孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

クルド自治区  進む「脱イラク」志向

2007-10-11 17:15:23 | 国際情勢

(クルド人小学生 flickr”より By julie ADNAN)


最近、新聞紙上でクルド関連の記事を目にします。
油田キルクークの帰属を決める住民投票や、自治政府による外資油田開発承認のニュースです。
また、トルコ領内におけるクルド人問題なども。

クルド人は人口2500万~3000万人で、国家を持たない最大の民族とも言われ、現在イラク、イラン、トルコなどに分断される形で暮しています。
イラク領内のクルド人は北東部3県が自治区を形成していますが、旧フセイン政権のもとで化学兵器による攻撃などの弾圧を受けていました。
91年の湾岸戦争時に蜂起、米英が飛行禁止区域を設ける形で支援、フセイン政権の支配を脱しました。
イラク戦争によるフセイン政権崩壊後は、アラブ人社会が宗派間対立で混乱するのに対し、クルド自治区は治安を確立し経済成長を実現しています。
また政治的にはマリキ政権存続のキャスティング・ボートを握る立場にあります。

現在問題になっているのは、2005年に制定されたイラク憲法140条で「2007年12月31日までにキルクーク(及びその他の係争領土)を正常化し、国税調査及び住民投票を実施する」ことが規定されていることです。

クルド側は、旧フセイン政権の「アラブ化政策」によって移住してきたアラブ人には投票の権利はないとの考えで、重要な油田地帯のキルクークだけでなくその周辺州で早期に住民投票を実施し、キルクークを含む大幅な(現在の2倍近い)自治区拡大を目指しています。
自治政府キルクーク問題特使アジズ氏は「過去百年間で最強の立場だ。石油も人口も歴史も取り返す。この機会は逃せない。」と断言しているそうです。【10月7日 南日本新聞】

当然ながらアラブ側の投票実施への反発も強く、「イラクの混乱に乗じている」との批判があるそうです。
キルクークを連邦直属の特別州にするとか、住民投票の凍結などの意見もあります。【同上】

もし、投票が実施されてクルド側の意図するような結果になれば、アラブのイスラム過激派の矛先はクルドに向かうことが予想されます。
更に、クルド人自治区の拡大、権限の強化はクルド問題を抱える周辺国に影響します。
クルド労働者党(PKK)のテロにさらされているトルコ国軍は、PKKの活動拠点であり、またPKKを支援しているとみなしているイラククルド自治区への越境攻撃を意図しています。
トルコはイラク政府の対策を不十分としており、現時点でもエルドアン首相は10月9日の声明で「隣国でのテロ組織の活動を阻止するため、越境作戦を含むあらゆる手段を講じる」と警告しています。【10月10日 毎日】
今後、クルド自治区の拡大・権利強化が進めば、越境攻撃が現実のものとなるでしょう。
またもうひとつの隣国イランも、クルド独立に向かうような現状の変更は容認しないと考えられています。
(内藤正典データルーム http://www.global-news.net/ency/naito/daily/070718/01.html

しかし、投票の延期も混乱を招く点では同じことのようです。
クルド自治政府のバルザニ議長は「(投票が大幅に遅れれば)イラクの統一は保たれない」と独立を示唆してイラク中央政府に圧力をかけているとも報じられています。【10月7日 南日本新聞】
独立の強行は当然イラク情勢を根底からくつがえすことになります。

投票延期を容認し、独立運動などの過激な行動もとらないという選択は、恐らく自治政府には相当の負担になると思われます。
それはそれで、内部の路線対立によって、90年代に数千人の死者を出して激しく対立していたクルド民主党とクルド愛国同盟の内紛の再燃にもなるのでは。
それとも「治安維持と経済発展が一番。現状でしばらく様子を見て。そのかわり審議中の石油法によるクルド取り分に少し色をつけて・・・」といった方向があり得るのでしょうか?

すでにアラブ人のキルクークからの退去補償支出が始まっているとの報告もなされています。
(極東ブログ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/09/post_733c.html )

住民投票に向けた各勢力の動向というメインの問題はともかく、10月7日の南日本新聞の記事で私が一番興味深かったのは、クルド自治区での教育の現状を紹介した部分です。
公立学校では小学校1年生から英語教育が始まるに対して、アラビア語教育は4年生からだそうです。
ある小学校の6年生に「アラビア語が話せるか」訊いたところ、30人中1人しかいなかったとか。
また、ある少年は「好きな“外国”は?」との問いに「バグダッド」と答えたそうです。
クルド自治政府の「脱イラク」志向はすでに進展しつつあります。

この歯車を進めるのも、止めるのも、相当の混乱を呼びそうです。
今後年末から年明けにかけて、12月31日にセットされたクルドの“時限爆弾”をめぐって緊張が高まりそうです。


(クルド人女性 アラブ化政策で農場と家を失い南部イラクで生活していましたが、フセイン政権崩壊でキルクークに戻ってきました。 flickr”より By Marksjmn )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラクとキューバ 二人のリーダー

2007-10-10 13:48:16 | 国際情勢

(ゲバラ(右)とカストロ まだ“革命”という言葉が生きていた頃 “flickr”より By Pan-African News Wire File Photos )

最近印象に残った言葉。

*****「流血はあらゆる法と道徳に反する」*******
イラクのシーア派サドル師派の指導者サドル師とシーア派最大規模グループで連立与党の重要な支持基盤とされるイラク・イスラム革命最高評議会(SIIC)の指導者ハキム師が6日、過去数年にわたる対立関係に終止符を打つことを目指す協定を結びました。
両派はこれまで、シーア派内の勢力争いからしばしば武力衝突を繰り返してきました。

