孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アフガニスタン  女性、少数派ハザラ人の社会進出 変化と抵抗

2013-10-15 21:25:10 | アフガン・パキスタン

(ハザラ人の子供たち “flickr”より By Mennonite Central Committee http://www.flickr.com/photos/40695573@N04/8661156004/in/photolist-ecmFVW-9fAU8b-9mpABq-9fiYhd-aw53bB-cmGx91-cmsQQ5-cmtGSs-cmGaaC-cmsSEL-au5pYr-cmG6jw-e8bUFH-cmGoyG-cmsQAw-cmGPQU-8VMxRt-cmGSAA-cmGB19-cmG7Es-cmGB7s-cmsU5f-cmGS8A-cmsSsU-cmG8D5-dGvVaC-cmsVq3-cmsUZE-cmsUTd-cmGQty-7Bejd2-cmGVHS-9jCXcB-82SPEs-cmG8xL-cmG38W-cmGaFL-eHnwwn-cmGwvA-cmGxtU-cmGcs1-cmGoGd-cmGwzo-cmGxio-cmGdaA-cmGBvN-cmtELW-cmGBUS-9BBJ1Z-cmG6hU-cmG6mS)

女性が発言力と地位を得るにつれ、彼女たちは新たな脅威にさらされている
アフガニスタンからの14年末までの米軍撤退を控えて、14年末以降の米軍一部残留をめぐるアフガニスタン政府とアメリカの裁判権などを巡る交渉が行われていること、タリバンの勢力が再び拡大しつつあることなどは、昨日14日ブログ「アフガニスタン 14年末以降の米軍一部存続へ向けて協議 裁判権の判断は持ち越す」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20131014)で取り上げました。

昨日ブログの最後に触れたように、何かと批判が多いカルザイ政権ですが、タリバン抜きの政治体制のもで女性の社会進出や、少数民族の権利拡大などでは、一定に前進も見られます。ただ、当然に抵抗もあります。
女性の権利を極端に制限した旧タリバン政権にみられるように、アフガニスタンでは女性の権利・社会進出・教育が制約されてきました。
現在の体制のもとで女性の社会進出は一定に前進はしましたが、それだけに旧価値観からの抵抗・風当たりも強くなっており、“転換点”を迎えているとの指摘もあります。

****アフガニスタン:女性権利の犠牲者 今度は女性警官****
アフガニスタンで最上級職の女性警察官が殺害された。同国の女性の権利を推進する上で、新たな後退となった。

ネガー警部補(38歳)は9月15日、反体制色の強いヘルマンド州の首都ラシュカルガーの警察本部付近でオートバイに乗った2人組みに銃で首を撃たれ、翌朝、病院で亡くなった。
彼女は女性の権利の支援者として積極的に発言し、女性や少女に対する暴力に異議を申し立てていた。

アフガニスタンでは昨年、彼女の前任者やインド人作家、女性省の最高幹部2人など、社会的に知られた女性たちが、殺された。最近では、女性議員がタリバンの人質となった。ここ数年で、女性の権利運動は大きく進展した。そして今、転換点にあると言えるだろう。

以前より多くの女性が権威のある地位に就き、教育の機会も増え、女性や少女を暴力から守る新しい法律が作られた。

しかし、女性が発言力と地位を得るにつれ、彼女たちは新たな脅威にさらされている。何人かの女性の権利擁護者は、報復を恐れて再び自主規制を始めているという。

アムネスティは、要職にある女性への襲撃が拡大し、女性や少女への暴力が日常化していることに、国内外の指導者たちが慣れつつあることを懸念している。

女性の権利を守り、推進するために、もっとできることがあるはずだ。カルザイ大統領は2009年、女性に対する暴力根絶法を大統領令によって制定した。
しかし、規定の多くはいまだ履行されておらず、また、この法律全体を廃止しようとする動きさえもある。

アフガニスタン当局は国際的な支援のもと、女性の権利を守るために全力を尽くすべきである。具体的には、女性に対する暴力根絶法の全面的履行および確実に実施されるよう当局関係者全員の訓練などを行なう必要がある。

