孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イスラエル前首相の汚職疑惑裁判とパレスチナ・アラファト前議長のポロニウム暗殺疑惑

2012-07-11 23:29:28 | パレスチナ

(しばし眠りを覚まされることになりそうなアラファト前議長 “flickr”より By jhh510110@ymail.com http://www.flickr.com/photos/54213354@N04/7502664868/

【「ボールはネタニヤフ氏にある」】
中東世界では「アラブの春」を受けての変革・混乱が続いていますが、パレスチナ・イスラエルの和平交渉は行き詰まったまま動きが見えません。

先月8日には、パレスチナ自治政府のアッバス議長が、「パレスチナ囚人の釈放と自治政府警察の武器更新に応じるなら、対話する用意がある」と述べ、事態の打開に向けてイスラエルのネタニヤフ首相との会談に応じるための条件を示してはいますが、その後のイスラエルの大きな反応に関する情報は目にしていません。

****パレスチナ議長「対話用意ある」 イスラエルに条件示す****
パレスチナ自治政府のアッバス議長は8日、「パレスチナ囚人の釈放と自治政府警察の武器更新に応じるなら、対話する用意がある」と述べ、イスラエルのネタニヤフ首相との会談に応じるための条件を示した。訪問先のパリで記者団に語った。

議長周辺によると、ネタニヤフ氏は先月、アッバス氏に送った書簡の中で直接対話を打診。アッバス氏は「そのための意思表示がほしい」と述べ、1994年以前にイスラエルの刑務所に収監されたパレスチナ人約120人の釈放と、警察の銃の更新を認めるよう求めたという。

パレスチナは、イスラエルが占領地ヨルダン川西岸での入植活動凍結と、1967年の第3次中東戦争前の境界に基づく国境画定を受け入れなければ、交渉は再開できないとの立場。だが、交渉中断から1年半が過ぎてもイスラエルが入植活動を停止する兆しはなく、事態の打開に向けて譲歩を迫られた形だ。アッバス氏は「対話は、交渉をするという意味ではない」と強調したが、「ボールはネタニヤフ氏にある」とも述べ、イスラエルの対応を待つ考えを示した。(エルサレム=山尾有紀恵) 【6月10日 朝日】
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起訴はパレスチナやシリアとの和平条約締結を阻止するための陰謀?】
最近のイスラエルの話題としては、オルメルト前首相の汚職疑惑裁判があります。
右派のネタニヤフ現イスラエル首相の前任であるオルメルト前首相の任期中には、イスラエル政府とパレスチナ自治政府のファタハの関係は比較的良好な時期もあり、08年5月にはシリアともトルコ仲介で交渉を行っていることが発表されています。

しかし、オルメルト前首相には汚職絡みのスキャンダルが多く、支持率が低迷して首相辞任に追い込まれ、汚職問題でも起訴されています。

****イスラエル:前首相に無罪判決…汚職疑惑****
エルサレムの裁判所は10日、多額の不正献金受領と出張費の二重請求の罪に問われていたイスラエルのオルメルト前首相に無罪を言い渡した。

前首相は二つの汚職疑惑を理由に08年9月に辞任し、政治生命を絶たれた経緯があり、起訴した検察に対し「民主主義を冒とくした」(ハーレツ紙)などとの批判も起きている。
一方、この2件に比べて微罪とされる、事業参入で知人に便宜を図った背任罪は有罪となった。量刑は9月に言い渡される。さらに別の裁判では土地開発を巡る収賄罪にも問われている。

前首相は過去のインタビューなどで、首相在職中にパレスチナやシリアとの和平条約締結が間近だったと主張している。起訴はそれを阻止するためだったとの陰謀説もある。AP通信によると、アッバス・パレスチナ自治政府議長顧問のハマド氏は「中東和平で双方の立場の差が縮まっていたが、彼の不在で今はすべてが失われた」とコメントした。【7月11日 毎日】
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記事にある“起訴はパレスチナやシリアとの和平条約締結を阻止するための陰謀”という見方の一方で、08年5月にシリアとの和平交渉を公にしたのは、国民の目を汚職疑惑から背けるための政治的保身ではなかったか・・・という見方もあります。
当時のイスラエル国内の世論調査でも、「シリアとの和平交渉の目的は、和平の推進か?それとも首相の汚職疑惑から国民の目を背けることか?」との問いに、約半数が汚職疑惑隠ぺいのためと答えています。

パレスチナ側は遺体の掘り起こしへ
一方のパレスチナ側で最近話題となっているのは、8年前に死去したアラファト前議長のポロニウムによる暗殺疑惑です。
****アラファト議長は毒殺」=遺品からポロニウム検出―衛星TV****
2004年11月にパリ近郊で死去したアラファト・パレスチナ自治政府議長(当時)は、毒性の強い放射性物質ポロニウムを盛られて暗殺された可能性が高い―。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは3日、スイス・ローザンヌの放射線物理学研究所による鑑定で、こうした結果が出たと報じた。

アルジャジーラは、スーハ夫人からアラファト氏が使っていた衣服や歯ブラシ、カフィーヤ(チェッカー模様のスカーフ)の提供を受け、同研究所に調査を依頼した。アラファト氏の血液や唾液、汗などが付着した所持品から高い水準のポロニウム210が検出され、死亡時に相当量のポロニウムが体内に存在していたことを示したという。【7月4日 時事】
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これを受けて、遺体の掘り起こしや、妻による告訴といった騒ぎになっています。

****波紋呼ぶポロニウム暗殺説=アラファト氏、8年ぶりに遺体調査も―パレスチナ****
2004年に死去したアラファト前パレスチナ自治政府議長の死因をめぐり、放射性物質ポロニウム210を使った暗殺説が浮上している。中東の衛星テレビ局アルジャジーラの調査報道が発端だ。アラファト氏暗殺説は数多いが、「暗殺手法」が具体的なことから、パレスチナ側は遺体の掘り起こしや国際調査委員会の設置に乗り出す構え。だが、死後8年が経過しており、真相究明は難航が予想される。【7月9日 時事】
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****毒殺?アラファト氏の妻が告訴へ 毒物検出の報道受け****
2004年に死去したパレスチナ自治政府のアラファト議長(当時)の妻スーハさんが、アラファト氏が毒殺された可能性を示す遺品の検査結果が出たことを受け、死因をはっきりさせるため、フランスで告訴する方針だとロイター通信が報じた。スーハさんの弁護士が10日、明らかにした。
容疑者は特定しないまま告訴する方針。詳細は今月末までに明らかにするという。(後略)【7月11日 共同】
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当時、アラファト前議長は、イスラエル軍によって半壊状態の議長府で軟禁状態にありました。
ウィキペディアによれば、当時の状況は以下のとおりです。
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イスラエルはアラファートをテロ蔓延の原因とみなして敵視を強め、ヨルダン川西岸地区のラマッラー(ラマラ)にあるアラファートの議長府(大統領府)は2001年より長らくイスラエル軍による包囲・軟禁状態に置かれた。

アラファートには軟禁状態に置かれ始めた頃から健康不安が囁かれていた。また多数の敵を抱える状況から、シャロン首相は「アラファトは、ハマスのヤシン師と同様(イスラエルによって)暗殺されるかもしれない」と発言していた。

アラファートは2004年10月10日より体調を崩した10月15日のラマダン(断食月)入りの金曜礼拝では気分不良の為に途中で退出して客人への対応もしなかった。10月19日にはエジプトから医師団が招かれて診察を行った。10月27日より嘔吐を繰り返すようになり、何度か意識消失を起こした。

アラファートは病院に入院している間に大統領府がイスラエル軍によって破壊され、戻って来れなくなる事を恐れていた。10月29日、体調の悪化を理由に治療のためヨルダン政府によりアンマン経由でフランスに移送され、11月11日午前3時30分にパリ郊外クラマールのペルシー仏軍病院で死去した。【ウィキペディア】
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動機を持った疑わしい人物ばかり
放射性物質ポロニウムについては、2006年にロシア連邦保安局(FSB)の元情報局員、アレクサンドル・リトビネンコ氏がロンドンの病院でポロニウム中毒とみられる症状を発症して死亡した際にも話題になりました。この事件後、イギリスとロシアはことの真相を巡り激しく対立しました。

今回の“アラファト前議長のポロニウムによる暗殺”については、ポロニウム210の半減期が138.4日ということで、8年近くもたった今本当に検出されるのか・・・検出されたなら後から誰かが加えたものではないか・・・といった疑問も多く出されています。

半減期云々の問題はよくわかりませんが、ただ、素人でもわかるようなをへまをすることもないのでは・・・という疑問もあります。

仮に、暗殺が事実だったとすれば、誰が?・・・という問題になりますが、当時のアラファト前議長の周辺は、彼に「消えてほしい」敵ばかりでした。
議長府を包囲しているイスラエルのシャロン首相はもちろんですが、和平交渉を進めるうえでアラファトに見切りをつけたアメリカ、ファタハと対立しているハマス、ファタハ内部で台頭してアラファトを批判していたムハンマド・ダハランなど。
アッバス議長にしても、アラファトからの権限移譲を阻まれ首相からの辞任に追い込まれていますので・・・・。

動機を持った疑わしい人物ばかり・・・という状況ですが、そんななかでNHK(BS)が、キャスター氏の個人的見解でしょうが、イスラエルや関係国の線は薄く、むしろファタハ内部のダハランの方がまだ可能性はある・・・といった随分踏み込んだ大胆解説を行っていたのが驚きでした。
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アフガニスタン  復興支援の「東京宣言」 タリバンとの交渉実現がカギ 復興を阻む汚職体質

2012-07-10 22:27:48 | アフガン・パキスタン

(7月8日 東京で会談したクリントン米国務長官、アフガニスタンのラスール外相(左)、パキスタンのカル外相(右) アフガニスタン政府にタリバンとの交渉を呼びかけています。 “flickr”より By U.S. Department of State http://www.flickr.com/photos/statephotos/7528050396/

衆人環視の中、姦通したとして妻に銃弾9発を撃ち込む
“アフガニスタンでは2001年以前の旧タリバン政権時代に不倫などイスラム教に反する行為をした人物の公開処刑や、むち打ちが行われており、タリバンの勢力が強い地域では今も続いている”【7月9日 毎日】ということです。

****タリバン司令官、妻を公開処刑****
アフガニスタン首都近郊のパルワン州でイスラム原理主義勢力タリバンの司令官が妻を公開処刑する映像がインターネット上に流れ、女性の人権無視に対する怒りの声が上がっている。司令官は妻が別のタリバン司令官と姦通(かんつう)したとして、衆人環視の中、妻に銃弾9発を撃ち込んだ。パルワン州知事は8日、事件の捜査に乗り出したことを明らかにした。【7月10日 産経】
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この公開処刑の映像がインターネット上に流失しており、それによると、“ショールをかぶってうずくまる女性を夫が射殺。見届けた数十人の男性が「(射殺した夫は)イスラム教の英雄だ」と一斉に叫んでいた”【7月9日 毎日】とのことです。

イスラム文化圏やインドでは、“名誉殺人”と称される、女性の婚前・婚外交渉を「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習が広く見られますが、上記公開処刑は “名誉殺人”的な行為にも見えます。
いずれにしても、価値観の違い、社会の異質性に言葉を失います。

【「タリバンと米軍の間に挟まれ、とても住めなかった」】
もう1件、アウガニスタンの難民キャンプの現状を伝える記事がありました。

****アフガン:難民キャンプ近くの学校 給料安く教師不在****
アフガニスタンに駐留する国際治安支援部隊(ISAF)の14年末までの撤退に向け、南部ヘルマンド州で、アフガン治安当局への権限移譲が進んでいる。
だが、首都カブール北西にある難民キャンプでは、ヘルマンド州や同じ南部のカンダハル州から逃れてきた避難民約1万人が故郷に戻れないまま、依然として厳しい生活を強いられている。

ヘルマンド州では昨年7月から順次、州都ラシュカルガーや周辺地区で、アフガン側に治安権限が移譲されている。しかし州都を含めて治安は回復せず、州内の多くの地域がタリバンに支配されたままだ。

この難民キャンプができたのは5年前。泥づくりの粗末な建物やテントがひしめくなか、裸足の子供たちがほこりまみれで井戸水をくみ出していた。最近、近くに学校が建設されたが、教師はいない。「給料が安すぎてすぐに辞めてしまうため」で、子供たちは教育を受けられない状況が続いている。

ヘルマンド州内でケシを栽培していたムハンマド・ユニスさん(40)は家族12人で4年前、このキャンプにたどり着いた。住んでいた村にはタリバンが潜伏し、激しい戦闘を経て米軍が入ってきた。米兵は各戸を捜索し、「タリバンの協力者」と疑う住民には暴行を加えたり拘束したという。「タリバンと米軍の間に挟まれ、とても住めなかった」

近くの別の村で農業を営んでいたムハンマド・イサさん(40)は最近故郷に戻ったが、完全にタリバンに支配されていた。「裏切り者が帰ってきた。米軍のスパイではないか」。タリバンに協力的な村人に疑いの目を向けられ、身の危険を感じて再びこのキャンプに戻ってきたという。「しかし、ここでも『(タリバンの勢力拠点である)南部出身のお前はタリバンだろう』と言われ、仕事に就くことすらできない」

難民キャンプの住民たちは日干しのレンガを作り、わずかな生活費を稼いでいる。ユニスさんは「それでも自活できない。外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」と訴えた。【7月9日 毎日】
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今後4年間に計160億ドル(約1兆2800億円)超を資金拠出
こうした現状を伝える記事を目にした後では、なんだか白々しい感がありますが、アフガニスタンの復興について議論するアフガン支援国会議が8日、約80か国・国際機関が参加して東京都内のホテルで開かれました。14年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退を前提にしたものです。

****アフガン支援国会議、1兆2千億円拠出を採択****
・・・・会議は同日夕、各国・国際機関で今年から2015年までの4年間に計160億ドル(約1兆2800億円)超を資金拠出すると明記した「東京宣言」を採択し、閉幕した。
会議は、玄葉外相とアフガン側が共同で議長を務め、野田首相やアフガンのカルザイ大統領も出席した。

大統領は、14年末の国際治安支援部隊(ISAF)撤収後も安定した国家運営を目指すとし、公正な予算執行や経済成長など5分野で数値目標を明示した「工程表」を発表した。各国・機関は継続的な支援を行うことで合意し、工程表の実施状況と拠出金の使途などを2年ごとに検証する枠組みを東京宣言に盛り込んだ。【7月8日 読売】
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“日本政府は12年からのおおむね5年間で最大30億ドル(2400億円)を拠出する。22億ドルを開発支援に、8億ドルを治安維持に充てる。このほか、アフガンの安定には周辺国による協力が欠かせないことから、中央アジアやパキスタンを念頭に計10億ドル規模の協力も行う”【7月8日 毎日】

【「(タリバンとの)和解と統合を進めていきたい」】
会議後、カルザイ大統領は、今後タリバンとの和平交渉を進めていきたいとの意向と、政権内の汚職問題について語っています。