今回の合意は3項目。
その第1項目が「どのような場合にあっても、イラク人の血を守り尊重することが求められる。流血はあらゆる法と道徳に反する」【10月7日 AFP】

宗派対立、グループ間の抗争、自爆テロ・・・是非、合意が実現してほしいものです。
ただ、「両派の民兵組織が協定を尊重する可能性は低く、暴走気味の現場に対する両指導者からの停戦呼びかけの意味合いが強い。」【10月7日 毎日】なんて観測もありますが・・・。


* ****「咲く前に茎から手折られた花のようだ」*******
キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラが革命の「輸出」を夢見たボリビアの山中で政府軍に捕らえられ、39歳で処刑されてから9日で40年を迎えるのを前に、ゲバラゆかりの中南米各地で8日、追悼式典が行われた。
かつての同志で、現在は病気療養中のカストロ・キューバ国家評議会議長(81)は、共産党機関紙グランマに「チェ」と題した論評を寄稿。「彼は国外で名誉ある政治的使命を成し遂げた。われわれのアメリカと世界に新たな自覚をもたらした」と称賛するとともに、「咲く前に茎から手折られた花のようだ」と死を惜しんだ。
一方、最期の地となったボリビア南部のイゲラ村に近いバジェグランデで行われた式典では、反米左派のモラレス大統領が「チェは生きている。彼の歴史的闘争は残忍な資本主義が変革するまで続くだろう」と述べ、「中南米は米帝国主義の『裏庭』に甘んじるな」と訴えた。【10月9日 時事】

ゲバラについては名前ぐらいしか知りませんでした。
ウィキペディア(Wikipedia)などで簡単にその人物像などを確認すると、何事にも率先垂範する行動主義、常に理想を追い求める理想主義の人だったようです。
革命後のキューバでは大臣なども歴任したようですが、少人数組織を率いての武装闘争にあっては効果的・魅力的なキャラクターも、平時の大組織においては空回りすることもあったようです。

大体、理想主義的な人物は他人にも自分同様の行為を求めがちになります。
自分の周囲にそのような人物がいると、正直なところウザったく感じられるものです。
実際、彼の部下達には冷ややかな評価をする者もいるようです。

それにしても、老いたりといえどカストロはさすが革命家、なかなかにロマンチックな弔辞です。
日本の政治家もこの程度の言葉は口にするようになってほしいものです。
カストロとゲバラの関係は後年どうだったのでしょうか?
アメリカの庭先でキューバを実際運営していかなければならない、当時のソ連との関係も維持しなければならない・・・そういった現実問題の中で格闘するカストロと常に革命を夢見るゲバラでは、意見を異にすることも多かったのではないでしょうか。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン イスラム生徒のスカーフ着用、または移民への対応

2007-10-09 19:55:56 | 世相

(エジプト カイロの街角で服を品定めする女性 売られている衣服は意外と派手なものが多いように思えました。2007年9月)

絶えずいろんな形で問題になるイスラム教徒のスカーフ。
今度はスペイン。

******************
スペイン北東部カタルーニャ自治州ジロナの公立小学校でこのほど、モロッコ人移民のシャイマ・サイダニちゃん(9)がイスラム教徒のスカーフ(へジャブ)をかぶって登校したところ、学校側は「校則違反」として登校を禁じた。
州政府が1週間後に「彼女(サイダニちゃん)が教育を受ける権利は校則より重要」と認めて登校を認めたが、04年にフランスで大論争となったスカーフ問題が移民急増中のスペインに飛び火した形となっている。
政教分離を国是とするフランスは「教育の場に宗教を持ち込まない」との立場からスカーフを禁じ04年に大論争となったが、マドリードのコンプルテンセ大学のボウザ教授(社会学)は「スペイン社会はカトリックの影響が強く、宗教的な首飾りを着ける児童も多い。スカーフを問題にはできない」としている。
 スペインでは移民人口が96年に100万人だったが、06年には448万人(このうちモロッコ人は最大の57万人)に急増している。【10月8日 毎日】
* *****************

非常にビジュアルで象徴性の高いスカーフは、着用を求める側、抑えようとする側、双方にとって問題になりやすいようです。
問題となるケースにはいくつかのパターンがあります。
① スペイン、フランスなどの西欧諸国で、イスラム系移民が着用を求めるケース
② トルコのようにムスリムが大半を占める国で、政教分離の立場から公的な場所でのスカーフを禁じているケース
③ イスラム教国で、ムスリムまたは異教徒国民に当局が着用を強制するケース

②のトルコについては、イスラム主義政党に所属するギュル大統領選出にあたり、夫人のスカーフ着用が政教分離の国是を危うくする懸念があるとして問題となりました。
その経緯については9月1日の当ブログでも取り上げています。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070901
与党の公正発展党(AKP)は、02年の選挙で掲げた公的な場所でのスカーフ着用の禁止解除を今年7月の総選挙では公約からはずすなどして、イスラム色を薄める対応をとっていました。
しかし、エルドアン首相は9月19日、英フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューの中で、トルコの大学構内で禁止されているスカーフの着用を許可すべきだとの考えを示しました。
AKPは現在新憲法制定作業を進めており、その新憲法案にはスカーフ着用を認める「個人の自由」が盛り込まれる可能性があると報道されています。【9月20日 読売】

トルコにおける公的場所でのスカーフ着用禁止は、政教分離・世俗主義のシンボルでもあり、“イスラムという宗教を国家が管理コントロールするのであって、その逆ではない”という意思の表れです。
伝統的価値観、宗教への回帰が世界的に強まる潮流にあって、この世俗主義堅持は今後変更されるかもしれない状況です。

③ については、例えばイランの服装取締り運動について8月6日の当ブログでも扱いました。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070806

