孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アメリカ  イラク戦争の狂気と闇

2007-10-21 13:19:09 | 世相

(ハディサ事件の現場とされる写真 事件発生後1,2日後に撮影されたもので、被害者家族の弁護士から提供された “flickr”より By poetictouch )

4年にわたるイラク戦争中、米軍による最も重大な戦争犯罪とされるハディサ事件について、米海兵隊は19日、士官など2人を裁くための軍法会議を設置すると発表しました。
海兵隊員が軍法会議で裁かれるのは今回が初めてになります。【10月20日 AFP】

ハディサ事件とは、イラク中西部ハディサで2005年11月19日にアメリカ海兵隊によってイラク民間人24人が殺害された事件です。
事件のきっかけは、道路脇に仕掛けられた爆弾によりパトロール中の米海兵隊員1人が死亡したことでした。
海兵隊員らがこの攻撃に対する報復として、女性や子どもを含む非武装の民間人24を殺害したとされています。

当初、海兵隊は“道路脇の爆弾で民間人15人が死亡した”と発表しましたが、関係者の証言等に基づき米タイム誌がこの発表を虚偽と報道したことで軍による民間人虐殺の実態が明らかにになり、軍も調査に乗り出しました。
そして昨年12月、米軍は海兵隊員4人を殺人容疑で訴追、また、事件を正しく調査・報告しなかったとして、ほかに4人の海兵隊員を職務怠慢の疑いなどで訴追しました。

事件の全容については、掲示板“★阿修羅♪”に“ファントムランチ”さんによって、タイム誌記事の全訳「ある朝、ハディサにて」が投稿されていますので、詳しくはそちらをご覧ください。
http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/945.html )
大まかな概要を抜粋すると以下のようなものです。

**********
路肩爆弾によって海兵隊1名が死亡。
海兵隊は、その直後にワリード家の方角から銃撃を受けたと主張しており、すぐに数名のグループがその家に向かった。
海兵隊は待ち伏せ攻撃に違いないと思い2枚のドアを同時に破り、銃器を発射した。
このとき家の内部において7人(女性2人と子供1人を含む)が死亡した。
海兵隊員らはさらに男性1人と女性1人が家の外に逃げたので、跡を追って男性を射殺したと供述している。

生き残った女児エマン(9歳)の証言
「沢山の銃撃音が聞こえたので、私たちの誰も戸外へ出ませんでした」
「そのうえ時刻がとても早かったので、私たちはみな寝間着を着ていました。」
海兵隊は家に踏み込むと何やら英語で叫んでいたという。
「最初に彼らは、コーランを読んでいた私の父の部屋に入りました」と彼女は話す、「そして私たちは銃撃音を聞きました。」
エマンによれば、海兵隊はそのあと居間に侵入してきた。「私からは彼らの顔を見ることは出来ず、戸口から突き出た彼らの銃口だけが見えました。私はそれらの銃がまず私の祖父の胸と、そして頭を撃つのを見ました。それから彼らは私の祖母を殺しました。」
「(後から現れたイラク人兵士に)私は泣き叫びながら『なぜあなたたちは私の家族にこんなことをするの?』と問うと、一人のイラク人兵士は『我々がやったのではない、アメリカ人がやったんだ』と教えてくれました。」

海兵隊は程なくして第2の家の方向から銃撃を受け始めたと主張している。
彼らは即座にその家のドアを壊し、手投げ弾を中に投げ込んだがキッチンのプロパン・ボンベに引火して大爆発を起こした。
その後、海兵隊員らは8人の居住者を射殺した(この家の所有者とその妻、所有者の2人の姉妹、2歳の息子および3人の若い娘を含む)。

次に海兵隊はアハマド・アヤドという人が所有する第3の家を襲撃した。
息子の1人ユシフは、父親の家から連続的な銃撃音を聴きつけ、急いで駆けつけたが庭で監視役を務めるイラク人兵士らに中に入るのを阻まれた。
ユシフの証言
「彼らは私に『君にできることは何もない。近づかないほうが良い。さもなくば君もアメリカ人に殺されるだろう』と警告しました。」
家に入れたのは遺体が運び去られた後だった。
「しかし私たちは床に流れた血の痕跡を見て、何が起こったのかを悟りました」とアヤドは言う、「アメリカ人たちは私の4人の兄弟を父の寝室に集めてクローゼットの中に追い込みました。そしてクローゼットの中で全員を殺したのです。」
海兵隊は、4人のうち1人はAK‐47を使用中で、もう1人は他の武器で武装しているように見えたという。

軍当局は、最初の2軒の家における犠牲者計15人を非戦闘員と分類した。ということはつまり路肩爆弾の爆発現場近くで海兵隊によって殺害された4人の若者と第3の家で殺害された4人を、敵の戦闘員と見做していることになる。

遺体が運ばれたハディサの地元病院の責任者であるワヒド医師の証言
海兵隊は11月19日の真夜中に24の遺体を彼の病院へ運んで来たが、犠牲者は路肩爆弾から飛び散った破片によって死亡したと主張したという。
「しかし爆弾の破片によって損傷した器官などそれらの遺体のどこにも見られないことは、我々にとって歴然としていました」
「銃弾の痕は明白でした。ほとんどの犠牲者は胸か頭部を撃たれていました、・・・それも至近距離から。」

(事件後撮影された現場の)ビデオ映像からは家の外部にいかなる銃弾の穴も見受けられない。この事は手製爆破装置が爆発した後に反政府分子と激しい銃撃戦を展開したという海兵隊の主張に疑問を投げかけるかもしない。

タイム誌は翌年1月、目撃者証言とビデオを軍に提出。2月になって軍は特別調査を実施。
この特別調査は、民間人が(軍が主張していた)反政府分子の爆弾によってではなく海兵隊によって殺された事実について、海兵隊によって襲撃された最初の2軒の家に反政府分子が隠れていた形跡は無かった、という結論を下した。
しかしながら住民の死は、海兵隊の悪質な意図によるものではなく「付帯的損害」としての結果であると調査班は述べているという。

米国は死亡した15人の民間人については、それぞれにつき2500ドルを親族に支払い、負傷者についてもより少ない金額を加算した。

生き残ったエマンの父親がコーランを手に、家族の安全を祈ったにもかかわらず、幾多の前例に反して彼の祈願は聞き届けられなかった。彼女はまだそのことを納得できずにいる。
「これまではいつも父が祈ると、アメリカ人は私たちを放っておいてくれたのに」と彼女は語る。


(エマンのタイトル、説明がある写真 彼女本人でしょうか? “flickr”より By Buferanera )
*********

海兵隊は昨年12月、士官4人と兵士4人(兵士4人については殺人罪)を起訴すると発表しましたが、弁護側は、隊員らは所定の交戦規則に基づいて行動しており、民間人の死者は米兵が武装組織との激しい銃撃戦に巻き込まれた結果だと主張。
実際、起訴取り下げが相次いでいます。

