(14日、タイの首都バンコクで、政府庁舎近くに集まり、プラユット政権の退陣を求める学生ら【10月14日 読売】)
【王室改革も議論される反政府抗議デモ】
タイのプミポン・アドゥンヤデート前国王が死去してから13日で4年を迎え、首都バンコクでは政府関係者や学生らが参加する式典が行われました。
国民から敬愛を受けていたプミポン国王ですが、現在のワチラロンコン国王は数々の奇行、贅沢な国外での生活、膨大な資産・・・等もあって、一部では民心が離れつつもあり、軍事政権の流れをひくプラユット政権に対する民主化運動において王室改革も言及される事態となっていることは、これまでも取り上げてきました。
(9月18日ブログ“タイ 王室批判が拡大するなかで、19日に大規模抗議集会 戒厳令、首相辞任、クーデターの噂も”など)
****敬愛の対象・タイ王室から民心が離れつつある理由****
(中略)そのタイで異例の事態が起きている。学生たちを中心に抗議デモが相次ぎ、20日には首都バンコクで王宮に向かって大規模な行進が行われた。地元メディアによると、その参加者は約5万人とされる。
そこでもっとも驚かされること――というより前代未聞なのは、現政権への批判に加えて、王室改革を叫んでいることだ。
国歌演奏中の「咳払い」も不敬罪に
国王を国家元首とする“王国”であるタイには「不敬罪」がある。
例えば、映画館で映画が上映される前には国歌と国王の映像が流される。観客は立ち上がってこれを静聴する。ある日本人がこの最中に痰が絡んだことがあった。それだけでたちまち警察に連行されてしまった。(中略)
もっとも、行きすぎた不敬罪の適用には、西洋諸国からの批判の声もあるが、それだけタイの人たちは国や国王を尊んでいた。それも4年前に崩御したプミポン前国王は、国民から敬愛されていた。
第2次世界大戦が終結した翌年、1946年に即位したプミポン前国王は、自ら土地や農業の改革をはじめ、王妃と全国を視察して歩き、国民との接点を多く持ったことから、国王としての尊敬と信頼を集めるようになった。
政情不安が続き、クーデターが繰り返される国内政治に、直接介入することはなかったが、それでも国内が混乱する事態に接すると、積極的な言動で沈静化を図っている。
有名なのは1992年の軍事クーデターのあとの流血事件の仲介だ。民主化を求めるデモ隊に軍が発砲して300人以上の死者が出ると、前国王は王宮に双方の指導者を呼び出し、双方を諫めて事態を終息させている。
「情勢不安になっても、国王が“お前たち、いい加減にしなさい”というふうに、なだめることで、この国はいつも落ち着きを取り戻す」
数十年、バンコクに暮らす在留邦人が語った言葉だ。それだけ国民に対する影響力も大きかった。そんな国王が2016年に崩御するまで70年間も在位していた。
前国王は国民からの敬愛を集めていたが
ところが、それこそ不敬罪にあたるから現地でも声を潜めるが、遠回しに言えば、「商売に成功した大旦那の2代目がどら息子」という話は日本の落語にもよくある筋書きで、王位を継承したワチラロンコン国王の評判は、前国王の存命中から聞いていた。前国王亡き後の混乱を予測する声すらあった。
日本の主要メディアも不敬罪を怖れてか、報道はほとんどされていないが、よく知られているのは奇行だ。
現国王は3回の離婚をしている。そのうち元ストリッパーとされる3番目の妻を、愛犬の誕生パーティーにおいて、人前で裸にさせている映像がネット上に流出している。4年前には、ドイツの空港で短いタンクトップの下の刺青がはっきりとわかる写真がメディア配信されている。飼っていたプードルに空軍大将の称号を与えたことでも知られる。
昨年7月には30歳以上も離れた元看護師の女性に陸軍大将と「高貴な配偶者」の称号を与え、一夫一妻制が長年続いた王室で、事実上の側室にすると、その3カ月後には「不誠実で恩知らず」として称号を剥奪。ところが、先月にこれを取り消している。
1年の大半を海外で過ごすとされ、それまで王室財産管理局が運用していた王室の資産が、2018年に70年ぶりに改正された法律で「財産は国王の意思によって運用される」とされた。傍から見れば、やりたい放題だ。
岐路に立たされるタイ王室
プミポン前国王の時代にはあり得なかった王室批判のデモ。王室を批判するというよりは、先王と比較して燻っていた現国王への不満に火が付いた、と見たほうが正しい。いまのところ不敬罪を楯に、現政権もデモに厳しい姿勢では臨まない。
現在の首相は、2014年の軍事クーデターを指揮したプラユット司令官がそのまま首相の座に就き、昨年の総選挙を実施したあとも、再び首相に選出されている。
形式的には民政に移行したが、議会は軍部の意向が反映されやすい構造で、総選挙では反軍政を掲げる「新未来党」が議会の第3党に躍進するも、憲法裁判所から解党を命じられている。
こうしたことから、プラユット政権を独裁として、繰り返されるデモではプラユット首相の辞職と軍政下で制定された憲法の改正を叫び、8月のデモから王室改革を求める声が加わった。20日の大規模デモでも、集会参加者はその3つを叫び、警備の警察にワチラロンコン国王あての公開書簡を手渡している。しかし、現国王に期待できるだろうか。
20日のデモ行進参加者5万人には、タクシン派も加わったと報じられている。
サッカー欧州リーグのチームを買い取るほどの富豪としても知られるタクシン元首相は、2006年に国連総会に出席するためニューヨーク滞在中に軍事クーデターが起き、帰国できなくなった。
地方を優遇するいわゆる“ばらまき政策”に、都市部の富裕層やインテリ層から不満が噴出していたり、汚職の疑惑が後を絶たなかったりした。