また、マーレシアにおいての事例の紹介がhttp://ameblo.jp/nyaonnyaon/archive1-200603.html
になされています。
「トゥドゥン(頭髪を覆うスカーフ)をめぐるふたつの問題が国会論戦に発展した。
ひとつは学校がイスラム教徒の女生徒に事実上着用を強制した問題。フランスやシンガポールの学校がスカーフを禁じたのと逆のケースだ。政府は国会答弁で「着用を推奨するが、学校側は強制できない」という苦しい言い方で決着を図った。
 もうひとつは警察が記念行事で非イスラム教徒の女性警察官にスカーフ着用を義務づけたこと。
華人系の野党は猛烈に反発したが、アブドラ首相は「日常業務で着用の義務はないが、記念式典では義務」とあいまいな定義で一応のケリをつけた。」

またインドネシアでもジルバブ(スカーフ)着用を義務付けたり、飲酒やとばく禁止などイスラム法(シャリア)に基づいた地方条例が増加しているそうで、インドネシアのユスフ・カラ副大統領は、自治体がシャリアを強要するのではなく、個人が実行することが重要だとの見方を明らかにしています。
カラ副大統領は「イスラムの規律は条例がなくとも守れる。断食や喜捨は知事に命じられて行うのでもなく、警官が監視すべきことでもない。個人の自覚に基づいて実行すべきことだ」と述べ、宗教活動に政府や自治体が干渉すべきでないとの見方を示したそうです。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200607061323004

この着用の強制の背後にあるのは宗教上の規律遵守要求ですが、①の西欧における着用の禁止の背景にあるのは移民文化への対応、文化的アイデンティティーの問題だと思われます。

1998年ドイツで、スカーフを着用したまま教壇に立つ自由を主張していたアフガニスタン人教育研修生(内務相などを歴任したアフガニスタン高官の娘でドイツ人と結婚)ルーディンさんが、州から採用を拒否されたことが問題になりました。

ルーディンさんは「イスラム教によると魅力あるものは隠さなければならないとされており、女性の髪はそれにあたる。人生のあらゆる領域で私はイスラム教徒であり、スカーフは人格の一部である。」
と主張しました。

州文化省の見解
「世界中の事例でもわかるように、スカーフ着用はイスラム教徒女性の義務ではない。
他文化から自文化を境界づけることの象徴であり、それにより政治的象徴として評価されている。
公立学校では、教師は教育上の模範、国家とその価値、規範の代表として活動せねばならない。
そこには寛容も含まれる。
宗教的シンボルが政治的シンボルとして受け取られ、文化的境界をつくりだすものとして使われるとき、社会的平穏は脅かされる。
宗教は相互に尊重し、自身の宗教信条よりも、他の宗教の信条に譲歩する姿勢を尊重しなければならない。
自分の個人信条を示すにあたって、自分の宗教の他の信徒や、他の宗教の信徒に対しどのような作用をおよぼすか考慮しなければならない。
いままで一度もスカーフを身に着けたことがないイスラム教徒の娘にスカーフを被ることを強制するようなことがあってはならない。
模範となるべき教員として、スカーフを被ることの政治的シンボルとしての危険性について認識することが求められる。」
この見解においては、スカーフ着用の政治的行為としての危険性が指摘されており、背景にはイスラム原理主義台頭への警戒感、そのドイツへの浸透を阻止したい意図があるとされています。

この問題は行政裁判所に提訴されましが、州文化省判断が支持されました。
判決理由。
「たしかにスカーフ着用の拒否が個人の信仰の制限になることは同意する。
しかし、着用を認めることは教師の中立性を保つ義務に抵触する。
両者を考慮すると、生徒の保護が個人の信仰の自由に優先する。
信仰に基づくスカーフはただの衣装ではなく、教室では明らかに明示的な宗教の象徴である。
生徒がそこに模範を見て、学校でのさまざまな宗教の平和的共存が破壊されるかもしれない。」
【「戦後のタブーを清算するドイツ」 三好範英】

教師のスカーフ着用が他の生徒の宗教に影響を及ぼし、ひいては宗教の平和的共存が脅かされる・・・という州文化省、州行政裁判所の見解は理屈としてはもっともではありますが、およそ文化・宗教とか社会的価値観というものは教師・両親・その他社会の様々の物・人を見て学び・習得していくもので、ひとり教師のスカーフにこれだけの厳格な中立性を求めることが他とのバランスで合理的かどうかについて疑問があります。
もし、これがイスラムの象徴たるスカーフではなく、自国の主流たる文化・宗教・伝統に沿うようなものであればこれほど厳格な中立性は求められなかったのでは?
実際上の問題としても、私事で恐縮ですが、カトリック系宗教団体が運営する私立学校に通っていたため、中学・高校時代、修道士が修道服で英語の授業の教壇に立っていました。それでカトリックに影響された生徒がいたかと言うと皆無でしょう。

厳しい見解の背後に「イスラムが広がるのは困る・・・」という意識があるように思えます。
それは、イスラム原理主義台頭への警戒感もあるでしょうが、もっと広く捉えるなら、自国文化に馴染まない移民社会の異文化の拡大に対する抵抗・・・というようなものではないでしょうか。
それは決して不自然な、あるいは誤った考えではなく、ひとつの文化が異文化に遭遇するとき起こる生理的な拒絶反応的なものに思えます。

問題はこの拒絶反応の程度は社会の構成員一人ひとりで異なるでしょうから、どこで線を引くか・・・という問題です。
できるだけ拒否感を抑えて、少数派の権利・文化を尊重し、異なる文化が並列する多元的社会を目指すか。
自国文化への完全な同化を求め、異文化的要素を厳しく排除するか。
異文化についてもある程度のイデンティティーはまもりつつも、居住国の既成の社会的価値観を必要な範囲で受け入れ、文化の統合を図るか。
その場合、程度についてはまた個人差があるでしょう。

