久しぶりに友人のやっている店に顔を出した。
コーヒーも出すしコンサート会場にもなるし録音会なども催している。
コンサートを終えたばかりだというのは椅子が乱雑に置かれてあったことで気がついた。
店内は展示してある物がいろいろ変わりオーディオも変わっていた。
「これ手に入れたよ」と言いながら早速音を聞かせてくれた。
バロック音楽をかけてアンプとスピーカーを暖める。
良い音。
暖まったころジャズに換わった。
なんだかウッドベースの中に頭を突っ込んでいるみたいだ。
ゴギゴギという弓で玄を擦る音バチンバチンと玄をはじく音。
ピアノソロに換わると今度はピアノのフタを開けて頭を入れて聴いているようだ。
「そうだ。私は今楽器に振り分けられたマイクロフォンの位置にいるのだ」
スピーカーは片側140kgほどの重さだという。
心地よい音を楽しむというよりスタジオで使う物として出ている音を確かめるための設計だという。
不思議と大きな音であっても喧しくはない。
本来の楽器の出す音よりも大きい。
そんなことはあり得ないから「虚構」という言葉が浮かんだ。
次に別の大昔のスピーカーで当時の音を聞かせてもらった。
こちらもジャズだ。
サックスが、これ以上ないほど色気たっぷりに吹き上げる。
ビブラフォンの音が頭の中で揺れた。
まだ音が左右に分かれていないモノラルだ。
こちらはこちらで、とてもつややかな音だ。
管球式のアンプを使っているというが、その違いは私には分からない。
相変わらず音にコダワリを持ち探求している友人。
「ラジカセもしくは車のスピーカーから出る音を聴くだけだよ」と私が言うと。
「それで音楽は聴けますよ」と答えた。
他人に強いることのない友人。
シッタカブリをしない。
車が購入できるほど大枚をはたいて入手した装置についても自慢しない。
大きな音でも心地よいこのスピーカーのように充分な包容力を感じた。