様々な思い、願いを背にいよいよ山寺に登り五大堂から心を開放すべし。
その登り口が此処。小生もう2回も登っているので今回は入り口で我慢
山寺も朝早く来ると様々な人々の想い・願いが歴史を越えて視えて来る。
(対岸、朝靄の中、芭蕉堂から眺めた山寺山岳修験の建屋、左が五大堂)
人は皆何時かは死ぬ。その日をどの様に迎えるかは仏門の徒で無くとも大きな関心事。
願わくは苦しむ事無く、息を引き取りたいもの。そんな引け際が理想だ。多分そんな
思いでお堂が出来たのだろう。遠くの人はせめて本画面で『ころり往生』を祈願せよ。
人々は皆、生き物を食として繁栄して来た、これら犠牲になった全ての生命を供養して
くれるのが、この白仏だそうだ。画面を見ている皆様も日々生かされている事に感謝し、
更なる幸福を祈るべし。(という筆者は信者でもなんでもない、ただこの白仏の説明書
きを記述、感じる人、感じない人、それは人の自由、感性だ)全ての命は繋がっている。