長くなってきたのではしょりますが、個人的意見を述べるなら、移民社会の異文化的要素の存在はある程度認めたいと思いますが、“統合”というのか、居住国の価値観をやはり尊重して社会の一体感は保持する必要があると考えます。
具体的には最低限、居住国の言語の習得、自由とか平等といった基本的価値観に対する理解は必要でしょう。
評判のよくないゲットーについては、その成立はある程度やむを得ないのでは・・・と考えます。
治安維持の必要はありますが。

その他について、具体的にイスラム移民を例にとれば、京都みたいな街にアザーンが響くというのは困ります。
まだ暗いうちに鳴り響くアザーンも困ります。
しかし、昼間であれば、通常の街の多数移民が暮すエリアでアザーンが響くのは、その土地の特色・風物だと受け入れます。
スカーフは顔を出すヘジャブは全く気になりません。
しかし、目だけしかださないニカーブ、ブルカはコミュニケーションをとりづらく受け入れがたいものがあり、日本では困ります。
そんなところが、個人的な許容ラインのイメージです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チベット 鉄道開通で変容する社会

2007-10-08 10:46:48 | 国際情勢

(青蔵(チベット)鉄道の車窓から 高地を走るので酸素吸引装置も設置されています。 観光的には非常に魅力的なコースです。 “flickr”より By seric )

チベットは1956年のチベット動乱、ダライ・ラマの亡命、亡命政権樹立など、中国が抱える大きな民族問題のひとつですが、中国政府当局はチベットの民族・文化の根底にあるチベット仏教へのコントロールを強めるため、8月には「活仏(生き仏)の転生を中央政府の許可制とする「チベット仏教活仏転生管理規則」を9月から導入すると決定した。」と報じられています。

***************
中国政府はチベット仏教で活仏と呼ばれる高僧の転生に9月1日から申請許可制度を導入。「活仏転生は国家統一、民族団結、宗教和睦(わぼく)と社会の調和維持の原則に基づくこと」「すでに排除されている封建特権を復活させてはならない」「外国や個人の干渉と支配を受けてはならない」とも規定した。活仏に対しては同局から「活仏証明書」が発行される。
チベット仏教では活仏は死去したのち、そのまま別の人間に生まれ変わるとされ、生まれ変わりは預言や神秘現象などをもとに高僧らが探しだし活仏に指名する。とくに最高指導者のダライ・ラマ、それに次ぐ地位のパンチェン・ラマは相互に後継者を指名し合う仕組みだ。しかしこの規則により、チベット仏教指導者は事実上、中国政府が選出する制度が確立されることになる。【8月8日 産経】
***************

活仏を中国共産党政府が選出する「活仏証明書」というのは部外者には笑い話ですが、チベットの文化・民族からすれば乱暴極まりないものでしょう。
ただ、このような強権的な手法によらずとも、恐らく今後チベット社会は急速にその独自性を薄める方向で変容するであろうことが、昨日のTV番組『シリーズ 激流中国 チベット 聖地に富を求めて』(NHK)を観ていて感じられました。

青海省西寧とチベット自治区首府ラサ(拉薩)を結ぶ高原鉄道“青蔵鉄道”が昨年7月に開通。
開通後、チベットを訪れる観光客と観光収入はわずか半年間に40%増え、チベットは今観光ブームに沸いています。
一方、外部の資金や文化の大量流入で大都会に憧れる地元の若者も続出し、伝統文化の崩壊も進んでいます。
その様子を、ある漢族オーナーが経営する豪華ホテルを中心に紹介した番組でした。

“チベット文化”という視点を離れて、一般論として、牧畜に頼った現金収入の少ない生活・人々の意識が市場経済のもとでどのように変容していくか・・・という点でも非常に興味深いものでした。

家族の生活を改善したいとそれまでの生活を離れてホテルのサービス業で働く人、古い生活道具が骨董品として高値で売買されることを知りそれらを売ろうとする村人、買い集めた骨董品を都会で10倍以上で売りさばく漢族オーナー、そんな骨董品売買を自分でもやりたいと思う現地の従業員、仏像などをホテルに展示して集客するホテル、仏教の法要をもショーとして企画するホテル、高僧との交渉でテーブルに置かれた現金、ホテル従業員への能力給制導入、その制度に馴染めずホテルを辞める従業員・・・

まだ、仏像を骨董品として売ることには村人は抵抗を示していますが、あと数年もすればそれもどうでしょうか・・・。
市場経済に巻き込まれた人々の暮らしは、急速に変容していくことが予感させられました。
そして単に市場に任せるだけでは、伝統社会を破壊し、一握りの勝者と大勢の競争からの脱落者を生み、伝統価値重視へ回帰した過激な運動などの新たな社会不安を引き起こすのではないかということも感じます。
本来共産主義国家であるはずの中国では、ときに資本主義国家以上にむき出しの資本の論理の貫徹、拝金主義の横行が見られます。

現在ラサには漢族が大量に流入し、すでに人口はチベット族を上回っているとか。
中国政府の青海鉄道建設の思惑どおり、大量の物資・資本・人口の流入で、“チベットの開放・改革”、“チベットの中国化”は一気に進展すると思われます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パキスタン 再選後も課題の多いムシャラフ大統領

2007-10-07 11:14:09 | 国際情勢

(パキスタン北部のフンザ 是非一度訪れたい場所です。できれば杏の花が咲く頃。 “flickr”より By DavidS )

6日に投開票されたパキスタン大統領選で、ムシャラフ現大統領が再選を確実にしましたが、同大統領の立候補資格の有無が最高裁で争われており、司法判断が下るまで選挙結果の発表は見送られることになっています。