****アフガン大統領、タリバンと「和解統合進める****
アフガニスタン支援国会議に出席した同国のカルザイ大統領は9日、都内で記者会見し、国際社会が拠出を表明した約160億ドル(約1兆2800億円)について、「これだけの支援がある以上、できるだけ努力し、(旧支配勢力タリバンとの)和解と統合を進めていきたい」と話した。

和平問題については、アフガン政府高官とタリバン幹部が6月下旬に京都で対話の機会を持ったことを明らかにし、「意欲的に、平和的解決の道筋を話し合った」と交渉の窓口が閉じていないことを強調した。
一方で、国際社会が懸念するアフガン政府内の汚職問題については、「国際社会側も(支援金の)使途や契約内容を監視する必要がある」として、各国の協力を呼びかけた。【7月9日 読売】
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14年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退までに軍事的な決着をつけることがほぼ不可能な現状では、何らかの形でタリバンとの交渉を進めざるを得ません。
今後の軍事行動は、この交渉を有利に進めるためのものという位置付けになるのではないでしょうか。

クリントン米国務長官、アフガニスタンのラスール外相、パキスタンのカル外相も8日、東京都内で会談し、
「武装勢力と複数の対話のチャンネルを求めることの重要性」を再確認したうえで、アフガニスタン政府との和平交渉に入るようタリバンに改めて呼びかけを行っています。

今のところ、タリバンとカルザイ政権との協議は昨年9月、自爆テロによる高官殺害を機に途切れ、タリバンとアメリカとの対話も今年3月に止まっています。

****アフガン和平―タリバーンを引き込め****
アフガニスタンの自立と復興支援を話しあう国際会合が、東京で開かれる。会合での合意をもとに、反政府武装勢力タリバーンとの政治対話を、早く再開させる必要がある。

外国の戦闘部隊は2014年末までに撤退し、その後の治安の責任はアフガンの国軍と警察に委ねられる。この年には大統領選挙があり、カルザイ氏の後継者による政権が生まれる。
この過渡期にアフガンの政治が乱れ、治安がさらに悪くなれば、過去10年の国際社会の支援は水泡に帰しかねない。

和平と安定を確実なものにするための土台を、今のうちに固めておく必要がある。
治安面で米欧の関係国は、戦闘部隊が撤退した後も10年ほどは、国軍や警察の訓練や人件費の支援を続ける考えだ。

東京会合のテーマとなる自立や復興面でも、国際社会は、貧困軽減や経済発展のため、20年代半ばまでの長期的な支援に取り組む姿勢を確かめ合う。
米同時多発テロ事件後の米軍などの侵攻によってタリバーン政権が崩壊して11年。この間の国際支援によって学校に通う子どもは大幅に増え、国民の多くが病気の治療を受けられるようになった。日本も過去10年に4千億円以上を投じて、教育や医療、農業支援のほか空港建設や首都圏整備を手がけてきた。

この間、カルザイ政権の行政の非効率は常に問題になった。
援助の効果を上げるには、汚職の追放や人材育成を進め、NGOの力をいかして、アフガンの人たちに「平和の配当」を実感してもらう必要がある。

ただ、肝心のタリバーンとの政治交渉は後退している。カルザイ政権との協議は昨年9月、自爆テロによる高官殺害を機に途切れた。タリバーンと米国との対話も今年3月に止まった。
タリバーンの政権時代にも穏健派はいた。対話を再び始め、彼らを引き込む努力をあきらめてはならない。国民的な和解がなければ、紛争解決への出口は見えてこない。

変化の兆しはある。先に京都で開かれた会議にタリバーン幹部が出席、外国軍の撤退を条件に対話再開への意欲を示した。カルザイ大統領も来日前の会見で、選挙を通じた国政参加をタリバーン側に求めた。米国や国連、関係国は最大限の努力を払うべきだ。
日本はこれまでアジアの平和構築に貢献し、アフガンでも元タリバーン兵の社会復帰に取り組んでいる。アフガンの人たちの信頼は高い。政府は、和平の仲介にもっとかかわるべきだ。 【7月7日 朝日】
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【「外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」】
タリバンとの交渉も難しい状況ですが、カルザイ政権の汚職体質の方も一向に改善しません。
その結果、国際支援が十分に機能せず、平和の配当が国民に届かず、政権・社会の安定も損なわれています。

****アフガン支援東京会合:援助の手阻むテロと腐敗****
8日開かれる「アフガニスタンに関する東京会合」では、2014年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退後も、国際社会が継続してアフガンを開発面で支え続ける明確な意思を打ち出す。しかし、国内では依然、テロが頻発し、政権の腐敗や政府機関の行政能力の欠如から、支援額の半分以上が使われないままという実態もある。

首都カブールで、日本の国際協力機構(JICA)の援助による道路敷設工事が進行中だ。費用(契約額)は2000万ドル(約16億円)。来年1月までに延べ約27キロを敷設する。アフガン人作業員が手作業で側溝の石材を積み上げる脇で、住民のファリドさん(45)は「日本が国造りを手伝ってくれる」と話した。

しかし、常に危険とトラブルにさらされている。行政当局者や住民が、計画には無かった街灯設置などを次々に要求、コストが膨らんでしまう。資材運搬車が警察の検問所で止められ、賄賂を要求されることもしばしばだ。工事関係者は「作業を続けるためには、払わざるを得ない」と話した。

今年4月には、旧支配勢力タリバンが首都を一斉攻撃。日本大使館にもロケット弾が着弾した。日本人駐在員らが工事現場を視察する際は、今も自動小銃を持った複数の警備員が必ず随行する。

インフラが完成しても、治安の問題から十分に利用されない例もある。日本の援助で建設したカブールと中部バーミヤンをつなぐ主要道路は、警察とタリバンの交戦で頻繁に通行止めになっている。

国際社会はカルザイ現政権を支援する一方、腐敗や縁故主義を批判してきた。それでも東京会合で支援継続を表明するのには理由がある。89年のソ連軍撤退後、援助が途切れ、わずか3年で当時の政権が崩壊。地方の有力者が軍閥として勢力を争う内戦に突入し、「テロの温床」となった過去があるからだ。ホスト国日本の外務省幹部は「過去を繰り返さないよう道筋をつけることが最大の眼目」と語る。

しかし今も、軍閥が地方を事実上支配する、アフガン政治の困難さを象徴する出来事は頻発している。
中国国営企業が先月、北部のアムダリア油田開発に着手しようとしたところ、軍閥の民兵が作業を実力で阻止した。「カルザイ大統領が自身の出身地の南部から作業員を送り込み、地元住民を雇用しない」というのが理由だった。

◇事業執行「計画の4割」
政府機関の行政能力の欠如も復興を遅らせる。「実際に事業が行われる執行率が支援額の4割にとどまり、半分以上が使われずじまいだ」と、外交筋は明かす。カルザイ政権は「13年から20年まで年平均で必要な援助額は39億ドル」と主張しているが、西側の外交官は「言われるまま受け入れるわけにはいかない」と話す。

アフガン財務省によると、54の国・地域・機関が02年から13年を対象に表明した支援総額は899億ドルに上る。カブールの政治・治安問題アナリストのアブドル・ハディ・ハリド元副内務相は、「アフガン人には、『西側諸国は支援の約束をしながら、実施していない』というふうに受け止められている」と語る。

東京会合には、イランやパキスタンなど周辺国も参加する。開発支援には米国と関係が悪化している両国の協力も欠かせないからだ。日本はこれらの国との独自のパイプを使い、「米国が呼ぶことができない国」(外務省幹部)を巻き込んで支援を加速させる狙いだ。【7月8日 毎日】
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支援しなければ現在のアフガニスタン政権は崩壊してしまう、しかし、支援を行っても汚職・腐敗体質に阻まれて効果が出ない・・・という苦しい状況です。
前出【7月9日 毎日】にあるように、「外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」ということが可能ならいいのですが。

政権内の汚職・腐敗体質を改善しない限り、アフガニスタン政権への国民の信頼は集まらず、今後の展望は開けません。政権の崩壊は自業自得ですが、それによる混乱や内戦で苦しむのが一般国民であることがつらいところです。
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アフガニスタン  復興支援の「東京宣言」 タリバンとの交渉実現がカギ 復興を阻む汚職体質

2012-07-10 22:27:48 | アフガン・パキスタン

(7月8日 東京で会談したクリントン米国務長官、アフガニスタンのラスール外相(左)、パキスタンのカル外相(右) アフガニスタン政府にタリバンとの交渉を呼びかけています。 “flickr”より By U.S. Department of State http://www.flickr.com/photos/statephotos/7528050396/

衆人環視の中、姦通したとして妻に銃弾9発を撃ち込む
“アフガニスタンでは2001年以前の旧タリバン政権時代に不倫などイスラム教に反する行為をした人物の公開処刑や、むち打ちが行われており、タリバンの勢力が強い地域では今も続いている”【7月9日 毎日】ということです。

****タリバン司令官、妻を公開処刑****
アフガニスタン首都近郊のパルワン州でイスラム原理主義勢力タリバンの司令官が妻を公開処刑する映像がインターネット上に流れ、女性の人権無視に対する怒りの声が上がっている。司令官は妻が別のタリバン司令官と姦通(かんつう)したとして、衆人環視の中、妻に銃弾9発を撃ち込んだ。パルワン州知事は8日、事件の捜査に乗り出したことを明らかにした。【7月10日 産経】
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この公開処刑の映像がインターネット上に流失しており、それによると、“ショールをかぶってうずくまる女性を夫が射殺。見届けた数十人の男性が「(射殺した夫は)イスラム教の英雄だ」と一斉に叫んでいた”【7月9日 毎日】とのことです。

イスラム文化圏やインドでは、“名誉殺人”と称される、女性の婚前・婚外交渉を「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習が広く見られますが、上記公開処刑は “名誉殺人”的な行為にも見えます。
いずれにしても、価値観の違い、社会の異質性に言葉を失います。

【「タリバンと米軍の間に挟まれ、とても住めなかった」】
もう1件、アウガニスタンの難民キャンプの現状を伝える記事がありました。

****アフガン:難民キャンプ近くの学校 給料安く教師不在****
アフガニスタンに駐留する国際治安支援部隊(ISAF)の14年末までの撤退に向け、南部ヘルマンド州で、アフガン治安当局への権限移譲が進んでいる。
だが、首都カブール北西にある難民キャンプでは、ヘルマンド州や同じ南部のカンダハル州から逃れてきた避難民約1万人が故郷に戻れないまま、依然として厳しい生活を強いられている。

ヘルマンド州では昨年7月から順次、州都ラシュカルガーや周辺地区で、アフガン側に治安権限が移譲されている。しかし州都を含めて治安は回復せず、州内の多くの地域がタリバンに支配されたままだ。

この難民キャンプができたのは5年前。泥づくりの粗末な建物やテントがひしめくなか、裸足の子供たちがほこりまみれで井戸水をくみ出していた。最近、近くに学校が建設されたが、教師はいない。「給料が安すぎてすぐに辞めてしまうため」で、子供たちは教育を受けられない状況が続いている。

ヘルマンド州内でケシを栽培していたムハンマド・ユニスさん(40)は家族12人で4年前、このキャンプにたどり着いた。住んでいた村にはタリバンが潜伏し、激しい戦闘を経て米軍が入ってきた。米兵は各戸を捜索し、「タリバンの協力者」と疑う住民には暴行を加えたり拘束したという。「タリバンと米軍の間に挟まれ、とても住めなかった」

近くの別の村で農業を営んでいたムハンマド・イサさん(40)は最近故郷に戻ったが、完全にタリバンに支配されていた。「裏切り者が帰ってきた。米軍のスパイではないか」。タリバンに協力的な村人に疑いの目を向けられ、身の危険を感じて再びこのキャンプに戻ってきたという。「しかし、ここでも『(タリバンの勢力拠点である)南部出身のお前はタリバンだろう』と言われ、仕事に就くことすらできない」

難民キャンプの住民たちは日干しのレンガを作り、わずかな生活費を稼いでいる。ユニスさんは「それでも自活できない。外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」と訴えた。【7月9日 毎日】
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今後4年間に計160億ドル(約1兆2800億円)超を資金拠出
こうした現状を伝える記事を目にした後では、なんだか白々しい感がありますが、アフガニスタンの復興について議論するアフガン支援国会議が8日、約80か国・国際機関が参加して東京都内のホテルで開かれました。14年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退を前提にしたものです。

****アフガン支援国会議、1兆2千億円拠出を採択****
・・・・会議は同日夕、各国・国際機関で今年から2015年までの4年間に計160億ドル(約1兆2800億円)超を資金拠出すると明記した「東京宣言」を採択し、閉幕した。
会議は、玄葉外相とアフガン側が共同で議長を務め、野田首相やアフガンのカルザイ大統領も出席した。

大統領は、14年末の国際治安支援部隊(ISAF)撤収後も安定した国家運営を目指すとし、公正な予算執行や経済成長など5分野で数値目標を明示した「工程表」を発表した。各国・機関は継続的な支援を行うことで合意し、工程表の実施状況と拠出金の使途などを2年ごとに検証する枠組みを東京宣言に盛り込んだ。【7月8日 読売】
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“日本政府は12年からのおおむね5年間で最大30億ドル(2400億円)を拠出する。22億ドルを開発支援に、8億ドルを治安維持に充てる。このほか、アフガンの安定には周辺国による協力が欠かせないことから、中央アジアやパキスタンを念頭に計10億ドル規模の協力も行う”【7月8日 毎日】

【「(タリバンとの)和解と統合を進めていきたい」】
会議後、カルザイ大統領は、今後タリバンとの和平交渉を進めていきたいとの意向と、政権内の汚職問題について語っています。

****アフガン大統領、タリバンと「和解統合進める****
アフガニスタン支援国会議に出席した同国のカルザイ大統領は9日、都内で記者会見し、国際社会が拠出を表明した約160億ドル(約1兆2800億円)について、「これだけの支援がある以上、できるだけ努力し、(旧支配勢力タリバンとの)和解と統合を進めていきたい」と話した。

和平問題については、アフガン政府高官とタリバン幹部が6月下旬に京都で対話の機会を持ったことを明らかにし、「意欲的に、平和的解決の道筋を話し合った」と交渉の窓口が閉じていないことを強調した。
一方で、国際社会が懸念するアフガン政府内の汚職問題については、「国際社会側も(支援金の)使途や契約内容を監視する必要がある」として、各国の協力を呼びかけた。【7月9日 読売】
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14年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退までに軍事的な決着をつけることがほぼ不可能な現状では、何らかの形でタリバンとの交渉を進めざるを得ません。
今後の軍事行動は、この交渉を有利に進めるためのものという位置付けになるのではないでしょうか。

クリントン米国務長官、アフガニスタンのラスール外相、パキスタンのカル外相も8日、東京都内で会談し、
「武装勢力と複数の対話のチャンネルを求めることの重要性」を再確認したうえで、アフガニスタン政府との和平交渉に入るようタリバンに改めて呼びかけを行っています。

