斉藤茂吉は山形最上地方を拠点に、温泉や釣りを楽しんでいた文人、
松尾芭蕉の奥の細道の通過点である鳴子にも訪れ短歌を残している。
「元禄の 芭蕉おきなも ここ越えて
旅のおもひを とことはにせり」
同じ敷地内に種田山頭火の碑も。温泉地は文人の辿り着く地でもある。
「湯あがりの あてもない雑草
つつじまっかに咲いて こんなにたまり」
松尾芭蕉もこの地を通り歌を残している。「蚤虱馬の尿する枕もと」
江戸の紀行家に鳴子の「尿前の関 」近辺は厳しい旅路だったのだろう。
遠くは源義経が弁慶らを引き連れ越えている。R47号線は歴史街道だ。
鳴子温泉郷のなかで国道沿いにあるのが農民の家、此処は農民(農協)が出資し
て運営している。源泉は4つ、湯治棟は3千円未満の湯治の宿でもある。その中
でも、最も大きい浴槽(混浴)が写真「ひのきづくりの大浴場(混浴)」である。
他に、炭酸泉(混浴、33度)、硫黄泉(混浴)、やすらぎの湯の4つの湯があ
りすべて源泉が異なる。旅籠と湯治がこの宿の売り、廉価で上質なを温泉旅籠で
ある。 料金は2,853円(自炊)~ 8341円(旅籠)と廉価(当時)なのも魅力である。
泉質:重炭酸土類ー硫酸泉(含芒硝) 86.1℃ pH7.1
源泉:農民の家3号 68.9ℓ/分(掘削自噴)
現在:かつて混浴であったが、現在は男女別に浴室が仕切られている。