(糸車を回すガンジー【ウィキペディア】 イギリス綿製品不買運動の一環です)
【植民地解放運動や人権運動の領域で大きな影響を与えた「非暴力、不服従」】
インド独立の父であるガンジーの非暴力・不服従という思想は、インドにとどまらず、広く世界に大きな影響を与えました。
****マハトマ・ガンディー****
アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。
その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した。
この思想(彼自身の造語によりサティヤーグラハ、すなわち真理の把握と名付けられた)はインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。
特にガンディーに倣ったと表明している指導者にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世等がいる。【ウィキペディア】
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ガンジーの思想については何も知りませんが、暴力を厭わない権力の圧政に対峙したとき、「非暴力、不服従」でどれほどのものが達成できるのか、また、そのとき膨大な犠牲者が生まれるのでは・・・との、単純素朴な疑問も感じてはいます。
以前観たガンジーを扱った映画で一番印象的なシーンは、イギリス官憲に対し人々が列をなして立ち向かい、殴られても殴れても前進をやめず、殴られて倒れた者はまた列の後に並び・・・・と、まさに「非暴力、不服従」で抵抗の意思を示すシーンでした。
感動的ではありましたが、もし官憲が銃を使用したらどうなるのか・・・とも感じた次第です。
もちろん、「非暴力」の相手に、いかに官憲といえど銃を抜くわけにはいかない・・・というところが「非暴力、不服従」の肝要なところでしょう。
しかし、1930年4月23日のペシャワルでは、発砲するイギリス軍に対し、“前列の人々が倒れたらば後列の人々が前進し銃火に晒された。この衝突は朝11時から夕方5時まで続いた。”【ウィキペディア】という事態にも。
少なくとも、「非暴力、不服従」を貫くには、殴られても再び抵抗運動に加わるような、強靭な意思が必要であることは間違いありません。
現実の変革運動としての有効性とは別に、安易な暴力の応酬にならないために、敬意を払うべき考えではあるでしょう。
このあたりの話は、日本の平和憲法や現実の安全保障政策にも関係してくるようにも思いますが、私の手にはあまりますので、これ以上は。
【モディ首相は本当に「敬意」を感じているのか?】
今日、1月30日は、カンジーがヒンズー至上主義者に暗殺されて70年目にあたるそうです。
****<ガンジー70年>インド各地で追悼 暗殺された日****
非暴力・不服従運動で知られるインド独立の父マハトマ・ガンジー(1869〜1948年)が暗殺されちょうど70年となった30日、インド各地で多くの人がガンジーを追悼した。
モディ首相はツイッターで「バープー(父という意味のガンジーの愛称)の命日にあたり敬意を表します」と投稿した。
ガンジーが火葬された首都ニューデリーの「ラージガート」では、モディ氏や与野党の幹部ら多数の人々が追悼に訪れた。
娘2人と訪問したアルチャナ・ジャーさん(44)は「子供たちにも非暴力の思想を受け継いでほしい」と話した。
ガンジーはニューデリーに滞在中、イスラム教徒に友好的な姿勢に反発したヒンズー至上主義者の男に銃撃され、78歳で死亡した。【1月30日 毎日】
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カンジーは「非暴力、不服従」でインド独立を実現しただけでなく、宗教や身分制度によって差別されない平等な社会を目指しました。
インド国民がみな、そんなガンジーを敬愛しているか、インド社会でガンジーの精神が実現されつつあるのか・・・というと、そういう訳でもないようです。
銃撃したはヒンズー至上主義者でしたが、現在のインドでは、自身がヒンズー至上主義でもあるモディ首相のもとで、社会的にイスラムやカースト制枠外の被差別民(ダリット)などに対するヒンズー至上主義者の不寛容が顕在化しているということは、これまでも何度も取り上げてきたところです。
