孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

民主主義は「オワコン」か? と言うより「日本はオワコン」では?

2020-10-24 23:02:43 | 民主主義・社会問題

(【10月1日 デイリー新潮】)

【なぜ「悪いやつ」が成功するのか?】

普段、「民主主義とは何か?」とか「民主主義は“オワコン”か?」といった類の議論にはあまり縁がないのですが、すべてを自身の再選のために関連付けたトランプ政治、アメリカ大統領選挙の動向など見ていると、そうした「民主主義」に関する疑問も湧いてきます。

 

どんなに嘘をつこうが、どんな性格破綻者であろうが、国民の4割ほどの支持を得て、一部には熱狂的な支持者も。選挙予測は様々ですが、最後はトランプが勝つと予測するものも少なくありません。

 

****なぜ「悪いやつ」が成功するのか? 知識人から忌み嫌われた「史上最凶のポピュリスト」****

トランプ、プーチン、習近平……強権発動を厭わない「悪いやつ」ばかりが権力を握っているように見えるのは、どうしてなのか。近年の政治指導者の劣化を苦々しく思っている人も多いだろう。

 

しかし、イギリス史を専門とする君塚直隆・関東学院大学教授は、「同時代の人びとから〈悪党〉と忌み嫌われた人物が、のちに歴史を動かした名指導者として評価されることも多い」と語る。(中略)

 

とりわけ異彩を放っているのは、ヴィクトリア女王時代に長年にわたり首相を務めた第3代パーマストン子爵である。「パクス・ブリタニカ(英国による平和)」を実現した指導者と評価される一方、アヘン戦争などの「砲艦外交」に代表される強引な政治手法が、多くの批判を浴びた。

 

パーマストンがいかに同時代の知識人や政治家たちから忌み嫌われたかを、同書を再構成して紹介しよう。(中略)

 

稀代のポピュリスト?

一方で、パーマストンが常にイギリス国民から強固な支持を受け、大英帝国の全盛期を支えたことは否定できない事実である。

 

パーマストンは80歳で病死するまで首相の座にあり続けた。驚くことに、その死の直後に女性スキャンダルが持ち上がったことがある。野党保守党で彼と対峙したベンジャミン・ディズレーリはこのスキャンダルにあたり次のような言葉を残した。

 

「パーマストンの老いらくの恋だって! ばかげた話だ。だが選挙の時に知られなくてよかった。そんなことになっていたら、彼はさらなる人気をつかんだことだろう」

のちに首相として卓越した政治手腕を見せたディズレーリのこの言葉には、政治指導者に国民が何を求めているかについての洞察が含まれているように思われる。

 

端的に言えば、清廉潔白な人物よりも、老いてもなお愛人を作れるだけの器量と精力を失わない人物のほうに、国民は自らの命運を託そうとするものなのだ。その意味で、パーマストンは稀代のポピュリストだったと言えるだろう。【10月1日 デイリー新潮】

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国民は清廉潔白な人物よりも、老いてもなお愛人を作れるだけの器量と精力を失わない政治家を好む・・・・トランプ大統領はこのあたりの国民心理を実にうまく利用しています。

 

【デジタルをプラットフォームとした液体民主主義 その危うさも】

でも「それでいいのか?」「民主主義ってそんなものか?」という疑問も。

 

****半数の人が「不満」という民主主義 でも「終わった」と切り捨てるのはまだ早い****

みんなで決めるって、むずかしい。顔をあわせて話し合うのが一番だけど、大勢だとちょっと無理。代表を選んで託せば、時間は節約できるけど、もどかしい。古代ギリシャで産声をあげて約2600年、民主主義はそんなジレンマを抱えてきた。

 

直接制」と「代表制」の良いとこ取りはできないのか? 政治哲学が専門の五野井郁夫・高千穂大学教授(41)に素朴な疑問をぶつけてみた。

 