パキスタン情勢のニュースを読んでいて、よくわからないことがあります。
ひとつは、現行憲法は選挙を経ない国会での再選を禁止していたのでは?ということ。

総選挙を実施すると与党は議席を減らす見込みなので、現在の議会で再選されたい、しかし憲法の規定でそれが難しい、だからブット元首相の率いる野党パキスタン人民党(PPP)と組んで憲法改正したうえで現在の議会で再選を果たしたい・・・というのがムシャラフ大統領の路線だったというふうに理解していました。【8月30日 毎日】

しかし、陸軍参謀長兼任問題は焦点になっていますが、この選挙を経ない議会での再選の問題は最近全く目にしません。
理解が違ったのか?それともすでに憲法を改正したのか?うやむやにしたまま進行しているのか?
よくわかりません。

もうひとつわからなかったのはブット元首相の意向です。
10月4日のAFPは「ブット元首相は3日、ムシャラフ大統領と進めてきた連携交渉について「完全に頓挫した」と述べ、報じられていた恩赦については「偽情報」だとしてはねつけた。大統領に「強力な一撃」を与えるために、同元首相が総裁を務めるパキスタン人民党議会派所属議員が辞職する可能性を示唆した。」と報じました。

しかし翌日の5日には同じくAFPは「ブット元首相は4日、ムシャラフ大統領との連携交渉について「前向きだ」と述べ、今週末に行われる大統領選で予想されるムシャラフ大統領の再選を妨害しない考えを示唆した。」と報じ、全く逆の動きに転じています。
どういう背景でたった1日でブット元大統領の発言が180度変わったのか?
「強力な一撃」発言でムシャラフ大統領側が相当な譲歩をしたのか?
よくわかりません。

いずれにしても、ムシャラフ大統領は今後再選が正式に確認されても、その求心力は相当に弱まることも懸念されています。
ひとつは、陸軍参謀長を辞任して今後も軍への影響力を保持できるのか?ということ。

もうひとつは各政党との関係。
汚職などの罪で国外追放されている政治家らに「恩赦」を与える「国民和解協定」を通じ、野党勢力の協力を取り付けて政治基盤の強化を目指すものとみられていますが、ブット元首相だけでなく、第3野党「イスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派」(PMLN)のシャリフ元首も対象になるとか。(一部報道ではシャリフ氏は除外されているとも伝えられましたが)
また、南部カラチに強固な地盤を持つ政権与党「ムータヒダ民族運動」(MQM)の指導者で英国亡命中のアルターフ・フセイン氏相も帰国可能だそうです。
“赤いモスク事件”鎮圧に反発を強めていたイスラム原理主義政党の第2野党「統一行動評議会」(MMA)との和解の動きも出ているようです。

一方で、最大与党「イスラム教徒連盟クアイディアザム派」(PMLQ)は、世俗政党の人民党との連携を嫌い、過去には同じ政党だったシャリフ派との連合を望む幹部は少なくないそうで、今後人民党との協力関係が深まれば深まるほど、与党内の分裂の可能性が出てくるとみられています。【10月6日 毎日】

かつての大物政治家の復活、政党間の確執で、ムシャラフ大統領の手足が縛られる事態も考えられます。

最近の世論調査によると、ムシャラフ大統領の支持率が38%だったのに対し、ビンラディン容疑者は46%。特に、イスラム組織が強い勢力を維持している北西辺境州では、同容疑者の支持率は70%に達しているそうです。
(ちなみに、ブット元首相の支持率は63%で、シャリフ元首相は57%。ムシャラフ大統領が職務を停止しようとして失敗したチョードリー最高裁長官は69%だったそうです。)【9月12日 時事】

過激派勢力への根強い国民支持があり、ビンラディン容疑者が、最新のビデオ映像の中でムシャラフ大統領とパキスタン政府に対し「宣戦布告」をしたと報じられている【9月21日 AFP】状況では、“強いリーダーシップ”が必要とされますが、再選後のムシャラフ大統領には課題が多いようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パプア・ニューギニア 見捨てられたエイズ患者

2007-10-06 14:08:27 | 世相

(パプア・ニューギニアでのHIV/AIDS study tourの写真 “flickr”より By nzaid )

8月末でしたが、パプア・ニューギニアのエイズ問題に関する悲惨な記事がありました。

***パプア・ニューギニアで感染を恐れた親族がエイズ患者を生き埋めに 当局が調査開始***

ソーシャルワーカーの Marabe氏は27日、首都ポートモレスビーで記者団に対し、へき地の村で、容態が悪化したエイズ患者の男性3人と女性2人を親族が生き埋めにするのを目撃したと語った。生き埋めにされた患者らは泣き叫び、親族の名を呼びながら助けを求めていたという。
同氏によれば、患者の親族らは、感染を恐れて生き埋めという措置をとったのだという。【8月29日】
********************************************

先日届いた“UNICEF NEWS”がパプア・ニューギニアのエイズ問題を紹介しています。
HIV感染率は1%とも5%とも言われていますが、要するに調査されておらずよくわかりません。
検査を受ける人も少ないし、治療を受ける人は更に少ない状態。

エイズ発症を遅らせる薬剤ARVは、2012年までアメリカのクリントン財団から無料で提供されることになっており、実際、首都にある薬剤保冷庫にはARVが大量に保管されています。
しかし、この薬が必要とする者に渡らない現実があります。
いくつかの要因があります。
① 患者の病気への認識が低いこと
② 病院・保健センターは限られており、交通の不便なニューギニアにおいては、本人または家族が定期的に薬をとりに来るということが実際上非常に困難な場合が多いこと
③ 「空気で感染する」等の周囲の人達の無理解のために、病気と貧困で非常に厳しい生活を強いられていること
④ 輸送・保管・配布のための設備・人材が不足していること
⑤ 検査・医療スタッフの不足