起訴されたチサニ中佐の民間弁護人、ブライアン・ルーニー氏は、チサニ中佐の訴追を求める米政府の姿勢について、「海兵隊の共食い」で「テロリストの笑いものになっている」と批判。
この事件に関して、さらに起訴される軍幹部があってはならないと述べた。【5月31日 AFP】

米軍事査問委員会は8月9日、取り調べを受けていた海兵隊大尉と上等兵を証拠不十分などで不起訴処分とした。
不起訴処分となったのは米海兵隊のRandy Stone大尉とJustin Sharratt上等兵の2人。
Stone大尉は違法命令と職務怠慢容疑、Sharratt上等兵は過失致死容疑でそれぞれ捜査対象となっていた。
【8月10日 AFP】

殺人容疑で訴追された4人のうち2人については、すでに起訴が取り下げられている。
Tatum上等兵についても起訴取り下げとなる見通しだ。【8月31日 AFP】

米海兵隊は18日、事件に関する調査が不十分だったとして起訴されていたLucas McConnell大尉に対する起訴が取り下げられたと発表した。【9月19日 AFP】

今回の軍法会議にかけられるのは、ジェフリー・チサニ中佐とTatum上等兵。
チサニ中佐は民間人が死亡した事態を適切に調査しなかった罪、Tatum上等兵は過失致死罪をそれぞれ問われるそうです。
(Tatum上等兵については、殺人容疑は起訴取り下げられ過失致死容疑になったということでしょうか?もともと過失致死容疑で、取り下げにならなかったということでしょうか?)
相次いで容疑者の起訴が取り下げられるなか、実質的に殺人容疑による刑事罰が問題になりそうなのは、現場で指揮した分隊長のFrank Wuterich二等軍曹のみにも思われます。



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パキスタン  ブット元首相への爆弾テロ

2007-10-20 12:37:05 | 国際情勢

(爆発直後の混乱 中央女性がブット元首相 “flickr”より By BHowdy )

パキスタンの最大都市カラチで18日深夜、8年ぶりに帰国したベナジル・ブット元首相の歓迎パレードで爆弾2発が爆発し130名以上が死亡した事件は日本のTV等でも大きく取り上げられています。

亡命状態にあったブット元首相の帰国は、国民の支持が高いブット氏率いるパキスタン人民党(PPP)と手を組むことで来年1月の総選挙を乗り切り基盤を固めたいムシャラフ大統領、帰国したうえで首相三選禁止規定を撤廃し政界に復帰したいブット元首相、更に“軍服を脱いだムシャラフ+国民に民主的に支持されたブット”という組み合わせの“民主的”政権をパキスタンに樹立することで、アフガニスタン・イランという“テロ支援国家”に対する防波堤を築こうとするアメリカ、それぞれの思惑の結果でした。

三者を結びつけるのは“テロとの戦い”ということですから、敵視されたイスラム武装組織(パキスタン北西部で活動、同地域はアルカイダの“聖域”とも言われています。)からは、今年7月の“赤いモスク事件”でのイスラム過激派弾圧を支持したブット元首相帰国に対するテロの計画も流れていたと言われます。【10月20日 産経】

また政府側も、このようなテロによる危険があること及びブット氏らに恩赦を与える「国民和解協定」について最高裁が合憲性を審議し始めたことから、「最高裁判決まで帰国を延期すべきだ」と帰国延期を求めていました。

しかし、軍事政権に処刑された元大統領を父親に持ち、PPP総裁として個人崇拝的な支持を今なお持つブット元首相も、一連の自分の恩赦にからむムシャラフ大統領との“取引”によって国民の支持にも陰りが見えるとも言われていました。
そのため、テロの危険や身柄拘束の可能性を押し切って帰国を強行することで、民主化の先頭に立つその存在をアピールしたい狙いがあったと思われます。
アメリカも帰国にあたって、ムシャラフ大統領に対してブット元首相の身辺の安全に責任を持つよう要請していたそうです。【10月19日 産経】
結局政府も「最大限の警護」を保証し、18日のカラチ空港発着の国内全便を欠航にし、パレードでは警察官にトラックの周囲を警護させていました。【10月19日 毎日】

今回のテロの犯人、背景についてはいろいろ言われてはいますが、まだよくわかっていません。
事件の混乱の中でブット元首相の夫ザルダリ氏は、「事件はある情報機関に責任があり、われわれは調査を要求する。(事件は)武装組織によるものではなく、その情報機関の犯行だ」と語っています。
ザルダリ氏の言う情報機関とはムシャラフ大統領の側近が指揮を執る首相直属の機関だそうです。
また、ブット元首相は帰国前、退役した軍関係者による暗殺の可能性に懸念を表明していたとも言われています。【10月19日 AFP】

TVのインタビューでブット元首相は警備の不備を非難し「なぜ道路の街灯をつけなかったのか。明かりがあれば犯人を阻止することができたのに・・・」といったことを語っていました。
しかし、あの国では停電が常態化しているのはないでしょうか?

当然ながらムシャラフ大統領は19日、事件は「民主主義に対する陰謀だ」と強く非難し、国民に落ち着いて行動するよう呼びかけるとともに、容疑者を徹底的に捜索、厳罰を下すとの声明を発表したそうです。

邪推すれば、いろいろ想像できなくもありません。
最近求心力の低下が著しい、また仮にブット元首相と組んで総選挙を乗り切ってもその後のイニシャチブを維持できるか疑問のムシャラフ大統領としては、テロで政治・社会情勢が混乱すれば、一気に戒厳令を発令して・・・ということも。
ブット元首相がトラックの荷台から防弾ガラスが装備された同じトラックの車内に移動した数分後に爆発が発生したようですが、間一髪というか随分ラッキーだったというか・・・。
犯人の車はパレードの進行を塞ぐように止まっていたそうですが、どうして警戒のなかでそんなことができたのか・・・。
今回の事件で、ブット首相の政治活動が著しく制約されるのも事実です。

まあ、素直に考えれば、イスラム過激テロ組織の犯行ということでしょう。
7月のモスク立てこもり事件、その強行突入による鎮圧及び多数の犠牲者の発生以降、パキスタンのイスラム過激派の活動は活発化しています。
パキスタン国軍も在任時のブット元首相も、かつてはイスラム原理主義勢力、アフガニスタンのタリバン勢力を支援・利用してきた経緯もあります。
アメリカも当初タリバンを支援していました。

それだけに、ここにきてアメリカの後押しで声高に“テロとの戦い”を主張する両者はイスラム原理主義勢力からすれば“裏切り者”にも見えるのかもしれません。
過去の政策のつけが回ってきたとも言えます。