モディ首相のツイッターについても、どこまで本心なのか・・・という疑念も感じます。
また、そうした社会風潮が、カンジー銃撃の評価にも影響を与えているようです。
****<ガンジー>インド根強い差別 暗殺者「復権」広がる****
インド独立の父、マハトマ・ガンジーが暗殺されてから30日で70年。インドではカーストや宗教間の対立はここ数年、むしろ深まっている。インド社会の融和と平等を目指したガンジーの理想の実現はなお遠い。
インド西部ビマ・コレガオン。幹線道路沿いに焼け焦げた車やバスが放置されていた。「暴徒が放火して回った。こんなことは初めてだ」。カースト制の最下層として差別されている不可触民「ダリト」のラジェンドラさん(60)は嘆いた。
暴動が起きたのは今月1日。1818年にダリト主体の英国軍が上位カーストのマラタ王国との戦争に勝利した記念式典に数千人のダリトが参加したのに対抗し、ヒンズー至上主義集団が付近でデモをする過程で暴徒化してダリトを襲撃した。ラジェンドラさんは「いつ再発するか分からない」と不安を語る。
ガンジーはダリトを「ハリジャン(神の子)」と呼び、差別撤廃を訴えた。インド憲法は差別を禁じ、ダリトには公務員採用や大学入学などで優先枠が設けられたが、社会的な偏見や差別は続く。
ビマ・コレガオンの上位カーストの男性(36)は「以前から上位カーストはダリトを見下し、いさかいになっていた。それが暴動につながった」と火種は日常的にあったと明かす。
宗教対立も深まっている。2014年にヒンズー至上主義を掲げるモディ首相のインド人民党政権が発足して以来、ヒンズー教で神聖視する牛を食べたなどとしてイスラム教徒らが殺害される事件が相次いだ。
地元メディアによると、牛を巡る犯罪は10〜13年は2件だったが、14〜17年には76件に急増し、29人が死亡、226人が負傷。被害者の多くはイスラム教徒とダリトだ。
イスラム教団体指導者、ジャラルッディン・ウマリ師は「ガンジーの思想に反し、今のインドはイスラム教徒やダリトへの敵意に満ちている」と嘆く。
イスラム教徒に友好的だとしてガンジーを暗殺したナトラム・ゴドセは、人民党の支持母体でモディ首相も所属していた極右団体RSS(民族奉仕団)の元メンバーだ。
モディ政権や人民党が公然とガンジーを批判することはないが、ヒンズー至上主義政権の誕生が極右団体の活動を誘発したとの指摘は多い。
地元紙によると、ゴドセの命日を祝う集会など復権の動きが全国各地で広がっている。
ゴドセの共犯者だった実弟の孫アジンキャ氏(49)はモディ政権が発足したころから、西部プネで経営するオフィスの一室でゴドセの遺灰や写真の展示を始めた。アジンキャ氏は「彼は狂信者ではない。国のために暗殺したのだ」と正当化する。
ガンジー記念館(ニューデリー)のサイラジャ・グラパリ研究員は「社会が不寛容になり、ガンジーを理想と考える人が少なくなった」と懸念を示した。【1月28日 毎日】
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ヒンズー至上主義の台頭を示す社会現象のひとつとして、歴史を題材にした映画をめぐる以下のような話題も。
****インド、歴史映画めぐり抗議拡大 ヒンズー至上主義者「歴史を歪曲」 女優に「鼻をそぐ」脅迫も****
インドで25日に公開された歴史映画「パドマーバト」をめぐって、インド各地で激しい抗議活動が起きている。物語にヒンズー教徒の王妃とイスラム教徒の皇帝によるロマンスが盛り込まれているとの噂が広がり、ヒンズー至上主義者が「歴史を歪曲している」と反発したためだ。映画館前に軍が出動。異例の厳戒態勢での封切りとなった。
映画は13世紀のインド西部ラジャスタンが舞台で、メーワール王国の王妃パドミニの人生が描かれている。
抗議の発端は作中で、同地に攻め込んだイスラム教徒の皇帝とパドミニとの「恋愛シーンが描かれている」との見方が広まったためだ。
原作となった叙事詩で王妃は皇帝からの求婚を拒否して自殺しており、ラジャスタンでは「ヒンズー教徒女性の象徴」として今も人気を集めている。ヒンズー至上主義者にとって、侵略者であるイスラム教徒と“聖女”の恋愛は到底容認できないというわけだ。
