号登場して知った横尾忠則。何となく胡散臭く、芝居の書き割りのようで、
しかし色使いは鮮烈で独特。職人なのか芸術家なのか。この嘘っぽさと卑俗の塊のような横尾ワールドはどこか自分の波長に合って好きです。
展示されている作品は彼のポスターとは別の世界で、心象風景が描かれているものが多くて新鮮でした。
また最近彼がしつこく題材に取り上げるY字路のとっかかりの家と分かれる道の絵は、不思議な懐かしい感じが湧いてきてその場に長く立ちました。
見終ってこの人のはったりワールド感にまたまた疲れて、バスで三宮に出て、中村屋でワンコインAセット(クシカツ5本と飲み物セレクション一杯)500円で
疲れをとりました。今日はぬる燗ではなく赤ワインでクシカツをやりましたが、気分にぴったりでした。
神戸文学館で田辺聖子展を見た後、横尾忠則展にも足を伸ばしました。4階からは目の前に、
当地に創立された時に関西学院大学のチャペルだった神戸文学館の建物を俯瞰することが出来ました。

兵庫県西脇市で生まれ育ち、高校卒業後、神戸新聞に入社という経歴もあり、彼は自分の作品を兵庫県に寄贈しました。
それを受けて、王子動物園近くにあった県立美術館が、浜側のHATに新設された後の旧館のうち西館が改装されて、
彼の美術館に生まれ変わりました。

昭和40年前後から、雑誌「話の特集」の表紙やグラビヤに毎号登場して知った横尾忠則。何となく胡散臭く、芝居の書き割りのようで、
しかし色使いは鮮烈で独特。職人なのか芸術家なのか。この嘘っぽさと卑俗の塊のような横尾ワールドはどこか自分の波長に合って好きです。
展示されている作品は彼のポスターとは別の世界で、心象風景が描かれているものが多くて新鮮でした。
また最近彼がしつこく題材に取り上げるY字路のとっかかりの家と分かれる道の絵は、不思議な懐かしい感じが湧いてきてその場に長く立ちました。
見終ってこの人のはったりワールド感にまたまた疲れて、バスで三宮に出て、中村屋でワンコインAセット(クシカツ5本と飲み物セレクション一杯)500円で
疲れをとりました。今日はぬる燗ではなく赤ワインでクシカツをやりましたが、気分にぴったりでした。

茹でたてに具をからめるのではなく、茹でた麵を、フライパンで具と一緒にしっかり炒めた昔ながらのナポリタン。タマネギとブロッコリーの軸のスライスもおいしく炒められていた。
2012.12.16 ~ 2012.12.22
閲覧記事数: 9224 PV
訪問者数: 2194 IP
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ワシの力よりも体重が重くて幸い、落としましたが・・。もしもう少し小さくワシが大きかったら。
ワシから見たら格好の獲物に見えたようです。カナダの公園で鷲の飛行を撮影していたビデオ。
撮影者も“くそっ”と言いながらかけつけています。
関東から国東半島に移りすんだ鹿児島出身のH川さんから、今年もH川ファームで採れた「ムラサキヤマイモ」を頂きました。今年は少し小さいとのことですが、独特の風貌?には威厳があります。このイモを摺ってトロロにして食べると、ムラサキ色の鮮やかさ、粘りの強さ、甘みを感じる独特の風味に驚きます。届いた宅急便を開くと、美しい秋ジャガイモと見事に結実した大きなキャベツも入っていました。


H川ファームさんの年々の体験の積み重ねが、これらの産物に現れているような気がします。
昨年のムラサキヤマイモのエントリ。大阪の勤務先で出会うまで、所属した部門もそれまで勤務した土地も全く違っていた2人。自分の属した営業グループと彼の営業グループが、たまたま隣同士のシマに席の配置があったのがきっかけです。お互い飲んで喋るだけの付き合い。気が合うと言うのはあるもんです。H川さん今年もありがとうございました。


