本日電話で確認。都合により電話は使われていないというメッセージ。
ここは噂では 2012.4.30 で休業という事であったので残念でならない。
(過去の記録)
東北町は旧上北町を含めて南部では三沢市に並ぶ温泉が多い町。
ここ長崎温泉は施設がかなり老朽化しているが地球の恵み温泉
は等しく湧く。東北温泉の弟分のような泉質に暫し、やすらぐ。
【Data】単純温泉 44.4℃ PH8.6 源泉:外蛯沢温泉
閉業速報:2012..3.31
野辺地町にある小さな温泉施設、閉鎖の噂で本日電話確認したら公衆浴
場部門は止めるそうである。但し、宿泊者には温泉を提供するとのこと。
(過去の記述)
映像:ハート型をした湯船、静かな時間が流れる。
R4号線を青森から東北上、いよいよ南部域に入る。バイパス道沿いの「む
つ湾温泉」は佇まいは地味で、気づくのが遅れると通り過ぎてしまうくらい
混み合う訳でもなく,燃料代 が賄えるか心配。野辺地では箇所目の温泉施設。
【Date】単純温泉 37°C pH 8.25 源泉:槻ノ木泉
考察:男性の浴槽から女性浴槽に流し込まれる構造 (画面左上) で、女性の
湯壺はクローバ-の形だそうだ。女性には申し訳ない。やはり女性湯
壺も独立の湯口が欲しいところだが、源泉環境がそれを妨げている。
確認:すぐ近くに新幹線の地下トンネルができてからますます湯温が下がっ
たと女将さんが訴えていたが、2012.5.19に現地で閉鎖を確認した。
(過去の記録:2007.2.27記載)
三沢と十和田の丁度中間にある温泉。三沢に単身赴任時代何度も前を通ったが
入浴を果たせなかった。やっと入ることが出来た。なんともフレンドリーな湯。
浴槽温度を測ったら41度、この気持ち良さは温さから来る。なんとも心地よい。
【Data】食塩泉 41.7℃、PH8.4、500ℓ/m(自然湧出)深度840m 源泉:権現沢源泉
映像:湯ノ沢温泉郷(今は消滅)の薬湯といわれた秋元温泉の混浴風呂(24年10月1日閉鎖)
秋田県境のいで湯の里:湯ノ沢温泉郷。かつては湯ノ沢山荘、なりや温泉、秋元温泉の
三つの湯宿が繋がっていたが国道側から湯ノ沢山荘、なりや温泉が相次いで閉鎖されて
今では一番奥の秋元温のみ営業となった。その秋元温泉も混浴の仕切り板が浴槽を分割。
【Data】含食塩ー硫化水素泉 53.5℃ PH6.4 源泉:秋元温泉
映像:下風呂温泉長谷旅館の海の見える浴室は強烈な黄泉の湯だった。
下風呂温泉二日目の宿の浴室は大湯2号泉の源泉がかけ流されていた。
前日の宿の大湯源泉とは全く異なる湯質・湯感に驚きだ。下風呂には
これまで三種類の泉質と思っていたが今日からはこの2号泉で4種類と
訂正する。井上靖が「ああ湯が滲みる…」と表現したのはこの2号泉だ。
【 Data】硫黄泉 53.2℃ Ph2.27 源泉:大湯2号泉
文学:芥川賞作家・井上靖が小説「海峡」を執筆した温泉旅館。屹度
この旅館の強烈な硫黄泉に創作意欲も加速・倍増したのだろう。
閉業:2011.1.3. 理由は女将の骨折で後継者が居ないとの事。
又悲しい報告をしなければならない。青森県湯の沢温泉郷なりや温泉旅館が休業。
隣接の湯の沢山荘の閉鎖以来だ。これで湯の沢温泉郷奥の秋元旅館のみが残った。
ご主人の病気療養が大きな原因と思われる。再会のメドはたっていない。(2011.2.14)
【Data】食塩硫化水素泉 51.0℃ PH7.0 源泉:なりや温泉
映像:歴史を遡ると柴田勝家にゆかりの柴田長兵衛が開湯したとされる旅館長兵衛の湯殿
この温泉旅館は今は無く、更地なってしまった。真に残念至極悲しみでいっぱいだ。
(2012年11月廃業)
(過去の入湯記録)
白神山地から少し離れた岩木山の麓に忘れ去られた様に湧く秘湯がある。普段でさえ余り