アフガニスタン独立人権委員会によると、近年、女性に対する暴力は全国的に「まん延し、増加の一途を辿っている」という。過去一年以上にわたり、アフガニスタン全土、特に農村地帯で女性や少女に対する殴打、誘拐、殺害が報告されている。彼女たちは、配偶者や親戚、治安部隊員、タリバンを含む武装グループなどから、時には白昼公然と襲撃を受けている。

ネガー警部補の殺害をはじめとした女性への暴力犯罪は、迅速かつ徹底的に調査するべきである。そして犯罪に関与した者は、死刑を排除した上で公正な裁判にかけられるべきである。【9月16日 アムネスティ国際ニュース】
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女性の教育・権利に目を向ける機会としては、イスラム武装勢力に抗して女子教育を訴えるマララさんのノーベル平和賞というのは絶好の機会でしたが、周知のように残念な結果となっています。

社会全体の風潮・価値観を変えていくためには、政治家や当局の強い意志と指導力が求められますが、あまり期待できない状況のようです。

大学や政治の舞台で急速に力を増すハザラ人 他民族からの警戒感も
普段あまり取り上げられる機会の少ない、少数民族ハザラ人に関する興味深い記事がありました。
パシュトゥン人やタジク人が多数を占めるアフガニスタンにあって、ハザラ人は人口比で1割程度の少数派で、宗教的にシーア派が多く、モンゴロイドで顔つきも異なることなどから、長く差別的な劣後した地位におかれ、虐殺も経験してきました。

“(パシュトゥン人の)タリバンがよく口にするのはこんな言葉だ。「タジク人はタジキスタンへ帰れ、ウズベク人はウズベキスタンへ帰れ、そしてハザラ人はゴリスタンへ帰れ」。ゴリスタンとは墓場のことだ。
実際、タリバンは(バーミアンの)石仏を破壊した当時、(ハザラ人が暮らす)ハザラジャートを包囲して村々を焼きはらい、人の住めない土地にしようとしていた。”【2008年2月号 ナショナルジオグラフィック日本版】

しかし、最近は教育の場や政治において進出が進んでいるそうです。
ただ、そのことは多民族からの反発・警戒も呼び起こします。

****被差別の民、民主化の光 アフガン、奴隷の歴史背負うハザラ人****
アフガニスタンには日本人と似た顔立ちをしたハザラ人と呼ばれる少数派の民族がいる。
長く抑圧されてきたが、混乱の時代を経て12年前に登場したカルザイ政権の民主化により、大学や政治の舞台で急速に力を増している。誰もが平等にチャンスを持つ社会の誕生が、追い風になった。

 ■機会平等の社会生かす 高等教育、進学に熱意
アフガン中部のダイクンディ州カディル地区は、首都カブールからバスで48時間。ハザラ人が住む辺境の地だ。小麦やスモモの栽培で生計を立てる零細農家の長男、アブドル・ガニさん(20)は1年前、父に言い渡された。
「カブールに出て勉強しなさい。どんなに生活が苦しくとも、必ずおまえを支える。だから必ず良い成績で大学に合格しなさい」

それから父は隣国イランへ渡り、日雇い労働者となった。息子は学校を中退し、カブールの下宿で同郷の6人と相部屋の下宿生活を送りながら予備校に通う。仕送りは月に5千アフガニ(約9千円)。
「両親にとって、この金額を仕送りするのはとても苦しいと思う。交通費も惜しいから合格するまで村には帰らない」と心に決めている。

ガニさんが通う予備校はカブール南西部のハザラ人が多く住む地区にあり、生徒数は約4千人。冬休みの3カ月間はさらに約7千人のハザラ人が地方から短期講習に加わる。アブドル・アリ校長は「地方の子は基礎学力が低くても、親の期待と犠牲をよく知っていて、熱意が違う」と言う。
近くにはハザラ人富裕層が支援する宿泊所が多く、予備校には困窮する生徒への学費免除制度もある。