9月に海外亡命先から7年ぶりにパキスタンに帰国したものの、直ちに国外追放された野党指導者シャリフ元首相が、11月後半に再び帰国を試みるということを、元首相の率いるパキスタン・イスラム教徒連盟(PML―N)のスポークスマンが15日明らかにしています。【10月15日 時事】
更に混乱は深まりそうです。

イスラム原理主義の最大野党と手を組むシャリフ元首相は、世論調査ではブット元首相を上回る人気があると言われています。
イスラム原理主義政党が広く国民の支持を集めており、そこと提携するシャリフ元首相の人気が高いことに、パキスタン社会の混乱が単に一部のイスラム武装組織の問題ではないことがうかがえます。
これまでの政治への民衆の不満が、イスラム主義へと人々を向かわせているのでしょう。

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国際支援  “世界食糧デー”と“世界貧困デー”

2007-10-19 15:08:38 | 世相

(本文にも“食糧支援状態が最悪な国”のひとつとしてあげられているブルンジ 1人あたり国民総所得は100ドル(2005年)で世界最下位 そのせいでもないでしょうが、写真の母子の表情も・・・ “flickr”より By NinaW)

10月16日が“世界食糧デー”、一昨日17日が“世界貧困デー”だったことはご存知でしょうか?
私は知りませんでした。
海外関係のニュースのなかに、関連の記事があり初めて知りました。

*****
ドイツの世界飢餓援助機構(DWHH)は12日、世界中で8億5000万人以上が飢えに苦しんでいるという調査結果を発表した。特にサハラ以南のアフリカやアジア南部では、災害の影響が著しいという。
調査結果によると、リビア・アルゼンチン・リトアニアにおいて、弱い立場の国民に対する食料支援が最もしっかりしていることが確認された。一方で、支援状況が115か国中最悪と位置づけられたのはエリトリア・コンゴ共和国・ブルンジの3か国。
2006年には約4分の3の国で若干の改善が見られたといい、国連の「ミレニアム開発目標」が掲げる2015年までに飢えに苦しむ人口を半分にするという目標に届く可能性はまだあるとしている。【10月13日 AFP】

「貧困撲滅のための国際デー」に当たる17日、参加者が一斉に立ち上がることで貧困撲滅への意思や願いをアピールするイベントが国連など世界各地で開かれた。国連によると、昨年は世界各地で2300万人以上が参加、今年はさらに増える見通し。国連本部で開かれたイベントには潘基文事務総長が、「国連ミレニアム開発目標」に触れ「努力をさらに強化しなければならない」と訴えた。【10月18日 共同】
*****

ちなみに、一斉に立ち上がり貧困撲滅を訴えるこの取り組みは「スタンドアップ・スピークアウト」と呼ばれるもので、昨年を1000万人以上上回る110カ国の約3880万人が参加し、ギネス世界記録を更新したそうです。

また、国連世界食糧計画(WFP)によると、飢えに苦しむ8億5000万人うちのおよそ3億人が子どもだそうです。
飢えを原因として毎日、5歳未満の子ども1万8,000人を含む、2万5,000人が命を落としているそうです。

現実の重さに比べて「スタンドアップ・スピークアウト」というのも“軽い”ような気もしますが、ひとりでも多くの人の目が世界の現実に向けられるのであれば、それはそれで意義のあることでしょう。
日本でも大阪・長居スタジアムで2万7000人が一斉に立ち上がったと聞いて「結構な数じゃないか。」と感心したのですが、これはサッカー観戦に集まった観客に呼びかけて実行したもののようです。 
実際のところ、あまり世間で関心を持たれていないようで、その点が一番の問題かと思います。

マスメディアも、パフォーマンスでも、偽善行為でも、コマーシャリズムでもなんでもいいから、例えば“24時間テレビ”的な取り組みはできないのでしょうか。
誰かが100km走れば、それで助かる命も少なからずあるでしょう。(私はとても走れませんけど。)
“無関心”が最悪です。

*****WFPホームページより*****
この5年間、開発途上国の飢餓人口は減るどころか、1年に400万人のペースで増えています。
一方、世界の援助食糧は全体で、1999年の1,500万トンから2004年には750万トンに半減。
飢餓救済に向けた国際社会の対応が急務となっています。

飢餓は、人間の尊厳の侵害であり、社会・政治・経済面で発展していくうえで大きな障害となります。
世界中で多くの人々が飢え栄養不足に陥り、生活の糧を得られず命を落としています。
国際社会が合意した国際法では、あらゆる人が飢餓から解放されるという基本的な権利を有することが認められています。
国家は全ての人々が健康で活発に生活できるように、安全で栄養価の高い食糧が物理的にも経済的にも得られるよう万全を尽くす義務があるのです。
**********************

残念ながらこの“義務”をはたせない国が現実に多数存在します。
遺憾に思われるのは、義務をはたす意思がないようにも思われる国、国民の生活・生命をなおざりにして内戦・紛争に明け暮れる国も散見されることです。

先日のミャンマーでのデモ弾圧のとき、軍政を擁護する中国は「(ミャンマー問題は)国内問題であり、国際的な脅威ではない」と安保理で協議すること自体にも疑問を示していました。
しかし、国家が自国民の食糧、安全、自由などの面で人間の尊厳を維持することが困難であれば、国際的に支援・協力もするし、国家にその意思が欠けており、多くの人々がその尊厳を傷つけられていると思われれば国際的な制裁・介入もあってしかるべきです。
国民の人間としての権利は“主権国家”に制約されるものではありません。

有効な国際介入が行われず国内問題として放置されれば、ルワンダのジェノサイドのような悲劇を繰り返すことになります。
今という時代をともに生きる人々の苦しみを、国内の諸事情から座視することがあってはならないと考えます。

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イラン・スリランカ  誘拐・内戦 認識のズレ

2007-10-18 12:58:11 | 世相

(スリランカの難民キャンプ 写真説明にMutterからKantaleへの難民とありますので、東部トリンコマリーの近くになります。この付近では昨年7月LTTEによる水門閉鎖があり、多数の難民が発生しました。写真説明では「6家族がひとつのテントを共同で使っていること、3万人の避難民が移動を余儀なくされたことが述べられています。 “flickr”より By jasabral )

「イラン南東部で旅行中だった日本人の大学生の男性が武装集団とみられるグループに誘拐された」とのニュースを最初に聞いたときは、さほど驚きは大きくなく「またか・・・」という印象でした。
驚いたのは第二報で、拉致現場が“バム”のようだというニュースでした。

今年のGWにイラン旅行を計画し、具体的なスケジュールまで考えたのですが、結局事情が変わり旅行先をスマトラに変更しました。
そのとき“バム”についてもガイドブック等で調べた(観光的価値について)のですが、03年の地震で遺跡は殆ど崩壊しているとのことでした。
もし、地震による被害がなければ、当然にスケジュールに組み込んだであろう非常に印象的な遺跡です。

