家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

パトカーは味方?

2011-05-17 10:44:55 | Weblog
妻が交通違反で切符を切られた。

一旦停止のしかたが悪かったと言われたらしい。

状況としては小学校の近くの道を走っていた。

後からパトカーがついてきていることは承知していた。

学校廻りには子供達がたくさんいて徐行して走っていた。

また横断歩道では、きちんと止まり児童達を横断させて安全を確認してから走り出した。

そして一旦停止をして走り出すとパトカーが「止まれ」と指示をした。

「私ですか?」と、自分しか走っていないから止まるのは自分だと思って妻は自発的に車から下りてパトカーに。

友人二人を車の中に残し歩いている児童がたくさん見ている中でパトカーに乗せられ説明を聴く。

一時停止の仕方が悪いと言われたという。

「停まりましたよ、私」と言うも

「3秒停まらなくてはいけないのです」という説明を受けた。

警察官は妻の車のタイヤがすぐに動き出したから止まったことにはならない。

3秒間停まり続けなかったから罰金を払えというのだ。

私は妻の話を聞いて腹が立った。

「3秒間停まったかどうかストップウォッチで測ったか?」

「その確かな証拠はあるのか?」

と私なら食ってかかってしまいそうだ。

妻の走行は、いたって真面目で一旦停止を無視したことはないし、当たり前だが停止線前で停まっている。

また、やたらと遅く走れば安全だと思い込んでいる輩とも違う。

そして自分も小学校の隣に住んでいるのだから児童の歩く様子はよく見ている。

そんなところでスピードを出したり一時停止を無視したりしたら子供が飛び出てきそうで自分が怖いのだ。

だからスピードを出して走ってきて停まったかどうか分からないで発進したというような状況ではなかったのだ。

警察官もプロならドライバーの走り方を見て「まともか、そうでないか」の総合判断をせよと思う。

走行を後から見ていて運転中の妻の気持ちの中に事故に繋がる何かを見つけたのなら分かる。

だが現実的には「捕まえたかった」としか思えないではないか。

「事故じゃなくてよかった」と気持ちを切り替えて罰金を払い込んできた。

しかし警察官に対して自分の味方であるという認識は変えざるを得ない。

支払った7000円も痛いがパトカーが「違反を犯すのを待っている」のではないかと思う自分の変わってしまった心が痛い。