【世界遺産白神山地:十二湖トレッキング 2019.10.18】
ブナ林の中を光と風に導かれて辿りついたのが湧き水をたたえた「沸壺の池」。青池とは
対称的に無色透明の幽玄な佇まいだ。此処も又白神の豊かさを体感できる場所。しかし、
展望デッキは毀れてロープが張られ、訪れるのは外国人(中国?)だけという寂しさだ。
Discover Japan:美しい日本! 自然・歴史・文化・食 もう一度見直したい
参考:もう一つの青池と言われるほど池の佇まい・幽玄さは青池に近いものがある。
参照#①対照的な美しさの「青池」 ②沸壺の池の下流にある「沸壺池の清水」
【世界遺産白神山地:十二湖トレッキング 2019.10.18】
ブナ林のトレッキングは五感だ。紅葉の色彩、木々の香り、オゾンの肌触り、清水の味わい
そして白神の音。灌木の先に一筋の水の流れが見え、やがてサラサラと水音が聴こえて来た。
白神の泉場十二湖。白神の恵みはこの湧き水に支えらてる。その水音を捉えることが出来た。
参照#①白神の色(ブナスクリーン) ②白神の音(小鳥の囀り) ③白神の触(肌で感じる)
④白神の味(白神温泉静観荘) ⑤白神の香(実りの秋の十二湖は様々な香りで満ちる)
【世界遺産白神山地:十二湖トレッキング 2019.10.18】
崩山の大崩落で湖沼やブナ林とで幽玄な景観を呈する十二湖は地域の名勝として親しま
れて来た。代表的な景観が青池だ。ブナ林に碧く息づく湖水は人々を魅了してやまない。
参照#①コバルトブルーの青i池(2016.10.20) ②厳冬期の青池(2009.02.04)
【世界遺産白神山地:十二湖トレッキング 2019.10.18】
十二湖森の物産館キョロロの有料駐車場に車を置いて、トレッキング開始。最初に目
にするのが鶏頭場の池。崩山登山道入口迄の約500mのコースを左に観ながらの景勝。
秋は深く夜来の風で木の葉も散り透明感は薄いが紅葉の彩画が水面に映える様も良し。
参照#①湖畔に咲く藤の花 ② 世界自然遺産白神山地トレッキング 紀行
暗門渓流はやはり難儀な行程だ。暗門第三の滝の帰り道ようやくトレッカーと行き会った。
ヘルメットを着用していないが十分トレッキングに耐える服装。しかし、問題点がひとつ。
一人で来ている様なのだが、転落事故などが起きた場合救助者がいないという不安がある。
参考:入山料(任意)300円 ヘルメット貸料100円が本コースでは必要。筆者はマイ
ヘルメットを持参(借りてもいいが、他人の汗ばんだ安全バンドは着用したくない)
入山料は任意だが毎年コースを整備していただいてるのでこれは社会貢献で支払う。
案内:筆者は幾度も入山経験があるので不要だが白神トレッキングを楽しむ方は必要かも
因みにガイド料金は「暗門エリアコース」でガイド一名1万円(団体前後2名体制)
津軽地方では昔から景勝の地として探勝する人が多かった。しかしあくまでも地域
限定版であった。それが、世界遺産指定地域となってから周辺設備も整備され観光
バスが連なるほどになった。この周辺は手軽に『世界遺産白神山地』を体感できる。
参考:2007年に訪れた時は、この崖沿いの道は全てガードロープが設置されていた。
映像:看板横の鳥の像は白神山地の象徴的鳥の「クマゲラ」、右側が暗門渓流。
世界遺産白神山地で容易にその自然を体感出来るのが「暗門の滝」だ。しかし、
ここ数年異常気象等で折角整備した渓流遊歩道が土砂等で流され立ち入り禁止
となっていた。今年度漸く第二の滝まで立ち入りが許され、早速トレッキング。
参照:世界自然遺産隣接地の日本海沿岸部入口 (十二湖海岸部:白神山地)
祝速報・世界遺産登録決定 2018.6.30 (2015.5.17撮影)
⇧ 決定事由 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
今から381年前の1637年、島原の乱が起きた。その主戦場がこの原城。
前面は海であり、背後からは12万の幕府軍だ。到底勝ち目のない戦
いで3万7千人の死骸が散乱する光景がこの崩れかかった石垣に浮かぶ。
記録:この度、島原、天草、長崎市、五島の隠れキリシタン遺跡群が
世界文化遺産(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)に
ユネスコ諮問委員会が登録する事を勧告した。筆者は平成15年
に島原地方30年前に五島列島、長崎大浦天主堂を観察している。
感慨:地元の人々はこの廃城を単なる崖崩地としか謂わない。しかし
幾年前この地で壮絶な戦い(土一揆)が行われ凄惨な光景が展開
した事を考えれば、今回の世界文化遺産指定勧告を素直に喜ば
ざるを得ない。筆者は無神論、しかも神社の子弟である事は何
の妨げでもない。宗教以前に弱者が虐げられた事実という真実。
参照:①沈黙ーサイレンスー(KADOKAWA:TOHOシネマズIN下田)
:②原城址(肥前国有馬氏) ③天草四郎墓碑(島原城址)
日光東照宮はその昔、神仏混淆でもあった。その名残がこの五重塔である。
この五重塔高さ36M日本6位の高さ、その構造はスカイツリーの免震構造
の手本となっている。心柱は宙吊りで振子運動が五重塔を守る構造である。
神仏混淆:日本は明治時代まで神と仏は同位で祀られた。一般の家に神棚
と仏壇が今でもあるのはその名残り。神は願い事や運命的祈り、仏
は黄泉の世界への導きの鎮護願いであった。明治以降、神仏混淆は
廃仏毀釈とされ、多くの神社境内から仏教関連は分離・廃棄された。
記録:重要文化財 高さ36m 若狭小浜藩主寄進(初代消失、15代現在)
参照:東京スカイツリー(吾妻橋絶景)
( 2017年 世界文化遺産 日光東照宮探査 完 )
日光山の頂上(家康公御宝塔)を極めて再度御本社に戻る。実は奥宮には時間制限が
あり、先に奥宮に詣でたので本殿に未だ参内していない。この唐門が本殿の参内門だ。
小さいが国宝である。貝殻をすり潰した粉を塗った大名幕臣だけが通る気品のある門。
参照:この唐門の手前にある国宝「陽明門」
日光東照宮中殿にある建屋。勿論、国重要文化財。上神庫・中神庫・下神庫を総称して
三神庫とされる。この中に春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束
類が収納されている。上神庫屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻もある。
参照:同じエリアにある正面景観の「日光東照宮」
日光東照宮の奥宮を更に回り込むと徳川家康公の御宝塔(墓所)の区画にでる。
玉砂利が敷かれ、石柵塀に囲まれた敷地への入り口がこの鋳抜門。門に最後の
警護の狛犬が一対。流石に出入禁止。御宝塔を観ながら周囲を巡る事が出来る。
丹念に積み上げられた石段は陽明門に至るまでは、遠近法で奥行きがある様に積み上げら
れ段数は275も有る。奥宮にはさらに207段を登り切ると日光山の高みの奥宮拝殿に至る。
息が上った頃辿り着く。近世日本史の中心に居たといっていい徳川家康公がこの先に眠る。
解説:この奥宮拝殿も国の重要文化財。奥宮拝殿には歴代将軍しか参内が許されなかった。
時代劇で見られる様、将軍家が大名行列を組んでしか入ることが出来なかったこと
を考えればこの地を歩ける現代の自由解放を味わいたい。そして、ジワジワと格差
社会が拡がりつつあるいまだからこそ、特権階級とは何かを考えるいい機会だろう。
日光東照宮拝殿から奥宮への回廊(階段)途中に木札がたっていた。
木片には東照宮(徳川家康)遺訓と記されていた。戦乱下にあって
日本国天下統一を果たした家康公の平和への想いが記されている。
御遺訓:人の一生は重荷を負うて
遠き道を行くが如し
急ぐべからず
解説:およそ天下を手中にした天下人の言葉とは思えない。
苦労して人生も終盤で天下を統一した家康ならでは
の「遺訓」とも思える。現代社会にも通じる名言だ。
映像:夕暮れの日光東照宮。平成大修工事竣工で甍波が眩い(2017.11.27)
眠り猫の下を通り、徳川家康の墓標へ向かう途中後ろを振り返る。
綺麗に復元された東照宮の屋波が観える。世界文化遺産の貫禄を
見渡すことができた瞬間。日光の森の中に極上の建築文化がある。
社格:別格官弊社(総本社) 祭神:徳川家康(東照大権現)様式:権現造(本殿)
指定:国宝(本殿、陽明門他8)、重要文化財(上社務所 他工芸品含44)
世界文化遺産(日光の社寺)、国史跡(日光山内)
参照:日光東照宮の豪華絢爛な「陽明門」