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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

阪急電車御影駅周辺と甲南病院のある高台から 2006年2月22日撮影          Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年09月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

深田池

甲南病院

弓弦羽神社方面

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9月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年09月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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旧中川でシラサギがゆったり休んでいた。

2021年09月25日 | 身辺あれこれ

 

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「外郎うり」 全文  口の回りが覚束なくなってきた私のエクササイズ プロのアナウンサーたちが暗記してベテランでもこれを一日一回は声に出す 

2021年09月25日 | ゲストルーム

外郎うり(ういろううり)

拙者せっしゃ親方と申すは、お立合いのうちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸をって二十里上方にじゅうりかみがた相州小田原一色町そうしゅうおだわらいっしきまちをお過ぎなされて青物町あおものちょうを登りへおいでなさるれば,欄干橋虎屋藤右衛門らんかんばしとらやとうえもん、只今は剃髪ていはつ致して円斎えんさいと名乗りまする。

 元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで、お手に入れまするこの薬は、昔、ちんの国の唐人とうじん外郎ういろうという人、わがちょうへ来たり、みかど参内さんだいの折からこの薬を深くめ置き、用ゆる時は一粒いちりゅうずつ、かぶりの隙間より取りいだす。ってその名をみかどより、透頂香とうちんこうたまわる。即ち文字もじには「いただき・く・におい」と書いて、とうちんこうと申す。

 只今はこの薬、ことほか世上せじょうひろまり、方々ほうぼう似看板にせかんばんいだし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のといろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」といたしたは親方円斎ばかり。もしやお立合いのうち熱海あたみとうの沢へ湯冶とうじにおいでなさるるか、又は伊勢いせ御参宮ごさんぐうの折りからは、必ず門違かどちがいなされまするな。お登りならば右のかた、お下りなれば左側,八方はっぽうむね、表がむね玉堂造ぎょくどうづくり、破風はふには、菊に桐のとう御紋ごもん御赦免ごしゃめんあって系図正しき薬でござる。

 いや最前さいぜんより家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身しょうしん胡椒こしょうの丸呑み、白河夜船しらかわよふね。さらば一粒いちりゅう食べかけて、その気味合いをお目にかけましょう。ずこの薬をかように一粒いちりゅう舌の上にのせまして腹内ふくないへ納めますると、イヤどうも言えぬは、しんはいかんがすこやかになって薫風くんぷうのんどより来たり。口中こうちゅう微涼びりょうを生ずるがごとし。うおとりきのこ・麺類の食い合わせ、そのほか万病まんびょう速効ある事、かみごとし。 さてこの薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独楽ぜにごまがはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。

 そりゃそりゃそりゃ、そりゃそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。アワヤのんどサタラナしたに、カ歯音しおん、ハマの二つはくちびる軽重けいちょう開合かいごうさわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお。一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、盆豆盆米盆牛蒡ぼんまめぼんごめぼんごぼう、摘みたでつみ豆つみ山椒ざんしょう書写山しょしゃざん社僧正しゃそうじょう粉米こごめのなまがみ粉米のなまがみこん粉米の小生こなまがみ、繻子しゅす緋繻子ひじゅす、繻子・繻珍しゅっちん。親も嘉兵衛かへい子も嘉兵衛、親かへい子かへい子かへい親かへい。古栗ふるくりの木の古切口ふるきりぐち雨合羽あまがっぱ番合羽ばんがっぱか、貴様のきゃはんも皮脚絆かわぎゃはん、我等がきゃはんも皮脚絆。しっ皮袴かわばかまのしっぽころびを、三針みはりはりなかにちょと縫うて、縫うてちょとぶんだせ。河原撫子かわらなでしこ野石竹のぜきちく、のら如来、のら如来、のら如来に、のら如来。一寸いっすんのお小仏こぼとけに、おけつまずきゃるな。細溝ほそみぞにどじょにょろり。京の生鱈なまだら奈良生学鰹ならなままながつお、ちょと四五貫目しごかんめ、お茶ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹あおだけ茶せんでお茶ちゃっと立ちゃ。

