孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スリランカ  内戦の「記憶」

2023-05-14 22:10:21 | 旅行
(キリノッチ 内戦時にタミル人武装勢力LTTEが政府軍キャンプ襲撃に使用した改造兵器)

11日から1週間、4回目のスリランカ旅行中です。

スリランカにについては前回記事にも書いたように、観光的な関心以外に内戦(多数派・仏教徒のシンハラ人政府と少数派・ヒンドゥー教徒のタミル人武装勢力の間で1983年7月から2009年5月まで戦われた内戦で、政府軍勝利で終結)に関する記憶がいくつかあります。

スリランカ内戦が国際的に問題となったのは、タミル人側が最後の拠点に追い詰められた最終段階。
タミル人側は住民を「人間の楯」とすることで、政府軍の最終攻撃を防ごうとしました。

強硬な軍事的制圧を行うと多数の住民被害が出ることが予想される状況で、国連・欧米はスリランカ政府に自制を求めました。

しかし、スリランカ政府はそれを拒否して軍事作戦を強行。結果、多数の犠牲者も出ました。
そのことで、スリランカは欧米から制裁を受けることにもなりました。

民間人犠牲を顧みないのはタミル人側武装勢力も同じで、、武装勢力LTTEは逃げようとする民間人を銃撃しているとも報じられていました。

****スリランカ内戦:「病院に多数の避難民ら」戦闘地域の医師****
「この状態では脱出すらできない」。スリランカ政府軍が北東部に立てこもる反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)への最終攻撃を本格化した14日、戦闘地域に閉じ込められた病院の男性医師(39)は毎日新聞の電話取材に切迫した状況を伝えた。

医師は「武装ヘリが飛び回り、あちこちに迫撃砲が撃ち込まれている。ここには2000人以上の患者や避難民がいるが、薬や食料、飲用水のない危機的状況だ」と訴えた。
「病院の外に一歩出れば、戦闘に巻き込まれる」。医師は早口で言った。非戦闘員の保護を定めたジュネーブ条約に反し、政府軍とLTTEの戦闘で多数の民間人が犠牲になっていることを物語る。

医師によると、戦闘は10日ごろから散発的に始まった。LTTE支配地域に取り残された多くのタミル人市民が、「病院なら攻撃されない」と信じて駆け込んできた。治療が必要な数百人以外は建物の外で野宿している。

LTTE側は10日、この病院について「政府軍の攻撃で2000人以上死亡した恐れがある」と主張していた。医師は「死者は推定数百人。病院の敷地外に放置されたままの遺体も多く、実際の数は分からない」と言う。

戦闘には、政府が民間人への被害を防ぐため「使用しない」としていた迫撃砲も使われているようだ。ただ、医師は「どちらの攻撃かなんて分かるはずがない」と打ち明けた。

病院の様子は悲惨だという。頭に包帯をぐるぐる巻いた幼児が、行方不明の母親を捜して泣き叫ぶ。骨が浮き出るほどやせた老人たちが床の上で息を引き取っていく。

次々と負傷者が運び込まれてくるが、ベッドは足りず、医薬品不足などで手術もままならない。野戦病院のような混乱の中、医師と看護師の計10人が不眠不休で治療しているという。

戦闘の影響なのか、電話回線は数分おきに途切れる。通算20分間、言葉を選びながら語った医師は、「病院にLTTEか政府軍はいるか」との質問をきっぱり否定。「最後の患者が保護されるまでここに残る」と語った。【2009年5月15日 毎日】
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今回旅行で専用車のドライバーを努めてくれた男性は、内戦当時政府軍兵士としてこの北部地域に駐屯し、今は観光地となっている「ジャフナ・フォート」(17世紀のポルトガルやオランダ支配当時からの要塞で五稜郭と同形)に政府軍兵士650名ほどが立てこもり、約1か月に及ぶLTTEの攻撃を耐えた経験があるとのこと。包囲されているので、食糧などは空輸したとか。

フォートの石垣には今も内戦当時の弾痕が多数残っていますが、ドライバー氏も足首あたりに被弾し、頭皮には弾丸がかすめた傷跡が残っています。弾道があと数cm低ければ即死でした。

彼の運転で13日、観光地アヌラダープラから北部の拠点都市ジャフナに移動しました。

途中、昼食をとったレストランでは、支配人男性とフロアマネージャー的な女性の二人がシンハラ人で、あとのスタッフはタミル人とのこと。

ガイド氏に意地悪い質問を。「ようするに、偉い人はシンハラ人で、タミル人はその下で働いているということですかね?」

シンハラ人男性のガイド氏(日本で数年働いた経験がある40歳ぐらいの方)は、その問いを否定せず、「そうですね」とも。

ただ、そのレストランの収益は、体の不自由な方々への支援に使われているということで、社会的に有意義な活動を行っている見せです。

更に進んで、LTTEの最後の拠点があったキリノッチ付近の道路際にブルドーザーを戦闘用に改造したようなものが展示されていました。軍の兵士が管理していました。

当時、政府軍の駐屯地があり新兵を徴用していたそうですが、そこをLTTEが上記改造兵器で攻撃してきたとのこと。

そのとき政府軍兵士の一人が、手りゅう弾を手にしてこの改造兵器の中に飛び込み自爆し、LTTEの攻撃を阻止したそうです。

かれはシンハラ人の英雄となって、その行動を称えるビデオなどもそこで見ることができます。

そこには大勢のスリランカ人観光客が来ていました。

私「あの観光客は(この付近に住む)タミル人ですか?」 ガイド氏「いいえ、シンハラ人です。」

シンハラ人にとっては英雄の記念碑ではあっても、敗者タミル人の目には・・・・
ガイド氏も、いたずらに両者の溝を深めるような展示については、あまり賛成していない様子でした。

シンハラ人とタミル人の溝・・・・もっとも基本的なところでは、言葉が通じません。シンハラ語とタミル語はまったく異なります。

ガイド、ドライバーもシンハラ人ですからタミル語がわかりません。

そのため、ジャフナのホテルに着くと、ホテルスタッフとガイド氏は英語で会話・交渉することに。

ともに英語を理解できる場合は、こういうコミュニケーションも成立しますが、そうでない場合は会話できません。

ジャフナのレストランで夕食を食べた際にも、ガイド氏はレストランスタッフに英語でオーダーしていたのですが、そのスタッフ男性が「私はシンハラ人です」 そういうこともあります。

あと、私のまったくの印象にすぎませんが、昼食をとったレストランのレジ係をしていたタミル人女性スタッフの様子や、ホテル女性スタッフ(子供時代から若い頃に内戦を経験した年齢)の言動から「数字・計算について十分な教育を受けていないのかな・・・」と感じたことも。

まったくの個人的印象で、私の勘違いにすぎず、事実はまったく異なることが大いに予想されますので、この件の詳細は省きます。

そんなこんなで、特に内戦の記憶・残影を求めて旅行している訳ではありませんが、ちょっとしたことに内戦の「記憶」がのぞくこともあるみたい・・・・。
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