――アメリカの調査機関ピューリサーチセンターが今年2月に発表した調査では、34カ国で平均52%の人々が、うまく機能しない自国の民主主義に「不満だ」と答えました。日本も53%に上ります。今、代表民主制というシステムが、うまく機能していないように見えます。

 

選挙で選んだ誰かに政治を託す。それが代表制というものですが、これは「欠点」をいくつも抱えています。油断すると、選ばれる人が固定化し、利益集団を代表して資産が流れ込みやすい。二世、三世の議員も多い。自民党の世襲率は4割弱に上ります。

 

こうしたことが積み重なって、自分たちの意見がくみ取られていないと不満が高まってしまう。政治に参加しても報われたという感覚が持てない、つまり政治学で言うところの「政治的有効性感覚」をくじかれてしまうわけです。

 

本来、みなで顔を合わせて議論して決める直接民主制が理想として望ましい、と私は思います。(中略)

そもそも、じかに語りかける形で議論ができるのは、顔の見える範囲、つまり「数万人程度」が限界だと言われています。(中略)

 

――なるほど。私も日本の若者たちの話を聞いていて、国会での議論が「自分事」に感じられないという意見をよく耳にしました。直接制と代表制、どっちがいいのでしょうか?

 

顔をつきあわせてじかに議論した方が、民主主義の「質」は高い。でも、人口が増えれば、全員で集まることが不便になり、代表を選出して自分たちの代わりとせざるをえないわけです。

 

代表制は、政治参加の「量」で直接制に勝るわけですが、他人を介する分どうしても意思は反映されにくくなる。「質」をとれば、「量」を犠牲にしなくてはならない。その逆もしかり。民主主義の歴史は、この「質」と「量」のトレードオフでした。

 

民主主義は長い間、その二つを併せ持つことをずっと夢見てきましたが、昨今のテクノロジーの発達が、その「夢」を可能にするかもしれません。デジタル・デモクラシーを前提とした「液体民主主義」など、新たな形態の登場です。

 

液体民主主義とは

インターネットを活用した政治的な意思決定の新しい仕組み。たとえば、有権者が持つ1票を政策ごとに0.3票、0.7票といった具合に分けて投票できたり、課題ごとに見識のありそうな別の有権者に自分の票を「委任」できたりする

 

デジタル時代の新しい民主主義の形態として、2000年代に入って欧州を中心に議論され、北欧スウェーデンの地域政党やドイツなどの新興政党「海賊党」が党内の意思決定に試験的に採用した。

 

――液体民主主義は一見、テクノロジーを駆使した、とても便利で革新的な方法のように言われていますが、五野井さんは懐疑的な見方をしていますね?

 

はい。液体民主主義は、直接民主制と代表民主制の両方の良いとこ取りをするシステムと言えます。自分の1票を信頼する者に委任することができる。しかも、委任した者が期待したような判断をしなければ、その委任を撤回、あるいは一部を保留するといったこともできる。

 

デジタルをプラットフォームとしてますので、時間も節約できるし、選挙もお金がかからない。極論すれば、家でもどこからでも、スマホで政治参加ができてしまう。現代社会に生きる我々のライフスタイルに非常にフィットするわけです。

 

ただし、大変危うい側面もあります。まず、インターネットなどの情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間の格差、つまりデジタルディバイドの問題があります。また、本人確認、買票、透明性の確保やプライバシー保護などの問題をどう克服するのかといった問題もあります。

 

そして、何より問題なのは民意が瞬時に伝わってしまう分、ポピュリズムの危険をはらんでいることです。昨日決めたことが今日には違う結果になってしまう可能性もあるし、みんながその時にOKなら、それでOKとなってしまう危うさがあります。

 

それも説得されたOKではなく、何となく雰囲気でOKということになってしまう。本来は熟考すべきことですら全てがすっとフロー化して流されてしまうかもしれない。プラトンも、のちにプラトンを受け継ぎつつ共和主義と人民主権の関係を再構成したルソーも、ともにこれを危惧していました。

 

――現状の民主主義のシステムにすぐ取って代わる段階にないということですか?