H川ファームさんの年々の体験の積み重ねが、これらの産物に現れているような気がします。
昨年のムラサキヤマイモのエントリ。大阪の勤務先で出会うまで、所属した部門もそれまで勤務した土地も全く違っていた2人。自分の属した営業グループと彼の営業グループが、たまたま隣同士のシマに席の配置があったのがきっかけです。お互い飲んで喋るだけの付き合い。気が合うと言うのはあるもんです。H川さん今年もありがとうございました。
「減装(へらそう)ショッピング」と言う概念を提案し、それを世間で実行している[NPO法人ゴミジャパン]という組織があることを初めて知りました。「特定非営利活動法人ごみじゃぱん」の代表理事の石川雅紀さんの講演が、12月12日、ある団体の第1458回午餐会でありました。会場は湊川神社「楠公会館」でした。
◎ごみじゃぱんのHPから引用
「減装ショッピングとは・・・
ごみじゃぱんが提唱する、普段の買い物で無理なくごみを減らす運動名称です。 ごみの問題を「捨てる」時ではなく「買う」時から考えていただく意識改革で、中身が同じなら、包装ごみを減らした商品の価値をご理解いただき購入する買い物基準です。 同じカテゴリーの商品に比べ容器包装の重量が約半分(48%、推奨カテゴリーにおける平均値)の商品を「減装(へらそう)商品」として推奨。 生活者が推奨カテゴリー全体で「減装商品」を購入すると、重量で家庭ごみの約20%、体積で約60%を占める容器包装ごみが半分となり、重量12~13%、体積30%を減らせることが推計できます。」
◎事務局が事前に配布したシートにあった講師のある文章に、原発問題に直結する課題だと自分が即、思ったら、講師も原発問題を例に取り上げて話し始めました。
「わからないけれども決めなければならない事を、如何に合理的に決めるのか」。
大学の研究者が研究テーマにこの題目を持っていることに嬉しい驚きを感じました。







内容もスピーチも、メリハリが効いていて興味深く聞きました。大学の教授が学生たちとNPO法人を作り、社会的実践活動をする時代になっていることにも、日本がプラグマティズムの国アメリカと同じ社会的ステージに入りつつあることを感じました。
◎ごみじゃぱんのHPから引用
「減装ショッピングとは・・・
ごみじゃぱんが提唱する、普段の買い物で無理なくごみを減らす運動名称です。 ごみの問題を「捨てる」時ではなく「買う」時から考えていただく意識改革で、中身が同じなら、包装ごみを減らした商品の価値をご理解いただき購入する買い物基準です。 同じカテゴリーの商品に比べ容器包装の重量が約半分(48%、推奨カテゴリーにおける平均値)の商品を「減装(へらそう)商品」として推奨。 生活者が推奨カテゴリー全体で「減装商品」を購入すると、重量で家庭ごみの約20%、体積で約60%を占める容器包装ごみが半分となり、重量12~13%、体積30%を減らせることが推計できます。」
◎事務局が事前に配布したシートにあった講師のある文章に、原発問題に直結する課題だと自分が即、思ったら、講師も原発問題を例に取り上げて話し始めました。
「わからないけれども決めなければならない事を、如何に合理的に決めるのか」。
大学の研究者が研究テーマにこの題目を持っていることに嬉しい驚きを感じました。







内容もスピーチも、メリハリが効いていて興味深く聞きました。大学の教授が学生たちとNPO法人を作り、社会的実践活動をする時代になっていることにも、日本がプラグマティズムの国アメリカと同じ社会的ステージに入りつつあることを感じました。
最近別のビルに移転したと聞いていましたが、新しい店は前より広くなっていました。広くなっても板場は主人が一人でやっていました。長年の友人がシングルになった祝いの席が『与志』であって、九州佐賀からかけつけた一人をいれて6人がトラフグコースを楽しみました。大椎会(おいしいかい)のメンバーであるIさん設営ありがとう。彼は『与志』のもう長いお客さんです。




北新地は久しぶりでしたが、不況とは言えそれなりに人は出ており、表通りではない小さな雑居ビルの3階にある『与志」もテーブル2席とカウンター8人があっと言う間に満席になりました。おいしい店はみなよく知っているということかもしれません。






北新地は久しぶりでしたが、不況とは言えそれなりに人は出ており、表通りではない小さな雑居ビルの3階にある『与志」もテーブル2席とカウンター8人があっと言う間に満席になりました。おいしい店はみなよく知っているということかもしれません。
フランス・ガンマプレス社の日本代表である写真家栗田格さん撮影の写真が、日本記者クラブ会報の表紙を飾りました。
TV実況を3時間以上見ましたが、あの党首討論会の全容を完璧に切り取った写真だと思います。
並み居る大手新聞社の写真部所属カメラマンのPhotosを差し置いて、
日本記者クラブの編集部は栗田さん撮影の写真を選びました。
◎写真家の栗田格さんは本ブログのシリーズ、「 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録」を撮影された報道写真家です。
もう6年ほどお付き合いをさせてもらっています。阪神淡路大震災を記録したシリーズはこちらです。