今のところ、タリバンとカルザイ政権との協議は昨年9月、自爆テロによる高官殺害を機に途切れ、タリバンとアメリカとの対話も今年3月に止まっています。

****アフガン和平―タリバーンを引き込め****
アフガニスタンの自立と復興支援を話しあう国際会合が、東京で開かれる。会合での合意をもとに、反政府武装勢力タリバーンとの政治対話を、早く再開させる必要がある。

外国の戦闘部隊は2014年末までに撤退し、その後の治安の責任はアフガンの国軍と警察に委ねられる。この年には大統領選挙があり、カルザイ氏の後継者による政権が生まれる。
この過渡期にアフガンの政治が乱れ、治安がさらに悪くなれば、過去10年の国際社会の支援は水泡に帰しかねない。

和平と安定を確実なものにするための土台を、今のうちに固めておく必要がある。
治安面で米欧の関係国は、戦闘部隊が撤退した後も10年ほどは、国軍や警察の訓練や人件費の支援を続ける考えだ。

東京会合のテーマとなる自立や復興面でも、国際社会は、貧困軽減や経済発展のため、20年代半ばまでの長期的な支援に取り組む姿勢を確かめ合う。
米同時多発テロ事件後の米軍などの侵攻によってタリバーン政権が崩壊して11年。この間の国際支援によって学校に通う子どもは大幅に増え、国民の多くが病気の治療を受けられるようになった。日本も過去10年に4千億円以上を投じて、教育や医療、農業支援のほか空港建設や首都圏整備を手がけてきた。

この間、カルザイ政権の行政の非効率は常に問題になった。
援助の効果を上げるには、汚職の追放や人材育成を進め、NGOの力をいかして、アフガンの人たちに「平和の配当」を実感してもらう必要がある。

ただ、肝心のタリバーンとの政治交渉は後退している。カルザイ政権との協議は昨年9月、自爆テロによる高官殺害を機に途切れた。タリバーンと米国との対話も今年3月に止まった。
タリバーンの政権時代にも穏健派はいた。対話を再び始め、彼らを引き込む努力をあきらめてはならない。国民的な和解がなければ、紛争解決への出口は見えてこない。

変化の兆しはある。先に京都で開かれた会議にタリバーン幹部が出席、外国軍の撤退を条件に対話再開への意欲を示した。カルザイ大統領も来日前の会見で、選挙を通じた国政参加をタリバーン側に求めた。米国や国連、関係国は最大限の努力を払うべきだ。
日本はこれまでアジアの平和構築に貢献し、アフガンでも元タリバーン兵の社会復帰に取り組んでいる。アフガンの人たちの信頼は高い。政府は、和平の仲介にもっとかかわるべきだ。 【7月7日 朝日】
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【「外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」】
タリバンとの交渉も難しい状況ですが、カルザイ政権の汚職体質の方も一向に改善しません。
その結果、国際支援が十分に機能せず、平和の配当が国民に届かず、政権・社会の安定も損なわれています。

****アフガン支援東京会合:援助の手阻むテロと腐敗****
8日開かれる「アフガニスタンに関する東京会合」では、2014年末の国際治安支援部隊(ISAF)の撤退後も、国際社会が継続してアフガンを開発面で支え続ける明確な意思を打ち出す。しかし、国内では依然、テロが頻発し、政権の腐敗や政府機関の行政能力の欠如から、支援額の半分以上が使われないままという実態もある。

首都カブールで、日本の国際協力機構(JICA)の援助による道路敷設工事が進行中だ。費用(契約額)は2000万ドル(約16億円)。来年1月までに延べ約27キロを敷設する。アフガン人作業員が手作業で側溝の石材を積み上げる脇で、住民のファリドさん(45)は「日本が国造りを手伝ってくれる」と話した。

しかし、常に危険とトラブルにさらされている。行政当局者や住民が、計画には無かった街灯設置などを次々に要求、コストが膨らんでしまう。資材運搬車が警察の検問所で止められ、賄賂を要求されることもしばしばだ。工事関係者は「作業を続けるためには、払わざるを得ない」と話した。

今年4月には、旧支配勢力タリバンが首都を一斉攻撃。日本大使館にもロケット弾が着弾した。日本人駐在員らが工事現場を視察する際は、今も自動小銃を持った複数の警備員が必ず随行する。

インフラが完成しても、治安の問題から十分に利用されない例もある。日本の援助で建設したカブールと中部バーミヤンをつなぐ主要道路は、警察とタリバンの交戦で頻繁に通行止めになっている。

国際社会はカルザイ現政権を支援する一方、腐敗や縁故主義を批判してきた。それでも東京会合で支援継続を表明するのには理由がある。89年のソ連軍撤退後、援助が途切れ、わずか3年で当時の政権が崩壊。地方の有力者が軍閥として勢力を争う内戦に突入し、「テロの温床」となった過去があるからだ。ホスト国日本の外務省幹部は「過去を繰り返さないよう道筋をつけることが最大の眼目」と語る。

しかし今も、軍閥が地方を事実上支配する、アフガン政治の困難さを象徴する出来事は頻発している。
中国国営企業が先月、北部のアムダリア油田開発に着手しようとしたところ、軍閥の民兵が作業を実力で阻止した。「カルザイ大統領が自身の出身地の南部から作業員を送り込み、地元住民を雇用しない」というのが理由だった。

◇事業執行「計画の4割」
政府機関の行政能力の欠如も復興を遅らせる。「実際に事業が行われる執行率が支援額の4割にとどまり、半分以上が使われずじまいだ」と、外交筋は明かす。カルザイ政権は「13年から20年まで年平均で必要な援助額は39億ドル」と主張しているが、西側の外交官は「言われるまま受け入れるわけにはいかない」と話す。

アフガン財務省によると、54の国・地域・機関が02年から13年を対象に表明した支援総額は899億ドルに上る。カブールの政治・治安問題アナリストのアブドル・ハディ・ハリド元副内務相は、「アフガン人には、『西側諸国は支援の約束をしながら、実施していない』というふうに受け止められている」と語る。

東京会合には、イランやパキスタンなど周辺国も参加する。開発支援には米国と関係が悪化している両国の協力も欠かせないからだ。日本はこれらの国との独自のパイプを使い、「米国が呼ぶことができない国」(外務省幹部)を巻き込んで支援を加速させる狙いだ。【7月8日 毎日】
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支援しなければ現在のアフガニスタン政権は崩壊してしまう、しかし、支援を行っても汚職・腐敗体質に阻まれて効果が出ない・・・という苦しい状況です。
前出【7月9日 毎日】にあるように、「外国の支援は、アフガン政府に渡すのではなく、直接ここに持ってきてほしい」ということが可能ならいいのですが。

政権内の汚職・腐敗体質を改善しない限り、アフガニスタン政権への国民の信頼は集まらず、今後の展望は開けません。政権の崩壊は自業自得ですが、それによる混乱や内戦で苦しむのが一般国民であることがつらいところです。
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南スーダン  独立から1年  石油収入分配交渉頓挫で悪化する経済情勢

2012-07-09 22:05:21 | スーダン

(7月1日 独立から1年、南スーダンの北バハル・アル・ガザール州の母子 
“flickr”より By United Nations Development Programme  http://www.flickr.com/photos/unitednationsdevelopmentprogramme/7480451154/

【「独立で何もかも良くなる。皆そう思ったのだが、全く逆です」】
早いもので、南スーダン独立から1年がたちました。
独立当時の高揚感が消え、今は厳しい現実に直面しています。予想されていた状況ではありますが・・・。

****南スーダン独立1周年、現実の厳しさに薄れる高揚感****
南スーダンは9日、北部からの独立1周年を迎えた。首都ジュバ(Juba)では8日にサルバ・キール・マヤルディ大統領らが出席して記念式典が行われた。

しかし、世界で最も若いこの国の前に立ちはだかる厳しい現実を思い知った国民に、1年前の沸き立つような高揚感はない。かなり改善が進んだとはいえ南スーダンは世界最貧国の1つであり、道路や電気・水道といった基本インフラも整備されていない。成人の73%は読み書きができず、中学校への進学率はわずか6%、技術者も圧倒的に不足している。【7月9日 AFP】
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南スーダンの状況を厳しくしている主な原因は、北部のスーダンとの間の石油収入配分交渉が頓挫し、スーダンとの関係が悪化しているということにありますが、そうした状況で汚職が横行する現実もあるようです。

*****南スーダン:独立1年 汚職横行 必需品の値段は4倍に****
アフリカ東部のスーダンから南スーダンが分離独立して、9日で1年を迎えた。スーダンとの交戦は続き、石油収入分配交渉は頓挫、経済も大幅に悪化した。独立の興奮から冷め、疲弊感すら漂う南スーダンの現状を追った。
 
首都ジュバで社会改善活動を続けてきたクリス・ロティヨ牧師(60)は6日、毎日新聞の電話取材に心境を吐露した。ロティヨさんによると、生活必需品の価格は前年比で4倍近くに高騰し、食料品や燃料の不足も深刻化している。
「低所得者層は大打撃を受け、1日1食も取れない人たちがいる」。NGO「南スーダン非暴力・開発機構」(本部・ジュバ)のモーゼス・ジョン事務局長は、医薬品不足などによる医療サービスの悪化を懸念する。

生活に困窮する市民をよそに、政府内では汚職が横行。キール大統領は5月3日付の文書で、総額約40億ドル(約3180億円)の公的資金を横領したと見られる75人の元・現職員に返還を命じた。

経済悪化の主な原因は、国家歳入のほとんどを依存する石油の生産停止だ。南スーダンが分離する前の旧スーダンはアフリカ第6位の産油国で、油田の4分の3が南部に集中、輸出港は北部にしかなかった。分離後も南北で石油収入の配分交渉が続いたが決裂し、昨年12月にスーダンが南からの石油を接収。南側は生産停止で対抗したが、自らの収入源も絶つことになった。

さらに今年3月には、南側が反政府組織を支援しているとしてスーダンが南スーダンとの国境を封鎖。物不足や物価高に拍車をかけた。

南スーダン政府は「石油問題解決まで持ちこたえる」(アテム報道官)と強気の構えだが、財政破綻も危惧されている。
国境地帯では3月から交戦が本格化。スーダン軍の空爆で南側の民間人に死傷者が出た。和平交渉中だが、戦闘再開の恐れは残る。国際医療NGO「国境なき医師団」などによると、スーダン難民約17万人が南側に逃げ込み、劣悪な衛生環境で多数の死者も出ている。【7月9日 毎日】
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「独立で何もかも良くなる」というのが幻想にすぎないことは部外者には自明のことですが、興奮の渦中にいる人々にはそのように思えてしまうのでしょう。
エジプトなどの「アラブの春」による改革についても、同様の幻想と現実があります。

独立とか革命というのは興奮状態での勢いでも可能ですが、その後の国づくりには冷静で地道な取り組みが必要になります。人々の期待と熱意をつなぎとめるために、汚職や腐敗を許さない厳しく自らを律する姿勢も必要です。
南スーダン政府には、石油収入と国際支援をあてにした甘さもあったのではないでしょうか。

北のスーダンでも物価上昇・反政府デモ
もっとも、石油収入配分交渉頓挫で窮地に追い込まれているのは南スーダンだけでなく、北部のスーダンも同様です。

****反バシル政権デモが激化 スーダン、財政緊縮策に反発*****
スーダンからの報道によると、首都ハルツームなどで、反バシル政権デモが激化している。6月29日には約千人が拘束され、30日もデモが続いた。昨年7月の南北スーダン分離後に石油収入が激減し、補助金削減策を発表したのが原因だ。

南スーダンの油田から北部のパイプライン経由で出荷される石油収入の分配を巡る南北間の協議が進展しておらず、北部で景気が悪化し、国庫収入が減った。
バシル政権が6月中旬に、ガソリンへの補助金の削減などの財政緊縮策を発表したところ、学生や野党勢力が反発してデモを始めた。デモ参加者だけでなく、取材するジャーナリストも拘束や国外追放処分を受けており、複数の人権団体が懸念を表明している。【7月1日 朝日】
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スーダンでは5月のインフレ率が30%を超え、物価高が市民生活を直撃しています。そうしたなかで、緊縮財政策を取る政府が市民が安価で購入できるよう設定したガソリンへの補助金の廃止を決めたため不満が高まり、抗議デモ激化となっています。【6月25日 毎日より】

第三者的には、石油収入配分について双方が妥協すれば、南スーダンとスーダン両方の経済情勢が改善する・・・という単純な話ですが、当事者にとっては、相手に非があるということでなかなか妥協はできないのでしょう。
そうしたなかで、貧しい弱者の生活が追い込まれていきます。
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ASEAN  「人権宣言」と「南シナ海の行動規範」に関する草案

2012-07-08 23:04:12 | 東南アジア

(4月3日 プノンペンで開催されたASEAN首脳会議のオープニングセレモニー 左からアキノ・フィリピン大統領、リー・シェンロン・シンガポール首相、インラック・タイ首相、グエン・タン・ズン・ベトナム首相、フン・セン・カンボジア首相、ハサナル・ボルキア・ブルネイ国王、ブディオノ・インドネシア副大統領、タムマヴォン・ラオス首相、ナジブ・マレーシア首相、右端がテイン・セイン・ミャンマー大統領 “flickr”より By DTN News http://www.flickr.com/photos/dtnnews/6896720596/

【「法的な拘束力はないとはいえ、共通文書ができるのは画期的だ」】
カンボジアの首都プノンペンで9日に開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議、及び、11日に開催されるASEANと中国の外相会議に向けて、議論される問題の準備作業・草案が報じられています。

ひとつは「人権宣言」。
2008年の「ASEAN憲章」の発効、09年の「ASEAN政府間人権委員会」の設置という段階を経て、ようやく形が見えてきたものです。(まだ、11月の外相会議でどうなるのかはわかりませんが)

*****人権宣言に平和の権利 ASEAN、11月採択目指す*****
カンボジアの首都プノンペンで9日に開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で協議する「人権宣言」の草案が、判明した。世界人権宣言など従来の国際的な宣言にはない「平和の権利」を盛り込んでいる。11月の首脳会議での採択を目指す。
「ASEAN人権宣言」が採択されれば、地域初の人権保護の枠組みとなる。経済成長に注目が集まる半面、人権意識が乏しいとされがちなアジアで「人」を重んじる礎となりそうだ。

朝日新聞が入手した草案によると、宣言は、基本原則▽市民的・政治的権利▽経済的・社会的・文化的権利▽発展の権利▽平和の権利――などで構成する。

ASEAN内には、逮捕状や司法手続きなしで身柄を拘束したり勾留を続けたりできる法律を持つ国もある。また、労働組合の活動が事実上認められていない国もある。
これに対し、宣言案は「任意の逮捕や捜索、勾留、拉致など」を否定し、「国や国際合意の法規に基づき他国へ避難する権利」「思想、良心、宗教の自由」などを保障するとしている。

「平和の権利」については、「すべての人は、ASEANの安全保障と安定、中立性、自由の枠組みの中で平和を享受する権利がある」とうたった。

草案は、2008年に発効した「ASEAN憲章」に基づいて創設された政府間の人権委員会(AICHR)が、昨年から練ってきた。人権団体などから「市民が起草に参加していない」との批判が出たため、6月には50近い市民団体などと協議。その時点での草案は、おおむね好意的に受け止められたという。