そういった個人的経緯があったので、「バムで拉致」という話を、また、TVの解説で“あまりイランの人も行かない危険なエリアだ”というニュアンスの話を聞いて、「嘘だろう、あそこは有名な観光地じゃないか・・・どうしてそんな所で事件が起きたのだろう?」という驚きを感じました。

ガイドブックには「観光客の誰もが足を運び、しかも大絶賛する」と紹介されており、危険情報的な記載はまったく書かれていません。
もちろん、渡航情報などは巻末に記載はされていますが、全体的なトーンは“イランは比較的治安は安心な国”というものです。
ですから、アメリカによる爆撃の可能性は別にして、有名観光地だけの旅行ですから治安についてはさほど懸念せずに計画していました。

確かに改めて地図を見ると、パキスタンやアフガニスタン国境にも近いエリアです。
また、その後の情報で、03年の大地震以後は街・地域全体が相当に荒廃しているようです。
私が購読している地元新聞は、“変わり果てたオアシス 地震後は貧困、麻薬の街”と紹介記事の見出しをうっていました。

同じような驚きを感じたニュースがスリランカからも。
********
スリランカ国防省は16日、同国屈指の野生動物保護区、ヤラ国立公園内にある軍の施設が、反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の襲撃を受けたことを明らかにした。
 国防省によると、南東部のヤラ国立公園と北部で発生した戦闘で、反政府勢力および政府軍兵士38人が死亡。
 軍当局筋によると、ヒョウやゾウ、渡り鳥などの野生動物が生息するヤラ国立公園内ではLTTEの戦闘員による攻撃で兵士7人が死亡した。【10月17日 AFP】
********

問題のヤラ国立公園には13年前に行ったことがあり、私のイメージでは完全な観光地でした。
何よりも、このニュースを聞く前夜、次の旅行先の候補のひとつとしてスリランカ、特にゴールからヤラに至る南部海岸をガイドブックで見ていたところでした。

もちろんLTTEの問題は承知していますが、“それは北部ジャフナや東部トリンコマリー付近の話だろ・・・”“中部・南部の観光は問題ないよ”という思いがあります。

これも改めて考えると、ヤラは涙のような形をしたスリランカの底辺(南部海岸)で東寄りの位置になります。
コロンボから南下すると、ガイドブックが紹介する観光エリアの端にあたり、ここから海岸沿いに北上するとLTTEとの紛争地域である東部地域に入ります。

例えばアヌラーダプラはスリランカきっての観光地ですが、2年前の旅行の際“観光地とは言っても、ここまで北上するとタミルエリアにかかってくるので、紛争の影響・緊張感が相当にあるな・・・”というのは感じたのですが、ヤラについては依然“安全な南部”というイメージでした。

イランのバムにしても、スリランカのヤラにしても、現地の状況・治安についての認識はだいぶズレているところ、“観光地だから安全”という思い込みがあるようです。
まあ、それは情報の問題でもありますから、適当に情報収集につとめればある程度補完される問題ではあります。

今回のイランの新聞記事を読んで感じたもうひとつの重要な意識のズレがあります。
バムを取材した記者はいろんなところを取材したかったのですが、現地では治安当局の人間が同行し、思いどおりの取材が殆どできなかったそうです。
記者もそれを不満に感じた訳ですが、別れ際にその治安当局者は、地震で両親と兄弟全員を亡くしたことを明らかにして、記者に語ったそうです。
「誘拐された学生は本当にかわいそうだが、われわれは地震で数え切れないほど泣いた。復興も大変だ。いちいち心配している余裕はない。」【10月16日 南日本新聞】

この発言は冷たいものでしょうか?
もちろん被害者のご両親や関係者にとっては冷酷に思えることでしょう。
同じ日本人として口にしがたいことでもあります。

災害被害地だけでなく、紛争地域なども同様でしょう。
何か事が起これば、現地国は対外的問題を考慮してそれなりの対応はとるでしょう。
しかし、同様の悲劇はその地ではごく日常的に存在し、現地の人々はみなその悲しみ・苦しみのもとで暮らしているのかもしれません。

結果においての“自己責任”を云々したいのではなく、私達が暮らす世界と彼らが暮らす世界にはときに想像できないほどの格差があるということ、安全とか人の命というものの重みについて“現実的に”多大の差が存在しているという現実への思いをいたすこと、そのような世界で暮らさざるを得ない人々へみんなが思いをいたすことも大切なのでは・・・そんなふうに思いました。


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アジア  鳥インフルエンザにデング熱

2007-10-17 14:50:50 | 世相

(“タミフル”で遊ぶインドネシアのRenzo Ginting、8歳。 彼の家族7人が3週間のうちに相次いでH5N1型の鳥インフルエンザで亡くなりました。ヒトからヒトへの感染が考えられる初めてのケースです。 “flickr”より By Jchung1115 )

私が暮す島は日中はまだ夏ですが、それでも病院に“インフルエンザ予防注射予約”の張り紙が見られる季節になりました。

最近あまり見聞きすることが少なくなった“鳥インフルエンザ”は、アジアを中心に相変わらず発生し続けています。
インドネシアで13日、新たに12歳の男児が鳥インフルエンザで死亡したことが確認され、同国の鳥インフルエンザによる死者は88人となりました。【10月13日 AFP】
世界では201人目の死者です。

国立感染症研究所・感染症情報センター(IDSC)の集計が下記アドレスにあります。
http://idsc.nih.go.jp/disease/avian_influenza/case200700/case071012.html
これを見ると、若干上記AFPも数字との誤差がありますが、上記事例を除いてこれまでの世界での死者が202名、そのうちインドネシアが圧倒的に多く87名となっています。
特に、ここ2,3年のインドネシアでの増加が顕著です。
インドネシア料理と言って最初に思い浮かべるのが“サテ・アヤム”(インドネシア風焼き鳥)です。
そのようなことで、ニワトリを身近に飼うことが多いあたりが背景にあるのでしょうか?

これまでの死者が2桁になっているのは、ベトナム44名、タイ17名、中国16名、エジプト15名です。
ベトナムは鳥インフルエンザが報告された03年~05年には多かったのですが、その後は終息していました。ただ、今年に入ってまた4名の死者が報告されています。
ちなみに、ベトナム語でニワトリを“ガー”といいますが、ベトナム料理をながめると、“コム・ガー”(鶏飯+鶏肉ロースト)“ミエン・ガー”(鶏肉入り春雨スープ)など鶏料理が並びます。

タイも最近は終息しています。
中国は家禽の飼育数が150億羽近くもあり、世界の五分の一を占めている国です。
全く根拠のない邪推ですが、報告は氷山の一角ではないか・・・という気もします。

アジア以外で唯一多いのがエジプトですが、特に最近増加しています。
従来のベトナム・タイからインドネシア・エジプトに発生分布の中心が移っています。
なお、エジプト料理の代表のひとつがハト料理。
ニワトリもよく食べます(豚を食べませんから)。

鳥インフルエンザは感染対象となる動物(宿主)がヒトではなくトリであるため、一般的にはヒトに感染する能力は低く、また感染してもヒトからヒトへの伝染は起こりにくいと考えられています。
しかし大量のウイルスとの接触や、宿主の体質などによってヒトに感染するケースもあり、実際上記のような犠牲者が出ています。
懸念されるのは、このようなヒトへの感染を繰り返す過程でインフルエンザウイルスに変異が起こり、ヒトを宿主とする新型インフルエンザが発生する危険性が考えられる点です。

ヒト新型インフルエンザの発生は、これまで大体15-20年の周期で起きているそうで、最後の新型インフルエンザ発生が1977年のソ連風邪です。
(大地震と同じで、“周期”はおおまかな目安です。)
世界保健機構(WHO)は、いまアジアを中心に流行している鳥インフルエンザがいつ新型ヒトインフルエンザになって世界的な大流行を起こしてもおかしくないと警告しています。
そうなった場合、最大で5億人(!)が死亡すると試算されている。

新型ヒトインフルエンザに対するワクチンは、実際ウイルスが発生してからつくることになるので、初期被害は避けられないようです。
ただ、ある程度想定して準備は進めているようですが。

現在インフルエンザウイルスを抑えるのに効果がある治療薬は、商品名でタミフルとリレンザ。
タミフルはどういう訳か日本での使用量が圧倒的に多く、今年1月頃には“異常行動”で随分話題になった薬です。
ただ、特効薬としてはこれしかなく、各国とも新型ヒトインフルエンザに備えて備蓄を行っているようです。

なにせ、“最大で5億人”です。
しかも、どこからかミサイルが飛んでくるリスクよりはるかに確実、恐らく“近い将来間違いなく”襲ってくるリスクです。

今年1月に国立感染症研究所の研究グループがまとめ発表したものに、「東京在住の1人の日本人が東南アジアで新型インフルエンザにかかって帰国すると、最悪の場合10日後には1都4県に感染が広がり感染者数が12万人に達する」との試算結果もあります。

しかし、“5億人”とは言っても、その被害は相当に地域的にかたよるのでないでしょうか。
衛生環境、治療・予防体制等において優れた日本を含めいわゆる先進国では、被害はある程度の範囲に抑えられるのでは。
一方、そういった面で劣後するいわゆる途上国に結局被害は集中するのではないでしょうか。
すべての病気は抵抗力が問題になります。
栄養状態の悪いスラムや難民キャンプなどで被害が拡大することも想像されます。
治療薬・予防ワクチンと言っても、万事カネ次第なのは現在のエイズ治療薬の状態を見てもあきらかです。

もっともインフルエンザの場合、途上国の状況を改善しないと“感染拡大”という形で自分達の国に影響が及ぶことから、先進国の“協力”体制はいち早く確立するかも・・・。

日本では全く関心がありませんが、アジア各国で今年流行した感染症に“デング熱”がります。
今年7月段階で「WHOは、今年はアジア各地でデング熱が再び猛威を奮う可能性があると警告。1500人近くの死者が出た1998年と同程度の犠牲者が出る可能性があると予想している」と報じられていました。

デング熱は蚊によって媒介される熱性疾患で、東南アジア、インド、中米、南太平洋などに広く分布しています。
有効な治療薬、予防ワクチンはありません。
対症療法と“蚊に刺されないこと”だけです。
(私は2,3年前までは、熱で天狗のように顔が赤くなるから“天狗熱”・・・と思い込んでいました。)

7月段階で、インドネシアだけですでに1000人以上、タイでは18人が死亡しており、6月までに昨年1年間の合計を上回る状態にありました。【7月24日 AFP】
アジアの大半の地域で例年より早く雨期が訪れており、デング熱の流行はこれが原因ではないかと見られています。

その後、「マレーシアで75人が死亡、シンガポールでは昨年にくらべ倍増、カンボジアではすでに昨年1年間の犠牲者を上回る」【9月2日 時事】、「フィリピン保健省はデング熱警報を発令。283人が死亡」【10月4日 時事】などの報道がなされています。

しかし、デング熱以上に世界中で犠牲者が毎年出ている感染症がマラリアです。
マラリアによる死者は毎年100~150万人(ウィキペディア)とも、270万人(7月24日AFP)とも言われています。
この被害実態のアバウトさが、被害国・被害を受けている人々おかれた状態を物語っています。

百万単位の犠牲者・・・国際的に大問題となるジェノサイド2,3個分の被害です。
もし、この1%でも欧米・日本で発生すれば社会はパニックになりますが、恐らく治療・予防体制は急速に進むでしょう。
欧米・日本などには殆ど関係ない、そして研究してもカネにならないこの古典的疾患は、毎年百万人単位の悲劇を繰り返しながら放置されています。


(デング熱関連の写真にあった“蚊” デング熱を実際媒介する種かどうかはわかりません。 “flickr”より By lacoliveira )


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トルコ  北イラクへの対クルド越境攻撃の動き

2007-10-16 13:55:22 | 国際情勢

(PKKとの戦いで犠牲になったトルコ兵士の墓で嘆く母親 “flickr”より By turkpanzer)

昨日15日のニューヨーク原油先物取引市場では軽質スイート原油(11月分)が2ドル44セント高の史上最高86ドル13セントで終えました。
背景には、冬場を前にしての需給関係もありますが、トルコとクルド人勢力との緊張が高まることへの懸念が広まったためと言われています。

クルド問題については先日11日の当ブログでも取り上げたところですが、トルコ国内には1200~1500万人ものクルド人が暮しています。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071011
クルド人はトルコ、イラク、イランなどに別れており、国家を持たない最大民族とされています。

トルコからの分離独立を掲げる「クルド労働者党」(PKK)のテロ活動に対し、トルコ政府はPKKが活動拠点としているイラク北部への越境攻撃をかねてより主張していましたが、これに反発するPKKは潜伏先のイラク北部からトルコ国内に戻り、政治家らを標的にしたテロ活動を展開するとの声明を発表し、緊張が高まっていました。【10月13日 毎日】
こうした事態に、トルコ政府は15日、イラク北部のクルド人武装集団を越境攻撃する許可を国会に求めました。

テロを繰り返すPKKに対し、建国の理念を危うくするものとしてトルコ国軍は従来より徹底した対決姿勢を要求しています。

また今年行われた総選挙では、足きりの選挙制度によって従前議席を持っていなかったトルコ民族主義を掲げる極右政党“民族主義者行動党”が、足きりラインを超えて14%を得たことで、一挙に71議席を獲得しています。

与党の公正発展党(AKP)はイスラム政党だということで、クルド問題に関しては比較的穏健な「同じムスリムの兄弟」という姿勢とっていると言われていましたが、“世俗主義”問題でたださえ軍と激しく対立している状況ではむやみに国軍の要請を抑えることもできず、また、議会内の民族主義政党のつきあげもあり、PKKに反発する国民世論の高まりを受けて、強硬姿勢をとらざるを得ない状況ではないかと推察されます。

もし、トルコがイラク領内に越境攻撃をかけることになれば、同様の問題をかかえるイランも動く可能性があります。

*******
【10月14日 AFP】イラン北西部での同国治安部隊とクルド人武装勢力との衝突により、警官1人が死亡、兵士1人が重傷を負った。
警官は12日、トルコの武装組織、クルド労働者党(PKK)と関連のある、クルド人独立国家を目指す武装勢力、PJAKによって殺害された。
クルド人武装勢力の基地に何の行動も取ろうとしないイラク北部のクルド人自治政府にいら立ちを隠せないイラン政府は同地域のクルド人キャンプに砲撃を行っている。
* *******

トルコ・イランが越境しての攻勢を強めれば、当然イラク北部のクルド人の反撃も強まります。
自治区拡大の運動は一気に独立志向を強める事態も考えられます。

そうなれば、今度はイラク内のアラブ人の反発を招き・・・。
事態はイラク・マリキ政権崩壊にとどまらない大混乱状態に陥る危険があります。
(もっとも、各国・各勢力・各グループ入り乱れるなかにあっては、“敵の敵は味方”という論理で奇妙な関係も出てきますので、よくわからないところもあります。)

いずれにせよ、アメリカはこの状況を鎮静するのにやっきになっています。

*******
米政府は13日、フリード国務次官補(欧州担当)とエデルマン国防次官(政策担当)を現地に派遣し、攻撃を自制するよう促したほか、モスクワに滞在していたライス国務長官も12日、電話でトルコ首脳への説得に当たった。
フリード次官補は、「(アルメニア人迫害の非難決議に関し)下院本会議での決議採択を阻止するため、あらゆる手を打つ」と、トルコのテレビを通じて決議阻止を“公約”した。
米側は「越境攻撃は持続的な解決とならない」(マコーマック国務省報道官)と自制を求めているが、トルコのエルドアン首相は、「米国も誰からの許可なくイラクを攻撃した」などとして、聞く耳を持たない。
【10月16日 産経】
*******

「米国も誰からの許可なくイラクを攻撃した」というのもシビアな言葉です。
トルコをなだめるどころか、周知のようにアメリカとトルコの関係は、米下院外交委員会が第1次世界大戦期のオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人迫害を「大虐殺(ジェノサイド)」と認定する決議案を可決したことで最悪の状態。
トルコ政府は、駐米大使の召還に続き国務相の訪米も取りやめるなど態度を硬化させています。

この決議案がトルコ国民を刺激し、トルコ国軍のイラク越境攻撃に関して火に油を注ぐような影響を持つだろうと素人は考えますが、アメリカ議会にはまた別の思惑があるのでしょうか。
上記記事では下院本会議での採択阻止を米次官補が公約したそうですが、どうなりますか。

ブッシュ政権はイラクでの対アルカイダ掃討作戦に関し、“勝利宣言”を出す考えがあるとか。
********
15日付の米紙ワシントン・ポストは、イラク国内で活動する国際テロ組織アルカイダ系武装組織がこの数カ月で回復不能な壊滅的打撃を受けたと米軍が分析、ブッシュ政権内で「勝利宣言」を出すことも検討されていると伝えた。米軍増派とイスラム教スンニ派部族との連携、武装組織幹部の尋問などが効果を発揮。自爆攻撃やシリアからの外国人民兵流入が大幅に減ったという。【10月15日 共同】
*********

UNHCRによると、イラクの人口の7分の1にあたる400万人以上が家を追われたといいます。
そんなイラク情勢において“勝利宣言”というのは首をかしげてしまいます。
仮にアメリカの言うような“効果”が出ているにしても、トルコ及びクルドの今後の動向次第ではそれも吹き飛んでしまいかねません。


(PKKのイラン支部とも言われるているPJAKのベースキャンプ “flickr”より By David Enders)

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スーダン  懸念される和平プロセスの先行き

2007-10-15 11:55:59 | 国際情勢

(スーダンの首都ハルツームの路上 写真コメントには“..yesterday..today..tomorrow...”とあります。 “flickr”より By Vit Hassan)

国際的に強い批判が寄せられているスーダン西部ダルフール地方の紛争については、今月27日に当事者各勢力との和平協議が開催される予定になっています。(予定が変更になっていなければ・・・)

ダルフール紛争では、スーダン政府と反政府勢力の一部が04、06年に停戦合意や和平協定にこぎつけましたが、その後も紛争は続いていました。
今年7月の国連安保理決議を受けて、2万6千人規模の国連・アフリカ連合合同の平和維持部隊(UNAMID)受け入れにスーダン政府がようやく同意。
和平プロセスを再構築する方向に動き始めました。

和平会議の開催地はリビアで、“あの”カダフィ議長が国連事務総長と会談して、反政府勢力の指導者が交渉に参加するようあらゆる努力をすると表明しています。
頑張って欲しいものです。

しかし、その後伝えられる話は先行きを懸念させるものばかり。

********
国連安保理決議で派遣が決まった国連・アフリカ連合(AU)合同部隊(UNAMID)の構成について、AUと国連の意見対立が表面化。スーダンのラム・アコル外相は「AUで十分対応でき、問題はない」と主張、事実上、アフリカ以外の国からの派遣を拒否する姿勢を示した。【9月22日 毎日】

スーダン西部のダルフール地方で活動するAUの平和維持部隊の基地が9月30日に襲撃された。
組織化された大規模な武装集団が、車両30台でダルフール地方南部のハスカニタ基地に侵入。
平和維持部隊の兵士10人が死亡し、40人が行方不明となっている。
行方不明者のうち、36人がAU部隊の兵士で、ほかに軍事監視要員3人、警察官1人が含まれる。
【10月2日 AFP】

国連スーダン派遣団は7日、南ダルフールの町ハスカニタが6日に襲撃され、壊滅状態にされたと発表した。
同町では前月アフリカ連合平和維持部隊の基地が武装グループに襲撃され、兵士10人が死亡する事件が起きたばかりだった。【10月8日 AFP】

スーダンからの報道によると、同国西部ダルフール地方の反政府勢力でただ一つ政府と和平合意したスーダン解放軍(SLA)主流派は9日、政府軍が同派支配下の村を襲撃し、同派兵士5人と住民少なくとも40人が死亡したと述べた。【10月9日 朝日】
********

これだけでも見通しを暗くさせるのに十分すぎるぐらいなのですが、ここにきて更に別の問題も顕在化してきたようです。

スーダンでは今も続いている西部のダルフール紛争とは別に、南部を拠点とする「スーダン人民解放軍(SPLA)」と北部の中央政府の間で83年から「南北内戦」が続いていました。
05年1月、米国の仲介で石油収入の公平な分配や両軍の統合を盛り込んだ和平協定が締結され、SPLAの司令官が第1副大統領に就任、他の幹部は閣僚となり、南北統一政府が発足した経緯があります。


今月11日、SPLAの政治部門である「スーダン人民解放運動(SPLM)」が、この05年に締結したスーダン政府との和平協定に基づく統一政府からの離脱を発表しました。

この和平協定には、11年に南部の分離独立の是非を問う住民投票を実施することが盛り込まれています。
北部の中央政府はイスラム原理主義なのに対し、南部はキリスト教徒が多く、投票が実施されれば南部が独立する可能性が高いことから、バシル大統領は豊富な石油資源を持つ南部の独立を恐れ、住民投票などの合意実施を先延ばししているとも伝えられています。【10月13日 毎日】

このようなバシル大統領の合意不履行に対する南部APLM側の不満が爆発したようです。
ナットシオス米スーダン特使は「緊張が高まっていて危険だ。北部と南部の現在の政治的雰囲気は険悪である」と指摘しています。
石油が豊富に埋蔵されていることで知られているアビエ地域の帰属については依然として南北間で合意に達しておらず、また和平協定後も双方の部隊は完全には撤収していないそうです。【10月7日 時事】

最悪の場合、西部ダルフールに加えて、南北内戦の再発・・・という事態もありえるのでしょうか?
こういう状態を見聞きするにつけ、なぜこんなにも武力紛争が多発・継続するのか、素朴な疑問にかられます。
植民地時代からの経緯、恣意的な国境線、民族・部族・宗教の対立、石油などの資源の存在、武器商人・支援国の存在など・・・いろいろあるのでしょうが、“血を流さずに・・・”という発想はこの地ではないのか?このような地で暮す人々に降りかかる災いをどのように考えたらいいのか?
出口の見えない暗澹たる気分になります。


(朝のお茶の準備をするスーダンの女性 エチオピア国境も近い東部スーダンにて“flickr”より By Vit Hassan)


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イラク  ラマダン明けの空爆犠牲者

2007-10-14 12:08:06 | 国際情勢

(買い物客で賑わうラマダン明け前夜の市場(カイロ) “flickr”より By SerenityF)

イスラム世界では1ヶ月の断食月ラマダンが12日明けて、各地でラマダン明けを祝う祭り「イード・アル・フィトル」が行われています。
モスクでは特別礼拝が行われます。
また、人々はこの期間、家族が集まって親せきを訪問したり、ピクニックや休養のため公園に行って過ごしたりするそうで、1年で人々が最も浮き立つ時期でもあります。
都会で暮らす人が地方に帰る帰省ラッシュのニュースも、バングラデシュから報じられていました。

しかし、戦火の中にある地域にはこのお祭りも関係がないようです。

***米軍の空爆で女性と子ども15人が死亡、イラクのラマダン明け****
【10月13日 AFP】イスラム教の断食月ラマダン明けの12日、イラクでは前夜の米軍による空爆で女性と子ども15人が死亡するなど、ラマダン明けを祝う祭り「イード・アル・フィトル」を一般市民の血が流される中で迎えることとなった。

 米軍は11日夕刻にバグダッド北西部で空爆を実施。この爆撃について、シーア派指導者のアリ・シスタニ師やスンニ派の有力聖職者団体は非難の声明を出した。空爆により武装勢力の戦闘員19人も死亡した。
 米軍当局は空爆により一般市民の犠牲者が出たことを認め、女性や子どもが死亡したことに対し謝意を表明し、今回の作戦について調査を開始したことを明らかにした。
***********************

ラマダン明けの惨事は米軍によるものだけでなく、アフガニスタンのカンダハルでは、混雑する市街で自爆テロがあり7人が死亡しています。【10月14日 AFP】

人々の犠牲がイード・アル・フィトルならダメで、その他期間ならOKということではありませんが、イラクに民主的な政権を確立することを目指しているはずのアメリカ軍の立場に立てば、なぜ敢えてこの時期に人々の反感をかきたてるような作戦を行うのか、その意図がよくわかりません。

米民間軍事会社ブラックウオーター社の警備員が9月17日に、警備活動の中でイラク民間人17人を射殺したとされる事件では、イラク政府は“正当理由なく発砲”としているのに対し、会社側は“事前の銃撃を受けていた”と説明しています。【10月14日 AFP】

銃撃を受けずに発砲して17人を射殺・・・というのも考えにくいですが、反撃行為であるにしても、結果として民間人である警備員が大勢の現地民間人を死傷した訳で、それが治外法権的になんら責任を問われないというシステムはイラク住民の感情には受け入れられないと思います。

このような一連の住民感情を逆なでするような行為を繰り返し、一体何をイラクでしようとしているのか?何ができると考えているのか?疑問に感じます。
まさに“終わりなき悪夢”にも思えます。

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アメリカ  依然として多いLAのホームレス

2007-10-13 13:59:11 | 世相

(ハリウッドの路上のbag lady “flickr”より By Scottua)

毎日、紛争・事件・交渉・災害いろんなニュースが世界中から入りますが、昨日目にしたアメリカからのニュースは、紛争地の悲惨なニュース以上に重苦しい気分にさせるものでした。

***************
【10月12日 AFP】米ロサンゼルス市は11日、同市内に4万人以上のホームレスが住み、依然として全米最大のホームレス人口を抱える都市になっているとの報告書を発表した。

 国と市が共同で設立したホームレス支援機関「Los Angeles Homeless Services Authority 、(LAHSA)」の報告書によると、人口約400万人のロサンゼルス市に住むホームレスは4万144人で、ロサンゼルス郡全域では人口1000万人中、7万3000人にのぼる。さらに、そのうち1万人が未成年、2万4505人が精神疾患、8453人が退役軍人、約7200人が家庭内暴力の被害者だという。
****************

注意を引いたのは、4万人とか7万人という数の多さよりも、その内容です。
“1万人が未成年、2万4505人が精神疾患、8453人が退役軍人、約7200人が家庭内暴力の被害者”
特に退役軍人の数には驚きます。
アメリカは世界中でその“リーダーシップ”を発揮して、場合により戦闘行為を辞さない訳ですが、そのつけは深く確実にアメリカ社会を蝕んでいるように見えます。
世界最強国に牙をむいているのは、けっしてテロ行為だけではありません。
それでもなお、世界に出て行くアメリカに驚嘆の思いを感じます。

精神疾患も多いです。
激しい競争社会、深い孤独、その中で病んで行く精神・・・そんな印象はステレオタイプでしょうか?

絶え間ないストレス、近づく精神の限界、逃げ道を求めて向かう相手は家庭内の弱者でしょうか?

