(抗議デモから首相官邸を守る警官(6月2日)【6月5日 Newsweek】 こうした“自己抑制的”抗議行動は、ヨルダンの特殊な政治構造における一種の“儀式”ともなっている・・・との指摘も)
【財政再建のための増税・緊縮策も、抗議デモで首相交代・法案撤回】
中東の立憲君主国ヨルダンは、戦乱や紛争が常態化している不安定な中東にあって“安定”を保っている国家として知られています。
「アラブの春」の混乱との対比で、アラブ世界には民主主義はなじまないのでは?とか、王制国家の安定性を云々するような際にヨルダンが引き合いに出されることも。
そのヨルダンも5月末以来の緊縮財政・増税に抗議する国民のデモで揺らいでいます。
****緊縮財政に抗議デモ=所得増税案などで反発拡大―ヨルダン****
ヨルダンで政府が進める緊縮財政政策に反対する抗議デモが拡大している。
天然資源に恵まれず、海外からの経済支援に大きく依存する一方、「中東安定の要」と目されるヨルダンの不安定化は地域全体に影響が及ぶ恐れがあり、デモの行方が注目されている。
ヨルダン政府は5月下旬、公的債務残高の削減に向けた国際通貨基金(IMF)プログラムの一環として、所得税増税を盛り込んだ税制改革法案を承認。月末には、国際的な原油価格の高騰を理由に燃料価格と電気料金の引き上げも決定した。
首都アンマンの首相府付近には5月31日以降3日間連続でデモ隊が集結し、タイヤを燃やすなど抗議行動を展開。西部ザルカや北部イルビド、南部マアンなどでもデモが行われたという。【6月3日 時事】
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この混乱拡大(と言っても、デモが警察と激しく衝突して死者が出る・・・・といったことはなく、“60人を拘束、治安当局の42人が負傷”というレベルに“自己抑制”されていますが)に対し、アブドラ国王はムルキ首相を辞職させ、国民受けのいい新首相を起用して事態収拾に。
増税に反対して抗議デモ・・・と聞くと、良し悪しは別にして当たり前の出来事のようにも思えますが、低所得層が多いヨルダンにあっては、税金を負担している者はごくわずかかしかいないという現状もあります。
****最も安定したヨルダンの国民が反政府デモで戦うのはなぜ****
<中東では平和な国として知られるヨルダンで激しい抗議に合い、首相が辞任させられた>
中東で最も安定した国に数えられるヨルダンが、5月末から大規模な反政府デモに揺れている。鎮静化のため、アブドラ国王は6月4日、ハニ・ムルキ首相に辞任を求めた。
人々は政府の増税案に怒って街頭に繰り出し、近年まれに見る規模の抗議行動に発展した。武力紛争に揺れる中東において貴重な平和と安定を維持してきたヨルダンだが、エコノミストたちは、本格的な経済改革が必要だと言う。
ヨルダン経済は海外からの援助に大きく依存しており、国の借金は国内総生産の約95%に相当する。
国際通貨基金(IMF)は同国に対し、売上税の引き上げや、食料(パン)補助の廃止などの増税策で税収を増やし、財政赤字を削減するよう勧告している。
しかし、企業寄りのムルキ首相が進めてきたそうした政策は、国民にことのほか不評だ。増税によって、中間層を構成する労働者たちに過大な負担がかかるという意見もある。
イスラエル紙ハーレツ紙のコラムニスト、ジブ・バレルlは論説で、以下のように述べた。「食品や生活必需品のメーカーが払う法人税は、24%から30%に上がる。だが、最も打撃を受けるのは一般の人々だ。世帯収入の課税最低限はこれまでの4万ドル以上から2万2700ドルに引き下げられ、個人は1万7000ドルから1万1200ドル以上に引き下げられる。政府は、人口に占める納税者の割合を、4.5%から10%に増やそうとしている」
国民の多くは貧しくて非課税
バレルはさらに、こう続けた。「これは正しい方向への一歩だが、それを信じる人がいるかどうかは疑問だ。表向きには、こうした改革はあまり反対を受けないと考えられていた。増税しても国民の多くは所得が低く、課税されないからだ。
