(クメール・ルージュの狂気の犠牲者のひとり、外務副大臣の妻であったチャン・キム・スルンさん トゥール・スレン展示写真)
【真相解明に積極的とは言い難いカンボジア政府】
カンボジアのポル・ポト政権(クメール・ルージュ)による狂気とも思われる大量殺戮の真相を追及するべくカンボジア特別法廷が続けられていますが、明日31日、旧政権幹部の最初の罪状についてようやく結審するそうです。
なお、政治犯収容所(トゥール・スレン)所長、カン・ケク・イウは昨年2月、終身刑が言い渡されています。
****カンボジア:旧ポル・ポト政権最高幹部の裁判、31日結審****
カンボジアの旧ポル・ポト政権(1975〜79)下の大量虐殺を裁く特別法廷で、人道に対する罪などに問われた旧政権ナンバー2、ヌオン・チア元人民代表議会議長(87)とキュー・サムファン元国家幹部会議長(82)の元最高幹部2被告に対する公判が31日、結審する。
政権崩壊から約35年たち、最高指導者ポル・ポト元首相も98年に死亡。初めて元最高幹部の「断罪」に近づくが、両被告は虐殺への関与を認めず、史上まれにみる惨劇の真相は今も明かされぬままだ。
10月21日の公判で、既に検察側は両被告に最高刑の終身刑を求刑した。特別法廷では5人が起訴。うち4人が元最高幹部で、2人は死亡などで裁判が打ち切られた。
裁判は2011年6月に開始。被告は複数の事案で罪に問われ、分割審理されている。結審するのはその最初の罪状で、75〜77年の強制移住や西部ポーサット州での処刑などが対象。判決は来年前半にも言い渡される。
ポル・ポト政権は極端な共産主義思想を掲げ「革命」を遂行。知識人の殺害や強制労働で国民の4分の1にあたる約170万人を死なせたとされる。
しかし、ヌオン・チア被告は「なぜ米軍の(カンボジア)爆撃は捜査されないのか」などと不服を訴えて無罪を主張。5月の公判で「(幹部として)道義的責任を感じる」と述べたが、その後は「民主カンボジア(ポル・ポト政権)に虐殺を認める政策はなかった」と従来の主張に戻った。
キュー・サムファン被告は「(虐殺を)知らなかった」と主張した。両被告と共に起訴されたイエン・サリ元副首相兼外相は今年3月に死去。妻のイエン・チリト元社会問題相は昨年9月、認知症のため釈放された。ポル・ポト元首相は既に亡く、当初から最も重要な「容疑者」を欠いていた。
また、カンボジア政府も真相解明に必ずしも積極的だったとは言えない。現政権内にはフン・セン首相をはじめ元ポル・ポト派兵士の幹部がおり、特別法廷による捜査拡大に反対した。22日の最終弁論でヌオン・チア被告の弁護士は「有罪ありきの裁判で誰も真実を究明するつもりはない。被告が有罪ならフン・セン首相らも一緒だ」と主張した。(後略)【10月28日 毎日】
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キュー・サムファン被告は、「(虐殺を)知らなかった」かどうかはともかく、実権はなかったと言われています。
その意味でヌオン・チア被告の発言が注目されますが、一貫して強気の姿勢を崩していません。
“イエン・サリ元副首相兼外相は今年3月に死去。妻のイエン・チリト元社会問題相は昨年9月、認知症のため釈放”というように、容疑者の高齢化が進み、時間との闘いとも言われる特別法廷ですが、カンボジア政府の熱意はあまり感じられません。
背景には、「被告が有罪ならフン・セン首相らも一緒だ」と言われるように、フン・セン首相自身がかつてはクメール・ルージュの一員だったため、古傷を暴くような裁判に消極的なことがあるとも言われています。
今年9月には、カンボジア政府負担分の特別法廷職員給与未払い問題がこじれ、職員がストを行うという事態ともなりましたが、予算の不足分を国連がカンボジア政府に融資することでなんとかここまで漕ぎつけてきました。
カンボジア政府の財政難ということもありますが、熱意のなさとも言えます。
なお、特別法廷に要する費用の約4割は日本が負担しています。
【悲惨な時代も過去のものになりつつあるのか・・・・】
一方、カンボジアの政治情勢は7月の下院選挙の混乱が収まっておらず、サム・レンシー党首率いる野党・救国党は国会をボイコットしています。
****カンボジア:政局混迷 野党が国会ボイコット****
カンボジアで7月に行われた下院(定数123)総選挙を巡り、与野党の対立が深刻化している。野党は「選挙に不正があった」と選挙結果受け入れを拒否して抗議運動を続けており、23日には野党議員全員が選挙後初の国会をボイコットした。
総選挙ではフン・セン政権による強権支配や腐敗体質に対する批判の高まりを受け、与党・人民党が68議席と前回90議席から大幅に減らした。
55議席を獲得した野党・救国党は23日、初招集された下院を55人の議員全員が欠席。サム・レンシー党首は先週末から北西部シエムレアプに議員を集結させ「不正義と闘う」と徹底抗戦の構えを見せている。
ただ、下院は憲法上、過半数の出席があれば開会でき、シハモニ国王はこの日の下院で人民党の要請に基づきフン・セン氏を再び首相に指名、組閣を命じた。【9月24日 毎日】
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救国党サム・レンシー党首はEU諸国・アメリカを訪問して国際社会の支持を取り付けようととしています。
今月23日には、救国党の支持者ら約1万人がプノンペン市内の公園に集まり、「7月の総選挙には不正があり、結果は受け入れられない」と訴える集会を開いています。
確かに、フン・セン政権には強権支配や腐敗体質の批判があります。
ただ、特別法廷で裁かれているカンボジアの悲劇について言えば、フン・セン首相はかつてクメール・ルージュの一員だったということはあるにしても、悲惨な時代を国民とともに生き抜いてきた当事者でもあります。
