(ハディサ事件の現場とされる写真 事件発生後1,2日後に撮影されたもので、被害者家族の弁護士から提供された “flickr”より By poetictouch )
4年にわたるイラク戦争中、米軍による最も重大な戦争犯罪とされるハディサ事件について、米海兵隊は19日、士官など2人を裁くための軍法会議を設置すると発表しました。
海兵隊員が軍法会議で裁かれるのは今回が初めてになります。【10月20日 AFP】
ハディサ事件とは、イラク中西部ハディサで2005年11月19日にアメリカ海兵隊によってイラク民間人24人が殺害された事件です。
事件のきっかけは、道路脇に仕掛けられた爆弾によりパトロール中の米海兵隊員1人が死亡したことでした。
海兵隊員らがこの攻撃に対する報復として、女性や子どもを含む非武装の民間人24を殺害したとされています。
当初、海兵隊は“道路脇の爆弾で民間人15人が死亡した”と発表しましたが、関係者の証言等に基づき米タイム誌がこの発表を虚偽と報道したことで軍による民間人虐殺の実態が明らかにになり、軍も調査に乗り出しました。
そして昨年12月、米軍は海兵隊員4人を殺人容疑で訴追、また、事件を正しく調査・報告しなかったとして、ほかに4人の海兵隊員を職務怠慢の疑いなどで訴追しました。
事件の全容については、掲示板“★阿修羅♪”に“ファントムランチ”さんによって、タイム誌記事の全訳「ある朝、ハディサにて」が投稿されていますので、詳しくはそちらをご覧ください。
(http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/945.html )
大まかな概要を抜粋すると以下のようなものです。
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路肩爆弾によって海兵隊1名が死亡。
海兵隊は、その直後にワリード家の方角から銃撃を受けたと主張しており、すぐに数名のグループがその家に向かった。
海兵隊は待ち伏せ攻撃に違いないと思い2枚のドアを同時に破り、銃器を発射した。
このとき家の内部において7人(女性2人と子供1人を含む)が死亡した。
海兵隊員らはさらに男性1人と女性1人が家の外に逃げたので、跡を追って男性を射殺したと供述している。
生き残った女児エマン(9歳)の証言
「沢山の銃撃音が聞こえたので、私たちの誰も戸外へ出ませんでした」
「そのうえ時刻がとても早かったので、私たちはみな寝間着を着ていました。」
海兵隊は家に踏み込むと何やら英語で叫んでいたという。
「最初に彼らは、コーランを読んでいた私の父の部屋に入りました」と彼女は話す、「そして私たちは銃撃音を聞きました。」
エマンによれば、海兵隊はそのあと居間に侵入してきた。「私からは彼らの顔を見ることは出来ず、戸口から突き出た彼らの銃口だけが見えました。私はそれらの銃がまず私の祖父の胸と、そして頭を撃つのを見ました。それから彼らは私の祖母を殺しました。」
「(後から現れたイラク人兵士に)私は泣き叫びながら『なぜあなたたちは私の家族にこんなことをするの?』と問うと、一人のイラク人兵士は『我々がやったのではない、アメリカ人がやったんだ』と教えてくれました。」
海兵隊は程なくして第2の家の方向から銃撃を受け始めたと主張している。
彼らは即座にその家のドアを壊し、手投げ弾を中に投げ込んだがキッチンのプロパン・ボンベに引火して大爆発を起こした。
その後、海兵隊員らは8人の居住者を射殺した(この家の所有者とその妻、所有者の2人の姉妹、2歳の息子および3人の若い娘を含む)。
次に海兵隊はアハマド・アヤドという人が所有する第3の家を襲撃した。
息子の1人ユシフは、父親の家から連続的な銃撃音を聴きつけ、急いで駆けつけたが庭で監視役を務めるイラク人兵士らに中に入るのを阻まれた。
ユシフの証言
「彼らは私に『君にできることは何もない。近づかないほうが良い。さもなくば君もアメリカ人に殺されるだろう』と警告しました。」
家に入れたのは遺体が運び去られた後だった。
「しかし私たちは床に流れた血の痕跡を見て、何が起こったのかを悟りました」とアヤドは言う、「アメリカ人たちは私の4人の兄弟を父の寝室に集めてクローゼットの中に追い込みました。そしてクローゼットの中で全員を殺したのです。」