アフガニスタンは人口約3300万人。ハザラ人が占める割合は1割程度とみられる。1973年に倒れた王制の時代から現在まで支配民族として君臨してきたパシュトゥン人(約4割)、北部に多いタジク人(約3割)に及ばない。

それが近年、大学進学では民族比率の逆転が起きている。最高学府のカブール大学では、ハザラ人学生がすでに3割以上に達している。ハザラ人で社会学科4年のイシュハク・アリ・ラセクさん(23)によると、学科の同級生88人のうち69人がハザラ人だ。

今春の国立大学統一入試では、住民のほとんどがパシュトゥン人で反政府勢力タリバーンの活動が活発なカンダハル州(人口約110万)の合格者は918人。一方、ハザラ人がほとんどのダイクンディ州(人口約40万)からは3304人。首都があり人口で10倍近いカブール州の半分に迫る躍進ぶりだった。
ラセクさんは「長く抑圧され、貧しいハザラ人にとって、開かれた唯一の道は学問の道だから」と話す。

他民族からの警戒感を反映した動きも出ている。高等教育省は最近、国立大学進学枠を全国一律の選抜方式から、民族比率が反映されやすい州ごとに割り当てる方式に変える方針を出した。
この方針は結局、閣議で否決されたが、海外留学枠については全国一律の成績順から今年、州ごとの割り当てに変更された。

 ■政界でも勢力拡大
ハザラ人の進出は、議会の勢力分布にも表れている。州ごとの中選挙区制で行われた2010年の下院選の結果、現在はハザラ人が定数249のうち2割強の51議席を占める。

象徴的なのが、ハザラ人とパシュトゥン人が混住する中部ガズニ州だ。人口の45%程度とされるハザラ人が11議席中9議席を占めた。
治安が悪いパシュトゥン人居住地の投票率は低く、特に女性は、タリバーンや宗教保守派の圧力でほとんど投票に行かなかったという。一方、ハザラ人の地域では女性も含めた投票率が非常に高かった。

ハザラ人当選者の一人、ムハマド・アリフ・ラフマニ議員は「ハザラ人にとって、選挙は権利回復の手段そのもの。民主主義への期待や信頼が高い。来年の大統領選では、どの候補者もハザラ人の票を無視できないだろう」と指摘する。

高まる政治力を背景に、カブール南方のワルダック州では、王制時代の優遇政策で地主化していたパシュトゥン人遊牧民から、ハザラ人の農民が土地を取り戻すなど、権利回復の動きも起きている。

 ■国外に逃れ、近代思想持ち帰る 歴史家アスカル・ムサビ氏
もともと中部の山岳地帯を中心に住んでいたハザラ人の苦難は19世紀末のパシュトゥン人首長アブドルラフマンの時代に始まった。アフガン統一の過程でハザラ人が起こした反乱をきっかけに、ハザラ人の6割以上を殺害または国外追放し、奪った土地をパシュトゥン人に与えた。

アフガンの2大民族、パシュトゥン人とタジク人はイスラム教スンニ派が主体でコーカソイド(白色人種)なのに対し、ハザラ人はシーア派が多く、モンゴロイド(アジア系)で顔つきが異なる。

パシュトゥン至上主義を掲げたアブドルラフマンは「もしハザラ人というロバがいなかったら、人はもっと働かなければならない」と、使役用のロバになぞらえてさげすんだ。1920年代に奴隷制度が廃止されるまで使用人として売買され、それが現在まで続く差別の原因となった。

その後、70年代にできた社会主義政権時代に差別は緩和されたが、90年代後半にタリバーンが政権の座につくと、状況が悪化した。スンニ派への改宗を拒むハザラ人の虐殺が横行し、山間部に逃れたハザラ人は大量に餓死した。

カルザイ政権下でハザラ人は初めて、第2副大統領を出す国内第3勢力として認められるようになった。苦難の時代に同じシーア派のイランや世界各国に移り住んだ世代が帰国し、近代的な考えを持ち帰ったことも、民主化の時代で繁栄につながっている。【10月11日 朝日】
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なお、ハザラ人が差別的な境遇にあり、虐殺の対象ともなっているのは、隣国パキスタンでも同じです。