生き残った国民はみな、何らかの形でクメール・ルージュの狂気に向き合うことを余儀なくされた時代でもありました。
また、ベトナムの支援を受けたとはいえ、内戦を終わらせ、現在のカンボジアをつくったキーマンでもあります。
エリート家庭に生まれ、クメール・ルージュの狂気が吹き荒れた時代はフランスで優雅に生活していたサム・レンシー党首に、カンボジア国民の流した血と涙がどれほど理解できるのだろうか?という疑念も感じます。
内戦終結後に帰国してからも、政治的危機に陥ると国外に亡命し、恩赦で帰国するということを繰り返しています。
いささか感傷的ですが、百数十万人もの国民の血を吸ったカンボジアの大地とは縁遠い存在のように感じます。
ポル・ポト政権崩壊から約35年が経過し、時代は過去にとらわれない新たな人物を求めるようになっている・・・というべきなのでしょうか。
【係争地を得ても失っても、隣国への敵意が残るだけ】
カンボジア特別法廷と並んで、もうひとつの裁判も判決が近付いています。
タイとの国境紛争となった世界遺産プレアビヒアの問題です。
****国境未画定地帯 政争に巻き込まれた世界遺産****
カンボジア北端、タイ国境沿いにある世界遺産のヒンドゥー教寺院遺跡、プレアビヒアを訪ねた。周辺の国境未画定地に対する判断を求めて、カンボジアが2011年、ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に訴え、その判決が来月11日に言い渡される。
雨期には珍しく晴れた暑い日、急な石段、長い参道を進むと、汗だくになった。最奥部にある本殿の後ろは断崖絶壁で、標高600メートルの高さから緑濃いカンボジアの大平原が一望できる。西側の高台が、帰属の決まっていない「4・6平方キロ係争地」だ。
一帯で08~11年、軍事衝突が続き、多数の死傷者が出た。今も土嚢(どのう)を積んだ陣地が点在する。それまでは地形的にアクセスのよいタイ側から多くの観光客が訪れていたが、その入場門は鉄条網に覆われていた。
9世紀に建立された寺院の支配者は、歴史のなかで何度か入れ替わった。現在の国境問題の起点は、1962年のカンボジアの訴えに対するICJ判決だ。「寺院はカンボジアの主権下にある」としたが、4・6平方キロ係争地への判断はなかった。
ただ、その後両国はこの問題をことさら争うでもなく半世紀が過ぎた。そして、08年に唐突に火を噴いた。
紛争の再燃には、タイの政治事情が強く作用した。
06年のクーデターでタクシン首相が放逐され、親タクシン、反タクシンの国民対立が決定的になっていた。
そんな折、タクシン氏後継のサマック政権が、カンボジアによる寺院の世界遺産登録申請を支持した。反タクシン派はこれを政権攻撃に使った。「売国行為だ」と扇動し、ナショナリズムを刺激した。
タクシン派政権の崩壊後、首相に就いたアピシット氏(現野党党首)は、求心力を保つために紛争を利用し続けた。両国の対話回路は途絶し、カンボジアは2度目のICJ提訴に踏み切った。
判決を前に、紛争を見つめ直す動きが生まれている。
歴史家のチャンウィット・タマサート大教授、政治学者のパウィン京都大東南アジア研究所准教授、そしてカンボジアのソティラック外務省長官の3氏は9月末、共著「プレアビヒア 紛争と解決策」を緊急出版した。
「判決が再び政治的に利用されてはならない」との思いからだ。この問題を考えるセミナーの開催なども目立つ。
一昨年、政権をとったインラック首相は、カンボジアのフン・セン首相と昵懇(じっこん)だったタクシン氏の実妹で、両国の緊張は急速に和らいでいる。だが、反タクシン派は、判決を政権打倒のきっかけにしようと手ぐすねを引く。
対話の余地が残っていたらカンボジアは提訴しなかったとみる関係者は少なくない。タイ側が政争に没頭した結果、カンボジアを裁判所に駆け込ませてしまった、と。
パウィン准教授は「この裁判に勝者はいない。4・6平方キロ係争地を得ても失っても、隣国への敵意が残るだけだ」と心配する。
チャンウィット教授は「この紛争は、隣国に飛び火したタイの内政問題だった」としたうえで「ICJには『両国で話し合え』と、この問題を私たちに投げ返してほしい。それが最良の判決だ。近代の国民国家にとって領土問題は特殊なものではない。まず両国が席につくことだ」と付け加えた。【10月28日 朝日】
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判決に先立ち、タイ、カンボジア両政府は“良好な関係を維持していくこと”を確認しています。
****良好な関係維持で一致=プレアビヒア判決後も―タイとカンボジア****
タイのスラポン外相は28日、タイとの国境沿いにあるカンボジア西部ポイペトでカンボジアのホー・ナムホン外相と会談した。
ヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」の周辺地域の帰属をめぐる国境紛争訴訟で、11月11日に国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)の判決が出た後も、良好な関係を維持していくことで一致した。【10月28日 時事】
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そうは言うものの、タイは相変わらずタクシン・反タクシンの対立が続いており、カンボジアも先述のように国内政治の混乱が収まらない状況で、判決が国内政治に利用されて再び大きな問題となる懸念は消えません。
重要なのは係争地の帰属ではなく、将来に向けた良好な関係が築けるかどうかです。
ただ、ポピュリズムに動かされやすい現実政治においては、そこがなかなか・・・・。