訪れる人が居ない湯の里は、真冬は更にヒッソリしている。いつも居るおばあさんも他界
し、60歳代の息子さんが守る。もう宿泊客を泊めるユトリもなく、日帰り入浴だけ応じ
ている。湯治宿の灯が危うい。 雪深い今、この重曹泉が味わい深い。
【DATA】 含食塩-土塁ー重曹泉 45.5℃ pH6.9 源泉:湯段温泉組合6号泉
(緊急報告:閉館)
悲しみでいっぱいだ。大鰐温泉をシッカリ味わう事が出来る施設が3月31日で閉鎖。
また名湯が消えた。原因は夕張市に続く程。の温泉が原因(スパリゾートの破綻)
で、温泉施設の継続が出来ない不幸なのだ。 以下は営業当時の入湯記録。
大鰐スキー場の入口にある。宿泊棟もしっかりしており大鰐町の設置した温泉施設
だ。大鰐町では大規模宿泊施設。駅前の日帰り入浴施設「鰐カム」もそうだが、こ
れが大鰐温泉の旅館・ホテルを衰退させた原因。大鰐町のために建設したレジャー
施設が結果的に既存の旅館・ホテルを圧迫している現実がある。公が民を圧迫、し
かもこれら営業施設が赤字だったこれこそ出口の見えない、湯のスパイラルである。
温泉フアンにとって新鮮なお湯に早朝6時から入れるのはとてもありがたいのだが?
【Data】含芒硝―食塩泉 66.4℃ 源泉:青柳3号泉
評価:統合泉ではあるが、この施設独特の湯使いがあり、お勧めの一湯。温まり効
果があるが、ややさっぱり。廊下がヒンヤリしてるのが公共としてはいただ
けない。湯上り後の健康障害を誘発しかねない。温泉管理者は改善されたい。
≪ Memoir:青森まあまあ湯 あさひ温泉 青森市富田 2009.12.10 ≫
映像:あさひ温泉の豪快な水風呂、温冷交互浴が好きな筆者には堪らない(by公式HP)
玄関を入ると、聞きなれない演歌が流れて来た。この様なBGMは上北温泉郷#玉勝温泉
でも聞いた記憶がある。そんな演歌に導かれて湯殿に入ると、これまた昭和のスタイル
の遊び心が随所に観られ、褐色の食塩泉が掛け流しされている懐かしの温泉銭湯だった。
【Data】食塩泉 44.9℃ pH7.7 源泉:石江源泉
(本ブログ初掲載で入浴源泉1,145湯目計上)
記録:新規井戸掘削工事が長引いて昨年8月より休業中。再開は今春の予定だったが・・・
参照#①青森市 ( 縄文の街 ) 温泉紀行 ②青春18切符で行く温泉番付
特別公開:《 2019年 下北半島燧岳山中に湧く幻の硫黄泉 2006年6月 》
筆者の活動母体「温泉地活性化研究会」が結成され早や15年となる。目的は「温泉地の
活性化」を支援するものだったが、時代は進んで不本意ながらも、温泉を楽しみながら、
衰退する温泉地見届け人の立場になってしまった。その活動の原点となった下風呂温泉
で開催した「下風呂温泉フォーラム」の合間に探査した、幻の温泉「赤川温泉」を公開。
【DATA】単純硫黄泉 30.1℃ PH6.2 源泉:大赤川温泉(源泉累積1,057湯今回計上)
記録:赤川温泉は下風呂温泉の熱源である燧岳(ひうちだけ)の山中の一峡谷の林野の」
中にある。個人所有温泉である。温度もそんなに高くなく30℃前後。白濁硫黄泉。
留意:温泉は個人所有の為、貴重な泉源なので正式名称及び位置情報は控えて紹介した。
参照#下北半島下風呂温泉郷で開催された「あおもり温泉フォーラム IN 下風呂温泉」
映像:恐山宇曾利瑚太鼓橋手前にある温泉施設。(2013年閉館確認)
恐山境内に入ることなく恐山系の温泉が味わえるのがこのしゃくなげ荘。まるで、つげ義春の温泉劇画に出てきそうな佇まい。料金も200円でいい!って、その日の気分で決まるらしい。此処の源泉は恐山噴気地帯から塩ビ管で運ばれる。これまた、漫画に出てきそうな親父さんが一周間に一回、管をたたいて湯の花の付着を流し落とす。
【DATA】単純硫黄泉 46.8℃ pH3.0 源泉:湯坂1号泉