以前5月に、フジTVの朝の番組「とくダネ!」で佐々木恭子アナウンサーがパプア・ニューギニアのHIVに感染した子供たちを取材しており、その内容がYouTubeに「パプア・ニューギニア エイズが奪う未来」として登録されています。
これを見ると冒頭の記事のようなことが起きる背景が少し理解できます。

男性中心の社会で見捨てられる感染母子、家族・親戚からも“隔離”され、満足な食事すら与えられない生活を強いられる感染児童、そうした社会の根底にある貧困・・・

確かに薬剤の輸送・保管・配布のインフラ整備、医療関係スタッフ・施設の整備は重要なのですが、エイズ患者を苦しめているのは病気そのものより、社会や周囲の人々の意識のようにも思えます。
物資を援助で整えても、そういった意識の向上・変革がない限り、HIV感染者の苦しみは続くのでしょう。
西欧的価値観、社会基準の中で生活している身からするともどかしく思われる部分もありますが、少しでもより良い方向に事態が改善するように希望します。
無意味な形だけの言葉しかでてきませんが、今はそれしか言えませんので。


(街角で「エイズもがんも全て治る」というコーラビンに入った怪しげな液体を売る男 “flickr”より by kahunapulej )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル 謎のシリア空爆

2007-10-05 16:15:44 | 国際情勢

(6日間戦争以来イスラエルの占領が続くゴラン高原 “flickr”より By mockstar)


イスラエル軍は2日、シリアを先月6日に空爆したことを初めて認めました。
これまでイスラエルが沈黙を続けてきたのは、あからさまな国家主権の侵害になる空爆の事実が明らかになると、名目上は未だ戦争関係にあるシリアが国内の反発を抑えきれずに報復攻撃をし、両国間の本格紛争に発展する事態を避けるためだったと見られています。

この空爆についてはいろいろな憶測がなされミステリアスな展開をたどりましたが、今現在なお、標的が何だったのかについてはっきりしません。
北朝鮮から運ばれた核関連物質か、イランからレバノンのシーア派武装組織ヒズボラに提供された武器の保管施設などの可能性が取りざたされてきました。

事件当初の9月7日AFPではシリア軍報道官の言葉として「(領空侵犯した)イスラエル軍機は軍需品を投下したが、被害は出ていない」と報じました。
“軍需品を投下”ってなんのこと?・・・奇妙な記事でした。

シリア政府は9月11日には「イスラエル軍の戦闘機が6日にシリア北方の国境を侵犯し「数個の弾薬」を投下した」と書簡で国連に提訴しました。
“数個の弾薬を投下”って空爆ということ?・・・相変わらずよくわかりません。

オルメルト・イスラエル首相は、政府当局者らにシリア問題に触れないようかん口令を敷いていると言われ、シリア側からも詳しい情報が出ないなかで、アメリカのマスメディアでいろんな情報が流れ始めました。

先ず11日、米主要メディアが米当局筋の話として「シーア派組織ヒズボラへの武器流入を阻止する目的でシリア北部を空爆した」報道しました。

12日付の米紙ニューヨーク・タイムズは米政府筋の話として、イスラエルの偵察機が最近、シリア国内の核関連とみられる施設の写真撮影に成功したと報道。

13日には米紙ワシントン・ポストが情報筋の話として「北朝鮮がシリアの核施設建設に協力している可能性がある」と報じました。

15日付の米紙ワシントン・ポストは中東専門家の話として「シリア北部の『農業研究施設』を攻撃したとみられる」と報道。イスラエルはこれをウラン抽出施設とみており、攻撃の3日前に北朝鮮からシリアに核関連機器が輸送されていたと解説しています。

18日付のニューヨーク・タイムズ紙も、北朝鮮の貨物船がシリアの港に入るのをイスラエル情報機関が追跡し、その貨物が運ばれた場所が攻撃されたと報じたものの、「積み荷の中身は不明だ」だと指摘。

真相が不明なまま、情報が乱れ飛び、意図的な情報のリークも勘ぐられるような“空中戦”“情報戦”の様相を呈してきました。
特に、北朝鮮の関与が報道されるようになって、進行中の6カ国協議への影響が意識されるようになってきました。

21日付の米紙ワシントン・ポストは、イスラエル軍機が今月上旬、北朝鮮の協力によって建設されたとみられるシリア北部の核疑惑施設を空爆するのに先立ち、米ブッシュ政権はイスラエル側と情報を交換していたと報じました。

23日付けの英紙サンデー・タイムズは、イスラエルが9月6日にシリア北部を空爆するのに先立ち、同国の精鋭特殊部隊がシリアの秘密軍事施設を襲い、北朝鮮から密輸された核関連物質を持ち帰っていたと報じました。

24日の時事通信は、「北朝鮮が国際社会の監視の目を逃れようと中東のシリアにウラン濃縮関連装置を搬送し、ウラン濃縮による核開発をシリアに委託しようとしていたのではないかとの疑惑が浮上している。」と報じています。

その後は目立った報道もなく推移し、冒頭紹介の2日のイスラエル軍公表になっています。
6カ国協議も合意へ向けて進展したようです。
一方、米誌ニューズウィーク(電子版)は23日、イスラエルがイランの核・ミサイル施設も空爆に踏み切る可能性を伝えています。
イスラエル政府筋は、イランがウラン濃縮活動の年内停止に応じない場合、「2008年は行動を取る年となる」と警告したとのこと。【9月25日 産経】

世界情勢というのは、一般の国民には見えないところで相当にきわどい事態が進行しているもののようです。
しかし、イスラエルという国は個人的には40年前の6日間戦争のイメージが強いのですが、そのイメージどおりに、常に“やるときには断固として、電光石火の早業でやる”・・・そういうお国柄のようですから・・・。