ただし、「現存する国際的な人権文書を超える内容でなければ意味がない」などの要望が出された。「労働組合の組織と加盟の権利」などについて、内政不干渉を掲げるASEANらしく「国内の法律や規則に基づき」とあることにも、「国内法を人権宣言に一致させるべきだ」と反発があったという。

宣言案には罰則規定などはないものの、インドネシアの関係者は「法的な拘束力はないとはいえ、かつては『人権』と口にするのもタブーだったASEAN内に共通文書ができるのは画期的だ」と話す。「アウンサンスーチーさんの軟禁に象徴された『ASEANは人権問題に消極的』という印象を変えられれば」と期待する。
それでも、草案には一部加盟国が態度を留保する部分があり、「あまり踏み込んだ言葉遣いでは、11月までにまとまらない恐れがある」と懸念する声もある。

国際社会の期待は高く、ピレイ国連人権高等弁務官は5月、「ASEANの各国政府が政策や法律を通じ、人権保護のために国際人権基準より高い基準を設けるよう期待する」と述べている。【7月7日 朝日】
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ASEANの“人権”に関する取組は、ミャンマー軍事政権の存在、ミャンマー以外の各国も多かれ少なかれ人権問題を抱えていることなどから難航し、「内政不干渉」の原則、意思決定も「全会一致が基本」、監視・調査機能・罰則規定なし・・・と、当初草案から骨抜きにされてきた感があります。
そのあたりについては、09年10月20日ブログ“「ASEAN政府間人権委員会」発足にむけて(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091020)でも取り上げたところです。
下記記事は、上記ブログでも紹介した人権委員会発足に関するものです。

*****ASEAN:人権機構発足で合意 タイで外相会議開幕*****
東南アジア諸国連合(ASEAN)は19日、タイ南部プーケットで加盟10カ国外相による夕食会などを開き、23日のASEAN地域フォーラム(ARF)まで続く一連の関連外相会議がスタートした。
ASEAN各国外相は19日、域内の人権問題を協議する「ASEAN人権機構」について、10月にプーケットで開催される首脳会議に合わせて発足させることで合意した。ただ、強制力のある監視・調査機能の付与は先送りされ、ミャンマーの人権問題改善などに実質的に寄与できる可能性はほとんどなくなった。

人権機構は昨年12月発効のASEAN憲章に創設が盛り込まれ、具体的な権限などの協議が進められていた。外交筋によると、インドネシアなどが各国の人権状況を監視し、問題が起きた場合に調査する機能を付与するよう求めていたが、内政不干渉の原則を主張する議長国タイなどが消極姿勢を示した。このため、監視・調査機能を持たせずに発足させ、5年後に見直す妥協策で決着した。人権機構の正式名称は「政府間人権委員会」。

ASEAN外相会議は20日、ミャンマーで拘束されている民主化運動指導者アウンサンスーチーさんら政治犯の釈放などを求める共同声明を採択する見通し。(後略)【09年7月19日 毎日】
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しかしながら、とにもかくにも「人権宣言」という形にとりまとめることは、一定の前進ではあります。
特に、ASEAN域内の最大の問題国であったミャンマー情勢が劇的に変化しつつあることで、「人権宣言」と現実のギャップが改善されています。
“内政不干渉”の壁はありますが、いったん人権宣言が出されれば、関係国の良識と熱意次第では、当初の思惑を超えた効力も期待できない訳ではありません。
ミャンマー情勢の変化で大きな重しがとれ、少なくとも、人権について議論しやすくなっている・・・とは言えるでしょう。

中国:ASEANを適当にあしらい時間稼ぎ?】
「人権宣言」よりも、よりリアルな問題として国際的に注目されているのはASEANの南シナ海問題への取組です。
広範な領有権を主張する中国と、フィリピンやベトナムなどASEAN加盟国との間でホットな問題が頻発していますが、この南シナ海問題をコントロールする枠組みをつくろうとするものです。

****ASEANと中国、南シナ海の行動規範協議へ****
南シナ海の領有権問題で東南アジア諸国連合(ASEAN)は7日までに、法的拘束力を持つ行動規範の原案に盛り込むべき要素について高級事務レベルで合意した。これに基づき、中国と近く協議に入る。

朝日新聞が入手したASEAN側文書によると、規範の原案に盛り込む要素として、国連海洋法条約や相互不可侵や内政不干渉などを定めた平和5原則などの順守を強調。領有権問題の平和的解決に向けた方法・手段の構築や、行動規範の実施を監視する仕組み作りも盛り込んだ。また行動規範の拘束力や実効性、再検討のメカニズムなどを含むとしている。

複数の外交当局者によると、11日のASEANと中国の外相会議で、行動規範の話し合いを正式に始めることで合意。早ければ月内にも、これらの要素について、中国と高級事務レベルで具体的な協議に入りたいとしている。
行動規範作りをめぐってはASEAN内でも温度差があり、要素の合意は中国との協議前に意思統一を図る狙いがある。

ただ中国は領有権問題の解決は二国間で行うべきとの立場を崩していない。また法的拘束力の強い規範には難色を示しており、「年内の合意はまずできないだろう」(ASEAN加盟国高官)との悲観的な見方がすでに浮上している。【7月8日 朝日】
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また、“合意の実施状況は双方で監視し、場合によっては、国際法に基づく紛争調停機関にも訴えられるとした。また、中国とASEAN以外の国でも、議定書署名などができることとし、米国などが南シナ海問題に関与できる余地を残している”【7月8日 読売】とのことです。

しかし、中国が法的拘束力の強い規範に同意するとは期待できません。
アメリカの関与などもってのほかでしょう。
“ASEAN内の温度差”、特に、中国に近い立場にあるカンボジアが議長国であることも、中国との間での実効ある合意を難しいものにしています。

****南シナ海 資源開発争い過熱 中国妨害、ベトナム反発****
行動規範草案、承認急ぐASEAN
南シナ海の領有権をめぐる争いは、根底にある資源争奪となって激化している。
ベトナムが開発を進める天然ガス・石油鉱区の一部を、中国が妨害する形で国際入札にかけると公表し、ベトナムでは1日、反中デモに発展した。

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、共同開発も含む「南シナ海行動規範」の草案を固めており、中国との交渉に入りたい意向だ。だが、法的拘束力がある行動規範を嫌う中国は、ASEANを適当にあしらい時間稼ぎをしつつ、資源の実効支配を強めるとみられる。

中国が国際入札を計画しているのは、ベトナム近海の9鉱区。ベトナムがインドやロシアなどと共同開発する17鉱区と重なる。石油埋蔵量230億~300億トン、天然ガス16兆立方メートルとも推定される南シナ海での資源開発に、中国が本格的に乗り出す意思を、改めて鮮明にしたものでもある。

ベトナムのハノイ、ホーチミン両市では1日、計数百人が「中国を倒せ!」「海賊は帰れ!」と、抗議の声を上げた。外務省も、入札計画区域は「完全にベトナムの排他的経済水域(EEZ)内にあり、違法な入札だ」(報道官)と非難し、外国企業に入札に応じないよう求めている。
逆に中国は、フィリピンが4月、パラワン島周辺海域の鉱区を国際入札にかける動きを見せた際、反発し圧力をかけた経緯がある。

中国に対抗しベトナムは、SU27戦闘機などによる空からの警戒監視活動を強化している。これに対し、中国政府は「南シナ海にはすでに、戦闘に即応しうる警戒態勢を敷いている」と、威嚇している。

一方、米・フィリピン両軍は今月2日、南部ミンダナオ海で「協力海上即応訓練」(CARAT)を開始した。米沿岸警備隊も参加しており「対中監視態勢を強化するものでもある」(軍事筋)という。
フィリピン海軍によると、スカボロー礁では先月26日の時点で、中国船28隻が確認された。スカボロー礁周辺海域では、5月16日からの休漁期間が今月15日で終わる。このため、軍は「沿岸警備隊と協力し、漁船と漁民の保護に当たる」としており、再び緊張が高まる可能性もある。

ASEANは、9日にカンボジアの首都プノンペンで開かれる外相会議で、行動規範の草案を承認する見通しだ。【7月3日 産経】
*********************

なお、スカボロー礁での中国側対応については、“強硬な姿勢”といった表現をしますが、中国の立場からすると、海軍の艦船ではなく、大型とは言え漁業監視船で対応していることから、相当に抑制された対応をとっているとのことのようです。
中国も党大会を控え、国内の“弱腰批判”に配慮しないといけない状況がありますので、今後の展開次第では・・・ということもあります。

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リビア  7日、国会議員選挙  東西対立、部族間対立、イスラム主義の動向など前途多難

2012-07-07 21:41:35 | 北アフリカ

(7月1日 東部ベンガジの選挙事務所を襲撃して投票用紙など選挙資材を燃やす群衆 “flickr”より By Pan-African News Wire File Photos  http://www.flickr.com/photos/53911892@N00/7483407642/

選挙自体への期待は大きいが、政治的安定にはなお時間を要する
今日7日、内戦の末にカダフィ独裁政権が崩壊したリビアで国会議員選挙が行われています。
“リビアで最後に選挙があったのは王制下の64年。その後、69年のクーデターで権力を掌握して42年間の独裁を敷いた元最高指導者のカダフィ大佐は、全国民による「直接民主制」を国是とし、政党を認めず、選挙による代議制を拒否していた”【7月2日 毎日】ということで、約50年ぶり、殆んどの国民が初めて経験する選挙です。

当初は6月19日に予定されていましたが、立候補予定者の資格審査や有権者登録などの手続きが遅れているなどの理由で延期されていました。
今回、200の議席に対し、142の政党から3700人余りが立候補しています。
今後のリビアの方向を決める重要な選挙ですが、選挙後も多くの困難が待ち受けていることが指摘されています。

****根深い東西対立 リビア遠い安定 カダフィ政権崩壊後初 国政選****
内戦の末、昨年8月にカダフィ独裁政権が崩壊したリビアで7日、国会(定数200)議員選が行われる。
同国での選挙は、カダフィ大佐(昨年10月に殺害)が1969年に打倒した王政の時代以来。民主化と本格政権誕生に向けた重要なステップとなるが、直前の5日に、新議会が行うとされていた憲法制定プロセスに重大な変更が加えられるなど、暫定統治を担う「国民評議会(NTC)」のかじ取りは迷走。東西対立からくる選挙妨害も相次いでおり、議会選出後も混乱は続く可能性がある。

昨年以降、中東・北アフリカに民主化運動が広がった「アラブの春」で政権が倒れた国で議会選が行われるのは、チュニジア、エジプトに次ぎ3カ国目。先の2国と同様にイスラム勢力が躍進するかどうかにも注目が集まっている。

選挙戦では、かつて過激派組織「イスラム戦闘集団」を指導し、内戦中は反カダフィ派部隊司令官だったアブドルハキーム・ベルハジ氏の「ワタン(郷土)党」や、イスラム原理主義組織ムスリム同胞団系の「正義建設党」などイスラム勢力と、ジブリール前暫定首相が率いる「国民勢力連合」などのリベラル派が争う構図となっている。

議席は、人口比などから、半数の100議席が首都トリポリのある西部に、60議席が第2の都市で内戦中は反カダフィ派拠点となったベンガジなどの東部に、40議席が砂漠地帯の南部に配分されている。

当初計画では、選挙後にNTCは解散し権限を議会に移譲、議会は30日以内に首相選任や制憲委員会の指名を行うとされていた。
しかし、フランス通信(AFP)によると、NTC報道官は5日、制憲委を議会の任命ではなく、国民の直接選挙で選ぶ方式に変更すると発表した。予定されていた政治プロセスが狂う可能性が出てきたのだ。

混乱の背景には、地域間の根深い対立がある。
東部には、首都のある西部からの差別で開発が遅れているとの不満が根強い。最初にカダフィ政権打倒に立ち上がったとの自負もあり、政権崩壊後は自治権拡大に向け連邦制の導入を求める声が高まった。
選挙でも、西部が議席の半数を握ることへの反発があり、東部各地では選管事務所が襲撃される事件が頻発。5日には中部ラスラヌフなどで、武装グループが議席配分の是正を求め石油施設の操業を停止させた。

同報道官は、憲法制定に関する制度変更は「相当数の人々の求めに応えるためだ」と、東部への譲歩であることを暗に認めた。ただ、西部には連邦制に否定的な意見が多い。
多くの国民にとっては初の投票となり、選挙自体への期待は大きいが、政治的安定にはなお時間を要するとみられる。【7月7日 産経】
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東部の自治要求
東西の地域対立は以前からの問題で、今年3月には東部の地元部族指導者らが自治宣言を行い成り行きが注目されていました。

****東部地域が自治宣言=油田の大半支配下に―リビア****
カダフィ政権が昨年8月に崩壊したリビアの東部ベンガジで6日、地元部族指導者ら約3000人が出席して会合が開催され、中部シルトからエジプト国境までの東部地域の自治権確立を宣言した。暫定統治する国民評議会は、「リビアを解体しようとする外国の影響下にある計略だ」と反発している。

会合後の声明は「地域行政や住民の権利を擁護するため、ズバイル・セヌーシ氏を長とするキレナイカ暫定協議会が設置された」としている。同国は1951年に東部キレナイカ、中西部トリポリタニア、南西部フェザーンの3州による王国として独立した経緯がある。

リビアでは、カダフィ政権を打倒した民兵勢力の武装解除や国軍への統合が進んでいない。また、東部地域は大半の油田が集中するものの、開発から取り残されてきたとの不満があり、自治確立宣言につながったようだ。【3月7日 時事】 
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今回選挙にあたっても、議席配分に対する不満から東部ベンガジの選挙事務所襲撃事件も報じられています。
****リビア:選管事務所襲撃…議席配分に反発 50年ぶり選挙****
リビア東部の主要都市ベンガジで1日、選挙管理委員会の事務所が暴徒に襲われる騒ぎがあった。リビアでは7日、昨年の民主化闘争でカダフィ独裁体制が崩壊したのを受け、約50年ぶりの選挙が実施され、新憲法の制定に当たる議員を選出する。民主化闘争の発火点となったベンガジは、この制憲議会の議席配分を巡って暫定政府と対立しており、一部が選挙のボイコットも呼びかけている。

AP通信などによると、約300人が選挙事務所を襲撃して投票用紙を燃やしたり、投票箱を投げ捨てたりした。襲撃者らは「東部地域の要求を無視する当局に対する反応だ」と話した。

制憲議会(定数200)は首都トリポリを含む西部地域に102議席、東部地域に60議席、南部地域に38議席を配分。だが東部はリビア経済を支える産油地帯であることを背景に議席の拡大を要求し、「自治」を求める声も上がっている。(後略)【7月2日 毎日】
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このほかにも、投票用紙配布のヘリがミサイルで落とされ、職員が一人死亡したことや、ベンガジでは選挙支持者と反対のふたつのデモが6日行われたといったこと、更に、リビアの石油生産が選挙に抗議する者のために従来の半分まで落ちていることなどが報じられています。【野口哲也氏「中東の窓」7月7日より】