映像:下北半島の日本一深い温泉は六ヶ所高原から吹く風に気分最高(2009年廃業確認)
下北からの帰り、どうしても寄りたい温泉がある。それは、『日本一深い温泉』と表示された尾鮫温泉(六ヶ所温泉)である。富士山近くで1500メートルの掘削は聴いたことがあるが此処はなんと2,714mだそうだ。今でも掘削櫓が残されている。
隣接のゴルフ場を経営している建設会社が保有。この温泉、深さはどうやら日本一に近いが、実は温泉も素晴らしい。さすが地下2000㍍級の贈り物、成分が実に濃い。
【DATA】食塩泉(強塩泉)92.3℃ PH7.06 源泉:尾駮温泉
大変残念な報告をしなければならない。今年の泉研夏季セミナーの帰り道、六ヶ所温泉の看板に『休業中』の張り紙が・・・先ほど電話をかけたら、『この電話は現在使われておりません』という冷たい案内が、また大好きな温泉の一つが消えた。
その後の情報:当初経営不振と思われていたが、関係者の証言で、濃厚なスケールにより
湯枯れ(つまり)で温泉がでなくなったという。さらに、井戸を掘ったが目的を達せずに
閉鎖に追い込まれたとのことである。なるほど、名湯になればなるほど成分も濃厚だ、ま
して日本一深い温泉であればなおさら復元は難しい。美人薄命、名湯枯渇、楽しむのは今。
映像:脇野沢温泉の湯船、小さいながらも源泉が掛け流しされている。
マサカリ半島の突端部脇野沢地区、野猿公園真向いにある温泉、天然
北限の猿を野猿公園で観察後、ゆっくり下北のいで湯の浸かるのもい
いだろう。地区民の憩いの場所譲り合い大事に利用したい里湯である。
【Data】含塩化土類ー食塩泉 45.7℃ pH8.2 源泉:脇野沢温泉
記録:ポンプの故障により平成25年2月4日より休業。現在温泉を断念
地域民の福利厚生を検討、その後村民銭湯(沸かし)オープン。
映像:二段になっていた湯船に源泉が溢れていた。懐かしい往時の浴室風景
むつ市大湊地区、城ケ沢温泉はもう無い。廃業後暫らくはお城の様な建物があったが近年それも
取り壊された。噂ではお湯の出が悪いとか、親会社の経営不振とか色々あるが、私共温泉ファン
には続けて欲しい味わい深い温泉地だった。客室も6部屋あり、下北調査時には宿泊したものだ。
温泉は生きている。やがて湯の道は地球の治癒力湯花で閉ざされてしまうだろう、それも自然だ。
【Data】食塩泉 48.3℃ pH 6.88 450L/m 黄土色 源泉:武士川温泉
映像:平川沿いに佇む旧柴田旅館左隣に新しい碇ヶ関温泉会館が建っている。
柴田旅館は碇ヶ関温泉郷で古い旅館。残念ながら4、5年前に営業を休止した。
この旅館で悲劇の作家太宰治が小山初代と仮祝言を挙げたのだ。今年太宰の
生誕100年にあたり、この旅館の現在の姿を紹介する。
解説:小山初代は北海道で生まれ大鰐町の小学校を出、青森市の浜町で芸者
をしていた。太宰は高校時代に馴染みとなり遂には東京大学時代にこの初代
と駆け落ち同然に同棲する。止む無く津島家は分家処分にし、結婚を認めた。
そして柴田旅館でひっそり仮祝言を挙げさせた。しかし、太宰の義弟小館善
四郎(後のレモンの画家)と初代の姦通事件が発生し、離別、その後初代も
太宰も不幸の淵へと突き進むこととなる。そういう文学史のメモリアル旅館
推測:津島家ほどの資産家がこの地方で結婚式を挙げると言えば、大鰐町の
老舗旅館で揚げる事が考えられるのだが、やはり世間体を憚った配慮
その隣の小さな県境の温泉地での結婚式挙行なのだと推測されるのだ。
【Data】単純温泉 45.2℃ pH:7.4 源泉名:三笠山3号泉
記録:柴田旅館の前、平川の川原には共同浴場(露天風呂が)存在していたが
いまは無く、柴田旅館左隣の碇ヶ関温泉会館にその名残りが見られる。
参照#①太宰治(含羞と失意の作家)探訪紀行 ②碇ケ関温泉会館