平成調査結果:研究&調査&執筆 寺山修司(前衛芸術・歌人)2005.6~2018.10
郷土青森県出身の現代歌人といったら寺山修司が当てはまる。天井桟敷の実験劇は当時と
しては過激なパフォーマンス表現として話題となった。しかし、彼の短歌は前衛とは無縁
の昭和の石川啄木とさえ言われた優れたもの。その不可思議をちょいと訪ねあるいた記録。
①寺山修司生誕(ゆかり)の地 (弘前警察署 紺屋町巡査派出所:弘前城公園西堀口)
②寺山修司記念館 ・・‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(青森県三沢市 市民の森)
③寺山ワールド ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(寺山修司記念館・展示室)
④書を捨てよ、町へ出よう(評論集:題字はアンドレジッド「知の糧」より引用) (寺山修司記念館)
⑤マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや (三沢市民の森)
⑥君のため 一つの声と われならん 失いし日を 歌わんために (三沢市民の森)
⑦一粒の 向日葵の種 まきしのみに 荒野をわれの 処女地と呼びき (三沢市民の森)
⑧時には母の ない子の様に 黙って海を みつめて居たい (寺山修司記念館秘密の机)
⑨きみが歌う クロッカスの歌も 新しき 家具の一つ に数えむとする(寺山修司特別展)
⑩母を売る 相談すすみ ゐるらしも 土中の芋ら ふとる真夜中 (映画:田園に死す)
⑪地平線 揺るる視野なり 子守唄 うたへる母の 背にありし日以後 (田園に死す)
⑫はこべらは いまだに母を 避けながら わが合掌の 暗闇に咲く (映画:田園に死す)
所感:寺山の芸術装置は、ワイセツなのかエロなのかグロなのかそれとも藝術なのか?
舞台を見ても、映画を観てもその真偽は分からない。それは寺山修司のみ知る?
が、どこかで共感・興味・感動を共有。彼の短歌はストレートに胸を打つ佳作。
KEY:弘前(出生)、三沢(母ハツ同居)、青森(叔父養育)、青森高校、早稲田大学、短歌、天井桟敷、
二人の女(初婚九条今日子、喪主田中未知)、時には母のない子のように(ヒット曲)、47歳没(肝硬変)