しかし一握りの中間層にとっては見過ごせない。彼らは所得税や、法人税の増税による価格転嫁など、数々の負担に直面しなければならない」(後略)【6月5日 Newsweek】
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“タイヤを燃やすなど抗議行動を展開”したのが、税負担がある(あるいは新たに発生する)“一握りの中間層”とも思えません。低所得層にとっては、電気料金やガソリン価格なども引き上げの方に関心があるのではないでしょうか。
いずれにしても、新首相は増税法案を撤回する意向を示しています。
****ヨルダン、増税撤回へ 新首相、デモ拡大受け****
中東のヨルダンで、政府が進める税制改革法案への大規模抗議デモが5月末から拡大し首相が交代する事態に発展した。
新首相に任命されたラッザーズ氏は7日、混乱収拾のため法案を撤回する意向を示したが、経済の改善の道筋は見えず、「中東安定の要」とされてきたヨルダンの政情は流動的な状況が続きそうだ。
「政府は泥棒だ」。首都アンマンの首相府周辺で6日夜から7日未明にかけ、数千人が国旗を振りながらデモ行進した。厳戒態勢を敷く治安当局ともみ合いになる一幕もあった。
国際通貨基金(IMF)の支援を受けるヨルダン政府が5月下旬、増税を含む税制改革法案を議会に示したのが混乱の引き金だ。政府は電気料金やガソリン価格なども引き上げ、低・中所得者層の反発が強まった。
各地でデモが続き、ムルキ首相が4日に辞任。アブドラ国王が5日、米ハーバード大で学んだ元世界銀行エコノミストのラッザーズ教育相を新首相に指名したが混乱は収まらなかった。
法案撤回でデモは収束するとみられるが、IMFなどはヨルダンに緊縮策や構造改革を求めており新政権は今後も難しいかじ取りを迫られる。【6月9日 朝日】
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要するに、問題先送りです。
【「中東安定の要」としての地政学的重要性】
人口に占める納税者の割合が4.5%しかなくても、なんとか国家財政が運営してこられたのは(もちろん借金が増大しているという財政問題が発生はしていますが)、多額の国際援助がヨルダンになされてきたからです。
その背景には“「中東安定の要」と目されるヨルダンの不安定化は地域全体に影響が及ぶ恐れが・・・”という、ヨルダンの地政学的特殊性があります。
ヨルダンは単純に地理的に見ても、イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接するということで、大きな国際的問題を抱える国々・地域のど真ん中に位置しています。
その結果、周辺地域の混乱の受け皿ともなっています。
“UNHCRによると、20011年3月にシリア政府軍と反体制派との間で内戦が勃発して以降、ヨルダンで難民登録したシリア人の数は65万人以上。ただヨルダン政府は、現在受け入れているシリア難民は130万人に上っているとして、支援の強化を繰り返し要請している。”【1月29日 AFP】(なお、ヨルダンの人口は970万人)
“国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。”【ウィキペディア】
また、周辺地域の混乱収束のための“仲介役”を担うことも多々あります。
現在シリアでは、全国土の支配権回復を目指すアサド政権が、ロシアの支援も受けて、南西部ダルアーの反体制派拠点への攻撃を開始しています。
ダルアーは反体制派にとってはイドリブと並ぶ残された数少ない拠点ですが、隣国ヨルダンやイスラエルの占領地ゴラン高原に近接する微妙な地域です。
この地域で、アサド政権を支援するイランが、衝突に乗じて活動を活発化させれば、イスラエルとの緊張が高まります。
そういった事情もあって、ヨルダンの仲介で、イランとイスラエルの間の“調整”が事前になされた・・・という話もあるようです。
****イランとイスラエル、ヨルダンの首都アンマンで秘密協議?****
イランの関係者とイスラエルの関係者が、ヨルダンの首都アンマンで行った秘密協議で、「イラン政府はシリア南西部における軍事衝突に参加しない」ことについて合意したという主張が上がった。(後略)【5月28日 TRT】