 

(中略)他方、私たちが政治を「サービス」と勘違いしていることが問題の根底にあります。資本主義社会においては、お客様であること、サービスを受けることが当たり前になっていますが、政治とはそもそも、「お客さま」として待ちの姿勢でいてはダメで、自分たちから積極的に関わっていくべきものです。

 

政治のサービス化が起きると、いったいどうなるか。自分や身の回りの問題さえよければ、国全体のことなんてどうでもいい。そんな非常に近視眼的な視座にたってしか、政治を考えられなくなってしまいます。

 

サービスを提供されるように、政治家や行政から民主主義を提供されていくわけです。しかもテクノロジーが発達すると、マーケティングの手法でそれが非常に早いレスポンスで提供されるようになります。

 

よく言えば、twitter等の「民意」を可視化してぶつけることで政治家を脅すこともできますが、悪く言えば、政治家にその時々で顔色をうかがわせるような状態になってしまう。政治があまり国民に向いていない現状では効果があるかもしれませんが、長い目で見れば健全とはいえません。

 

――うーん。古代ギリシャで原型が登場して2600年も経つのに、いまだに完成しないなんて、もしかして、民主主義というシステムそのものがオワコン(終わっているコンテンツ)なんじゃないか、そんな気もしてきますが……。

 

いえいえ、まったく終わっていません。民主主義はオワコンだという人はたしかにいますが、それは使う側の問題だと私は考えます。そもそも、民主主義がダメだと言う前に、ちゃんと使いこなせているのか、すべての可能性を試したのか、そう問いたい。

 

たとえば、代表民主制といえば、すぐに選挙を思い浮かべるかもしれませんが、自らの主張を政治的に訴えていく方法は実際それだけではありません。デモやストライキ、請願、リコール、住民投票、国政調査権……民主主義や憲法で保障されている様々なツールを、多くの人々はまだほとんど試みたことがない。使っていない機能、眠っている機能はないか。

 

可能性を試しきっていないのに、うまくいかないからと民主主義をばっさりと切り捨ててしまうのは、「産湯とともに赤子を流す」ようなものです。それと並行して、新たな民主主義の可能性を模索していく。それが重要なのではないでしょうか。【10月2日 GLOBE+】

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【日本の若者の「正解主義」】

一方、新型コロナへの対応は、中国やベトナムのような強権支配国家の方がうまく対応しているとの見方も。 

みんなで決める民主主義の限界を指摘する声も。

 

一方で、民主主義国における形骸化も。

もとより、民主主義は面倒で時間がかかるもの。菅首相の日本学術会議問題、政権に考え方に反する者は任命できないというのなら、それでいいかを議論すべきですが、「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と訳の分からない説明で、きれいごと的な面倒な議論はしたくないという議論回避の姿勢が。

 

それは民主主義の否定では?たたき上げ政治家には民主主義の理念などは無価値に思えるのか?

 

****【吉田徹】民主主義はだめな制度? 答えは「あなたが信じるかどうか」にある****

みんなで何かを決めるって、本当にむずかしい。緊急事態なら、なおさらだ。新型コロナウイルスの対応では、一党独裁の中国やベトナムはずば抜けて早かった。一面的な見方だと分かっちゃいるけど、議論ばかりでなかなか決まらない民主主義がもどかしく見える。

 

そして、ふと思ってしまうのだ。この制度、もしかして、時代遅れ? オワコン(終わったコンテンツ)なんじゃ……。コロナ禍の不安の中で沸き上がる疑問を、政治学者の吉田徹・北海道大学教授(45)にぶつけてみました。

 

――吉田さんは、今回のコロナ禍は「これまでの国の好ましからざる特徴を、さらに強める作用がある」と説いていますね。どういう意味ですか?