海兵隊は、4人のうち1人はAK‐47を使用中で、もう1人は他の武器で武装しているように見えたという。
軍当局は、最初の2軒の家における犠牲者計15人を非戦闘員と分類した。ということはつまり路肩爆弾の爆発現場近くで海兵隊によって殺害された4人の若者と第3の家で殺害された4人を、敵の戦闘員と見做していることになる。
遺体が運ばれたハディサの地元病院の責任者であるワヒド医師の証言
海兵隊は11月19日の真夜中に24の遺体を彼の病院へ運んで来たが、犠牲者は路肩爆弾から飛び散った破片によって死亡したと主張したという。
「しかし爆弾の破片によって損傷した器官などそれらの遺体のどこにも見られないことは、我々にとって歴然としていました」
「銃弾の痕は明白でした。ほとんどの犠牲者は胸か頭部を撃たれていました、・・・それも至近距離から。」
(事件後撮影された現場の)ビデオ映像からは家の外部にいかなる銃弾の穴も見受けられない。この事は手製爆破装置が爆発した後に反政府分子と激しい銃撃戦を展開したという海兵隊の主張に疑問を投げかけるかもしない。
タイム誌は翌年1月、目撃者証言とビデオを軍に提出。2月になって軍は特別調査を実施。
この特別調査は、民間人が(軍が主張していた)反政府分子の爆弾によってではなく海兵隊によって殺された事実について、海兵隊によって襲撃された最初の2軒の家に反政府分子が隠れていた形跡は無かった、という結論を下した。
しかしながら住民の死は、海兵隊の悪質な意図によるものではなく「付帯的損害」としての結果であると調査班は述べているという。
米国は死亡した15人の民間人については、それぞれにつき2500ドルを親族に支払い、負傷者についてもより少ない金額を加算した。
生き残ったエマンの父親がコーランを手に、家族の安全を祈ったにもかかわらず、幾多の前例に反して彼の祈願は聞き届けられなかった。彼女はまだそのことを納得できずにいる。
「これまではいつも父が祈ると、アメリカ人は私たちを放っておいてくれたのに」と彼女は語る。
(エマンのタイトル、説明がある写真 彼女本人でしょうか? “flickr”より By Buferanera )
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海兵隊は昨年12月、士官4人と兵士4人(兵士4人については殺人罪)を起訴すると発表しましたが、弁護側は、隊員らは所定の交戦規則に基づいて行動しており、民間人の死者は米兵が武装組織との激しい銃撃戦に巻き込まれた結果だと主張。
実際、起訴取り下げが相次いでいます。
起訴されたチサニ中佐の民間弁護人、ブライアン・ルーニー氏は、チサニ中佐の訴追を求める米政府の姿勢について、「海兵隊の共食い」で「テロリストの笑いものになっている」と批判。
この事件に関して、さらに起訴される軍幹部があってはならないと述べた。【5月31日 AFP】
米軍事査問委員会は8月9日、取り調べを受けていた海兵隊大尉と上等兵を証拠不十分などで不起訴処分とした。
不起訴処分となったのは米海兵隊のRandy Stone大尉とJustin Sharratt上等兵の2人。
Stone大尉は違法命令と職務怠慢容疑、Sharratt上等兵は過失致死容疑でそれぞれ捜査対象となっていた。
【8月10日 AFP】
殺人容疑で訴追された4人のうち2人については、すでに起訴が取り下げられている。
Tatum上等兵についても起訴取り下げとなる見通しだ。【8月31日 AFP】
米海兵隊は18日、事件に関する調査が不十分だったとして起訴されていたLucas McConnell大尉に対する起訴が取り下げられたと発表した。【9月19日 AFP】
今回の軍法会議にかけられるのは、ジェフリー・チサニ中佐とTatum上等兵。
チサニ中佐は民間人が死亡した事態を適切に調査しなかった罪、Tatum上等兵は過失致死罪をそれぞれ問われるそうです。
(Tatum上等兵については、殺人容疑は起訴取り下げられ過失致死容疑になったということでしょうか?もともと過失致死容疑で、取り下げにならなかったということでしょうか?)
相次いで容疑者の起訴が取り下げられるなか、実質的に殺人容疑による刑事罰が問題になりそうなのは、現場で指揮した分隊長のFrank Wuterich二等軍曹のみにも思われます。