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シリア内戦、あるいはイラン・イスラエル対立は今日のテーマではないので、“密約”の真偽や内容についてはパスしますが、この地域の衝突にイランは手を出さない、イランが手を出さなければイスラエルも介入しない・・・といった内容のようです。
こういう“秘密協議”の場・仲介役として、ヨルダンが登場するということが、今日の話です。
また、パレスチナ問題でもヨルダンが登場します。
トランプ大統領は、25日のホワイトハウスでのアブドラ国王との会談後、パレスチナ問題・中東情勢における“多大な前進”があったとの認識を表明しています。
****トランプ大統領、中東情勢「多大な前進」と強調 和平には触れず****
トランプ米大統領は25日、中東情勢について、多大な前進があったとの認識を示した。ただし、イスラエルとパレスチナの和平に向けた計画をホワイトハウスがいつ公表するのかについては、コメントを控えた。
トランプ米大統領は、ヨルダンのアブドラ国王との会談で、米国がイラン核合意からの離脱を表明して以降、状況は改善したと語った。
トランプ米大統領の娘婿であるクシュナー大統領上級顧問は、24日付のパレスチナ紙アルクッズのインタビューで、米政権が近く中東和平案を公表する計画であることを明らかにした上で、パレスチナ自治政府のアッバス議長の支持が得られなくても、計画を進めるとしていた。【6月26日 ロイター】
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和平案や“前進”の中身については、これも今日のテーマではないのでパスします。パレスチナ問題でもヨルダンが登場するということが、今日の話です。
【政府の構造的な赤字体質とそれを補う国際援助、王室の役割、自制的な大衆運動がもたらす「安定した不安定」】
パレスチナ問題・中東情勢に関して、ヨルダンが仲介役を担ったり、何らかの形で関与することが多いというヨルダンの地政学的特殊性・重要性が、多くの国際支援をヨルダンに引き寄せる背景となっています。
その結果、人口に占める納税者の割合が4.5%しかなくても、なんとか国家財政が運営できてきたということにもなりますが、一方で、そうした国際支援に依存した体質からの脱皮を難しくもしています。
****小王国ヨルダンの奇妙な生存能力****
国家財政は外国援助頼みで破綻寸前 デモが頻発しても「安定した不安定」が続く理由
ヨルダンがIMFの支援と引き換えに導入した緊縮財政政策は、国全体を揺るがす大規模な抗議行動に発展した。生活費の高騰に怒った無数の人々が街頭デモを繰り広げ、国王は政府の刷新を余儀なくされた。新内閣はさらなる歳出削減の延期を約束し、王室はこれ以上の混乱を食い止めるため、外国に緊急支援を仰いだ。
・・・・これは1989年4月の出来事だが、現在も状況はあまり変わっていない。今年5月末、33の労働組合と専門職の同業者団体が増税に反対してストライキを呼び掛けると、燃料と電力の補助金廃止に反発する若者たちが合流。人々の怒りは政府の腐敗と緊縮財政に抗議する大規模デモで頂点に達した。
アブドラ国王は内閣を交代させ、緊縮策の一部を凍結したが、革命を警戒するムードはさらに高まった。
ただし、財政危機、大衆の怒り、政府の刷新というサイクルは過去に何度も起きている。89年以降、96年と12年ににも大きな抗議デモがあった。
それでもヨルダンの王室は権力の座にとどまり、国の在り方はおおむね変化していない。ヨルダンは経済的繁栄とは無縁で、ひたすら生き延びるだけの国だ。
その経済的・政治的構造を考えれば、金融危機のたびに抗議行動が発生するのも無理はない。このプロセスは革命ではなく、単なる繰り返しだ。
この「安定した不安定性」の背景には、中東における独自の地位に裏打ちされた3つの現実がある。政府の構造的な赤字体質、王室の役割、自制的な大衆運動だ。
まず、ヨルダンは長年外国からの援助に頼ってきたため、放漫財政に走る傾向がある。もともと国土の多くが砂漠で、世界で最も資源の乏しい国の1つだ。
第二次大戦後の独立当初は財政と安全保障を旧宗主国イギリスに頼っていたが、1950年代になると中東の要に位置する戦略的重要性に目を付けたアメリカが登場する。
米政府は経済・軍事援助で王制を支える一方、旧ソ連の友好国だった隣国イラクの監視など、西側の権益強化のために利用した。
冷戦終結後、アメリカヘの依存はさらに強まり、ヨルダンは94年にイスラエルとの平和条約に調印。03年にはアメリカのイラク戦争を非公式に支持した。
首相交代で不満をそらす
地政学的重要性を武器に外国からの援助を引き出してきたヨルダン政府は、「分相応」の財政規律を学ばなかった。現在も国家財政の基礎条件は50年前とほとんど変わっていない。
労働者の3分の1は公務員で、所得税を払っている国民は5%以下。人件費と年金が国家予算の半分近く、国防費が5分の1を占めている。
この状況下で80年代の石油危機のような外的ショックが起きると、国家財政が国内のニーズを満たせなくなり、大規模な抗議行動が定期的に発生する。
だが地政学的重要性のおかげで、経済危機が起きると新たな援助が外国から届く。
例えば、94年のイスラエルとの平和条約締結以降、アメリカは190億ドル以上の経済・軍事援助を提供してきた。この金額は多くの財政年度で、ヨルダンの所得税収入と法人税収入を合わせた額よりも多い。
その他の国からの援助もある。
サウジアラビアなどの湾岸諸国は中東の民主化運動「アラブの春」以降、同じスンニ派アラブ人の王国を支えるために36億ドルの追加支援を行っている。
現在の経済危機が始まったのは16年。原油価格の急落とともに湾岸諸国の援助が打ち切られ、シリア難民の流人危機がピークに達し、政府債務はGDPの100%に接近した。
それでも、いつもどおり援助の手が差し伸べられた。アメリカは今年2月、新たに5年間で63億7500万ドルの経済・軍事援助を約束。サウジアラビアは6月11日、クウェート、アラブ首長国連邦(UAE)とヨルダに関する緊急会合を行い、25億ドルの支援を決定した。
ヨルダン王室には、外交だけでなく内政面でも国民の不満をそらす手段がある。その1つが、国王が任命権を持つ首相のクビのすげ替えだ。
ヨルダンでは、首相には政策実行責任者の役割に加え、国民の怒りを受け止める緩衝材の機能もある。(中略)
抗議デモは儀式のよう
もう1つの手段は、政争の上に立ち、国民に直接訴え掛けられる王室の地位を利用することだ。抗議行動が始まると、アブドラ国王は国民の問に入って話を聞き、緊縮政策の全面的な再検討を約束した。
皮肉な話だ。ヨルダンの財政危機は、公共部門と国防費の削減を拒む王室の姿勢にこそ大きな原因があるのだから。
同時にアラブの春から重要な教訓を学んだ王室は、治安部隊に強硬な措置を控えるよう命じた。
そのため首都アンマンでの抗議デモは、警察と活動家の双方が抵抗の儀式を演じているような感じで、警戒する警官に市民が食べ物を振る舞う光景も見受けられる。
これがヨルダンの安定を維持している第3の要囚、大衆運動の自己抑制的な性格だ。この国の抗議行動は爆竹のようなもので、すぐに破裂するが、すぐに沈静化する傾向がある。
ヨルダンではあらゆる種類の抗議行動を含め、公共の場所での行動を支配する暗黙のルールが存在する。
抗議デモはあくまで平和的で、死者は過去10年間で1人だけ。デモ隊が警官を襲撃したり王室の正当性に異論を唱えたりしない限り、誰も傷つかない。
隣国シリアの激しい内戦に対する恐怖が、抗議行動の過激化と政治の混乱を抑止している面もある。
慢性的な財政危機、大規模な抗議行動、王室の対応は「危機、抵抗、政治的均衡」というヨルダンの日常的なサイクルの一部だ。
治安部隊がいきなりデモ隊に発砲するとか、外国の援助が打ち切られるといった劇的な変化がない限り、このサイクルは今後も続きそうだ。
結局、ヨルダンはいつものように生き残るだろう。経済的繁栄とは無縁のままで。【7月3日号 Newsweek日本語版】
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