その後、赤シャツを着たタクシン派と黄色いシャツを着た反タクシン派に国内は二分され、反タクシン派が座り込みをはじめたスワンナプーム国際空港が機能停止に陥るなど国内が混乱した。
やがてタクシン元首相の妹のインラック女史が首相に就くも、両派による混乱は止まず、治安悪化の恐れがあるとして、2014年の軍事クーデターにつながっていく。タクシン・インラック兄妹はタイの検察当局から訴追されているが、現在も海外逃亡中だ。
タクシン派がバンコク市内で抗議活動をするときには、優遇されて人気の高かった地方から人が集まってくる。それも「バンコクに入るところでカネを渡している」と現地で聞いた。
プミポン前国王は名指しこそしなかったものの、タクシン元首相の金満体質を嫌っていたとされる。
いまの議会では憲法改正へ向けた動きもあったが、少数政党が濫立するなかで、それも頓挫しかけている。
このまま抗議活動が続いても、前国王のように事態を収拾する存在はいない。いまの国王に期待したところで、矛先はそこに向かっている。時代は着実に変化している。【9月23日 青沼 陽一郎氏 JBpress】
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反政府抗議デモの拡大を受けて浮上した(小幅な)憲法改正論議も先送りされています。
****タイ国会、憲法改正論議11月に延期 デモ参加者「時間稼ぎ」と反発****
タイの国会は24日、憲法改正に関する議論を11月に先送りすることを決めた。タイでは若者らによる反政府デモが拡大しており、軍事政権下で公布された憲法の改正は、デモの要求の柱だった。デモ参加者は「政権による時間稼ぎだ」などと強く反発している。
反政府デモでは、憲法改正や軍を基盤とするプラユット政権の退陣、絶対的な権威を持つ王室の改革などを求めている。政権はデモを沈静化するため、憲法改正に前向きな姿勢を見せていた。
国会での憲法改正論議は9月23日に始まり、24日に改正憲法の草案を作るメンバーの選出方法や改正の進め方など6案の採決が見込まれていた。だが与党は、各党で構成する委員会で意見を調整する必要があるとして、採決の延期を決めた。
現行憲法は軍が全上院議員を事実上任命できるなど、軍の政治への影響力を維持する内容で、民意が反映されないとの批判が高まっている。市民団体は憲法改正を求めて約10万人分の署名を集め、国会に提出している。
24日は国会前で反政府集会が開かれ、約1000人がスクリーンに映し出された審議の中継を見守った。採決延期を受け、参加者は政権を強く批判。反政府活動により力を入れる構えを見せている。【9月26日 毎日】
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【14日 大規模な抗議デモで緊張高まる】
こうした状況の中で、今日、プラユット首相退陣や王室の制度改革などを求める大学生主導の反政府デモが首都バンコクで始まり、緊張が高まっています。
****タイで大学生主導の反政府デモ…首相辞任、王室の制度改革要求****
タイのプラユット・チャンオーチャー政権の退陣や王室の制度改革などを求める大学生主導の反政府デモが14日、首都バンコクで始まった。王室を擁護するグループもデモに反発して集まり、情勢は緊迫化している。
デモはバンコクの民主記念塔周辺で展開され、参加者の一部は、「雨傘運動」と呼ばれた香港の民主化運動との連帯を示すために傘を掲げるなどして、「プラユットは出て行け」と叫び続けた。
政権側は、ワチラロンコン国王が宗教行事出席のために近くを通過することから、1万5000人規模の警官隊を動員し、厳戒態勢を敷いた。
大学生らは、軍主導の政権を率いるプラユット首相の辞任や憲法改正、軍とつながりのある王室の制度改革を要求している。
特に、絶対的な権威とされる王室への言及は過去に例のないもので、国内で議論を巻き起こしている。主導者の一人で弁護士のアノン・ナムパー氏は「要求が一つでも受け入れられるまで、デモを続ける」と主張している。
タイでは、2014年の軍事クーデターを主導し、約5年続いた軍事政権の暫定首相も務めたプラユット氏が、民政復帰を目指した昨年3月の総選挙後も首相の座にとどまり、軍主導の強権統治を続けている。【10月14日 読売】
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“デモ隊は民主記念塔を出発し、首相府方面へ約2キロ行進した。記念塔付近はワチラロンコン国王の車列が通過するため、王室を支持する多数の市民が道路脇に集まっていた。”【10月14日 時事】
“デモ隊と王室支持派が一時衝突し、けが人も出ている。(中略)デモ行進のルートの一部は国王の車列も通過する予定があり、王室支持派や大勢の警察官が沿道に集まり、緊張感が高まっている。”【10月14日 FNN プライムオンライン】との報道もありますが、この時間になっても、それ以上の混乱を伝える報道はありませんので、大きな混乱にまではなっていないでは・・・と推察されます。
民主記念塔付近での集会の様子を写したYouTubeがありました。
(10/14最新!【緊急LIVE】タイ・バンコク民主記念塔での大集会が大変なことに。。。)
以下、上記動画より。
(3本指を突き上げて、抗議の意思を表す人々)
(赤い帽子、シャツはタクシン派とのつながりでしょうか?全体的にはそうした者はごく一部のようです)
(道路わきには黄色シャツの人々 ワチラロンコン国王の車列を歓迎するために集まったと思われます)
(グレーの制服は警官 およそ1万5000人が警備に動員されたとか)