部族間に残る根深い対立
東西間の地域対立だけでなく、部族間の対立も根深いものがあります。隣り合う町が武力衝突する事例もあります。

****リビア、前途多難な国づくり 7日に議会選****
「カダフィ後」の国づくりを進めるリビアで7日、国民議会選挙(定数200)がある。王政や独裁が続いたリビアでは事実上初めての自由選挙だ。憲法の制定とともに、部族間に残る根深い対立の克服をになう顔ぶれを選ぶ。

リビア西部にある人口4万人のラグダレイン。街角に張られた選挙ポスターが示す民主主義とは相いれない、武力衝突の爪痕が生々しい。産業地区の倉庫に、黒いスプレーで落書きがあった。「カダフィ支持の虫けらどもめ」。スーパーの壁には砲弾による直径1メートルほどの穴が開いていた。

ムバラク・サラームさん(41)が経営する重機の販売会社では倉庫や工場が放火された。中国から仕入れた重機は壊され、部品も奪われた。被害額は約900万ドル(約7億2千万円)という。「カダフィ派と反体制派の内戦が終わったと思ったらこれだ。無残な様子を見るたびに胸が痛い」

町が襲われたのは4月。隣接する町ズワラの民兵の攻撃だとみられている。約40棟の建物がロケット弾に直撃された。連行されて行方不明の男性もいる。
ラグダレイン側も応戦。双方で20人以上が命を落としたという。内戦下で拡散した武器が使われ、「カダフィ後」に進める武器回収の難しさも浮かび上がる。

対立の根っこは部族間の争いだ。ラグダレインはアラブ系が中心で、カダフィ政権で最後の首相だったマフムーディ氏の故郷も近い。これに対し、人口約3万のズワラは少数民族アマジグ人が多い。カダフィ政権下で独自の言語の使用を禁じられており、政権崩壊で「ラグダレインは独裁下でいい思いをした」という不満が噴き出した。

ラグダレインの行政機関のトップ、アリ・アブドルサマドさん(54)は「町を見れば優遇なんてなかったことが分かるはずだ」と話す。上下水道や都市ガスはなく、停電も頻発する。
産院もなく、妊婦は出産時に町を出ざるを得ないが、カダフィ政権が崩壊した後はズワラを通らない。報復を恐れて、町を結ぶ幹線道路は閑散とし、人の行き来は乏しい。

隣り合う町ですら激しく対立するうえ、3月には東部の部族幹部らが一方的に自治を宣言。東部アジュダビヤでは7月5日、投票用紙を保管する選挙事務所の倉庫が放火されるなど、リビアの国づくりは多難だ。
ラグダレインでは、4月まで在日リビア大使館で2等書記官だったアメッド・ナイリさん(45)が立候補している。「国民の和解が新生リビアの大きな課題だ。法の下で誰もが平等な、平和で安全な国にしたい」という。【7月7日 朝日】
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シャーリアは「主要な法源」】
東西間の地域対立、部族間の対立、そしてもうひとつ注目されるのがイスラム主義の動向です。
隣国エジプトでの総選挙及び大統領選挙におけるイスラム同胞団などのイスラム勢力の台頭、軍部との対立の懸念は報じられているとおりですが、リビアでも前出【7月7日 産経】にあるように、イスラム主義勢力が選挙戦に臨んでいます。

リビアの国民評議会は5日、今後のリビアにとりシャリーア(イスラム法)は主要な法源となるであろうと確認したとの報道がなされているそうですが、“サダト時代のエジプトの経験から見ると、「主要な法源」と云表現は、シャリーアだけが法の源だと主張するイスラム的思潮の向上とこれに反発する世俗主義者の懸念に対する、妥協の産物で、イスラム教徒が大多数であるエジプトとしては、イスラム法が主要な法源ではあるが、それに限定するものではないと言う意味で使われてきて、現にムバラクもこの表現の憲法をそのままにしてきました。”【野口哲也氏「中東の窓」7月6日】とのことです。

いずれにしても、リビア民主化は前途多難というのが大方の見方です。
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イタリア  モンティ首相「土壇場の見事なゴール」?「弱みに付け込む狡猾な戦略」?勝者はメルケル?

2012-07-06 21:13:10 | 欧州情勢

(6月29日 EU首脳会議でのモンティ伊首相とメルケル独首相 “flickr”より By European Council  http://www.flickr.com/photos/europeancouncil_meetings/7507861140/in/photostream/

メルケル首相とモンティ首相、どちらが上手だったのか
6月28~29日にブリュッセルで開かれたEU首脳会議についてはあまり成果が期待されていませんでしたが、それだけに、ユーロ圏の基金から銀行に直接資金を注入する、基金が加盟国の国債買い入れに柔軟に対応するという具体的な成果が得られたことで、金融市場は「期待以上の成果」と好感した反応を示しました。

会議では、支援を受ける側のイタリア・スペインと、実質的に支援を負担する立場にあるドイツの間で、激しい綱引き行われたようです。
従来の財政緊縮一辺倒から成長と雇用も重視する政策への転換を具体化した「成長・雇用協定」が議論されましたが、資金調達コストの上昇に苦しむスペインとイタリアが協定への署名を留保する形で「人質」にとって、国債金利を低下させる具体策の導入を「勝ち取った」・・・とも言われています。

イタリア・モンティ首相がリードしたこうしたやり方を高く評価する見方、また、これを認めたドイツ・メルケル首相を批判するドイツ国内世論もありますが、一方で、そのやり口を“卑劣”とする見方もあります。
また、本当の勝者はメルケル首相だったのでは・・・といった見方もあって、評価は様々です。

****見事なゴール? 卑劣な恐喝? 割れるEU首脳会議への評価****
EU首脳会議が、6月28~29日にブリュッセルで行われた。メディアの期待ははっきり言って低かった。6月半ばにメキシコで開かれたG20でほとんど何も決まらなかったことや、どこをどう押しても有効な方策がありそうもないことなどが原因だ。メディアの報道には「やってもムダ」「余計に事態がこじれるだろう」といった悲観論が跋扈していた。

米ウォールストリートジャーナルは、“欧州の財布を握る”ドイツのメルケル首相が財政同盟の推進に後ろ向きな事実を挙げ、「具体的な解決策が出る可能性は低い」との見方を示した。英エコノミスト誌に至っては、「スペイン、イタリアのユーロ離脱もあり得る」という過激な予想まで掲載した。

「フランスの好パスでイタリアが得点」
こうした予想に反して6月29日金曜日、EU首脳会議の最終日の朝、世界中の株式市場が大反発した。NYダウ工業株30種は277ドル上昇。会議の争点となっていたイタリアとスペインの株式市場もそれぞれ6.5%、5.6%上昇した。低迷していたユーロも対ドルで2%上がった。米ウォールストリートジャーナルは「期待が少なかった分、結果に浮かれる投資家」と、過剰反応に釘を刺す記事を掲載したが、全体として見ると「サミット大成功」という捉え方が米国や日本で蔓延した。

この結果を導いたのは、首脳会議が次の2点を承認したことだ。1)欧州安定メカニズム(ESM)が、各国の政府を通さずに直接、銀行に資本を注入できるようにすること。2)厳しい条件なしに欧州通貨制度(EMS)の資金で国債の買い支えをすること。1)によって、破たん寸前のスペインの銀行は直接の資本注入が受けられる。2)によってイタリアは国債の暴落を回避することができる。確かに、破綻を回避できるように見える。

しかし、ヨーロッパメディアの報道はまちまちだ。今回の結論を出すにあたって、1200億ユーロの成長協定を採択する直前に、イタリアのモンティ首相とスペインのラホイ首相が不賛成をちらつかせ、メルケル首相の反対を封じた。会議終了間際にゴネて、自国に有利な展開に持ち込んだこのやり方について、メディアによって受け止め方がまったく異なった。あるメディアは「土壇場の見事なゴール」と見、別のメディアは「弱みに付け込む狡猾な戦略」と評した。

ギリシャでは、右派のアデスメフトス紙が「イタリア・スペイン同盟がメルケル首相に勝利」という見出しを立て、譲歩を勝ち取った両国を評価した。中道のトヴィマ紙も、「膠着したEUが前進した」として、モンティ首相の交渉手腕を賞賛。「ギリシャもモンティ首相のように国内でやるべきことをやった上で、緊縮緩和についてEUの合意を取り付けなければならない」と結んだ。ギリシャ政府が国内の構造改革に迅速に着手すること、その代わりに支援条件となる緊縮策に関し、条件の一部緩和を引き出すことの必要性を説いた。

フランスも反緊縮路線を取る。オランド大統領は今回の交渉劇で、イタリア・スペインを擁護し、反メルケルの立場をとった。ラ・トリビューン紙はサミットと同時期に開催されたワールドカップにひっかけ「フランスの好パスでイタリアが得点」と報じた。フィガロ紙は「ヨーロッパの力関係を変えた会議」と評価する一方で、ドイツとの関係悪化を懸念した。ル・モンド紙は、「ドイツを屈服させた南ヨーロッパ」という見出しの下、メルケル首相の譲歩を歓迎した。ただし「我が国は債権国側なのだから、(ドイツと南ヨーロッパ諸国対立を深める役割ではなく)、橋渡しに努めるべき」という冷静な意見を述べている。

独メディアは妥協したメルケル首相を批判
今回のEU首脳会議は、結局のところ、金を出す国と受け取る国の綱引きだったという見方ができる。だとすれば収まらないのは土壇場で競り負けたドイツである。
ドイツのメディアでは、イタリア・スペイン両国が「恐喝に近い態度」で今回の合意を勝ち取ったことに対する非難が巻き起こっている。抗し切れなかったメルケル首相の外交手腕に失望を示し、結果的にドイツ国民の経済負担が増すことを危惧する論調が目立った。

地方紙大手のライニッシェ・ポストは「ドイツが1900億ユーロの債務を保証」と1面トップで報道(筆者注:ESMが拠出しうる資金の上限は5000億ユーロ。そのうちドイツの分担額が1900億ユーロになる)。社説で「欧州安定メカニズム(ESM)が民主主義を骨抜きにする」と非難した。「ヨーロッパ救済のツケを払うのがドイツであることは明白だ。そこで我々ドイツ人は問う。ヨーロッパにそれほどの価値があるのか、と」。

フランクフルター・アルゲマイネは、主張を通した負債国に憤ると同時に、メルケル首相の交渉力不足を指摘した。「イタリアとスペインの両首相が取った行為は、政治的恐喝に近い厚顔無恥なやり方だ。ESMによる銀行への直接資金注入を認めなければ、(メルケル首相が提唱する)EU成長協定に賛成しない、と脅した。メルケル首相はなぜこれを容認したのか? 『自分の目が黒いうちはユーロ共同債を導入させない』と議会で発言したばかりだったのに」。

一方で、シュピーゲル(オンライン版)は、今回の合意はメルケル首相の敗北に見えて、実は首相のシナリオ通りになったと評価した。「ESMの資金を得るためイタリアは、GDPに対する債務の比率を、現在の120%から60%に半減させる必要がある。だが、実現は非常に難しい」と分析。イタリアのモンティ首相に花を持たせるため、メルケル首相が「賢い妥協をした」と総括している。

Wolfgang Munchau の視点
EU首脳会議はメルケル首相にとって苦々しいだけのものだったのか? これについて、英フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、Wolfgang Munchauは「本当の勝者はメルケル」というタイトルの記事で興味深い見解を述べている。「ESMは今後、スペインをはじめとする各国の銀行に資金を注入しなければならない。上限が5000億ユーロと決まっているESMに、イタリアの国債を引き受ける余裕がどれほどあるのか?」と疑問を提示した。

Munchauは、イタリアもスペインも今後潤沢な援助を受けられるわけではなく、両国が有利にことを運んだとする見方は幻想だと言い切る。一方で、メルケル首相はドイツがこれ以上責任を負うことを回避する意向だ。ユーロ債の実現もきっぱり否定した。「最終的な勝者はメルケルだ」というのがMunchauの結論だ。
メルケル首相とモンティ首相、どちらが上手だったのか、それは今後のユーロ危機の成り行きを見るしかない。【7月6日 日経ビジネスONLINE】
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ドイツが求める域内銀行の監督機能一元化が認められた点に着目して、メルケル首相がポイントを得たと評する見方もあります。

****苦渋の決断、でもこの笑顔****
朝方まで議論が続いた先週のEU首脳会議は、過去最も踏み込んだ結論に達した。ドイツのメルケル首相が苦渋の決断をしたからだ。(中略)
これまで緊縮財政と規律を訴え続けてきたメルケルにとっては、くしくも同日に行われたサッカー欧州選手権の準決勝同様、イタリアのモンティ首相に屈した形になった。

だが実際のところ、今回の結論はメルケルにとっても悪い内容ではなかった。イタリアやスペインは、ドイツが求める域内銀行の監督機能一元化に同意。ユーロ参加国の金融行政と財政の将来的な統合へ筋道をつけた。実現すれば、ドイッは自国流の厳しい財政・金融管理を欧州各国に求めることができる。

この結論を受けて、スペインやイタリアの国債利回りは急低下し、ユーロの信用も回復。名を捨てて実を取ったドイツのメルケルは、母国のサッカー代表とは違ってなかなかの試合巧者だったようだ。【7月11日号 Newsweek日本版】
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42年ぶりの改革
ギリシャ・トヴィマ紙が「ギリシャもモンティ首相のように国内でやるべきことをやった上で、緊縮緩和についてEUの合意を取り付けなければならない」と評しているように、モンティ首相はイタリア国内の構造改革に着手しています。

****イタリア:労働市場改革法案が可決 解雇が容易に****
イタリアのモンティ政権が「構造改革による成長戦略」の柱と位置づけた労働市場改革法案が27日、下院で可決され、成立する。従業員を容易に解雇できず、国際社会から批判されてきた制度に42年ぶりで改革の手が入る。

債務危機で昨年11月に国際通貨基金(IMF)の監視下に入って以来、イタリアが欧州各国に約束した最後の大きな課題を克服したことになるが、モンティ首相は債務危機が再びイタリアへ波及することを防ぐ次の新たな方策を迫られている。

労働組合の抵抗で原案は大幅に後退したが、28、29日の欧州連合(EU)首脳会議に間に合わせるため成立を急いだ。70年にできた労働者の雇用を守る手厚い保護制度は、非正規雇用や若者の失業を増やし、海外からの投資や生産性の向上を妨げているとの批判を招いてきた。

当初案は企業が業績に応じて自由に解雇や給与改定ができる内容だったが、労組と左派政党の反対で裁判所が介在する手続きに変わり、最大2年分の給与相当額を補償するなどの大幅な修正が行われた。それでも、解雇の条件は以前に比べ緩和され、遅れていた失業手当や就業訓練の制度も拡充される。イタリアの労働市場が流動性を重視した先進国型へかじを切ることになる。