(シリアは遺跡の多いところでもあり、特にパルミラ遺跡は世界的に有名です。
“flickr”より By loufi )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミャンマー  弾圧の構図 第77軽歩兵師団

2007-10-04 14:20:21 | 国際情勢

(ミャンマー西部に暮らすチン族の少女 “flickr”より By CortoMaltese_1999)

国連のガンバリ事務総長特別顧問(特使)は、軍事政権トップのタンシュエ国家平和発展評議会議長や軟禁中の民主化運動の指導者アウン・サン・スーチーさんとの会談を行い2日帰国しました。
タンシェ議長やスーチーさんと“話”をしてどうなるものでもありませんが、今のところ有効な手立てがないのが実情です。
なお、ガンバリ特使は、軍政側からの働きかけがあり来月11月にもミャンマーを再訪する方向で調整中だそうです。【10月4日 時事】

国連の国連人権理事会は2日、「強い遺憾の意」を表明する決議を採択しました。
欧州連合(EU)が提出した草案は「強く非難する」というものでしたが、ミャンマー寄りの中国、ロシアが難色を示し、表現を弱めた形で全会一致となったとのこと。【10月3日 毎日】

ミャンマー軍政は1日の国連総会での外相演説にみられるように、このような国際批判は一切無視の構えで、3日にはヤンゴンで国連開発計画(UNDP)の女性職員が夫・運転手とともに当局に身柄を拘束されたというニュースも伝えられています。【10月4日 共同】

これまで軍政側とのパイプ・援助も保ってきた日本ですが、さすがに長井氏殺害の事件を受けて、援助削減の方向で検討しているようです。
長井氏殺害については、警視庁は3日、殺人容疑でミャンマー軍に対する捜査に乗り出すと発表し、銃撃に関与したとみられるミャンマー軍兵士らを訴追していく方針だそうです。【10月3日 AFP】。

今回の弾圧に関して、軍政側が88年に民主化弾圧で1000人以上の死者を出したときの経験を学習して、武力行使までの段階設定、デモ参加者のビデオ撮影による身元特定・一斉拘束など、周到に準備してきたことが報じられています。

そうした中でも一番後味が悪い印象を感じたのが次の記事
「軍政が僧侶や市民によるデモの本格的な武力制圧に乗り出した26日以後、軍部隊の中には1988年の民主化運動でも投入された第77軽歩兵師団の姿が見られた。歴史的にビルマ族に厳しく統治され、複雑な民族感情を持つチン族を主体に構成された師団で、「ビルマ人に対して銃を向けることをためらわない」(消息筋)とされる。
 ミャンマー情勢の専門家は「88年の学生運動を発端としたデモで、鎮圧に特殊部隊の必要性を痛感した軍政は、緊急事態に対処できる同師団のような部隊の育成に力を注いできた」と指摘しており、今回もデモの制圧など各場面でその威力を発揮している。 」【10月1日 産経】

支配者が民族・宗教・階級などが異なる被支配者間の反感・対立を利用して分断統治するのは常套手段ではありますが、その結果支配者が倒れた後にもそれら被支配者間の憎悪は長く残ります。
差別される少数民族の多数派への不満を利用して弾圧時に銃口を向けさせるというのは、いかにも卑劣なやりように思えます。


(一部のチン族の女性は、顔に刺青をする風習があることで有名です。
“flickr”より By dgurewitz)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプト  イスラム社会の印象 ラマダンのことなど

2007-10-03 11:45:07 | 国際情勢

(カイロ最古のイスラム寺院“ガーマ・アムル”で祈る人々)

先週エジプト観光で留守にしていましたが、帰国後ニュースの整理をしていてエジプト関連のものがひとつありました。

・・・・・野党のラマダン祝う集会、政府が阻止 エジプト・・・・・・
エジプト最大の野党勢力ムスリム同胞団が22日に予定していたラマダン(断食月)を祝う集会が、政府によって中止に追いやられた。集会には政府に批判的な政治勢力や人権団体などの代表を含む約1000人以上が招待されていた。同胞団が05年の総選挙で躍進して以降強まる政府による圧力の一環とみられる。
同胞団は非合法だが、05年の選挙で無所属として議会定数の約5分の1を占める88人を当選させた。今後の影響力の拡大を恐れるエジプト政府は今年3月に憲法を改正し、宗教に基づく政党の設立を禁止し、テロ対策として令状なしの市民の拘束などを認めた。【9月23日 朝日】
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イスラム同胞団はイスラム法による社会統治を掲げる組織ですが、同胞団自体は比較的穏健な団体だそうです。
過激派は組織から排除されるため、その排除された過激派がジハード団などいくつかのより過激なイスラム原理主義組織を形成するようになっているとか。

記事の内容は、最近の国際社会で大きな潮流となっているイスラム組織の拡大の問題、そして政治と宗教の関係の問題ということになります。
ただここでは、そこまで大上段に構えた話ではなく、身の丈に合った観光旅行の印象を少し。

記事にもあるように旅行中は丁度ラマダンの時期にあたり、ムスリムは夜明けから日没までは食事も水も一切とらないという生活をしていました。
エジプトには数%のコプト教徒(土着キリスト教)もいますが、ラマダン期間中の飲食はなるべく目立たないようにしているとか。

日没後は盛大に飲み食いしますが、やはり日中の断食は相当に負担で、午後も夕方近くなると一斉に家路を急ぐ人々で道路は大渋滞を起こします。
もちろん信仰へ関与程度は人によって異なりますので、礼拝にしても、数人雑談しているなかで一人だけ抜けて礼拝を行い、他の者は雑談を続けるといった具合にそれぞれのペースでやっているようです。
ただ、ラマダンの断食については相当に一般的に行われているように見えました。
敬虔な人は唾も飲みこまずに吐き出すとか・・・。

