阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

 “みなさまに支えられて”いるNHKが76年前まで、連日ラジオで流していた 作詞:西条八十 作曲:古関裕而 「比島決戦の歌」  YouTube

2021年12月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

比島決戦の歌

引用元

比島決戦の歌 作詞:西条八十 作曲:古関裕而           読売新聞社が軍の依頼を受けて西条と古関に依頼した。
フィリピン戦を目前にして国民の士気を煽る必要から、敵将ニミッツとマッカーサーの名前を入れるように要望があった。
しかし打ち合わせで西条がそれを断ると出席していた陸軍報道部の親泊中佐がその場で「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」と代筆してこの曲が出来上がった。
1944年12月17日に発表会が行われ、同年12月26日に酒井弘、朝倉春子、日蓄合唱団によってレコーディングされた。
フィリピン戦が行われている間は連日ラジオで放送していたが、現在までにレコードは1枚も発見されていない。
レコードの発売予定は物資欠乏が深刻化した昭和20年3月、同時期発売のレコードも一切発見されていない所を見ると、発売されなかったようである。
SP盤収集家・ハンドルネームPolyfar氏のブログ「レコード狂の詩」の2006年5月15日の項によれば、
前述の「台湾沖の凱歌」以降のレコード番号に16個ほどの連番での欠番があり、その中に「比島決戦の歌」が含まれていることを指摘している
(レコード番号は「台湾沖の凱歌」:100920、「比島決戦の歌」:100930)。ニッチクはその昭和20年3月頃までレコード生産を行っていたが、
プレス製造機械供出で以降のレコード生産は実質停止している。 「敗戦と共に楽譜は全て廃棄された」(楽譜に関しては古関裕而記念館に展示されている他、
「昭和二万日の全記録⑥太平洋戦争」(講談社)のグラビアページに楽譜とレーベル原稿の写真が掲載されていることから
、少なくとも完全な「廃棄」は誤りと言える)、「西条と古関が戦犯指名される」との噂も飛び交ったが、当のマッカーサーは全く関心をもたずに何も起こらなかった。
後にレコード会社が古関裕而の全集を発売する時、許諾のため古関本人に尋ねたところ「もうこの歌だけは勘弁してくれ」とレコード化を拒否されたという。
尚、本作は古関の死後、戦後50周年企画として新たに吹き込まれている(この際、江口夜詩の息子で作曲家の江口浩司が編曲している)他、
藍川由美、小沢昭一がその前後にレコーディングをしている。
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12月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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 世界上位1%の超富裕層の資産が今年、世界全体の個人資産の37.8%を占めたことが、経済学者ら100人超による国際研究で分かった。

下位50%の資産は全体のわずか2%だった。コロナ禍で落ち込んだ景気への刺激策で株式などの資産価値が急騰、格差が一段と広がった。

 特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1490兆円)超を占め、富の集中は鮮明。

研究報告書は「不平等は今後も広がり続け、巨大な水準に達する」と懸念し、富裕層や巨大企業への課税強化が不可欠だと訴えた。

 日本も富の分布は「西欧ほどではないが非常に不平等だ」と指摘した。(ワシントン共同)

 

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冬でも元気なベランダのガジュマルやおたふく南天や月下美人

2021年12月26日 | 花・草・木・生き物

ステレオスペルマム

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12月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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 沖縄県の米軍キャンプ・ハンセン(金武(きん)町など)で発生した200人を超える新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)。

政府は変異株「オミクロン株」の流入を阻止するため、外国人の新規入国を原則禁止する厳しい水際対策を取り、米軍も検疫については

「日本と整合的な措置を取る」と説明してきたはずだが、なぜクラスターは発生したのか――。

 24日、キャンプ・ハンセンに隣接する金武町立体育館では町民らを対象にした無料のPCR検査が実施された。基地内で働く日本人従業員らには

オミクロン株の感染者が確認されており、キャンプ・ハンセンのクラスターもオミクロン株による可能性が高い。それだけに町民の不安は大きい。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/12/25/20211225k0000m040209000p/9.webp?1" type="image/webp" />キャンプ・ハンセンの外に出た後、マスクを着ける米軍関係者=沖縄県金武町で2021年12月24日午後3時32分、喜屋武真之介撮影</picture>拡大
キャンプ・ハンセンの外に出た後、マスクを着ける米軍関係者=沖縄県金武町で2021年12月24日午後3時32分、喜屋武真之介撮影

外国人客が多いという近くの理容室で働く70代女性は「米国から来たばかりの人はあまり店に来ないが、基地内で感染が広がっているかもしれないので心配で検査に来た。

こんなに早く、身近なところでオミクロン株が出るとは。米軍は住民のことを考えて対策を取ってほしい」と語った。

 ハンセンでのクラスターが判明したのは12月17日のことだ。午後に米海兵隊が報道機関向けに「部隊配置計画の一環でキャンプ・ハンセンに到着した複数の隊員からコロナウイルス陽性者が確認された」と発表した。夜には玉城(たまき)デニー知事が記者会見し、米軍からの情報でクラスターは99人に上り、県の検査で日本人従業員1人のオミクロン株感染が確認されたと明らかにした。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/12/25/20211225k0000m040210000p/9.webp?1" type="image/webp" />唾液の入った採取容器を確認するPCR検査のスタッフ=沖縄県金武町で2021年12月24日午後0時52分、喜屋武真之介撮影</picture>拡大
唾液の入った採取容器を確認するPCR検査のスタッフ=沖縄県金武町で2021年12月24日午後0時52分、喜屋武真之介撮影

 県に対する米軍の説明によると、感染した海兵隊員は二つの部隊に所属しており、12月上旬に米国の基地から米軍嘉手納(かでな)基地(嘉手納町など)に直接、航空機で到着した。政府は現在、オミクロン株の流入を阻止するために入管法を根拠に外国人の新規入国を原則禁止としているが、日米地位協定9条で米軍人は入管法の適用対象外で、自由に出入国できるようになっている。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/12/25/20211225k0000m040211000p/9.webp?1" type="image/webp" />新型コロナウイルスのクラスター発生後も、キャンプ・ハンセン前の飲食店街を行き交う米軍関係者ら=沖縄県金武町で2021年12月24日午後5時23分、喜屋武真之介撮影</picture>拡大
新型コロナウイルスのクラスター発生後も、キャンプ・ハンセン前の飲食店街を行き交う米軍関係者ら=沖縄県金武町で2021年12月24日午後5時23分、喜屋武真之介撮影

 県の担当者は「昨夏に米軍側に確認した際には入国前にPCR検査を受けていると聞いていたので、それが継続していると思っていた」と驚く。ハンセンで働く基地従業員に感染者が続々と出ている背景には、こうした米軍の甘い感染防止対策があるとみられる。

 基地従業員が加入する全駐留軍労働組合沖縄地区本部の与那覇栄蔵執行委員長は20日、防衛省沖縄防衛局に感染拡大防止対策を申し入れた後、こう語った。「日本に入ってくる米兵らの検疫については、日本政府が全部把握できる形に変える必要がある。米軍任せにしておくと、こういうことになるんだから。日本政府がチェックできないというのは、主権国家としていかがなものかと思う」

 県は感染を封じ込めようと、ハンセンで働く基地従業員らの集中的な検査をすぐに実施し、濃厚接触者には原則、14日間のホテル療養を求めている。しかし、どこまで抑えられるのか、担当者の焦りは募る。「市中感染になれば、あっという間に沖縄本島全体や離島にも広がる。高齢者施設にウイルスが入り込めば大きなダメージが出る。とにかく少しでも市中感染を遅らせ、それまでの間に3回目のワクチンを接種したい」【遠藤孝康、竹内望、喜屋武真之介】

 

 

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大分県の国東半島にある「平川農園」さんから (山芋、ジャガイモ、深ネギと下仁田ネギ)が宅急便で届いた。

2021年12月25日 | ゲストルーム

頂いた翌日のお昼に 早速 下仁田ネギと、じゃが芋の一皿を楽しんだ。何とも言えないあまさととろみが口の中に沁みとおって旨かった。

 平川さん いつもおいしい野菜をありがとうございます。

 平川さんとはお互い1995年1月の阪神淡路大震災を大阪支社時代に体験した仲だ。

彼の所属した事業本部は東京・田無にあり、私も所属本部が東京・神田だったせいか、大阪支社の席の社内配置では二人が所属したそれぞれの営業部は 

フロアーのはしっこに置かれ、そこで部は隣同士になった。

 二人は すぐに互いに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになった。

他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がする。薩摩人である平川さんは酒も強かった。

 呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していた。

1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わった。

 初めて飲みだしてから30年近く経ったが、互いにその後 退職してからも連絡を取り合って、機会があれば神戸、大阪、東京と一杯やるご縁が続いているのはありがたい。

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表参道のイルミネーション   イブの代々木体育館        渋谷の街の夕方と夜 

2021年12月25日 | 身辺あれこれ

中学三年生から こんなメールが飛び込んできました。⇒「東京女子体育大学の新体操の発表会を見に、原宿に行きました。
タイミングよく夕日と代々木体育館、そして表参道のイルミネーションも見えました。渋谷の街も夕方と夜の写真です。」

Photos ©Sh・N

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12月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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亀戸中央公園の山茶花を楽しんでから旧中川河畔を歩く   その2

2021年12月24日 | 身辺あれこれ

今年は春先から年末の最近まで例年に比べると、旧中川に水鳥の数が少ない。何故だろうと心配になるが 何羽かはこの日も餌を探している姿を見ることが出来た。

 

 

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通天閣と天王寺公園と浮世絵展          2007年4月15日掲載    過去のブログエントリーから

2021年12月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

大阪で前後16年も勤務していたのに天王寺には行ったことがありませんでした。

昨日初めて天王寺公園に行き、その帰りに“通天閣”の下を通り、“新世界”でソース2度漬けお断りの串かつを食べました。


ギメ東洋美術館の「浮世絵名品展」が大阪市立美術館で開かれています。この美術館は天王寺公園の中にあります。

お花見のシーズンは終っていますが動物園もある園内に沢山の人が訪れていました。

大阪の飲み屋で知り合った男性4人組とゲストの女性の総勢5人はまずパリから里帰りした「北斎・写楽・歌麿」の浮世絵展を鑑賞しました。

館内に入ってびっくりしました。多くの老若男女が熱心に鑑賞していました。江戸時代の歌舞伎役者や花魁や芸者、お相撲さんたちがここにゆったりといました。

想像以上に展示数が多くて、今回も見終わるとぐったりしました。


同行メンバーの大阪大学の工学部教授Nさんは大阪育ちですから、公園にも詳しく、美術館の裏にある「日本庭園ー慶沢園」に案内してもらい、

そこで一休みすることが出来ました。静かないい公園でした。鯉、鮒、メダカ、亀が沢山泳ぐ池を四阿から見下ろしながら一息入れました。


同じく同行のNHK大阪の元デイレクター宮崎さんclick は連続テレビドラマのロケで何度か新世界に来ており、ぶらぶらしてから彼の知っている串かつ屋で喉をうるおしました。

やっぱり安くて旨い!。皆さんの話では、このあたりは昔と違ってすっかり綺麗になり観光地化して昔の面影はないとのことでした。

確かに昔の原節子主演の映画「めし」clickなんかで持っていたイメージの街ではもうありませんでした。


浮世の利害関係が一切ないこの4人組は付き合いだしてもう十数年になりますが、こうして時々一緒に行動して
「ほな さいなら、また今度」と別れていきます。

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12月23日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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小岩の「うどん」の店「元咲」で「さぬきうどん」を食べてほっとした。 蕎麦好きの自分もたまに関西の「うどん」が食べたくなる