 来るは来るは何が来る、高野の山のおこけら小僧、狸百匹たぬきひゃっぴき箸百膳はしひゃくぜん天目百杯てんもくひゃっぱい棒八百本ぼうはっぴゃっぽん。武具馬具ぶぐばぐ、ぶぐばぐ、合わせて武具馬具、武具馬具。菊栗きくくり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。むぎごみ、むぎごみ、むぎごみ、合わせてむぎごみ、むぎごみ。あの長押なげし長薙刀ながなぎなたが長薙刀ぞ。向こうの胡麻ごまがらはのごまがらかごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻まごまがら。がらぴいがらぴい風車かざぐるま。おきゃがれこぼし、おきゃがれこぼし、ゆんべもこぼして又こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。たっぽたっぽひいだこ、落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳ごとく鉄灸てっきゅう金熊童子かなぐまどうじに、石熊・石持ち・虎熊・虎きす。中にも東寺とうじの羅生門には、茨木童子いばらぎどうじがうで栗五合ぐりごんごう、つかんでおしゃる、頼光らいこうの膝元去らず。

 ふな金柑きんかん椎茸しいたけ・さだめて後段ごだんな、そば切り、そうめん、うどんか愚鈍ぐどんな、小新発知こしんぼち小棚こだな小下こした小桶こおけにこ味噌が、こ有るぞ、小杓子こしゃくし、こ持って、こすくって、こ寄こせ、おっと合点がてんだ、心得こころえたんぼの川崎・神奈川・程が谷・戸塚は走って行けばやいとりむく三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿しゅくを七つ起きして早天早々そうてんそうそう相州小田原とうちん香。隠れござらぬ貴賎群衆きせんぐんじゅの花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心を御和おやわらぎゃっという、産子うぶこう子に至るまで、此の外郎ういろうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、つの出せ棒出せ、ぼうぼうまゆに、うすきね・すりばち・ばちばちぐわらぐわらぐわらと羽目をはずして今日こんにちいで何茂様いずれもさまに、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息勢いきせい引っぱり、東方とうほう世界の薬の元締め、薬師如来やくしにょらい照覧しょうらんあれと、ホホ敬ってういろうはいらっしゃりませぬか。



プロのアナウンサーたちは暗記してベテランでもこれを一日一回は声に出すのだそうです。

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9月24日に目に留まったSNS・メディアの記事    &     阿智胡地亭の総裁選予想

2021年09月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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自民党内での選挙でしかないのに天下の一大事のように報道を繰り広げる大手メディア。茶番劇を見せられる我々が哀れだ。

次の首相は岸田さんになるだろう。宗主国のいう事を素直に聞きその指示に従うのは岸田さんを置いてはないから。

宗主国の諜報機関は日本のメディアを動員して、これから岸田さんの流れを確実にしていく。

 

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9月24日 月下美人の二つの花芽は順調に成長しています

2021年09月24日 | 花・草・木・生き物

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開港二日目の神戸空港   2006年 2月18日 撮影     Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年09月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

この日 総社市に住む友人の三上君から 突然電話があり、いま新幹線の新神戸駅に着いたんだけど 神戸空港を一緒に観に行こうと言ってきた。

それまで事前連絡はなかったが幸い、すぐ動ける状態だったので、三宮のポートライナーの改札口で落ち合うことにして家を出た。

空港見学のあと、三宮でどこかの店で食事をしたが、その店がどこだったかの記憶はない。

神戸空港へは三宮からのポートライナーが延伸した。

神戸空港

大阪市の西約26キロメートル[注 1]、神戸市の中心部、三宮の南約8キロメートルに位置する地方管理空港関西国際空港大阪国際空港(伊丹空港)とともに、関西三空港のひとつに数えられる。海上都市ポートアイランドの沖合約1キロメートルに造成された人工島の神戸空港島に建設され、2006年2月16日開港[2]。神戸市が設置・管理し、市営空港としては旭川空港帯広空港に次いで国内3番目、旧第三種空港の中では、市が初めて建設から運営までを手がけた空港である。

