(9月3日 難民キャンプの住民と相談する国連PKOのカナダ部隊 “flickr”より By Marc-Andre Gaudreault http://www.flickr.com/photos/64208090@N07/9773637391/in/photolist-fTErTv-fTFYXp-fTFCtQ-fTCGzu-fTECLx-fTEa6T-fTD1df-fPB86L-fTFEud-fq35Jm-fpMPGX-fpMPqe-fq38k9-fq3bvh-fq3bhL-fpMT3T-fpMSxM-fpMPdM-fpMSKR-fq35yj-fq34Wm-fpMT5e-fpMPEk-fpMPuH-fq37WS-fpMPxZ-fpMPpp-fpMPEa-fpMStP-fq35Xh-fq38aE-fpMSrH-fpMPmZ-fq3bn9-fq35e5-fpMSvz-fq35Cs-fpMPQt-fpMVDD-fq37Uj-fq35m3-fpMPsX-fq3bts-fq35QQ-fq35qA-fq35sJ-fpMPnD-fpMT4M-fq38Fq-fq34Yf-fq34WS)
【国連に対し補償やコレラ撲滅費用22億ドルの支払いを求める訴え】
カリブ海の島国ハイチでは、2010年1月12日の地震により、20万人以上が死亡し、約230万が住居を失いました。(被害状況については、死者30万人以上とするものなど、いろんな数字があります)
更に、震災後の10年10月頃よりコレラが蔓延し、68万人が感染し、8300人が死亡しています。
まさに“踏んだり蹴ったり”の状態ですが、コレラの感染源は国連PKOのネパール部隊とされています。
****ハイチのコレラ拡大、国連のネパール部隊が原因 米報告書***
米疾病対策センター(CDC)は6月30日、ハイチでのコレラ拡大について、国連の平和維持部隊のネパール軍兵士が持ち込んだものだと結論付けた調査報告を発表した。
調査はフランスの医療チームが行ったもので、その結果はCDCの月報「Emerging Infectious Diseases」7月号に掲載された。
2010年10月半ばにハイチ中部ミルバレ近郊のMeilleから広まったコレラ感染と、同地に駐留していたネパール部隊を直接関連づけた公式な調査結果は初めて。
調査報告は、Meilleでのコレラ発生はネパール部隊到着の数日後のことで、両者の間には明確な相関関係があると論じている。Meilleは近隣の村から離れており、ネパール兵士以外に外部の人間が訪れた形跡はないからだ。
ハイチで最後にコレラ感染が確認されたのは100年以上も前のことだ。このため、国連兵士がコレラ菌をもたらしたとの疑いは以前からあり、昨年11月には国連軍に対する暴動で2人が死亡している。【2011年7月1日 AFP】
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国連独立調査団も11年5月、コレラ菌は南アジア型と指摘しています。
犠牲者遺族は国連を訴える訴訟を起こしています。
****ハイチ:コレラ大流行で国連を提訴****
カリブ海の島国ハイチで伝染病のコレラが大流行したのは国連平和維持活動(PKO)に原因があるとして、犠牲者の遺族らが9日、国連に対し補償やコレラ撲滅費用22億ドル(約2150億円)の支払いを求める訴えを米ニューヨークの連邦裁判所に起こした。
訴状などによると、30万人以上が死亡した大震災を受けPKOの国連ハイチ安定化派遣団のネパール部隊が展開した直後の2010年10月以降、ハイチではコレラ感染が約100年ぶりに確認され、8300人が死亡し、約68万人が感染した。
訴状は、ネパール部隊の宿営地から汚水などが川に流れ込んだのがコレラ発生の原因と指摘。衛生インフラの脆弱(ぜいじゃく)さを知りながら、国連が適切な措置を講じなかったとしている。
国連独立調査団は11年5月、コレラ菌は南アジア型と指摘。遺族を支援する人権団体が補償を求めたが、国連は「国連の特権および免責に関する条約」を根拠に要求には応じない方針だ。【10月10日 毎日】
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【キャンプからも追い立てられる難民】
このコレラ問題もあって、ハイチでは復興が進展しないことが報じられています。
震災から3年経過した今年1月段階で、アムネスティは35万人がキャンプ生活を余儀なくされていると指摘しています。
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震災から3年も経過したが、ハイチの住宅状況は極めて悲惨である。いまだに数十万人の人びとが、劣悪な避難所で生活している。アムネスティは、政府当局と国際社会に、住宅の復興を最優先とするよう要請した。