2021年12月23日 | 食べる飲む

後期高齢者になって神戸から引っ越した先の東京最東部の区の在にはいい蕎麦屋があって いつでも関東だしの蕎麦をおいしく楽しめるようになったのはありがたいが、 

関西圏に通算40年暮らした身には、関西のツユの「うどん」が食べたくなる時がたまにある。

はるか昔の神田美土代町勤務時代 昼飯時に蕎麦とうどんの看板が出ている当時はまだあった小さな個人店でなにげなく「うどん」を頼んだら

当然ながら関東だしの「うどん」が出てきてまいったことがある。

 また関東圏には「蕎麦屋」はあっても 関西には普通に いくらでもある単独の「うどん屋」はまず見たことがない。

(だからなのか 関西うどんのツユのうどんのチエーン店 丸亀製麺や杵屋などが都心のあちこちにある)。

ある日ふと「たまには大阪のうどんを食べたいなあ」とつぶやいたら、あいかたが早速得意のネット検索で地域を両国・錦糸町・亀戸・新小岩・小岩にして調べて「よさげな店が小岩にあるよ」と。

  小岩に三つある商店街の内、長い「フラワーロード」(click)の真ん中あたりに「元咲」はある。

店に入ったらすぐ子供二人ずれの家族と 二人連れの女性が入ってきた。どうやら普通に固定客がついている地域密着の店のようだ。

この日は図書館帰りに京葉道路の都営バス乗り場から一時間に2本ある錦糸町か亀戸発の小岩行バスに乗ったが夕方とあって、車内はほぼほぼラッシュ並みに混んでいた。

店は居酒屋風でもあり 蕎麦前の一杯ならぬうどん前の一杯の芋焼酎のお湯割りのアテは竹輪とレンコンの天ぷらを頼んだ。

頼んだ「きつねうどん」のつゆを飲んでほっとした。望んだ味の関西うどんだった(笑)。

あいかたの調べでは小岩駅の駅ビル一階に丸亀製麵の店もあることもわかった。

これで安心して好みの「関東だしの蕎麦と関西だしのうどん」がいつでも近場で楽しめることになった。 

  歩行数 4299歩 歩行距離 2.7㎞

 

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淡路島のいかなご漁          2007年3月15日掲載     過去のブログのエントリーから

2021年12月23日 | 神弓会

神戸市兵庫区にお住まいの弓道部の高橋先輩から貴重なイカナゴ漁の画像を送って頂きました。

今年はイカナゴが不漁で昨年の三分の一しか漁獲量がないと新聞に出ていましたが、つい最近淡路島のイカナゴ漁を見学された時は、

次々網が入り大量のイカナゴが上がるのを目の前で見てこられたそうです。

イカナゴ漁は網を入れて捕獲する船と、捕った魚を即、漁港に運ぶ運搬船がセットになっていて、漁港ではその都度セリがかかり、

落札した仕入れ業者がトラックで持ち帰っていたそうです。

セリの現場で見た現地価格は漁師に気の毒なような安い値段だったそうで、主婦が店頭で買う値段は昨年のほぼ倍になっていますが、

卸し業者など中間経路のカラクリが今年の店頭価格に多少影響しているのかもしれません。
後ろに見える橋は明石大橋です。







参考までに兵庫県漁連のHPのこちらにイカナゴ漁の動画や漁法の記事があります。

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12月22日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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亀戸中央公園の山茶花を楽しんでから旧中川河畔を歩く   その1

2021年12月22日 | 身辺あれこれ

「愛知」で旨い蕎麦を手繰ってから 亀戸中央公園に向った。

以前「愛知」の奥さんに聞いたが、この亀戸中央公園が「大正7年からあった日立製作所亀戸工場」だったころ、

既に愛知は店をやっていて 工員さんたちで賑わっていたそうだが、今はあたりにもうそのよすがは偲びようもない。

 亀戸中央公園は日立の工場が昭和47年に新潟県中条に移転した後 跡地を都が買取り再利用、整備し昭和55年に開園した。

 

 

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12月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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