開港以来、神戸市が空港運営を行っていたが、民間事業者に運営権を売却。2018年4月1日から、オリックスヴァンシ・エアポート関西エアポートの3社によるコンソーシアムが設立した「関西エアポート神戸株式会社」が運営を開始[3][4]し、同コンソーシアムが関西三空港を一体的に運営している。今後、空港ターミナルビルの改修や搭乗手続きの効率化、三空港の一体運営を活かした路線誘致などに取り組むことを予定している。

2500メートルの滑走路1本と空港ターミナルビルなどの施設がある。ターミナルビルは、コンパクトで誰もが使いやすいターミナルをコンセプトに設計され、隣接するポートライナー神戸空港駅と数メートルの連絡通路で直結する。三宮までの所要時間は、ポートライナーで18分、バスで22分(新神戸駅まで同じく直通22分)と、神戸市中心部へのアクセス利便性が高い。このほか、神戸-関空ベイ・シャトルが、関西国際空港との間を高速船により約30分で結んでいる。近くのポートライナー沿線には、次世代スーパーコンピュータ「」、神戸医療産業都市神戸コンベンションコンプレックスなどがあり、「日本一空港に近い」ことを謳っている。Wikipediaから一部引用。

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(黒曜石の)採掘口の大きさに驚き 下諏訪・星ケ塔遺跡ツアー始まる   長野日報

2021年09月24日 | 諏訪便り

 2021年9月21日 6時00分   巨大な縄文人の黒曜石採掘口に驚く参加者

NHKの人気番組「ブラタモリ」の放映をきっかけに注目を集めている「星ケ塔黒曜石原産地遺跡」の見学をメーンにしたツアーが20日、下諏訪町内で初めて行われた。

午前と午後の2回あり、県内各地から合わせて25人が参加。立ち入りには許可が必要な東俣国有林内の標高約1500メートルにある縄文時代の黒曜石の採掘口などを見学。

はるか昔の縄文時代に思いをはせた。

同ツアーは下諏訪町観光振興局が企画。遺跡の観光資源としての可能性に目を付け、「観光に不向きとされていた遺跡を新たな観光資源として町の観光振興に役立てよう」と

旅行商品として売り出した。ツアーは11月までの土日を中心に開催する。日帰りと宿泊プランがあり、日帰りはすでに完売している。

この日、参加者はJR下諏訪駅に集合し、バスで移動。黒曜石や遺跡に関する展示を行う同町内の星ケ塔ミュージアム「矢の根や」を見学した。

その後、数ある採掘跡の中で唯一、縄文人が採掘した痕跡と黒曜石の鉱脈が見られる採掘口を見学した。

ガイドを務めた町教育こども課の宮坂清さんは、各所で星ケ塔遺跡や縄文人、黒曜石などについて解説した。

採掘口前では「考古学的には星ケ塔が日本最古の鉱山跡」「少なくともここから40キロ離れた金生遺跡(山梨県北杜市)の縄文人が星ケ塔で採掘していたのは確か」

「縄文人にとって星ケ塔の黒曜石は砕きやすく採掘しやすかったと思われる」などと話していた。

参加者は「縄文人がこんな山奥まで来ていたとは」とみな驚いた様子。実践女子大学美学美術史学科の宮下つくしさん(22)=岡谷市湖畔=は

「学芸員を目指しているのでさまざまな知識を身につけたいと思って申し込んだ。実際に見てみると思っていた以上に大きな採掘口で驚いている」と話していた。

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9月23日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年09月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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月下美人の花芽が新しく二つ伸びてきた。

2021年09月23日 | 花・草・木・生き物

一カ月ほど前に出た二つの花芽は残念ながら小さいままで落ちてしまったが 今回の花芽は成長しそうだ。

 元の鉢の月下美人から伸びた枝を何本も切ってそれを挿し木し、新しく作った月下美人の鉢から出た花芽

50年ほど前からある元々の鉢の月下美人から伸びた花芽

錦糸町のダイソーで100円で買った「ステレオスペルマム」も元気にのびのびと大きく育っている

30年近く前、5㎝ほどの高さの時に大阪淀屋橋の花屋で買ったガジュマルも葉をのばして成長を続けています。

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神戸ミントビル 工事中 2006年2月5日撮影  ポートライナーでポートアイランドへ   Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年09月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

JR三ノ宮駅から ポートライナーで ポートアイランドへ向かう。

 

神戸新聞会館(神戸ミントビル)Wikipediaから

竣工から被災まで[編集]

1956年、それまで兵庫区新開地にあった神戸新聞、デイリースポーツの本社機能を中心に、日本国有鉄道(国鉄、現・西日本旅客鉄道(JR西日本))三ノ宮駅の目前の場所ということで、商業施設・映画館も兼ね備えた総合ビルディングとして建築され、地元の市民からも親しまれた。設計者は村野藤吾[1]。北側の壁面には、富士山が描かれた山一證券の巨大広告があり、「神戸の富士」と言われ名物になっていたほか、三宮交差点からも見える西側の壁面には電光掲示板を備え、1行文字を流すことでニュースを伝えるという新聞社屋ならではのサービスもあった。

なお、三ノ宮駅の目前の場所に本社機能を構えた背景には、モータリゼーション以前であった竣工当時は、記事輸送・新聞配送とも鉄道に大きく依存していたことが挙げられる。実際、三ノ宮駅の西口と新聞会館との間には、専用の地下通路(駅構内に直結)があり利用されていたと言われているが、震災直後にすべて撤去されている。

また、屋上には震災まで松下電器産業(現・パナソニック)のネオンが掲示された。

被災後[編集]

1995年1月17日阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)により、同ビルは崩壊の危険がある全壊に近い被災をする。一時は、新聞の発行が危ぶまれたが、災害協定を結んでいた京都新聞の協力により無休で新聞を発行して生々しい震災の状況を伝えた。

同系のデイリースポーツも発行が危ぶまれたが、日本経済新聞社(東京本社)の協力により翌日の新聞を発行して震災の状況を伝えた。

1995年2月、神戸新聞社は、登記上本社を西区室谷の製作センターに、社屋を神戸ハーバーランドダイヤニッセイビルに暫定的に移転する。その後、当会館は解体工事が行われて整地され、暫定的に駐車場として開放される。本社・社屋については1996年から同社が運営する「神戸情報文化ビル」に正式に移転した。

映画館[編集]

旧新聞会館内にはオーエス株式会社経営・運営による映画館があり、1959年6月1日、3階 - 6階部分に「新聞会館大劇場」(座席数:1,280席[2])、7階に「スカイシネマ」(座席数:240席)が開業。阪急会館や三劇(三宮劇場)と共に兵庫県内における東宝系映画館のチェーンマスターとして親しまれたが、1987年7月、大劇場が閉館。スカイシネマのあった7階は「新聞会館シネマ」に改装され2スクリーン体制(シネマ1:300席、シネマ2:222席)となり営業を継続した。大震災発生前に上映されていた作品はシネマ1が『ジュニア』、シネマ2が『酔拳2』だった。

ミント神戸[編集]