このような生活を信徒に1ヶ月間もとらせる宗教の社会規制力というのは、葬式仏教の日本人には想像しがたいものがあります。
宗教政党を禁じるとか、宗教と政治を分離すると言っても、ここまで宗教に深く根ざした社会にあって「それは無理じゃないか・・・」というのが率直な印象でした。
そしてこのような社会では恐らく、政治的な“自由”とか“民主的”とかいった言葉よりは、宗教的な相互扶助、助け合い、公正といった訴えの方が人々の心にスムーズに入っていくだろう・・・とも思えました。

国内の競争的な経済システム・深まる国際的経済関係のなかで、社会腐敗の横行・機会を活用できたひとにぎりの勝者・外国からの影響の増大という現実への失望・無力感は、多くの人々の心を宗教的な価値観、固有の伝統への回帰へ向かわせることが想像できます。

エジプトの政治事情に話をもどすと、05年の選挙でムスリム同胞団メンバーが無所属の形で大量当選し実質的野党第一党になった背景には、上述のような大きな流れとともに、アメリカからの民主的選挙を求める圧力があってムバラク政権が弾圧を弱めたことがあるとか。

パレスチナでも民主選挙を早期に求めるアメリカの圧力で選挙を実施した結果、ハマス政権が誕生するといったことがありました。
アメリカが“民主的”な選挙を求めると、人々はアメリカの意に反して反米・イスラム的な選択を行うというのはいかにも皮肉な話です。


(エジプト・バフレイアの村 ラマダン期間中の日没後、村の男達は集会所みたいなところに集まって一緒に夕食とおしゃべりを楽しみます。
帰りにお金を渡していた人もいますので、各々が事情に応じて負担するような仕組みではないでしょうか。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮半島・ドイツ 民族分断・・・統一とその後

2007-10-02 17:46:02 | 国際情勢

(1990年 ベルリンの熱狂 “flickr”より By earthwormbill)

北朝鮮の洪水被害で延期されていた7年ぶりの南北首脳会談が開かれています。
「“勝負師”と言われる盧大統領と“政治的演出”を得意とする金正日総書記の「競演」だけに、地味な結果に終わるとは考えにくい。」【10月2日 毎日】と言われています。

盧武鉉大統領は南北分断の象徴である軍事境界線を徒歩で超えました。
「私が越えれば、より多くの人が行き来でき、いつか禁断の線も障壁もなくなるだろう」。
このセレモニーのために、わざわざ黄色いラインを“境界線”として実際に引いたそうで・・・。
金正日総書記も当初予定を変更して、平壌で自ら盧大統領を出迎えるという演出を見せています。
(アルツハイマーではないかとも言われていた金正日総書記ですが、まだ健在のようです。ただ、終始無表情なのが印象的でした。何か薬物の影響でしょうか。)

韓国は12月の大統領選挙、北朝鮮は核問題をめぐる米朝関係改善をにらんで、それぞれが政治的演出に腐心するところでしょうが、また、そのような演出よりもどのような合意が形成されるかが問題であるのは当然ですが、更には、北朝鮮が日本にとっては“拉致”等の問題を抱える国であるのは事実ですが、それでもやはり“大統領が軍事境界線を越え、南北首脳が肩を並べる”という光景は感慨深いものがあります。

ついこの間まで両国が同民族で激しくいがみ合っていた記憶が、自分の頭の中でいまだに消えていません。
いろいろ言うことはできますが、南北が融和するということは基本的には歓迎すべき方向でしょう。
韓国でも融和歓迎ムードが広がっているとも聞きます。
とかく変動しやすい世論の国なので、この先までを保障するものではありませんが。

民族分断に関しては、東西が再統一して17周年(!もうそんなになりますかね・・・)を迎えるドイツから今日こんなニュースも。
・・・・・・・・・・・・・
民間調査会社の世論調査結果で、ドイツを28年間にわたり東西に分断してきたベルリンの壁が崩壊して「よかった」と答えた人は全体の75%。一方で、「東西に分断されていた頃の方が良かった」と答えた人は全体の19%にものぼった。
旧東ドイツ圏の住民1670万人のうち実に21%が「旧西ドイツとの国境のコンクリート、有刺鉄線、武装警備隊が懐かしい」と回答。また、同じく74%が、ベルリンの壁の崩壊後に「生活水準が落ちた」と答えた。【10月2日 AFP】
・・・・・・・・・・・・・
5人に一人が「ベルリンの壁」の再建を望んでいる・・・という結果ですが、もちろん、実際に壁ができることに、また、民族が分断されることにこの割合で賛成するのかというのはまた別問題でしょう。
この数字の背景には、旧東ドイツ圏では賃金が旧西ドイツ圏より25%低く、失業率も旧西ドイツ圏の約2倍の15%にのぼっているという現実があります。

当然ながらこの事態を放置してきた訳ではなく、旧西ドイツ圏からの援助額はこれまでに1兆ドルを超えているそうです。
それでもなお、格差が解消できずにいます。

民族分断の解消・統一は一時的な熱狂でも達成できますが、それはスタートに過ぎず、そこから地道な統合へ向けての努力が必要になります。
韓国にその強い意思がありやなしや?

ドイツの場合、トルコなどからの多数の移民を受け入れており、この移民文化との統合というもうひとつの厄介、かつ、重要な問題があります。
8月7日の当ブログでも取り上げましたが、この件はまた別の機会に。

下の写真はトルコやエジプトではなく、ベルリンの街角。
後の看板はトルコ人の好むドネルケバブ(アラビア語ではシャワルマ 回転焼肉)です。


(“flickr”より By missis_jones)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする