映像:弘前城の蓮池の向こう西堀手前、ミニかまくらに灯が揺らめく
夜もたっぷり更けた。短い冬の灯ファンタジーも終わりに近い。
人々がこんなにも「灯」に魅かれるのは何故だろう。いつの世も
暖かく明るいからだ。弘前城本丸から人魂の様な灯明を眺める。
(2014弘前城雪燈籠まつり 完)
映像:今年の大雪像は師団長官舎。この雪像でプロジェクトマッピング(雪幻燈)。
弘前城雪燈籠祭今年の大雪像は弘前市に司令部を構えた旧陸軍第八師団
長官舎。弘前に残っている洋館の最後の未公開建屋が昨年復元修理され
公開予定を記念してのもの。弘前は明治以降終戦まで軍都として栄えた
参照:昨年の大雪像日本カトリック教団弘前教会
映像:弘前城の内北之郭館神跡に設えられた青の閃きの広場(2014.2.11)
恋する若い二人が多く訪れるのがこの青の閃き広場。勿論、家族連れもちらほら。
中央の💛マークが象徴的。もうすぐバレンタインデー 。祭りの寒さも吹き飛ぶ。
内北之郭は二代藩主信牧の愛の祈念場所で、当時誰も入れなかった聖域であった。
参照:内北之廓絶景(弘前城)
映像:弘前城北の廓光のセレモニー会場片隅に、寄添う様に灯が二つ、永遠の灯
弘前城北の郭では訪れた観光客にサプライズが待っていた。ひとり々に
祈りの灯火が手渡された。人々は好きな場所に優しい灯火を置いて歩く。
雪道の壁側に、枝の上に、雪像の上に、愛する恋人達のラブスポットに。
雪燈籠に導かれ本丸に至る。本丸からの眺めは更に幻想的である。
蓮池沿い西の郭の小さなかまくら群に燈された明かりは3.11東日本
大震災で犠牲になられた人々を慰霊する鎮魂の灯火の様に感じる。
(2013弘前城雪燈籠まつり: 完)
下乗橋、亀石、鶴松を過ぎて本丸に上る。春夏秋冬いつもここは変わらない。
蓮池、西濠、松林越しに岩木山を仰ぎ見れば、青春の帰らざる日々が甦る。
ふるさとの山の麓に生を受けて、はや幾とせか。今、自分がシッカリ見える。
映像:磨きこまれた机の上で読書に耽る外人教師の姿が彷彿とする
旧東奥義塾外人教師館の2階は完全にプライベート空間であった。
主寝室、子供部屋、サンルームそして書斎が主な部屋構成である。
遠い異国での布教・教育活動は最低限度の生活空間が必要なのだ。
映像:高校時代通った旧東奥義塾外人教師館は今も当時の面影を残す
旧弘前市立図書館の奥にある外人教師館。現在は記念館&軽食喫茶である。
この記念館が実際外人教師館として使われていた時代、高校同窓の仲間と
バイブルクラスに参加していた。金髪のアメリカ人女教師が魅力的だった。
想出:僕は弘前高校卒で東奥義塾在校でもクリスチャンだった訳でもない
何故か弘高生中心に弘前中央、弘前南高などの同学年が集っていた。
夕方この館の暖炉のある客間で金髪の女先生を囲みバイブルを読解。
施工:諸説あるが、その風格からいって堀江佐吉説が有力である。
2013年の弘前城雪燈籠まつりは大雪でもあり、雪が豊富だった。
その分、雪像の出来栄えも良かった。今年の雪像テーマは教会。
洋風建築物の代表的な弘前教会雪像が弘前城四の丸に出現した。
🔵昼の弘前教会雪像
参照:実物の弘前教会 ⇒ 日本カトリック教団弘前教会礼拝堂
参照:弘前教会の内部 ⇒ 日本カトリック教団弘前教会 祭壇
青森県出身日本商工会議所会頭を務めた実業家藤田健一の私邸とし整備された日本庭園
に洋館として建てられた。21,800㎡広大な敷地の高台に位置し、弘前城西南端に対峙す。
建築には堀江佐吉の6男が設計し、長男が施工した。謂わば、堀江組の建前なのである。
参照#藤田記念庭園 洋館内部(サンルーム:大正浪漫喫茶)
岩木川河原の駐車場から弘前公園に向かうと、最初に遭遇する景観が西堀の桜並木。
今年はもう葉桜となる。しかし発見!紺屋町旧消防屯所がリニュアルし保存された。
記録:この派出所に寺山修司の父が巡査として勤務。秩父宮が第八師団に勤務時に
優秀であった寺山修司の父が警護役としてこの派出を拠点に活躍したそうだ。
記述:(寺山修司著「 誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく」)より
『私は1935年12月10日に青森県にある北海岸の小さな駅で生まれた。
・・・・・実際、私の父は移動の多い地方警察の刑事であり、私が生まれたのは
「転勤」のさなかであった。・・・』実際寺山は紺屋町35番地の長屋が生誕の地。
参照#寺山修司(前衛芸術・歌人)探訪紀行