制作者側は映画の内容についての噂を否定し続けたが、撮影時から地元の高位カーストであるラージプートを中心に反発がわき起こり、ヒンズー至上主義団体「カルニ・セナ」などが公開中止を求めるデモを展開した。
主演の女優ディーピカー・パードゥコーンさんには「鼻を切り落とす」という脅迫まで届いている。インドの中央映画認定委員会は複数箇所に編集を加えたうえで、タイトルの一部を変更するよう決定を下したが、それでも反発は収まらなかった。
ようやく25日に封切りにこぎ着けたものの、23日夜から抗議活動が激化し、主要都市では軍隊や警察が警備に当たった。
インド英字紙タイムズ・オブ・インディアなどによると、公開に反対する人々が自動車に放火したり、高速道路を封鎖したりする騒動が続発し、ニューデリー近郊のハリヤナ州グルガオンではスクールバスが襲撃される事件も起きた。西部グジャラート州では、一連の騒動で250人が身柄を拘束されたという。
ただ、騒動を経た経緯もあってか映画は注目され、25日だけで国内で100万人以上を動員したという。インターネット上には、映画を見た人からの「2人が愛情を交わす場面はどこだ」「見てから抗議をした方がいいだろう」などと冷静な声が相次いでいる。【1月28日 産経】
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【「弱者の抑圧は恥ずべきこと」とは言いつつも、現実社会では・・・】
ガンジーが目指した平等な社会への思いについて、ガンジーの孫で、子供時代にガンジーとも触れ合ったラージモーハン・ガンジー元上院議員は以下のように語っています。
****<ガンジー>思い死なず 孫「弱者抑圧の今こそ学んで」*****
・・・・ヘイトスピーチが世界を覆う現状に触れ「ガンジーは弱者の抑圧は恥ずべきことだと言っていた。もし生きていれば、今の世界を変えようとしただろう」と語り、現代こそガンジーの思想に学ぶべきだと訴えた。(中略)
ガンジーはヒンズー教徒とイスラム教徒の融和や、カースト制の最底辺に位置する「不可触民」への差別の撤廃を訴えた。
だが、インドでは今も宗教暴動やカースト差別が続く。ラージモーハン氏は「多数派の一部が少数派を抑圧する権利があると思い込み、政府はそれに対して何もしない。平等なインド社会を目指したガンジーの思想に反する」と批判。
米トランプ政権による移民規制などにも触れ、「弱者への抑圧は世界的な潮流となり、不名誉ではなくなってしまった。弱者は権利のために闘うべきだ」と指摘した。また「暴力は結果を生み出さない。非暴力闘争で世界に訴えるべきだ」と強調した。
ラージモーハン氏はガンジー同様、人権活動家として長年、平等や宗教融和などを目指す運動に参加した。「正しい道を進もうとしたら、ガンジーと同じ道を歩んでいた」と語る。
ニューデリーの貧しい小屋でガンジーと再会する夢を繰り返し見た時期があった。「インドがまたガンジーを必要としていると感じた。彼の思想は死ぬことはない」【1月28日 毎日】
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ただ、ガンジーの“不可触民(ダリット)を含めすべてのカーストは平等”という考えは、現実社会で差別に長年苦しんできた最下層のダリットにしてみれば、いかにも“きれいごと”で、言葉の上だけのものにも思えたようです。
そのあたりのガンジーとダリット解放運動指導者の対立については、1月7日ブログ“インド ヒンズー至上主義によるダリットへの暴力 そのダリットが差別する「ネズミを食べる人」”でも取り上げましたが、一部を再録します。
****インドのカースト制度は「人種差別」。カースト廃止を望まない被差別層もいる現実****
・・・・そもそもインド憲法は、17条で「不可触民制は廃止され、いかなる形式におけるその慣行も禁止される。不可触民制より生ずる無資格を強制することは処罰される犯罪である」としてカーストによる差別を禁じているものの、カースト制度そのものの撤廃を宣言したわけではない。
なぜこのような条文になったかを説明しようとすると、インド独立をめぐるさまざまな利害対立が顕在化した1930年代の複雑な交渉過程から説き起こさなければならないが、要約すると次のような経緯だ。
ムスリム勢力が「自分たちはマイノリティ(少数民族)ではなく一民族である」として独立を強行したことで、ガーンディーは残されたインドを「ヒンドゥーの国」として統一するほかなくなった。