 

(中略)パンデミックは社会の脆弱(ぜいじゃく)な部分に巣くい、拡散していきます。今の新型コロナの危機によって、各国の民主主義が抱えていた矛盾や問題点というものが、目に見える形で如実に出てきているといえるでしょう。

 

――一方で、日本に目を向けるとどうでしょう。若者たちの声に耳を傾けると、政治を「自分ごと」に感じられないという声が高まっているようです。

 

日本の若者は必ずしも政治に関心が低いわけではありません。フランスのシンクタンク「Fondapol」が2011年に行った国際調査では、日本の若者(16〜29歳)の80%が投票を義務と捉えており、25カ国の平均81%と変わりません。こうした政治意識の高さは内閣府の青少年調査でも明らかになっています。

 

ただし、デモや党活動など、投票以外の政治参加になると、他国より意欲が低いというところに特徴があります。

 

――何が原因なのでしょうか?

戦後、政治への直接参加のうねりを最初に作ったのは、ヨーロッパでは60年代の学生・労働運動、アメリカでは公民権・反戦運動でした。フェミニズムや環境保護など、今でいう「リベラル」な意識もこの時代を源泉にしています。

 

その意識は子や孫の世代に受け継がれ、現在になっても各国でのムーブメントの担い手となりました。投票率や党員数は先進国では漸減していますが、代わりにデモなどの非伝統的な政治参加は比例して増加傾向にあります。

 

しかし日本では、新卒一括採用や年功序列などを特徴とするメンバーシップ型雇用の特性も相まって、団塊の世代の政治意識は継続せず、過激化した学生運動の反省から、教育現場でも政治的な話題に触れないことが原則とされました。

 

その結果、教育学者の苅谷剛彦氏の言葉を借りれば、いまの日本の若年層に顕著になったのが「正解主義」です。最近、「勉強不足だから投票できない」と、ある高校生が言っていたのを聞いて驚きました。政治に「正解」があると、試験勉強の延長で捉えていることの証左でしょう。(中略)

 

純化のそしりを恐れずにいえば、日本の場合、感染症対策のみならず、政策一般に対しても「正解があるはずだ」という期待値が有権者の側に強くあります。こうした期待値は、行政に瑕疵(かし)はあってはならないという無謬(むびゅう)性を前提とした官僚政治にもつながっているかもしれません。(後略)【10月11日 GLOBE+】

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【「多数派から支持を得ている人に投票するようにしています」 政権批判は「空気が読めない人」】

この日本の若者の政治意識の話、とても興味深いので、関連記事をもうひとつ。

 

****なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚****

(中略)

東京都知事選を翌日に控えた7月4日、土曜日の昼下がり。私は、ある学生団体が主催するオンライン討論イベントに招かれた。テーマは民主主義。日本政府のコロナ対応はうまくいったと思う?  明日の都知事選、どんな視点で投票するんですか?  

 

全国各地から参加してくれた若者たちと意見を交わすうち、都内の大学に通う4年生の男子学生(23)の発言に、メモを取る手がとまった。

 

「ぼくは選挙に行くとき、候補者の主張を調べはします。でも、どうしても距離を感じてしまうので、多数派から支持を得ている人に投票するようにしています」――。

 

え、どういうこと?  理由はこうだった。

 

子育て、年金、医療、働き方……各候補が様々な政策を主張するけれど、どれも「自分ごと」に感じられない。でも、選挙に行かなきゃ大人じゃない。国民の義務を果たしていないと言われたくない。

 

そんなあやふやな考えの自分の1票が変な影響を与えないよう、せめて大多数の支持する「安パイ」に入れておこう。そう考えたというのだ。

 

うーん。私は考え込んでしまった。民主主義に対する若者の考えをこれまでいろいろ聞いてきたけど、これは新しいタイプだ。

 

(中略)その気持ちを、学級委員や生徒会の「選挙」に例えて、彼は言った。「クラスの人気者はお調子者やスポーツマンが多い。でも、本当に当選したら学校が荒れるかもしれない。人気はそこそこでも、堅実な人に入れておこう、そんな気持ちに似ています」

 

9月の自民党総裁選の動きを見ていても、「隣のクラスの学級委員決め」という感覚しか持てなかった。「僕に何か言えるとすれば、安倍首相には『お疲れ様でした』、次期首相には『よろしくお願いします』だけです」

 

クールな受け答えが印象的だった。でも、学校の代表選びと実社会の選挙はやはり違うよね?