頻発する青少年の銃犯罪、社会不安の根底にある多民族社会・人種間の軋轢というストレス・・・そういったものを併せ考えると、アメリカ社会の深刻な病状が見えてきます。
(もちろん、アメリカは大都市だけではありません。中西部の田舎に行けばまた全く違う社会があるでしょうが。)

こんなニュースを読むと、日本でよく見かける、主に経済的事情によるホームレス(全く実情を知らないので、見当違いの思い込みかもしれませんが)が、何かしら非常に“健全なもの”にも思えてきます。
しかし、多分それも少なくとも一部は錯覚でしょう。

昨日朝、身支度をしながらTVを眺めていると、日本のある都会の夜の街ですごす少女達をリポートしていました。
路上でナンパ待ちしている少女、年齢を訊くと12歳、小学校6年生とのこと。
お金はキャバクラで働いて得ているとか。

学校でのいじめ、兄弟・親子の間の殺人、老人の孤独死、門前払いされる生活保護・・・日本社会にも“病んだ社会”の症状はあちこちに見られます。
先ほどのTV番組の出演者の一人が、12歳のキャバクラ嬢に関して、映画“タクシードライバー”を引き合いに出していました。
30年前のロバート・デ・ニーロ主演のこの映画で、娼婦を演じたジョディ・フォスターが13歳でした。

ベトナム帰りの元海兵隊のデ・ニーロ、強度の不眠症で昼間の職に就けず、大都会ニューヨークの夜をタクシードライバーとして走ります。
馴染めない社会、セックスや薬物に溺れる若者、孤独と社会への怒りは彼の精神を蝕んでいきます。
偶然見かけたあどけない娼婦。自分の使命はあの少女を悪の手から救い出すこと・・・
そう思い込む彼は、何丁もの銃で身を固め・・・

なるほど、日米の社会に巣くう病理を重ねると“タクシードライバー”の世界です。
暗い面、負の面ばかりに目を向けているという批判はあるでしょうが、そうした負の面、陰の部分はとかく、個人の問題、家庭の問題、学校の問題、政府としてはできることは限られた問題・・・として処理されがちです。

実際に実行するのは誰であるにせよ、そうしたところにスポットを当てて、安心・安全な社会をつくり維持するための議論をリードしていくことこそが政治の第一義的な役割だと感じます。
金融・財政・国防・外交・・・そういったものはその後の問題です。
蝕まれる社会、悲鳴をあげる人々の心の問題に向き合うことなく、国際貢献とか国家の理念とか、あるいは税制・経済成長云々を議論するのは見当違いな空虚な感じがします。



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コンゴ・ウガンダ 緊張高まるアルバート湖

2007-10-12 15:06:17 | 国際情勢

(石油で緊張高まるアルバート湖のカバ。 ワニもたくさんいるようです。“flickr”より By larskflem)

昨日イラクのクルド問題にからむキルクーク油田に触れましたが、その問題について書かれた新聞紙面(10月7日 南日本新聞)にもう1件石油にかかわる記事がありました。
「コンゴ、ウガンダ国境の湖 緊張、湖底に眠る石油争奪戦」というタイトルの記事です。

*******
8月上旬には、ウガンダ人3人と石油開発会社のイギリス人1名が、両国にまたがるアルバート湖上でコンゴ軍に攻撃され死亡しました。
コンゴ側は「コンゴ領域で違法な探査活動を行っていた」と非難、石油開発会社とウガンダ側はこれを否定する形で対立が高まりました。
その後両国大統領は会談して、緊張緩和に向け、協力して石油開発に取り組むことを目指す合意書に調印しました。

しかし、9月下旬に再び両国軍の間で激しい銃撃戦が起きて、子供を含むコンゴ住民6人が死亡するなど緊張が高まっているそうです。

問題になった石油開発会社は2003年、アルバート湖周辺で埋蔵量数十億バレルの油田を確認したと発表して、注目を集めています。
*******

コンゴ、ウガンダというと、“アフリカ大戦”とも言われたコンゴ内戦が周辺各国を巻き込んで展開された地域です。
ルワンダのジェノサイド、ツチ族政権の樹立の過程で、報復を恐れたフツ族勢力がコンゴ(当時はザイール)に入り込みました。
これを契機に、当時のモブツ独裁政権に対するツチ族が蜂起、これに乗じてカビラ率いる武装組織が進撃、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジのツチ系3国がカビラを支援。

1997年にはカビラはモブツ政権を倒し、カビラ政権樹立へと至りました。(国名もコンゴへ)
しかし、すぐにカビラ政権とツチ族住民及びツチ系3国は対立。
カビラはダイヤモンド採掘権という利権に固執、ツチ系3国はより明確な“ツチ族主導”を求め、このような対外勢力に国民の間に反ツチ感情が広まる・・・などの結果、98年内戦に突入しました。

カビラ政府側を支援するアンゴラ、ナミビア、ジンバブエ、反政府勢力を支援するウガンダ、ルワンダ、ブルンジ。
各国が軍事介入して内戦が展開されました。
ナミビア、ジンバブエはダイヤモンドがらみの事情、アンゴラは隣接する石油基地保護などの背景があったのではないかと言われています。
ツチ3国はコンゴ内のフツ族武装組織の越境攻撃を封じるため、あるいは“ツチ帝国”的な発想で支援したそうです。

各勢力はコンゴの豊富な地下資源(ダイヤモンド、コルタル、錫など)を武器購入代金にあてて戦闘を行いました。
99年ザンビア仲介の協定、カビラ暗殺(息子のカビラが就任)などを経て、2002年南アフリカの仲介でコンゴとウガンダが合意、その後コンゴとルワンダも合意して和平が実現。
(Africa Zambia board http://homepage3.nifty.com/1000-sun/Zambia/People/CivilWar/Congo.html)

ただ、250万人以上の死者を出し、国土を荒廃させた内戦の影響は完全には消えておらず、不穏な動き、不満もくすぶっていることが言われていました。

そんなコンゴ・ウガンダ国境での石油開発・・・あまり平穏にはすみそうもないと考えてしまいます。
クルド帰属で揺れるキルクークといい、アルバート湖といい、なんだか厄介な場所に石油は出るもんだ・・・。
逆に言えば、石油などが出る地域だから、厄介な揉め事が起こる・・・というのが正解かもしれません。

スーダンにしても、ナイジェリアにしても石油など資源がからむと、紛争が複雑化・激化します。
被害を蒙るのは一般住民です。
一方で資源の利権は腐敗・不正の温床ともなります。

更に、資源に頼り、資源を採り尽くして途方にくれるナウルみたいな国もあります。
(リン鉱石が枯渇、国民はこれまで働いてこなかったので、“労働”ということがよく理解されていないとか。)

資源というのは必ずしも国民を幸せにするものではないように思えます。
いたずらに資源という“お宝”に頼らず、額に汗して知恵を絞り働くのが一番・・・と言うとあまりにも陳腐な説教になってしまいますが。

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