当時、ヒンドゥーの進歩派(改革派)のあいだでは、「(「ブラフミン(司祭階級)」「クシャトリア(軍人階級)」「ヴァイシャ(商人階級)」「シュードラ(奴隷)」という身分制度)ヴァルナは差別的なヒエラリキー(階層構造)ではなく、たんなる分業形態に過ぎず、本来、不可触民を含めすべてのカーストは平等である」という思想が唱えられていた。
いわば、カーストから差別性を取り除き近代的な平等に適合させようとしたのだが、ガーンディーがかなり無理のあるこの「進歩主義」に与したのは、ヒンドゥーを全否定することで社会が混乱し、イギリスに介入の口実を与えインド独立が頓挫することを恐れたからだった。
「カースト制は差別ではない」という“きれいごと”に対して真っ向から反論したのは、不可触民出身の政治家で、インド憲法の起草者でもあったアンベードカルで、「差別され、排除されてきた不可触民がヒンドゥーの一部であるわけがなく、(ムスリムと同じ)独立した民族として分離選挙(自治)を認められるのが当然だ」と主張した。
しかしガーンディーは、アンベードカルのこの分離主義をぜったいに認めることができなかった。イギリス植民地政府がイスラーム勢力の要求をいれて分離選挙を認めたことがパキスタン建国につながったからで、4000万~5000万人といわれる不可触民に分離選挙が認められれば、独立インドが内部から解体してしまうおそれがあった。
1932年、イギリス首相マクドナルドが、カースト差別撤廃運動の高まりを受けて不可触民への分離選挙を認めると(コミュナル裁定)、ガーンディーが断食によって抗議したのはこれが理由だ。
この「生命を賭した抗議」によってアンベードカルは妥協を余儀なくされたが、ガーンディー側も「カースト差別はヒンドゥー教徒のこころの問題」というきれいごとで済ますことはできなくなった。
こうしてインド憲法に、カースト間の差別を禁止するとともに、カースト制度によって差別されてきたひとびと(指定カーストおよび指定部族)に対する特別規定が設けられ、衆議院および州立法議員の議席が「留保(リザーブ)」されることになった。
分離選挙を撤回する代償として、被差別層に対する政治的権利の優遇を憲法で定めたのだ。この「リザーブ制度」が、インド版のアファーマティブアクション(少数民族優遇措置)になる。(後略)【2017年5月25日 橘玲氏 「橘玲の世界投資見聞録」】
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数千年の歴史のなかで育まれてきたカースト制はインドそのものと言っても過言ではなく、ガンジー一人の力ではいかんともし難いものもあったようです。
カーストによる差別は禁じるものの、カースト制度そのもののを撤廃するものでもない・・・という曖昧さは、現在のヒンズー至上主義の台頭、イスラム・被差別民への差別の増大、あるいは被差別民側のと特権的「リザーブ制度」への固執といった混乱・矛盾を今に残すことにもなっています。
【もうひとつの差別、女性の問題】
差別あるいは平等ということでは、インドが抱えるもうひとつの問題は、女性への性暴力に示されるような男女間の差別の問題です。
長くなるので、今日目にしたインド女性問題に関する記事をひとつだけ。
****インド、「望まれない女児」は推定2100万人 根強い男児偏重****
インド政府は29日、毎年発表している経済調査報告書で、男児の誕生を切望する親が息子を授かるまで子どもを産み続けるため、「望まれない女児」が推定で2100万人存在すると発表した。
インドでは一家の稼ぎ手や跡継ぎは息子だと考えられており、親が息子の誕生を望むことが常とされてきた。同国では花嫁側が多額の持参金を用意する慣習が根強く、娘は金銭的な負担とみなされることも多い。
直近の国勢調査によると、同国の男女比は男性1000人に対し女性は940人にしか満たない。胎児の性別による中絶は違法だが、この男女比の差は違法中絶も一因とされている。(中略)
2011年に英医学専門誌ランセット(The Lancet)で発表された研究では、インドで過去30年間に女児であるという理由で行われた妊娠中絶は最大で1200万件に上るとしている。【1月30日 AFP】
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