 

彼もその辺は重々、承知している。「親から仕送りを受け、納税もろくにしていない、ふわふわした学生の身分だから、そんなことが言える。就職して結婚、子供ができたら、違った考え方をすると思います」

 

私がこれまで取材した若者はみな、政治を公に語るのを嫌った。個をさらすことに、私の世代より敏感なのだろう。彼も取材には快く応じてくれたが、匿名が条件だった。

 

そもそも、政治に期待した記憶があまりない。彼はそう語った。新型コロナウイルスへの対応も、「魔法のような対策はない」と最初から諦めていた。「子供の頃にあった東日本大震災で政府の対応がひどくて、社会に無力感が広がったのを見たからかもしれません」

 

そして、こう告白した。「政治は時代によって変わって当然、もし来月から独裁的な政権になるって言われたとしても、今はそういう時代なんだと受け入れてしまう、そんな自分がいるんです」

 

最近の若いのは……。そうぼやきたくなる人もいるだろう。だが、あえて弁護すれば、彼は大学院進学を志す真面目な学生であり、勇気を出して話してくれたと思う。政治を身近に感じられず、他人ごとのように俯瞰してしまう。そんな現代の若者の「本音」がにじんでいるように私には感じられた。

 

そして、彼のように民主主義を独自の視点でとらえる若者は今、驚くほど増えている。学生たちと接する政治学者たちが、異口同音にそう訴えているのだ。

 

■政権批判は「空気が読めない人」か

駒沢大学法学部の山崎望教授は、2017年後期のゼミを振り返って言う。「学生たちに『共感』というか、ああ、そう考えちゃうよねと腑に落ちました」

 

当時、世間を騒がせていた森友・加計学園の問題を議論した。安倍政権を肯定する意見がゼミ生25人の7割を占めた。 「何政権であろうと、民主主義国家としてよくないのでは? 私がそう水を向けると、彼らはきょとんとした顔でこう言うんです。『そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか』って」

 

政権に批判的な残りの学生に対しても、肯定派は冷たかった。「空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快、とまで彼らは言うんです」

 

なぜ、そう考えるのか? 学生たちにリポートを書いてもらうと、「政治の安定性を重視しているから」という理由が多かった。不安定でも臨機応変に対応すればいいんじゃないの? 山崎氏がさらに問うと、肯定派はみな言葉に詰まってしまったという。

 

「理屈ではなく感覚なんです。安定に浸っていたい、多数派からはじかれて少数派になりたくない。そんな恐怖が少数派は罪という考えまで至るのではないでしょうか」

 

山崎氏は「仮説」を立てた。今の若者たちの多くは、日本古来の「システム」のようなものが政治の根幹にあって、それが自由民主主義だと思っている節がある。その下で選ばれた首相や与党を批判するのは、古来のシステムにごちゃごちゃ文句を付けているようなもの。逆に、政権を批判する野党やジャーナリスト、活動家には関わりたくない――。(中略)

 

山崎氏は言う。「非常に奇妙な『神格化』が起きています。首相への熱烈な支持、信頼は薄くても、民主主義という政治システムに選ばれたこと自体が、『カリスマ』のよりどころなのです。とくに政治経験の少ない若い人は、純粋にそんな気持ちを抱くのではないでしょうか」(後略)【9月30日 GLOBE+】
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「正解」がわからないから、みんなが支持する人にとりあえず賛成してしておく、政権を批判して秩序を乱すのは「空気が読めない人」・・・・「民主主義はオワコンか?」という話から入りましたが、上記記事を読むと「日本はオワコン」というのが今日の結論。

 

民主主義に関しては、取り上げたい記事がまだ多数ありましたが、長くなりすぎるのでまた別機会に。

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