家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

足りなかったものの補充

2011-02-25 07:53:16 | Weblog
露天風呂に浸かった瞬間「これが足りなかった」と感じとった。

日々不自由のない生活をしているつもりだが、それでも何か不足している感覚があった。

風呂にも勿論常々入っているが、そういうことではない。

友人と一緒に入る湯船。

遅れて到着した二人が加わり6人全員が湯船の中で揃った。

景色や湯を楽しむより積もった話をする。

旅館の夕食時再び「これが不足していた」と気付く。

食事を、また酒を楽しむのだが、やはり話を楽しむのがイチバンだ。

モーガン仲間のミーティングに何度か別の用事で参加できなかった。

「今頃皆は楽しくやっているだろうに」とその時満たされない気持ちを味わっていた。

それが悔しくて咽のつかえのように心につかえを残していた。

翌朝目覚めるとすぐに露天風呂に向かう。

「お早うございます」

沢の音の中での朝の挨拶。

あいにく今日は雨だ。

モーガンで雨はキビシイ。

だが「露天風呂のように雨のモーガンも風流じゃないか」と思うことにした。

やはり伊豆の山道を走るとき雨の路面は気を使う。

雪の残っている箇所があった。

遠くに雨に煙る海が見える。

今日の富士山は姿を隠している。

カーブを曲がったトタンに河津桜の桃色が目に飛び込んできた。

モーガンのエンジンブレーキ音と振動が気持ちよい。

フロントガラスの雫の向こうには友人の赤い車。

バックミラーにも友人の車。

雨も私の邪魔をしない。

足りなかったものの発見と、それを充たした伊豆旅行であった。