お湯の国 日本

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石川啄木(哀惜の歌人)探訪紀行

2019年07月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

   ≪ 平成調査結果:研究&調査&執筆 石川啄木(哀しみの歌人)2006.4~2018.12 ≫ 

 石川啄木は岩手県渋民村の極貧の寺に生まれた歌人・作家。北日本(主に東北)、北海道に
 足跡が残る。最後は失意のまま希望を捨てず、上京してその短い生涯を終えた。その足跡
 を辿り我が人生を振り返った日々が懐かしい。 文学は歓びと哀しみの混沌から生まれる
                  (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可

 ①北海道・・・子を負いて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし 妻の眉かな          (JR小樽駅)
 ②北海道・・・忘れ来し  煙草思ふ  ゆけどゆけど  山なほ遠き  雪の野の汽車        (十勝平野)
 ③北海道・・・遠くより  笛ながながと ひびかせて 汽車今とある  森林に入る       (十勝平野)
 ④北海道・・・神のごと 遠く姿あらわせる 阿寒の山の雪のあけぼの      (雄阿寒岳)
 ⑤北海道・・・朝の湯の 湯槽のふちに うなじ載せ  ゆるく息する  物思ひかな       (川湯温泉)
 ⑥北海道・・・しらしらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな          (釧路港)
 ⑦青森県・・・東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる            (大間埼)
 ⑧青森県・・・大といふ 字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり           (大間埼)
 ⑨青森県・・・大海に むかひて一人 七八日 泣きなむとすと 家を出でにき         (大間埼)
 ⑩青森県・・・船に酔いて やさしくなれる いもうとの 見ゆ津軽の 海を思えば       (むつ湾)
 ⑪青森県・・・夕雲に 丹摺(にず)はあせぬ 湖ちかき 草舎くさわら人 しづかなり     (十和田湖)
 ⑫岩手県・・・この船は 海に似る 瞳の君乗せて 白帆に紅の 帆章したり         (石川節子)
 ⑬岩手県・・・やわらかに 柳あおめる 北上の 岸辺に見ゆ なけとごとくに        (渋民公園)
 ⑭岩手県‥・その昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠 いかにかなりけむ  (旧渋民尋常小学)
 ⑮岩手県・・・かにかく 渋民村は 恋しかり ふるさとの山 ふるさとの川  (啄木仮住まい家)
 ⑯手県・・・はたらけど はたらけど 猶わがくらし 楽にならざり  ぢっと手をみる (啄木記念館)
 ⑰岩手県・・・ふるさとの 山に向いて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな  (岩手山)
 ⑱
岩手県・・・潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けや         (三陸海岸)
 ⑲岩手県・・・不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心         (盛岡城址)
 ⑳岩手県・・・ふるさとの 寺の畔の ひばの木の いただきに来て 啼きし閑古      (啄木生家)
 ㉑茨木県・・・何事も 思うことなく いそがしく 暮らせし一日を 忘れじと思う     (古房地公園)
 ㉒東京都・・・ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く     (上野駅)

 記録:石川啄木の碑文は北海道から沖縄まで現在約160位確認されている。しかし、啄木が
    辿った路は北海道、青森、岩手・・・東京どまりで、その旅路は貧困との闘いであった。

 参照石川啄木夫妻  #石川啄木愛用の机 #代用教員時代(渋民村尋常小学校)


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