****パキスタン:ハザラ人虐殺―世界はなぜ黙り込んでいるの*****
この10年間で、バロチスタンの首都クエッタでは、多くのハザラ人が矢面に立たされ残酷に殺された。ハザラ人は、過激派イスラム原理主義者や、市街地を徘徊する宗教組織によって民族襲撃のターゲットになっている。(中略)

ハザラ人は、様々な統治者による数多くの民族浄化の企てに直面し、アフガニスタンでの集団殺戮から逃亡し、イランやパキスタンなどの周辺国に移住した。

ハザラ民族の多く(およそ70万人)は、パキスタンで最も大きな州バロチスタンのクエッタにバローチ人やパシュトン人と共に暮らしている。昨今ではおよそ 700人ものハザラの人々が残酷にも射殺され、何千もの人が生涯治らぬ障害を負わされた。(中略)

これらのテロ組織は、匿名で攻撃しているのではなく、ハザラ民族殺戮時の悲劇的な映像のビデオを公開したり、民族に恐怖心を持たせるための公開状を送っている。

宗教活動を禁止されたテロ一派、LeJはハザラ民族に対し公開状を送りつけ、その中で「ハザラ人は殺す価値があるんだ。我々はパキスタンからこれらの汚れた人たちを一掃するだろう。」と語っている。昨今このような恐怖により、多くのハザラ人が国外逃亡している。

パキスタン政府と国連は明らかにこの野蛮な行動と、少数派の無力な人々に向けた差別に対処する気もないようだ。人々は、銃やその他の攻撃的な手段によって脅かされるのではないか、と日々心配せず、生活をしたいと望んでいるだけなのに。(中略)

人権保護の擁護者であり、若者の自立支援に従事するユースワーカー(若者の自立支援に従事)でもあるAbdul Hekmathは、On Line Opinionで下記のように語っている。

ハザラ民族の苦境は世界には見えていないのかもしれない。なぜなら、彼らはニュースのヘッドラインには掲載されないからだ。
しかし、クエッタで繰り広げられているのは、パキスタンのみせかけの平和とは裏腹の大量虐殺だ。ハザラ人たちは世界に手を伸ばし、人権団体や、政府そして平和を愛する人々に、手遅れになる前に行動してほしい、と望んでいる(後略)【2012年6月25日 グローバル・ボイス】http://jp.globalvoicesonline.org/2012/06/25/14094/
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今後に向けた最初のステップ、来年4月の大統領選挙
アフガニスタンにおける前向きの変化も見られる女性の問題にしても、少数派ハザラ人の問題にしても、旧来の価値観が強いタリバンが今後どのような政治的位置を占め、どのような姿勢でのぞむのかによって決定的に左右されます。

もちろんタリバン云々以前に、現在のアフガニスタン政府がどのような方向性を見せるのかも重要です。
来年4月、カルザイ大統領の後継を決める大統領選挙が行われます。

****カルザイ氏後継、届け出20人超に アフガン大統領選****
アフガニスタンで来年退任するカルザイ大統領の後任を決める大統領選の立候補の受け付けが6日、最終日を迎え、20人以上が届け出た。投票は来年4月。閣僚経験者らがひしめき合い、混戦が予想される。

主な候補者は、カルザイ氏が擁立に動いたラスル前外相、前回大統領選で決選投票に進んだ野党党首アブドラ元外相、遊牧民系指導者のガニ元財務相、イスラム原理主義政党党首のサヤフ前下院議員ら。カルザイ氏の兄カユム・カルザイ氏も届け出た。

カルザイ氏は憲法で3選が禁じられ、今回は立候補できない。国際社会との協調や民族融和を図る一方、治安悪化や汚職の蔓延(まんえん)を招いたカルザイ路線継承の是非が争点になる。(カブール)【10月7日 朝日】
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