労組や経営者団体の反発はなお残り、政府は採決を急ぐため成立後の微調整を約束しているが、フォルネロ労相は「大幅修正はない」と強調している。(中略)
労働市場改革法成立は、国内の構造改革というより、28日からブリュッセルで開かれるEU首脳会議出席の条件を整える通過点に変質。各党もそのために協力に同意した事情がある。
モンティ首相は「首脳会議が終わっても、週明けの市場が開くまで帰国せず、(市場安定化策を打ち出すため)努力する」と背水の陣を宣言している。【6月28日 毎日】
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賛否が分かれる長年の懸案事項という意味では、日本の消費税論議みたいなものでしょうか。
また、イタリア政府は6日、7時間の閣議の末、歳出削減を承認しました。
歳出削減の規模は、今年が45億ユーロで、13年は105億ユーロ、14年は110億ユーロ、となっています。

ベルルスコーニ前首相「イタリアを危機から救い出してみせる」】
こうしたモンティ首相の改革路線・緊縮財政は、当然ながら国内に大きな痛みを伴いますので、イタリア国内の評判は芳しくないようで、支持率は低下し、政権は長くない・・・との見方が出ています。
そして、そうした国内の不満に乗じる形で復活を狙っているいるのが、あのベルルスコーニ前首相で、しかもその主張が「ユーロ離脱」だそうです。

****ユーロ危機に乗じるベルルスコーニ****
モンティ政権の支持率低下を受けてスキャンダラスな前首相が政界復帰を狙う

イタリアのベルルスコーニ前首相がまたニュースをにぎわしている。だが今回は女性スキャンダルや汚職裁判の主役としてではない。本格的に政界に返り咲こうとしているのだ。
イタリアでは来年の総選挙後、ベルルスコーニが再び首相に立候補するのではないかという臆測が飛び交っていた。しかしベルルスコーニは先週、所属する自由国民党の支持者に向けて、首相識に未練はないと言明。代わりに「財務相の座」が欲しいと語った。

現に自由国民党は今、イタリアを支配しつつある「反ユーロ」の波に乗り、「ユーロ離脱」を掲げて与党に返り咲こうとしている。ベルルスコーニはこの3週間、欧州債務危機への対応をめぐって高まりつつある国民の不安を逆手に取り、彼らの心を取り戻そうとしてきた。

5月下旬の世論調査では、イタリア国民の60%以上が「ユーロ加盟前の通貨リラの頃のほうが生活は良かった」と答えている。その上ギリシャに広まる貧困やスペインの銀行での取り付け騒ぎが報じられたことで、反ユーロの機運はさらに高まっている。

これに乗じれば自らの政治的未来が開けるとみているベルルスコーニは、この世論調査以降3度にわたって「イタリアはユーロを離脱すべき」と声を上げている。イタリアが独自にユーロ紙幣を印刷すること(つまり偽札を追ること)を示唆するとっぴな発言まで飛び出した。

「俺が救い出してみせる」 政界復帰を目指すベルルスコーニの追い風となっているのが、モンティ現首相に対する国民の不信感だ。昨年11月にベルルスコーニが首相職を追われて以降、モンティは首相と財務相の2役を兼務している。当初は議会の支持もあり順風満帆だったモンティだが、その後、財政規律の維持に必要な重要な改革法案を成立させられずにいる。

脱税の取り締まりには成功したが、依然としてヨーロッパでも最高水準の給与を受け取っている国会議員に甘いこと、バチカンが固定資産税の大幅な優遇措置を受けていることなどから、モンティは急速に国民の支持を失った。ドイツのメルケル首相と緊密な連携を取る姿勢も、国民の不興を買っている。危機に陥るギリシャやスペイン、イタリアに財政緊縮策を強い、支援に消極的なメルケルはイタリア国民から嫌われている。

こうしたなか、当初はモンティを支持していたベルルスコーニは先週、自由国民党の支持者の78%が「もはや政府の政策に反対している」と発表した。
ベルルスコーニは、モンティ政権はあと2ヵ月ももたないと予想している。これは警告でもあるだろう。学者あがりで、所属政党を持たないモンティの政権を転覆さ甘りれるだけの議席を、自由国脱党は議会で握っているからだ。実際にそうなればイタリア政界はパニックに陥り、自由国民党の復活に有利となる可能性がある。

ナポリターノ大統領さえもが、モンティ政権の終わりが近いのではないかと懸念している。「政府を支える各党の問で争いが増えていることが心配だ」と、ナポリターノは語っている。

モンティの支持率は、就任時の71%から6月末には33%まで下落し、最低記録を更新。一方でベルルスコーニの自由国民党の支持率は、ユーロ反対を表明してからわずか3日で15げも上昇した。「51%でいい、票を私にくれればイタリアを危機から救い出してみせる」と、ベルルスコーニは先週開催された党の集会で語った。

だが彼がイタリアを「どこに」導いていくのか。ヨーロッパが知りたいのはそこだ。【7月11日号 Newsweek日本版】
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「本当かね・・・」と思ってしまう記事です。
選挙で選ばれた政治家よりテクノクラートが信頼される状況も問題ですが、国民の不満を扇動する形で権力に近づこうとするポピュリズムが蔓延するのはもっと危険です。
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ジンバブエ  外資系企業に「現地化」政策を通告 経済失速の気配も

2012-07-05 22:25:24 | アフリカ

(今年6月14日、「第2次科学・技術・イノベーション政策」とやらのプロジェクト文書を掲げるムガベ大統領 88歳になるはずですが・・・・。 大統領周辺の既得権益層にとっては、大統領にいつまでも頑張ってもらわねばなりません。“flickr”より By Pan-African News Wire File Photos http://www.flickr.com/photos/53911892@N00/7188879055/

一応の区切りをつけたハイパーインフレーションと独裁体制ですが・・・・
アフリカ南部ジンバブエ(かつての白人中心の人種差別国家ローデシア)については、これまで何度かとりあげたように、ムガベ大統領の強引な経済政策(白人農場主の農園を接収し黒人に分配するなどの「現地化」政策)の失敗により経済が崩壊、歴史的なハイパーインフレーションが起こりました。

国土の90%以上を所有していた白人農場主には欧米の本国に住みながらの不在地主も多く、多くの黒人が貧困にあえいでいたということで、「現地化」政策の意図はわかりますが、強引な、時に暴力的な収用などでノウハウを持つ白人農家の消滅や大規模商業農業システムの崩壊を招き、結果的に経済は破綻しました。

2009年1月時点のインフレ率は年率で2億3100万%という数字が公表されていますが、米シンクタンクの試算では、年率897垓(がい)%に上るという数字も出ていました。“垓(がい)”は10の20乗で、897の後ろに0が20個つきます。
“年率897垓(がい)%”と言われても訳がわかりませんが、1日に3回食料価格が値上がりするとか、通貨の額面ではなく重量で取引をする・・・といった状態だったようです。

そのハイパーインフレーションも、2009年1月、政府が信用を失ったジンバブエ・ドルに代えてアメリカ合衆国ドルと南アフリカランドの国内流通を公式に認めたことを契機に劇的な終息を見せました。
このあたりの事情は、10年4月4日ブログ「ジンバブエ  歴史的ハイパーインフレは終息、今も続く政治的緊張・暴力への不安」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20100404)でも取り上げました。
なお、ジンバブエ政府による公表数字では、2010年の経済成長率は8.1%、物価上昇率は4.8%とのことです。

ジンバブエは、経済的問題だけでなく、政治的にも大きな問題を経験しています。
2008年3月の大統領選挙で、野党のツァンギライ氏が強権支配を続けるムガベ大統領を上回る得票を示しましたが、暴力的な脅迫で決選投票への出馬辞退に追い込まれ、ムガベ大統領が権力の座にいすわり続けています。

国際的批判もあって、2009年2月、ツァンギライ氏を首相とする形で連立政権が成立。一応、独裁体制に区切りをつけたことにはなっています。
しかし、その後もムガベ大統領側の対応には大きな変化はなく、新憲法制定プロセスも遅れています。

ムガベ大統領の「現地化」政策のため、投資資金を失うリスクを負うことを望む人はほとんどいない
最近のジンバブエ事情については、自転車での世界一周取材を行っている周藤卓也氏のレポート「アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状」(3月10日http://gigazine.net/news/20120310-zimbabwe-us-dollar/)があります。
もちろん一個人が短期間に見聞きできる範囲は限定されていますが、思いのほかジンバブエの経済基盤は底堅いものがあるようにも見えます。経済破綻するまでの蓄積が、他のアフリカ諸国とは違うレベルにあったようです。
“スーパーマーケットでは小銭の換わりにレシートや10セントと書かれてある券をくれます。これを次回の会計で出すと値引きされるのです。”といったあたりに、自国独自通貨を放棄した経済の実態も窺えます。

もっとも、ムガベ大統領は、「現地化」政策を放棄した訳ではないようで、下記のような記事が報じられています。

****1年以内に株式の過半数を黒人に譲渡せよ」、ジンバブエ政府が外資系企業に通告****
アフリカ南部ジンバブエの政府は、外資系の銀行や企業に対し、1年以内に株式の過半数をジンバブエの黒人に譲渡するよう通告した。3日の官報に6月29日付で掲載された。

ジンバブエは2007年、黒人の権利拡大法のひとつとして、全ての外資系企業に株式の51%をジンバブエの黒人に譲渡することを義務付ける法律を制定している。この法律の下でジンバブエ政府は、国内で事業を継続するには1年以内に「最低限の現地化と黒人の権利拡大策のための割り当て」を満たすよう通告した。
今回の通告は銀行、ホテル、教育機関、通信、鉱業も対象にしており、これらの業種の外資系企業は株式譲渡計画を提出しなければならない。

旧宗主国である英国のスタンダードチャータード銀行、バークレイズなどの大手金融機関や、南アフリカの鉱山大手インパラ・プラチナムのジンバブエ現地法人で、同国最大のプラチナ鉱山を操業するジンプラッツも対象になる。【7月5日 AFP】
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どこまでやる気かはわかりませんが、白人農場主農園強制収用から経済破綻したことが繰り返されるのでは・・・という懸念もあります。
ジンバブエの失業率は、日本外務省ホームページでは“約80%(2007年:政府発表)(実体は不明)”となっていますが、現在でも生産年齢人口のうち90%が失業していると見られています。
(失業率90%でどうして生活ができるのか不思議ですが・・・)

金融システムの機能不全によって、一旦回復した経済成長にも陰りが出ているようで、「現地化」政策による海外投資の減少はジンバブエ経済にリスクをもたらしそうです。

****枕がわたしの銀行よ」-ドルに頼るジンバブエ****
ジンバブエの行商人イボンヌ・チコッサさん(33)が最後に銀行を訪れたのは2008年、つまり同国のハイパーインフレの最悪期に近い時期のことだ。チコッサさんは当時、毎日夜明けに起きて長い列に並び、1兆ジンバブエ・ドル以上を引き出していた。1兆ジンバブエ・ドルは当時、パン1斤の価格だった。

チコッサさんは首都ハラレの貧困地域ンバレの市場で中古の衣料品を販売している。彼女は「銀行に対してはいまだに強い恐怖がある」と話した。チコッサさんはジンバブエ準備銀行がインフレの助長を容認し、彼女の少ない収入の価値を崩壊させたと考えている。チコッサさんは「今は自分の枕がわたしの銀行よ」と語った。

ジンバブエの経済は成長している。その一因は政府が09年に自国通貨を捨て、米ドルを採用したことにある。この動きによりインフレは抑えられ、投資家が資金を引き揚げるスピードが遅くなった。
しかし、一般市民の間では政府の貨幣問題の対処への不信が根強く、急速な経済成長のために必要な預金が銀行から流出している。

この不透明感がジンバブエをホーダー(現金貯め込み)国家に変えた。ジンバブエの街中に流通する、汚れて灰色になった米ドル札は、多くの2ドル札を含め、堅調な現金経済を裏付けるもので、おおむね銀行を経由していない。2ドル札は米財務省が2006年に最後に印刷したものだ。

ジンバブエの銀行の預金高は「ドル化」以降、10年初めの12億5000万ドルから33億ドル(約2700億円)程度にまで回復した。しかし、ジンバブエ銀行協会によると、国民はこのほか銀行の外で約35億ドル保有しており、銀行の預金高を上回っている。

現金に飢えたジンバブエの銀行と通貨の統制を失ったジンバブエ中央銀行の困難は、ギリシャ、マラウィ、それにスワジランドといったその他の国々の直面する困難と似ている。しかしジンバブエ中銀が抱える問題は、機能不全というさらに別の水準に達している。

ジンバブエ準備銀行は過去10年間、ムガベ政権の長年お気に入りの事業計画に15億ドルを貸し出した。同行は現在、アフリカの地域開発銀行や各国中銀に11億ドルの借金をしている。同行によれば、政府がカネを返さないため、返済できないという。

また03年から同行を率いているギデオン・ゴノ総裁には、私用のために同行の資金を着服した疑惑がかけられている。ゴノ氏はこの疑惑に公式に対応しておらず、ウォール・ストリート・ジャーナルの電子メールへの返信では、詳細に関するコメントを拒否した。同氏は「適切な時期」に疑惑に関する「圧力に対応する」とした。

一方、同行は中銀としてジンバブエの最後の貸し手としての機能でさえも果たせない状況だ。同国政府は最後の貸し手としての業務を再開するための1億ドルのプログラム創設のため、アフリカ輸出入銀行と交渉している。
そのプログラムが創設できず、もし同行が銀行の融資保証に乗り出すことができなければ、流動性は枯渇する。そういった事態は実際に既に起こっている。

一連の問題により、ジンバブエの金融システムはあえぎ、失業率が異常に高い中で、企業から資本が失われている。ジンバブエ当局者は同国の生産年齢人口のうち90%が失業していると推測している。
ジンバブエが自国通貨を捨てて米ドルを採用して以降、同国の経済成長率は09年が6%、10年が9%にまで伸びた。しかし、昨年は6%にまで後退し、今年は3.1%にまで落ち込むと国際通貨基金(IMF)は予想している。

ルネッサンス・キャピタルのサハラ砂漠以南地域担当エコノミスト、イボンヌ・マンゴ氏は銀行セクターの崩壊が成長率の低下につながっていると指摘している。
マンゴ氏は「基本的に通貨政策がない。アイデアが尽きてしまっているのだと思う」と述べた。

銀行セクターの問題は既に暗くなっている投資環境をさらに悪化させている。
同国の手つかずのプラチナ埋蔵量は多く、肥沃(ひよく)な農地もある。しかし、ムガベ大統領の「現地化」政策のため、投資資金を失うリスクを負うことを望む人はほとんどいない。現地化政策とは、農地、ビジネス、それに鉱山の権利を黒人に移管することを目的とした政策だ。【3月27日 ウォール・ストリート・ジャーナル】
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経済状態が悪化すると、その責任を糊塗するために、白人を標的にした民族主義が扇動される事態もありえます。

【「次の選挙時に、ダイヤ収入が(与党の弾圧による)流血の惨事に使われかねない」】
地下資源にも恵まれたジンバブエですが、強権支配政権のもとでよく見られる腐敗の構造もあるようです。

****ジンバブエ:ダイヤ国庫収入で波紋 目標額の4分の1に****
世界有数のダイヤモンド鉱山を有するアフリカ南部ジンバブエで、今年第1四半期のダイヤからの国庫収入が目標額の4分の1にとどまったことが判明し、波紋を呼んでいる。
ビティ財務相は「収入が別の政府に流れているかのようだ」と述べ、組織的流用の可能性を示唆。ムガベ大統領率いる与党「ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線」の関与を疑う声が出ている。

ビティ氏が所属する旧最大野党で、現在は愛国戦線と連立政権を構成する「民主変革運動」によると、ビティ氏は5月17日、今年1〜3月末のダイヤ収入が、目標額1億2250万ドル(約96億円)の約25%の3050万ドル(約24億円)だったと明かした。
一方、同期間の輸出総額は2億1400万ドル(約167億円)。

ビティ氏は、「不透明さと説明責任の欠如がダイヤモンドを覆っている」と指摘。特に、ジンバブエ政府と合弁でダイヤ採鉱を行う中国系企業を「一セントも支払いがない」と批判した。
これに対し、ムポフ鉱山・鉱業開発相(愛国戦線)は地元紙とのインタビューで「(ダイヤ収入の)目標を上回りたいが、(欧米による)経済制裁が達成を困難にしている」などと述べ、愛国戦線の組織的流用を否定している。

連立政権内で、ダイヤ採鉱を担当する鉱山・鉱業開発省は愛国戦線が押さえている。国際NGO「グローバル・ウィットネス」(本部・ロンドン)は、同党関係者が流用している可能性を指摘、「次の選挙時に、ダイヤ収入が(与党の弾圧による)流血の惨事に使われかねない」と警告した。

ジンバブエでは東部マランゲ鉱山で06年、世界有数の鉱脈が発見されたが、国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(本部・ニューヨーク)によると、同鉱山を国家管理下に置くため国軍が違法鉱山労働者ら約200人を殺害、子供の強制労働も行った。
人権侵害を重く見たダイヤ国際認証制度「キンバリー・プロセス」は09年に同鉱山産ダイヤの輸出を禁じたが、調査のうえ、昨年11月に輸出を解禁した。【6月3日 毎日】
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連立政権とは言いながらも、ムガベ大統領の愛国戦線が重要ポストは押さえています。ダイヤモンド収益の組織的流用も「多分そんなところだろうな・・・」と思われます。

ところで、内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米外交公電で、ムガベ大統領が2008年に前立腺がんで余命5年以下と宣告されていたことが、明らかになっていますが、未だお元気なようです。
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東ティモール  独立から10年、求められる自立に向けた取り組み  忘れられた西ティモールの難民

2012-07-04 23:06:29 | 東南アジア

(インドネシア領西ティモールのベルー県の東ティモール難民キャンプ 2000年頃の写真ですので、東ティモールへの帰還に関する手続きの様子でしょうか。 “flickr”より By dlumenta http://www.flickr.com/photos/dlumenta/1557970061/

【「東ティモールは自分の足で立たなければならない
東ティモールは、16世紀前半から約400年にわたり支配したポルトガルが1974年主権を放棄、独立をめぐる内戦となり、1976年には軍事進攻した地域大国インドネシア(スハルト政権)に併合され、20年以上に及ぶ独立闘争に突入しました。

しかし、インドネシアのスハルト政権崩壊後、情勢が変化します。
「独立」かインドネシアとの「統合」かを問う住民投票が1999年に行われ、8割近くが独立を支持。
「独立」に反対するインドネシア国軍及びこれに協力する民兵らによって更に多くの犠牲を強いられましたが、国連の暫定統治を経て2002年5月に独立を果たし、21世紀最初の独立国となりました。

今年は5月は独立10周年にあたりましたが、今年末には国連が撤退を開始するため、東ティモールは自立へ向けた新たな国家建設の時代を迎えています。

****東ティモール:独立10周年の記念式典****
21世紀最初の独立国・東ティモールの首都ディリで20日、インドネシアからの独立10周年の記念式典が開かれた。治安維持を担う国連東ティモール統合派遣団の撤退を年末に控え、国民に団結の必要性を訴え、国際社会に自立への意欲を示す節目の日となった。

独立記念式典に先立ち20日未明、4月の大統領選で勝利したタウル・マタン・ルアク新大統領の就任式が行われた。ルアク氏は式典を前に毎日新聞の書面インタビューに対し「自力で全責任を負う時がきたと信じている」と自信を見せた。就任式でも「紛争で無駄にする時間はなく、国民全てに変革への貢献が求められる。豊かで安全な未来に向かって団結しよう」と協力を訴えた。

東ティモールでは、1967年のインドネシア占領から2002年の独立までの間、インドネシア軍などの残虐行為で約20万人が犠牲になったとされる。
インドネシア軍など加害者への処罰が放置され、被害者らが「正義の実現」を求めている問題について、ルアク氏は「必要性は完全に理解している」としたが、「『過去を基に未来に進む』が私のメッセージ」とだけ回答。インドネシアとの関係を重視する歴代首脳も解決に消極的な姿勢を続けており、進展は難しいとみられる。

また、都市部で失業率が4割に達するなど国民の不満が高まっていることについて、ルアク氏は「貿易や産業振興、インフラ整備などへの投資を促進し、雇用創出のためのあらゆる努力を進める」とした。

ルアク氏は前国軍司令官でインドネシアからの独立闘争をシャナナ・グスマン首相らと共に戦った元ゲリラ兵士。
20日未明から続いた両式典にはインドネシアのユドヨノ大統領、ポルトガルのカバコシルバ大統領らが出席した。【5月20日 毎日】
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この10年については、インドネシア国軍及びそれに協力する民兵による破壊行為によって荒廃した「何もない状態」からのスタートでしたが、国家の体裁も次第に整い、何よりも治安が改善してきており、一定に評価されています。

しかし、石油と外国からの援助に依存した経済を自立させていくためには、課題も多く存在しています。
“援助慣れ”した現状への批判もあります。

****自立・経済、課題は山積 東ティモール、独立10周年式典****
・・・・18万3千人以上とされる、インドネシアとの独立闘争などの犠牲者に黙祷(もくとう)がささげられ、ルアク大統領は経済を多様化し、外国と石油への依存度を低減する必要性を指摘した。
これに先立つ就任式では「かつて血と闘争心が求められた時代があった。今日求められているのは汗と勤勉さだ。東ティモールは自分の足で立たなければならない」と、国民に訴えた。(中略)

この10年間の歩みを振り返り、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)のハク代表は「何もないところから国家建設が始まった。今や国の機関や制度が発展し、東ティモールは成長した」と評価する。地元のあるジャーナリストも「人々が避難民となり、テント暮らしをしていた光景も今は昔。治安が良くなり、自由ももたらされた」と述懐する。

だが、現状と将来の課題は山積し「国の歳入の9割以上を石油関連収入に頼り、産業と雇用の創出が進んでおらず、工場もない。独自の通貨もなく、使われているのは米ドル。自立への取り組みを強めていかなければならない」と話す。

独立からこれまで、インフラ整備を含む国家の基盤を、国際社会の支援により整えてきた東ティモールの国民は、「のんびりした性格に加え、援助慣れしていてハングリー精神に欠ける」(消息筋)という声も聞かれる。そこに人材育成の難しさが潜んでもいる。

約106万人の国民が政治の指導者と一体となり、国際社会からの支援を貪欲に生かすことが、自立への“近道”といえるだろう。【5月21日 産経】
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【「いつか故郷へ戻ることを夢見ながら、インドネシア国籍所有者として前へ進もう」】
経済の自立と並んで、東ティモールが抱える(あるいは、置き去りにしている)大きな問題に「西ティモールの難民」の存在があります。
****西ティモールの難民****
西ティモールには、インドネシア国軍に協力した併合派民兵やその家族、国軍に強制移住を強いられた住民ら26万人の難民がいた。
帰還事業を進めた国連は02年末、大半の帰還が完了したとして難民資格の取り消しを決定。インドネシア政府は、西ティモールに残る約2万人の難民にインドネシア国籍を与えた。
難民問題について、インドネシア政府は解決済みとして放置。東ティモール政府は「すでにインドネシア国民」として関与しない。【5月31日 毎日】
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****東ティモール:併合派元民兵「祖国で死にたい」 寝返りと殺りく、隣国で悔いる日々****
5月20日に東ティモールは独立10周年を迎えた。しかし、隣接するインドネシア・西ティモールには、今も独立前に国外に逃れた「元難民」2万人以上が暮らす。過去の犯罪が原因で故郷に戻れず、支援も途絶えた「忘れられた難民」が暮らす村を訪ねた。

東ティモールとの国境付近の町アタンブアから山道を車で約2時間。スリット村に着いた。独立が決まった1999年8月の住民投票後、独立支持派の住民からの迫害を恐れて祖国を離れた併合派の元民兵とその家族計約370人が住む。
「自分の命令で多くの独立派兵士を殺害したが、過去の罪を償って故郷に戻り、家族と暮らしたい」と、元民兵のリーダー、ベルナルディーノ・ダ・コスタさん(53)は話す。

東ティモール南部のホラルア村出身。当初は独立派ゲリラとしてジャングルで戦い、戦闘で右目の視力を失った。東ティモール独立の英雄で元ゲリラのグスマン現首相と行動を共にしたこともある。
しかし、その後、併合派に寝返った。独立派内の勢力争いが原因で、実弟が独立派に拷問され、惨殺されたからだ。復讐(ふくしゅう)を誓い併合派の民兵組織に加わり、今度は独立派を相手に暴れまくった。その残虐さからティモール人の言語で独眼を意味する「マタン・イダ」の異名で恐れられた。

竹を編んだ壁にヤシの葉で屋根をふいた。すき間だらけの家で暮らす。電気も水道も無く、年収は年間約600万ルピア(約5万円)。畑で取れたトウモロコシとキャッサバが主食で「コメや肉はほとんど口にできない」という。子供たちは慢性的な栄養失調状態だ。インドネシア政府からの支援も途絶え、貧困にあえいでいる。

ダ・コスタさんには、重要犯罪者として起訴状が出ている。帰国すると逮捕される可能性が高いうえ、住民からリンチに遭う危険もある。「それでも、最後は東ティモールで死にたい」と話す。
故郷への思いが募り2010年、帰還を支援する民間団体が用意したビデオカメラの前で謝罪した。その団体が謝罪ビデオを故郷ホラルア村に持参し、住民に「和解」と「許し」を請うた。しかし、住民の反応は冷たかった。「戻ったら命の保証はないぞ」

東ティモール全土で99年の住民投票前後、インドネシア国軍や併合派民兵が、独立派住民を殺害。犠牲者は1万4000人に上った。村人の恨みは消えていなかった。

スリット村で、すでに帰郷を諦めた元民兵に会った。ダ・コスタさんの部下だったベンジャミン・サルメントさん(52)は2000年9月、故郷ホラルア村に戻った。しかし、恨みを持つ住民に捕まり国連警察に逮捕された。有罪判決を受け、6年間収監された。
「大きな過ちを犯したあなたを絶対に受け入れない。監獄で死ぬべきだ」。国連の仲介で面会に来たホラルア村に残る妹夫婦に、こう告げられ、帰郷の望みは絶たれた。

帰還を支援する民間団体のチャールス・メルクさん(27)は「彼らは加害者と同時にインドネシアによる侵略の被害者。両国は帰還実現のため、和解の促進に向けて協力すべきだ」と話した。【5月31日 毎日】
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いろんな事情で東ティモールに帰れなくなった人々の心情は、「強い望郷の念と、インドネシア人としての再定住という現実のはざまで今も揺れている」とも言われていますが、定住に向けたコミュニティーづくりの取組も行われています。

****故郷に忘れられた私 東ティモール独立10年****
インドネシアから独立して10年となる東ティモールに望郷の念を募らせている人たちがいる。独立をめぐる騒乱で故郷を離れ、そのまま帰れなくなった人々だ。

■騒乱逃れて 今は隣国の「新住民」
「私は忘れられた人間なのです」
東ティモールとの国境から約20キロのインドネシア領西ティモールのベルー県にある公共集落で、イネス・マリア・ソアリスさん(37)が悲痛な表情で訴えた。ソアリスさんは、東ティモールにある故郷を13年前に離れてから、一度も帰れていない。

東ティモールの独立が決まった1999年の住民投票後、反独立派民兵らによる虐殺などの騒乱で25万人以上の東ティモール人が国境を越えた。民兵らに強制移送されたか、身の危険を感じて逃れた人が多く、難民キャンプに収容された。

独立を支持した大多数は、治安の回復とともに母国へ戻った。だが、「インドネシアへの統合」を支持した2割強の住民の一部は、西ティモールにとどまった。多くは虐殺に関与したことへの報復や起訴を恐れたためだ。中には民兵に強制されて統合に投票した人もいる。ソアリスさんもその一人だ。

帰還を支援してきた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2002年末で難民資格の取り消しを決定。地元民から「新住民」と区別して呼ばれるソアリスさんは現在、貧困層に属する「インドネシア人」だ。インドネシア政府は残った難民に国籍を与え、家を与えるなどの「再定住政策」を進めている。

ソアリスさんの夫は生活費を稼ぐためマレーシアへ行き、消息が途絶えた。子供5人のうち2人は、姉に引き取られるなどして別居している。「長く故郷を離れて暮らし、家族は崩壊してしまった。故郷の両親や親戚に顔向けができない」と嘆く。

9年前に難民キャンプを出たソアリスさんはいま、国軍が設けた貧困層向けの集落で暮らす。舗装されていない砂利道を上った山奥にある家には乾期の今、粗末な木の壁とトタン屋根の隙間から強烈な日差しが入る。8畳ほどの1間にベッドが一つ置かれ、子供と4人で重なるようにして眠る。

民間団体による07年の調べでは、国境に近いベルー県だけで、インドネシア国籍を持つ新住民は1万6400世帯、約7万3千人にのぼる。

■帰れぬ人々 ここで前進するしか
帰還を強く希望する人のための支援も、細々とながら続いている。昨年は25世帯67人が帰還した。いまのところ、脅迫を受けたり西ティモールへ逃げ帰ったりしたという問題は起きていないという。

東ティモールには「元民兵だけは許せない」との感情が今も強い。
ソアリスさんと同じ集落に住む男性(49)は独立前、現首都ディリで知られた反独立派民兵だった。騒乱のなか、民兵司令官に「3日間だけ西へ逃れろ」と命じられ、9人をもうけた妻と別れたまま、別の女性と結婚、子供1人がいる。狭い家にはキリストのカレンダーがかけられ、ポーカーをした後のトランプが散乱していた。

ディリのこの男性の実家近くに住む女性は「元民兵の彼を歓迎する人はいない」と突き放す。「一般人」も元民兵との血縁関係などが絡み、それぞれ帰れない事情を抱えている。

インドネシアの民間支援団体「CISティモール」のウェンデリヌス・インタさん(36)によると、多くの新住民は「強い望郷の念と、インドネシア人としての再定住という現実のはざまで今も揺れている」という。