2010年1月12日の地震により、20万人以上が死亡し、約230万が住居を失った。
現在、推定35万人以上が、全国の496ヵ所のキャンプで生活している。
アムネスティ・ハイチ支部が得た証言によると、仮設キャンプの生活状況は悪化している。給水、衛生設備、廃棄物処理が甚だしく不足しており、その結果、コレラなどの感染症が蔓延している。女性や少女は、性的暴力や強かんの危険にさらされている。
また、不安定な治安、病気やハリケーンだけでは不十分であるかのように、仮設キャンプにいる多くの人びとは、いつ強制退去させられるかわからないという恐怖の中で生活している。
地震以来、数万人がキャンプから追い出された。国際移住機関の報告によれば、さらに約8万人が主に私有地にあるキャンプで生活しており、いつ退去させられるのかという不安を抱いている。これは全キャンプに住む人びとの21パーセントに相当する。
強制的に退去させられた人びと
2011年12月21日、マリー(仮名)と子どもは、数十の家族とともに、ジェレミー広場から暴力的かつ強制的に退去させられた。
「キャンプ委員会は、われわれにキャンプを去るよう圧力をかけてきました。『フットボール大会のために場所が必要だ』と。しかし、私たちは行くところがなく、ここに留まりました。委員会は折にふれてチラシを撒いて脅しをかけたり、夜にはテントに石やビンを投げたりしてきました」
「ある日の朝3時ごろ、連中がやってきて、剃刀やナイフで避難所を破壊し始めました。私は追い出され、住居は引き倒されました。私は何も持ち出せず、着のみ着のままでその場を離れました」
潰えつつある復興への希望
地震の以前から住宅は大変不足していた。しかし、数十万人の人びとにとって現在の状況は、悲惨なものだ。
2012年4月、ハイチ当局は住居に関する国家計画案を公表した。その計画は住宅建設を優先すると述べているが、貧困の中に暮らしている人びとに対する、適切で取得可能な住居の提供条件を示していない。また、強制退去の防止についても触れていない。
国際的な支援のもとに、2011年8月に当局は50の避難民キャンプの人びとを、16の地域へ移送する計画を発表した(名称:プロジェクト16/6)。
この計画により家族は、12カ月当たり500USドルの家賃補助を受け、キャンプを出て、よりよい住居への移動を求められる。移動の費用として25ドルが支払われる。家族は自分で住居を見つけ家主と契約を結ばなければならない。
この計画により助かる家族があるかもしれない。しかしながら、補助金は小額で、住居探しの支援はなく、長期にわたる支援ではない。
多くの人びとが、「補助金が終わった後は家賃を支払うことができないのでどこに住めばいいのかわからない」との懸念を抱いている。現在は、必要不可欠な衣服や医療、教育などへの出費はいうまでもなく、家族を食べさせていくことに必死だ。
政府および国際社会は、迅速な行動を
政府の住宅に関する現行の方針は、人びとに安全な住居を提供することではなく、公共地に人びとを住まわせないことに重点を置いているようだ。アムネスティが望むのは、適切な住居を得る権利を現実のものとする政策の実施だ。
2011年始めに人道的支援が減少し財源が不足したために、仮設キャンプの生活状況が悪化した。一部の支援者による限られた資金が、住宅計画に充てられているにすぎない。
2010年の地震発生の際、世界はハイチを助けるために迅速に行動しなかった。3年後の今、復興への希望は実現していない。
というのも、ハイチの人びとの権利が優先的に考えられていないようだからだ。政府当局の行動および、国際社会の真の支援が必要なのだ。【1月18日 アムネスティ国際事務局発表ニュース】
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震災前から国連PKOが行われていたように、もともとハイチは政情が不安定で十分な統治がなされず、最貧国のひとつでしたから、現在の惨状がすべて震災後にもたらされたものという訳でもないでしょう。
それにしても、復興のペースは遅いようです。
ただ、さすがに改善を報じる情報もあります。
やはり震災から3年後の今年1月のユニセフの報告です。
****大地震から3年 子どもたちの状況は着実に改善****
ハイチ地震発生から3年を迎えるにあたり、新たに行われた全国家庭調査の暫定結果によると、子どもたちの教育、栄養、保健、衛生の各分野の状況が、2006年の状態から大きく進展していることが明らかになりました。
また、生後6ヵ月から59ヶ月(4歳11ヵ月)までの子どもの間の急性栄養不良の割合は、2005-2006年では10パーセントでしたが、2012年には5パーセントまで半減。さらに、慢性的な栄養不良の割合は、29パーセントから22パーセントに削減されました。
ユニセフ・ハイチ事務所のエドゥワール・べグブデール代表は、次のように語っています。
「この結果は、2010年の地震やコレラの流行をはじめとする様々な災害の子どもたちへの影響を可能な限り軽減するために、子どもたちを取り巻く様々な環境を改善する取り組みを支援してきた、ハイチで活動する多くの組織・団体の、3年間にわたる努力の賜物です」
「今回の調査結果は、また、この国が、これまでの成果を維持し、さらに今も残る課題や進展が立ち遅れている分野の改善に取り組めるよう、国際社会の継続的な支援を訴えるものでもあります」(ベグブデール代表)
(後略)【2013年1月10日 ユニセフ】
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【復興を妨げる国内政治の混乱】
ハイチの復興を遅らせた要因としては、冒頭のコレラ流行の他、政治の混乱が指摘されています。
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復興に水を差しているのが政治の混乱と、治安維持を担う国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)のスキャンダルだ。
昨年5月に就任したマーテリー大統領は議会と対立し、復興事業の中心となる首相の選任までに5カ月かかった。ハイチ政府と国際社会が共同で各国から集まった援助資金を運営する「暫定ハイチ復興委員会」は昨年10月に期限切れになり、新組織は作られていない。
また、拡大するコレラ感染について国連の独立調査団が分析したところ、コレラ菌は南アジア型と判明。国連派遣団のネパール部隊からの感染が原因の可能性が強まり、ハイチ国民は国連への不信を深めた。
米国のハイチ支援団体「正義と民主主義研究所」は国連と派遣団に対し、死亡者1人につき10万ドル(約770万円)、感染者には5万ドルの賠償金の支払いを求めている。さらに昨年9月にはウルグアイ部隊によるハイチ人レイプ疑惑も発覚。ハイチ政府の抗議を受け、国連安保理は派遣団を2700人削減した。
一方、国民の国外脱出も止まらない。隣国ドミニカ共和国には推定100万人のハイチ人が不法滞在。ドミニカ政府は7日、「経済的、人道的にこれ以上の流入には耐えられない」と国境警備を強化した。
また、好景気のブラジルの建設現場で働こうと、ペルーやボリビアを経由してブラジルに不法入国するハイチ人も多い。ブラジル政府は10日、既に入国した約4000人に査証を与えて合法化するとともに今後は入国を拒否することを決めた。
なお、ハイチの人口は1018万8000人(10年推定)。【2012年1月12日 毎日】
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震災では、“大統領府や国会議事堂を始めとする多くの建物が倒壊し、天井・床が重なって潰れるパンケーキクラッシュを起こしている。このため、地震直後は大統領や閣僚すら屋内に寝る場所がなく、ホームレス状態となった”【ウィキペディア】という状況で、もともと貧弱だった統治システムが完全に崩壊し、国家が復興を牽引することができませんでした。
また、震災後も政治混乱が続き、上記記事にある5か月かけてようやく決まった首相もすぐに辞任しています。
****地震復興で対立、ハイチ首相また不在に****
ハイチ大統領府は24日、マーテリー大統領がコニーユ首相の辞表を受理した、と発表した。コニーユ氏は、大統領が出した2人の首相案が議会に否決された末、昨年10月に就任した。首相の再びの不在で、2010年1月の大地震からの復興計画にも影響が出そうだ。
コニーユ氏は国連ハイチ特使首席補佐官を務めた婦人科医。ロイター通信などによると、コニーユ氏は復興に向けた業者との契約をめぐってマーテリー氏ともめていたうえ、議会や政府高官らとも対立していたという。【2012年2月25日 朝日】
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なお、コニーユ首相辞意表明を受けて、2012年5月にそれまで外相を務めていたラモット氏が首相に就任しています。
そのほか、2012年11月にはハリケーン「サンディ」によって被害を受ける不幸もありましたが、やはり最大の問題は統治システムが十分に機能していないことでしょう。
日本の自衛隊も今年3月までPKOに参加していましたが、国際支援だけでは限界もありますし、援助依存症的な状態を生む危険もあります。