ミント神戸
M-INT Kobe
Mint Kobe 20200425.jpg
ミント神戸
情報
用途 バスターミナル映画館OSシネマズミント神戸)、スーパーマーケットKOHYO三宮店)、神戸新聞文化センターほか
設計者 竹中工務店[3]
施工 竹中工務店、日立製作所
管理運営 株式会社神戸新聞会館
構造形式 S造SRC造RC造
敷地面積 2,560 m²
建築面積 2,200 m²
延床面積 41,000 m²
階数 地下2階・地上18階
竣工 2006年平成18年)
開館開所 2006年平成18年)10月4日[4]
所在地 〒651-0096
兵庫県神戸市中央区雲井通7丁目1-1
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2004年3月から震災復興10年を契機として神戸新聞会館の再建工事が実施されることとなり、神戸新聞社自体は入居しないものの商業・オフィス複合ビルとして2006年10月4日にオープンした[4]。「神戸新聞会館」をビルの正式名称として引き継いだうえで、新たに、愛称を「ミント神戸(M-INT KOBE)」と定めた。なお、「ミント神戸」の愛称が採用された当初は、地下1階から9階までの商業施設部分の愛称とする見込みであったが、開業のころになると、ミント神戸の知名度が大きくなり、結局、建物全体において「ミント神戸」の愛称が使われるようになった。

地上18階・地下2階建て、延べ床面積約41,000平方メートル。ファッション、グルメ、8スクリーンのシネマコンプレックスなど65店が入る複合商業ビル。他に献血ルームが当館15階に入居している。1階には高速バスの三宮バスターミナルの機能を備える[4]

地下1階は、阪神百貨店の食品売り場である「さんのみや・阪神食品館」として開業したが、売り上げ低迷のため2010年4月1日から一時休業、同年12月31日をもって閉店した。その後2011年9月22日に、後継店舗としてKOHYO三宮店が開業した。

また、ビル東側のサンシティビルと「雲井マリン・ロード」という地下道で結ばれた。震災前、サンシティビルができた当時、秀味街とプランタン神戸本館(サンシティビルの核テナント)を地下でつなぐ計画があったとされるが実現せず、震災復興を経て実現したことになる。なお、秀味街は2002年ごろに閉鎖され、ミント神戸の「M-KITCHEN」として整備された。プランタン神戸本館については震災後営業再開されることがないまま閉店となり、1995年4月からダイエー神戸三宮店が入居している。

2012年3月20日には阪神三宮駅(現:神戸三宮駅)に東口が新設され、ミント神戸と地下で直結された。

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9月22日に目に留まったメディアの記事

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HAT神戸  2005年10月10日撮影  兵庫県立美術館のあたり    Kobeノスタルジックシーン シリーズから

2021年09月22日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

HAT神戸(ハットこうべ)は、神戸市の東部新都心として開発された地区の名称。名称の「HAT」とは「Happy Active Town」の略で、公募により決定された。三宮地区を中心として、西側のハーバーランドと対をなす東側の新都心である。1996年に着工、1998年に供用が開始。

区域は概ね阪神高速3号神戸線の摩耶出入口から生田川出入口の区間の南側にあたる。当地区は、屋内スキー施設のマヤ・エスポートや川崎製鉄阪神製造所、神戸製鋼所等があったが、阪神・淡路大震災の被災により、移転や空き地となった。Wikipediaから部分引用。

 兵庫県立美術館は、2002年に開館した神戸市の「HAT神戸」にある美術館です。

 

 

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久しぶりの「銚子丸」  久しぶりの“にぎり”とアラ汁が旨かった。

2021年09月22日 | 食べる飲む

食べ終わってから京葉道路のバス停で小岩行の都営バスに乗り、小岩へ出て散髪をして帰った。髭剃り、調髪、洗髪の標準コース1700円なり。

神戸にいた時代はJR神戸線の最寄り駅を中心に元町、三宮、西宮あたりをうろついていたが、「東京東部の在」へ来てからは総武線の最寄り駅を中心に

西は両国、錦糸町、亀戸、東は新小岩、小岩のあちこちをほっつき歩いている。

JR小岩駅構内の当地出身の横綱“栃錦”の銅像はいつも凛々しい。

昨年12月に行った「銚子丸」のエントリー→こちら

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9月21日に目に留まったメディアの記事

2021年09月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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