東ティモール南部出身の805人は05年、ベルー県の村に14ヘクタールの土地を買った。かかった8300万ルピア(約70万円)は全176世帯で出し合い、地主9人との交渉や行政手続きなどはCISなどが助けた。土地と家があれば精神的に落ち着き、地元民との融合が進むことを狙う。

インタさんらは女性に期待する。「女性は近所づきあいがうまく、子供を通した集まりにも積極的なので効果が出やすい」と、織物や菓子を地元民に売ることなどを勧めている。
今も建築が進む集落は、故郷の花からハリフナン村と名付けられた。子供3人と妻と暮らすリーダー的存在のベルナディノ・グテレスさん(52)は「いつか故郷へ戻ることを夢見ながら、インドネシア国籍所有者として前へ進もうと呼びかけた」と話す。

7日には東ティモールで総選挙が行われる。国籍がなく投票もできないが、新住民たちの関心は非常に高い。東ティモールの国営テレビが映るため、選挙運動などのニュースを毎晩、集まって見ているという。「でも、我々のことを話す候補者はいない。忘れられていると実感する」。グテレスさんは、そうつぶやいた。 【7月3日 朝日】
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殺戮に加担したことへの憎しみは消し難いものがありますが、大虐殺を経て国民統合に歩み出しているルワンダのような例もあります。ルワンダではカガメ大統領の強いリーダーシップが大きな要素となっていますが、具体的な方策としては、“ガチャチャ”と呼ばれる地域に根差した簡易裁判で虐殺加担者を裁きました。
(2011年5月18日ブログ“ルワンダ  大虐殺を裁く、草の根レベルの裁判制度「ガチャチャ」”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110518

もちろん、ルワンダのガチャチャなどの取り組みにも多くの問題点もありましたし、また、報復を恐れて国を離れた武装勢力が隣国コンゴなどで今も活動を行っているように、なかなか容易ではありません。

上記【朝日】記事にもあるように、東ティモールでは7日には総選挙が行われます。
****東ティモール総選挙:前大統領が少数政党支持****
東ティモールの前大統領でノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ氏は、7月7日実施予定の総選挙(定数65、比例代表制)で、連立与党の一角を占める少数政党・民主党を支持すると表明した。東ティモールの地元メディアが伝えた。これにより、総選挙は02年の独立から国造りを主導してきた3人の大物政治家が、3政党に分かれて対決する構図となった。

総選挙ではグスマン首相の「東ティモール再建国民会議」と、最大野党でアルカティリ元首相の「東ティモール独立革命戦線」が第1党を争う見通し。首相選出に必要な過半数獲得は難しい情勢で、民主党など小政党との連立が必要になる。

ホルタ氏は在任中、グスマン政権の汚職を繰り返し批判。3月の大統領選の初回投票で敗退し、新大統領にはグスマン氏が支持したルアク氏が当選した。しかし、初回投票で得票率17%のホルタ氏は若年層を中心に人気が高く、民主党が議席を伸ばせば次期首相の人選に大きな影響を与える可能性がある。【6月5日 毎日】
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マリ  北部で反政府武装勢力が「イスラム国家建設」 イスラム過激派によるイスラム霊廟破壊も

2012-07-03 22:26:58 | アフリカ

(イスラム過激派による破壊の危機にある“伝説の黄金都市”トンブクトゥ “flickr”より By Xavier Bartaburu http://www.flickr.com/photos/xbartaburu/3664612516/)

国軍クーデターから民政移管へ、混迷するマリの政情
西アフリカでは随一の民主的国家とも言われていたマリで軍事クーデターが起きたことは、3月22日ブログ「西アフリカ  マリのクーデターにカダフィ政権崩壊の影、セネガルは大統領選挙で高まる多選批判」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120322)で取り上げました。

マリ北部では遊牧民トゥアレグ人の反政府闘争が続いていましたが、リビアのカダフィ政権に傭兵として雇われたことから(反カダフィ勢力に加わったとする報道もあります)、リビア崩壊で大量の武器が反政府勢力側に流入し、国軍の装備を圧倒するようになりました。
こうした事態に、武器・弾薬の補充・向上といった対応が十分に出来ないトゥーレ政権への国軍内部の不満が爆発、サノゴ大尉率いる国軍反乱軍が3月21日に蜂起し、トゥーレ大統領が政権を追われる形でクーデターが発生したものです。

一方、このクーデターによる政情混乱に乗じる形で、反政府武装勢力が北部一帯を制圧する状況となっています。
****マリ:反政府組織、北部全域を制圧 アルカイダ系活発化****
西アフリカのマリで攻勢を強めてきた反政府武装組織は2日までに、北部のほぼ全域を制圧した。
一方、反政府組織の一翼を担ってきたイスラム過激派グループが他の組織を排除して、シャリア(イスラム法)に基づく統治を始めようとする動きもみられ、現地で勢力を伸ばしてきた国際テロ組織アルカイダ系グループの活動が活発化する可能性も出てきた。

北部の分離独立を求める遊牧民トゥアレグ人の武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」と、トゥアレグ人のイスラム過激派「アンサール・ディーン」が反政府武装組織を形成してきたとされる。

多数のトゥアレグ人がリビアのカダフィ大佐の雇い兵に参加してきたため、カダフィ政権崩壊後に元雇い兵と武器が大量にMNLAに流入し、MNLAは今年に入り、政府と抗争を激化。先月21日の国軍クーデターによる中央の政情不安に乗じ、アンサール・ディーンと連携して、同30日に拠点都市キダルを制圧し、その後、サハラ砂漠交易の中継地として有名な世界遺産都市トンブクトゥなどでも実権を掌握した。

MNLAは声明で北部の「解放」を誇示しているが、AFP通信などによると、トンブクトゥではアンサール・ディーンがMNLAを追い払って支配下に置いた。さらに、キダルなどでラジオ局の音楽放送や洋服の着用が禁じられるなどの動きが出ているという。【4月3日 毎日】
*************************

アザワド解放民族運動(MNLA)は4月6日、ホームページ上で、北部の独立を一方的に宣言。
この国家分裂の事態に対処すべく、国軍反乱部隊と西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は4月6日、反乱部隊が国会議長に実権を移譲し、民政移管することで合意しました。

****マリ、軍部が実権返還 「独立宣言」北部の混乱続く****
西アフリカ・マリからの報道によると、クーデターを起こした軍部は6日、憲法を回復し、実権を文民政府に返還することを決めた。
クーデターに乗じて北部に侵攻した反政府勢力への対処ができず、返還を余儀なくされた。

実権返還は、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)との交渉で合意した。暫定大統領にマリ議会のトラオレ議長が就任し、民主的な大統領選挙を実施するとしている。また、クーデターを首謀したサノゴ大尉らには恩赦が与えられるという。ECOWASが科していた国境封鎖や資産凍結などの経済制裁は解除される。先月22日に発生したクーデターは、2週間余りで一応の決着をみる。

しかし、この間、世界遺産の都市トンブクトゥなど北部の全要衝都市に侵攻した反政府勢力アザワド解放国民運動(MNLA)が、一方的に独立を宣言。MNLAはアルカイダ系イスラム武装勢力との関係が指摘され、サノゴ大尉自身、軍部が重装備のMNLAと戦うのを「自殺行為」と言うように、混乱が収まる様子がない。【4月7日 朝日】
*************************

この民政移管の合意を受けて、クーデターで政権を追われたトゥーレ大統領は、4月8日、正式に辞任しました。
しかし、5月21日、トラオレ暫定大統領の即時辞任を求める数百人のデモ隊が大統領府を襲撃し、トラオレ暫定大統領はデモ隊に暴行を受けて頭部に重傷を負い、病院に搬送されという事件がおきるなど、混乱は収まっていません。
周辺国からの圧力を受けて、政権を文民政府に返還したものの、クーデターの支持者の間では、トラオレ暫定大統領が旧政権側だとの批判が根強いことが背景にあると報じられています。

北部は「イスラム国家建設」へ、テロ組織の拠点化の懸念も
一方、反政府武装組織が制圧する北部では、「イスラム国家建設」でアザワド解放民族運動(MNLA)とイスラム過激派「アンサル・ディーン」が合意しています。

****マリ:北部にイスラム国家建設で合意****
西アフリカ・マリで4月以降、北部を制圧してきた世俗主義の反政府武装組織とイスラム過激派が26日、両派の統合と北部でのイスラム国家建設で合意した。イスラム過激派は国際テロ組織アルカイダと連携しているとされ、「イスラム国家建設」の過程で、さらに北部にアルカイダが浸透し、活動を活発化させる可能性も強まってきた。

マリでは、3月末に発生した軍事クーデターの混乱に乗じ、遊牧民トゥアレグ人の世俗派武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」と、イスラム過激派「アンサル・ディーン」が攻勢を強め、4月1日に北部全域を制圧。MNLAが北部「独立」を宣言し、アンサル・ディーンは北部の一部でシャリア(イスラム法)の厳格な適用を始め、両派の確執も伝えられていた。

今回の合意は、世俗主義のMNLAがイスラム国家化を容認する一方、マリ全土へのシャリアの適用を目指してきたアンサル・ディーンが「北部独立反対」の旗を降ろした形で、実効支配の固定化を意図した双方の妥協の産物と言えそうだ。【5月28日 毎日】
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このマリ北部がイスラム過激派の拠点となりつつある・・・との指摘もなされています。
****マリ北部にイスラム武装勢力流入、テロの拠点に****
西アフリカ・ニジェールのイスフ大統領は7日、3月のクーデター後混乱が続く隣国マリ北部の状況について、アフガニスタンやパキスタンからイスラム武装勢力が流入して新兵の訓練を行うなどテロの拠点化しつつあるとの認識を示した。

首都ニアメーで仏テレビのインタビューに対し語ったもので、大統領は「テロリストがアフリカに定着すれば欧州も脅かすことになる」と警告した。マリではクーデター後、混乱に乗じたトゥアレグ族武装組織らが北部を制圧して一方的に独立を宣言した。国際テロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ組織(AQIM)」などの関与も指摘されている。【6月8日 読売】
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イスラム過激派によるトンブクトゥの歴史遺産破壊
反政府武装勢力が実効支配する北部に、ユネスコの世界遺産にも指定されている“伝説の黄金都市”トンブクトゥがあります。
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この町は5~11世紀、トゥアレグ人の砂漠の遊牧民らによって築かれた。やがてアフリカの北と西、南を結ぶ交通の要衝となり、黒人やベルベル人、アラブ人、トゥアレグ遊牧民たちが行き交う人種のるつぼになった。

金、塩、象牙、書籍の交易で栄え、西アフリカで最も裕福な地域となったトンブクトゥには、アフリカ中から学者や技師、建築家らが集まり、14世紀までにイスラム文化の一大中心地に成長した。当時のサンコーレ大学にはおよそ2万5000人もの学生がいたとされる。

トンブクトゥがその名を世界にとどろかせたのは1324年、マリ帝国の皇帝マンサ・ムーサ(1307年~1332年)がメッカを巡礼したときだ。皇帝はエジプト・カイロ経由でメッカに向かったが、その際、人夫6万人にそれぞれ3キロずつの黄金を運ばせていた。皇帝は、その黄金は全てトンブクトゥで入手したと語ったという。【7月2日 AFP】
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ユネスコは6月28日、トンブクトゥを含むマリ国内の2カ所の世界遺産を「北部を支配する武装勢力同士の抗争により危険にさらされている」ことを理由に危機リストに載せました。
しかし、イスラム過激派組織「アンサル・ディーン」はこれに反発する形で、トンブクトゥの霊廟などの破壊行為に及んでいます。

****イスラム武装勢力が15世紀のモスク入口を破壊、マリ・トンブクトゥ****
西アフリカ、マリの世界遺産の砂漠都市トンブクトゥで2日、15世紀建造のモスクの入口がイスラム武装勢力によって破壊された。

破壊されたのは、シディヤヤモスクの「聖なる扉」。国連教育科学文化機関(ユネスコ)のウェブサイトによると、シディヤヤモスクはトンブクトゥにある3大モスクの1つで、トンブクトゥが砂漠地帯の中心都市として栄えた1400年ごろに建造されたものだという。

破壊の様子を目の当たりにし、むせび泣く住人もいた。ある住人は2日朝、「イスラム武装勢力がシディヤヤモスクの入口にある扉を破壊した。彼らはわれわれが決して開けなかった聖なる扉を破壊した」と話した。
地元のイマーム(宗教的指導者)の親戚だという別の男性は、「この扉が開く日は世界の終わりだという人もいるのだが、イスラム武装勢力はそんなことはないと示そうとした」と話した。シディヤヤモスクの南向きの扉を開けると災厄を招くと信じられていたことから、この扉は数百年にわたって閉じられたままだった。
扉の奥には聖人の墓があるが、イスラム武装勢力はそのことを知らない様子だったという。ある目撃者は「それを知っていたら建物全体を壊していたはずだ」と話した。

■「偶像崇拝」と霊廟を破壊
AFPが独自に入手したビデオには、ターバンを巻いた男らが「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と繰り返し叫びながら、つるはしで霊廟(れいびょう)を破壊する姿が映し出されていた。砂ぼこりが立ち込めるなか霊廟には穴が開き、そばにはがれきの山ができた。

3か月前にマリでクーデターが起きた後にトンブクトゥを含むマリ北部を掌握したイスラム系反政府勢力「アンサール・ディーン」は霊廟を偶像崇拝的とみなしており、昔の聖者の遺体を安置したモスクをすべて破壊すると宣言。

マリ政府や国際社会から激しい抗議の声が上がっている。イスラム協力機構(OIC)は、破壊の対象となっているのはマリの重要なイスラム遺産の一部であり、偏狭な考えを持つ過激派による破壊行為を許すべきでないとの声明を出した。

アンサール・ディーンは、前週末に合わせて7つのイスラム教聖者の霊廟を破壊した。「戦争犯罪」で起訴するとの国際機関からの警告をよそに、トンブクトゥで文化遺産の破壊を激化させている。【7月3日 AFP】
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偶像崇拝を否定するイスラム過激派による歴史遺産破壊と言えば、2001年のタリバンによるバーミヤン大仏の破壊が思い起こされます。
ただ、このときは対象は仏教遺跡でした。また、当時旱魃のアフガニスタンで百万人もの人々が餓死に直面していることに有効な対応を示さなかった国際社会がひとつの石仏の破壊には大騒動するとして、タリバンを非難する国際社会へのイスラム側の反論もあります。

今回は、破壊対象はイスラムの霊廟です。
世界のイスラム教国57か国、オブザーバー5ヵ国・8組織(国連など)からなり、世界13億人のムスリムの大部分を代表するとされるイスラム協力機構(イスラム諸国会議機構)(OIC)も、今回の「アンサル・ディーン」の破壊行為を非難しています。

マリの「アンサル・ディーン」によるトンブクトゥ破壊だけでなく、ナイジェリアで対キリスト教徒テロを続けるイスラム過激派ボコ・ハラム(「西洋の教育は罪」の意)、ケニアでキリスト教会へのテロを行うソマリアのイスラム過激派アルシャバブなどのテロ行為も連日報じられています。
こうした過激な行為が連動して更に拡大・エスカレートする事態を憂慮します。
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